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63.誰が為の狂気

  ---

 時は少し遡る___赤い絨毯(ピジャージュ)直前、ブランデンブルク軍後方にて


「あの丘」

 アマレットは母のシロックに敵陣の左側にある高台を指さした。

「敵はあそこに逃げてくる。待ち伏せしたら?」


「えっ」

 娘の唐突な提案にシロックは驚いた。

「どうして敵があそこに逃げると思うの?」

 母は尋ねる。


「敵の弓騎兵が前線にいないから」

 母は敵陣に目を凝らす。確かに敵の前線は長槍を持ち選帝侯の突撃に備えている。その役目は主に重装歩兵だ。彼らの理想の流れは、重装歩兵によって突撃を撃退し、その後ろに構える弓騎兵によって返り討ちにすることだろう。機動力を生かし、距離を取りつつ矢の雨を降らすことが出来る。ローリスク・ハイリターンという訳だ。


 だが私の旦那は必ず前線を突破する。彼らの前線が突破された時の動きを想像する。攻め込まれた時の弓騎兵の動き、距離を取りながら弓を放ってくるだろう。となると、行きつく場所は___


「よく気づいたわね」

「簡単よ」

 娘はドヤ顔で言った。突撃を前に真っ青になる兄との差に驚く。


「いいわ。中隊を1つ動かしておく。」

「2つよ」

 娘は即座に反論した。


「でも__」

「変にここに残るより、あそこで集まる方が安全よ」


 それは私も思っていたことだ。しかしあそこは敵軍との戦闘の中心地、人が最も殺される場所だ。

「お兄ちゃんがあんな顔で頑張ってるのに、私だけ指をくわえてみてるなんて嫌よ」


 娘は強い目線で訴えかけた。

「はあ、分かったわ。でも私が指示したらあなたの中隊とすぐに逃げなさい」

 アマレットは頷く、それを見て後方のブランデンブルク軍は陣を動かした。





 ---

 最初に敵陣に到達したのは国王、オルダージュ・ブランデーだった。ついでザクセンとマインツ、ファルツとブランデンブルクは同時で、ケルンとトリーアとなった。


 選帝侯は敵陣を文字通り切り裂いていく。(スピア)が赤く染まっていく。敵に衝突する衝撃を受けながらも彼らの馬は歩みを止めない。対して敵の馬はパニックに陥り、多くの騎手が落馬する。



 俺たちの仕事はひどく単純なものだった。落馬して骨の折れた兵、突撃を受け体の一部を欠損した兵、前線が突破され逃げ惑う兵を追いかけ、殺すだけだ。


 マスクの後で、俺とサラも敵陣に到着した。目の前には足が折れた兵が足を引きずっている。絶好の機会__手が震える。躊躇する俺を横目にサラはその兵士の首を切り落とした。


「バランタイン様!」

 転がる首を見る俺にサラが叫ぶ。

「ここは戦場です!!慈悲に意味などありません!」


 サラからの叱責は初めてだ。俺は何か間違っているのか。人を殺すことを躊躇うことの何が___。


「殺せ」

「殺せ」

神がそれを望まれる(デウス・ウルト)

「殺せ」

神がそれを望まれる(デウス・ウルト)


 俺より後に到達する軍の気味の悪い掛け声が聞こえてくる。目の前で敵兵が落馬する。ああ、そうだ。これは戦争だ。心が必要のない場所。俺は間違っていない。目の前のこいつを殺したくない、そう思う俺は正しい。だが戦争という特殊な状況の下であれば、何の根拠もなくこいつを殺してもいい。


 俺は剣を抜き、サラがやったように首を刎ねた。魔力を込めた俺の剣はいとも簡単に生命を奪った。あまりにも簡単に。返り血が手を温める。生暖かさが俺の背筋を凍らす。

 何も感じるな__何も考えるな__



 大きく息を吸って俺は進む。一太刀で人が死ぬ。だが無意識に葬ろうとした生命を奪う感触は、敵の首を切り落とすたびに鮮明となる。

 なぜ俺は人を殺すのか。その疑問がまたしても俺を支配する。俺はまた止まった。そもそもなんで転生したのにこんな思いをしなくちゃならないんだ。もしかしたらここは地獄なのではないか?



「バランタイン様」

 目の前にいる俺の騎士は結んだ髪をほどいた。長い髪が真下に落ちる。一瞬目があると彼女は俺に背中を向けた。そして敵を切り伏せながら進んでいった。


 ふと、左側に見える丘が目に入った。そんなはずがない、そう思って俺は目を擦りもう一度その丘を見る。間違いない、ブランデンブルク軍だ。なぜだ。中隊二つ分は後方に待機しているはず、アマレットは___?

 いや、それはどうでもいい。アマレット。ブランデンブルクの当主がこの地獄を経験しないといけないのなら、その役目は俺だ。父はこのことを見越して双子の弟である俺を兄として扱ったのかもしれない。


 正面に父と友人、隣には俺の騎士。後ろには守るべきもの。それだけでいいじゃないか。


「殺せ」

「殺せ」

神がそれを望まれる(デウス・ウルト)

「殺せ」

神がそれを望まれる(デウス・ウルト)



 狂気の声が後ろから迫る。だが、もう気にならない。


「うおおお!」

 雄たけびを上げて敵を切り伏せる。迷いはなくなった。前世の倫理?社会的責任?転生した意味?知ったことか、俺は俺のために殺す。これが狂気なのだとしたらそれは戦争の空気に充てられたからではない、俺自身が選んだ狂気だ。


 俺はまた前へと歩き出した。




 ---

「母上」

 アマレットは震える手で母の袖をつかんだ。

「しっかり見届けなさい。これが戦争よ」


 母はアマレットの手を握り返して言った。


 あんなに優しかったサラお姉ちゃんとお兄ちゃん。それが今は別のものに見える。彼らが前に進む度に人が倒れていく。


「お兄ちゃん」

 私が呟くと、それに呼応するようにお兄ちゃんと目が合った気がする。最初はとても辛そうだったお兄ちゃんは、目が合ってから急に進むのが速くなった。


 お兄ちゃんらに遅れたその他の歩兵も敵陣に到達する。殺せと言う怒号とともに敵兵を殺していく。彼らが通った後は赤くなっていく。敗戦が現実的になった中陣の弓騎兵は逃げるように散開する。私の読み通り、彼らは高台のこの丘にやってくる。


「ブラッシー(第二中隊)及びクリーク(第五中隊)は弓を構えよ!」

 母の号令とともに中隊二つは弓を引き絞る。私達は敵に見えない場所に陣取っている。つまり丘の反対側だ。敵は待ち伏せされているとは見当もつかないだろう。


 敵か近づく。砂埃が待ってくる。まだだ、もう少し___。



 今だ。

撃て(ファイアー)!」

 母の号令に合わせ、中隊は前に出る。意表を突かれた敵は矢を正面から成すすべなく受ける。馬すらも逃げられない。この丘もまた赤く染まる。


 挟み撃ちの形になった彼らは無謀にもこちらに突撃をする。しかし私らは鶴翼の陣を敷き、圧倒した。

「突っ込んでくる相手ほど、楽な相手はいませんね」

 私は母に伝えた。母は頷き、私の頭を撫でた。





 お兄ちゃんだけに罪を背負わせない。矢の雨に打たれる敵をアマレットは最後まで見届けた。


 







 

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