60.旅路
神がそれを望まれる
民衆は叫び、敵を殺さんと進軍する。敵を殺し聖地を取り戻すことが定めだという。
プロパガンダ。
人から聞いた教皇の演説はまさしくそれだった。直接聞いたわけではないが、あの教皇は人を動かす天才だと感じた。アクア教への信仰心と敵意を同一のものとした。信心深い隣国のフランク王国を始めとしたラテン帝国群では子供までもが多く東へと進軍する。諸侯らも名を上げる絶好の機会とばかりに重い装備を付けて馬に乗った。
これから流れる大量の血など、誰も想像していない。
神聖帝国軍は陸路でアナトリアを目指す。先導された民衆の一部は先にアナトリアに到達し東方民族との戦闘を行ったそうだが、遊牧民らの機動力の差に圧倒され、なすすべもなく壊滅させられたそうだ。
馬のある我々としてはこの移動は大した苦痛ではない。しかしただの農民や下級兵士からすれば、ただアジア圏へ移動するだけでも命懸けだ。道中に遺体が転がっていることも珍しくはない。
「死体には慣れておくのよ」
母がアマレットにそう言った。前世であれば小学校低学年であろう子供に。
遺体はほとんどが農民のものだ。これでは聖地を奪還しアクア教徒が自由な巡礼を行えるようになったとしても、問題なく聖地に行くことの出来るものは少ないのではないか。
「いやあ、わくわくするわね」
俺に話しかけたのはザクセン選帝侯だった。ザクセンはブランデンブルクと友好関係にあるということで、まとまって動いている。1人1人に装備が支給されているブランデンブルク軍と比較して、ザクセンの軍は圧倒的に数が多い。職業軍人の身で1万は軽く超えている。この軍の先頭にブランデンブルク一行がいる。
ちなみに父とマスクは進軍する軍の側面からの奇襲に備えるため巡回している。ザクセン選帝侯はさぼりだ。
「僕は戦争なんて勘弁です」
ザクセン選帝侯にだけ聞こえる声量で言った。他の人、特に俺の中隊に聞こえると士気が一気に下がるためだ。
「ま、あなたはそうだと思ったわ。でも君のフィアンセはそうじゃないみたいよ?」
ザクセン選帝侯はサラを見る。彼女は馬に乗りながら自分の装備の点検を行っている。
「ちゃんと守ってあげるのよ?」
ザクセン選帝侯は言う。
「フィアンセではないですし、どっちかというと守られている気がするのですが」
俺は苦笑いを浮かべる。
「普段はそうかもしれないけれど、今回は別よ。勇敢で気高い騎士の寿命は短いの」
サラのことだ。後先考えて突っ込みそうだ。ただアマレットを守るという任務もあるので自重してくれるとありがたいのだが。
「そもそも、ほんとに勝てるんですか?なんだか楽勝ムードですけど」
進軍する兵士たちは、東方民族は金を蓄えてるとか、女の胸は大きいかとか、戦利品のことばかりを話している。
「統率が取れていれば大丈夫。選帝侯が揃い踏みで来ているのだし、聖地奪還は余裕よ。だけど問題はその後ね」
「その後?」
「あっ、見えてきたわよ。ビザンティウム」
ザクセン選帝侯が前を指さす。そこはアジア圏とヨーロッパ圏の交易によって繁栄に繁栄を重ねた大都市だ。
街に入る、すると住民らは憎悪と恐怖の表情を俺たちに向けてきた。
「なんだか歓迎されてないみたいですね」
「先遣隊のマナーが悪かったのでしょうね」
俺の疑問にザクセン選帝侯が答えた。彼の言う通り、隣国のフランク軍がこの街に入った際に略奪等を働いたそうだ。俺達は食糧を受け取り、数日以内に出立するように言われた。
俺とサラは短い間、ビザンティウムを散策した。街並みは西洋ともアラビアンとも取れないなんとも絶妙な風景だ。まさしく文化の交流地という雰囲気で、敵と同じ肌の色、言語を使っている人もいる。これらの人々はギリシア帝国民であるため、見た目は敵と同じと言えど守るべき対象、つまり仲間ということになる。
ブランデンブルク軍やザクセン軍は統率が取れているため問題はないが、農民中心の粗暴な先遣隊やアクア教への信仰心が強いフランク人であればトラブルが起きても不思議ではない。白い肌の人間が大半であるラテン帝国の人間からすれば、有色であるだけで無条件に敵として認識してしまうのだろう。
「うっ、これ本当に食べられるんですか?」
俺はサラと食事処に来ていた。
ここビザンティウムは魚が中心で、ご飯がめちゃくちゃうまい。豚肉は相手国の宗教上の問題からそこまで浸透していないが、羊やヨーグルトなど遊牧民の食文化も入ってきているためかなりバリュエーションが豊富だ。世界三大料理のひとつに数えられているだけはある。
「火をちゃんと通せばおいしいから、もうちょっと待ってて」
「わっ、なんか開きましたよ?ちょっと気持ち悪い」
「俺の騎士が弱音にならないの、ほら食べてみて?」
俺は、身をほじくり出しサラに食べさせる。
「あつっ。あっ。おいしい」
「だろ?」
俺とサラは貝を食べていた。地中海に面しているため海の幸が取れるのだ。正直小麦とミルクのブランデンブルクの食事に飽きてきていたので、戦争なんてしないでずっとここにいたいと思っている。
「バランタイン様、食べたことあったのですか?神聖帝国では海産物なんてほとんど食べないのに」
「えーっとね、本で読んだことあるんだ」
転生した、なんて言えないため何とか誤魔化した。
「へえ、存じ上げませんでした」
サラは次々と貝を焼き、次々と頬張る。ホタテ、カキ、ハマグリ。
「おいおい、そんなに食べるとお腹下すよ」
「私は騎士ですよ?これくらいで腹など下すわけありません」
出立前日。サラはトイレに籠りきりだった。
「うっ。さてはあの食材、毒が入っていたのでは?」
サラは真っ青な顔で言った。
「いや、ただの食あたりだよ。ちゃんと火を通さないから」
俺は冷ややかに言った。まあ半日も経てば治るだろう。
「ちゃんと水分取って寝てな」
俺はサラに毛布を掛けていった。こんなにも早くもザクセン選帝侯の忠告が形になるとは。サラを守るのは戦場での話かと思っていたのに。
「バランタイン様」
彼女は毛布にくるまりながら言った。
「また、あれ食べましょうね」
サラははにかんでいった。腹痛で弱っているせいか分からないが、妙に艶っぽく映る。
「腹壊したのに、よく言えるね」
「ええ、私知らないところに行くの好きみたいです」
「じゃあ戦争が終わってひと段落したらまたどこか行けばいいさ」
「バランタイン様とですか?」
サラは俺のことをじっと見る。
「ああ、僕も行くよ」
「やった、じゃあ早く聖地取り返しましょう」
「ああ」
すると、サラは小さな寝息をたて始めた。良い騎士の条件の一つは戦地でも寝られることと父は言っていた。その点で言えば、彼女は完璧といえる。まあ現地でよく分からないものを食べて腹を下すあたりはまだまだ未熟だが。
俺はサラが完全に寝たのを見て再度市場に出た。妙に腹が減る。もしかしたらこの街にはもう戻ってこれないという思いがあるのかもしれない。急に怖くなった。腹が一気に減る。もしかしたらこの街に戻るときには、両親もアマレットも、そしてサラもいないかもしれない。怖い、怖い。
俺は市場に出て色々な食べ物を貪るように食べた。満腹になれば多少は気持ちが落ち着くと思っていた。しかしいくら食べてもその気持ちは落ち着かない。俺は何度も魔力をちゃんと扱えるか確認した。もし何かのはずみでこれが使えなくなったら___
気持ちが落ち着かないまま、俺達は出立の日を迎えた。
「行くわよ」
母が軍をアナトリアへと進軍させた。




