62.赤い絨毯
「お前の馬でかくていいな」
ファルツ選帝侯はザクセン選帝侯を飛ばしてブランデンブルク選帝侯に話しかける。
「他の国の馬の混血だ」
父ブランデンブルク選帝侯は淡々と返答する。
「ほう。どれだけ速いか楽しみだな」
「あなた、今日は随分しゃべるじゃない」
ザクセン選帝侯は毒づく。
「ふん、騎士としての最大の見せ場からな。気分が高揚して仕方ない」
ファルツ選帝侯は長い槍を上に突き立てる。
「まあ、今日だけはあなたに同意するわ」
ザクセン選帝侯は笑う。
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「赤い絨毯ってまさか」
俺はブランデンブルクの陣の先頭に立って言う。
「そう、選帝侯を先頭にした突撃作戦。神聖帝国が最強と呼ばれる所以よ」
母は父の背中をじっと見つめながら言う。
「僕たちは何をすれば?」
「単純ですよ」
サラは剣を抜いて話す。
「選帝侯の突撃に歩兵の私たちが追従し、乱れた敵陣で敵を葬るだけです」
サラは楽しそうに言う。
「シロック様、私も行ってもよろしいですか?」
母は尋ねる。
「だめって言っても聞かないでしょう、無理はしないこと。いいわね?」
「はい」
「行きましょう、バランタイン様」
サラは俺の手を引っ張る。
「サラ、本当に行くのか?」
尋ねると、サラは不思議そうに聞き返す。
「当たり前です。騎士を目指すものにとってこれ以上の晴れ舞台はありませんから」
今のサラに恐怖を微塵を感じない。全員がそうだ。敵陣に突っ込むというのになぜそんなに嬉々としていられるのだ。俺は行きたくない、そう口を開こうとする。
「バランタイン」
母が声を掛ける。
「あなたは行かなくてはならない。選帝侯の跡継ぎとはそういうこと」
俺の考えを呼んでいたかのように母は冷酷に言った。俺に選択肢はないのか。俺は母の後ろにいるアマレットを見た。
「大丈夫、中隊二つ分がいるから」
母はアマレットがいるからという言い訳の芽を先に摘んだ。
行くしかないのか、戦場に。ザクセンでも人は殺した。しかしそれはサラの復讐をかねてだ。なんの脈略もなく人を殺すのは憚られる。真っ当な理由なく人を殺すのか。
「バランタイン様、大丈夫です。私が傍にいます」
サラは俺をブランデンブルク軍の前衛、つまり父の後ろに俺を引っ張った。
違う。違うんだサラ。今俺が怖いのは死ぬことじゃない。自分の身は自分で守れる。俺が怖いのは、この異常な空気にのまれることだ。
国王が後ろを振り向く。俺と目が合う。真っ青な顔をしているであろう俺を見て、彼は叫んだ。
「大丈夫!気楽に行こう!」
彼は拳を俺に掲げた。何が気楽だ。この状況はそんなものと正反対と言ってもいい。
だが、この作戦の最前線に立つ友人を見て少しだけ心が落ち着いた。あいつなら最前線で敵を蹴散らしてくれる。あいつの背中を追おう。今はそれだけ考えよう。
俺は彼に拳を掲げ返す。そして大きく息を吸う。大丈夫、大丈夫。
得も言われぬ不快感は少しずつ薄まっていく。
赤い絨毯を控える帝国軍は異様な熱気に包まれていた。だがその熱気は一人の男の言葉によって一時静まる。
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神聖帝国の民よ、ここに聞け!
我らの眼前に陣を構える東方民族は、我らの聖地を自らのものにしている。我らはアクア教徒の信徒としてそれを断じて許すわけにはいかない!
我らは神に選ばれし戦士だ。そこに騎士も農民もない!!
我らが神のため、かの蛮族らを打ち滅ぼさん。
我らの誇りをもってこの地を赤く染め上げよう!
敵は我らにひれ伏し、奴隷となって帝国のために働くべき民族
我らは神の御心の下、かの敵に引導を渡さねばならん!
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皇帝は肺や声帯あたりに魔力を集め、力の限り叫んだ。その演説は兵士たちの感情をより高ぶらせた。鼓膜が破れんばかりの怒号が響き渡る。激情を孕んだ重低音が腹の底へと響く。
「全軍、突撃」
皇帝が号令とともに剣を振る。選帝侯の馬は我先にと駆けだす。選帝侯という高潔な騎士の誇りを乗せ、気高き馬が走り出す。板金鎧と槍を持った選帝侯は横一列となって走り出す。
しかし選帝侯らは意図して列を形成しているわけではない。彼らは武功を立てるため誰よりも早く数百メートル先の敵陣に到達したいのだ。そこに仲間意識などない。赤い絨毯を帝国最強の戦術たらしめたのは、選帝侯の利己性に他ならない。
遠ざかる父や国王の背中に置いて行かれないように、バランタインは全力で追いかけた。この戦術において馬による突撃をしてよいのは選帝侯だけである。選ばれしものにこそ、馬に乗る権利が認められるのだ。
隣のサラの息遣いを感じながら走る。左斜め前にマスクが見える。さすがザクセン軍団長だ。走る、走る。歩兵っからも敵陣がはっきり見える。まだ選帝侯は衝突していない。敵陣には挑発を繰り返してきた者らとは違う、重装備の兵もいる。重装歩兵は申し訳程度に槍を構えている。しかし、その表情は堅く強張っている。あれでは選帝侯は止まらないだろう。
陣が崩れる。誰もが確信している。
選帝侯は敵陣に到達した。




