57.ウィーン
「随分なお出迎えですね」
「これが選帝侯だ」
帝都ウィーン。俺たちは皇帝がいる宮殿へと到着した。大きな花畑が宮殿の前に整備されており、その間を通る道には、それなりに訓練を積んでいるであろう騎士らが隊列を組み宮殿への道を作っている。
ブランデンブルク選帝侯一行は宮殿へ歩いて行く。すると正面に仁王立ちする隻眼の男が待っていた。父ほどではないが顔が傷だらけで明らかに堅気ではないのが分かる。
「ほう、定刻までに間に合うとはな」
その男は父を睨みつけていった。身長は2メートルは越しているであろう大男だ。威圧感が半端ではない。
「帝国の一大事。選帝侯が遅れるわけにはいきませぬ故」
父は臆することなく返す。
「ふん、口は立つようだな、ブランデンブルク選帝侯」
「そちらこそ、噂にたぐわぬお方のようで。ファルツ選帝侯」
お互いがにらみ合う。そして彼は俺と母に目線を移した。
「ここに立ち入れるのは選帝侯を含め2名までだが?」
眼光が鋭い。少し気圧されそうになるが、ここでビビったら今後も舐められる。
「僕は国王の補佐役のために参りました」
俺が切り出した。ファルツ選帝侯は父の横を通り、俺の目の前に立った。剣を抜けば切られる距離だ。
「そうか、最近国王が好意にしている者がいると噂では聞いていたが、まさか貴様のようなものだとはな。場数は踏んでいそうだが、俺には不思議でならん」
「僕の友人にメンチを切るのはやめていただきたい。ファルツ選帝侯」
その声は国王だった。彼は宮殿から出てくる。
「ほう、あなたが他人のために動くとは。噂は本当のようだ」
ファルツ選帝侯は煽るように国王に行った。
「僕とて感情はありますのでね」
国王は気にもせずに軽く返す。
「ブランデンブルク選帝侯。ようこそウィーンへ」
俺達は頭を下げた。こういう場では位がものをいう。俺と国王の友情なんてものはここでは通じない。
「長旅ご苦労。定刻まで時間があります。部屋を用意しておりますので体を休めなさい」
国王は命令口調で指示を出した。
「はっ」
俺達は再度頭を下げる。
「それと僕の補佐役は僕の部屋へ」
国王が目配せする。
「はっ」
指示を受け宮殿へと入る。ローマの大聖堂とはまた違う豪華さがあった。
「少しぶりだね」
「だな」
俺は国王の部屋に招待された。その部屋には見るからに高そうな芸術品がいくつも置かれている。
「やっぱり国王なんだね」
俺は彼の部屋を一瞥して言った。
「なにそれ」
彼は不思議そうに聞き返す。
「やっぱり偉い人って住んでるところから違うなってさ」
「選帝侯の一族も十分すぎるほどやんごとない身分だと思うけど」
「まあね、でもうちは森の民の襲撃に備えるための城だから」
「そうだったね。でも僕はあの城好きだよ。実用的って感じ。見た目だけ派手なここよりずっといいと思う」
国王は窓の外を眺めながら言う。
「奇麗な宮殿だね」
俺は目の前に広がる大きな花壇を見てそう言った。
「奇麗になったのは最近だよ。君とイタリアに行く前は汚かったんだから」
「え、どうして?」
思わず聞き返す。
「トイレがないのさ」
国王は鼻をつまんだ。そう言えば中世の宮殿や都市では水洗トイレが備わっていないため、排泄物は地面に捨てられる等、汚かったんだっけか。
「え、じゃあどうしたの」
「聞かないで」
彼は首を振って言う。
「バランタイン、まだ乳歯は残ってる?」
「うん、まだ奥歯が残ってるけど」
「頼む、あとで頂戴!」
国王は掌を合わせて頼んだ。その姿を見て彼が何をしたのか察した。
「いいよ。大変だったんだな」
俺はねぎらいの言葉をかけた。
「ほんとだよ。選帝侯が来るから奇麗な状態にしとかないと体裁が保てないからさ。一国の国王が何してんだろって気持ちなにったよ」
彼は肩をすくめた。かわいそうに、彼は疫病を止める時にしたように、禁忌の力を使って排泄物を消失させたのだろう。物体から祝福を奪うにはその物体に触れなければならない、彼はそれに触れたわけだ。
俺の歯を要求するのは彼がその仕事をしないで済むようにだ。
俺は彼の肩に手をかけた。
「いやあ、一国の国王がそんな雑務をするなんて尊敬するよ」
「あ、ありがとう?」
彼は困惑して答えた。
「そんな君に尊敬を込めて、俺から二つ名を授ける」
「う、うん?」
彼は困惑しながら頷いた。
「今日から君は、ウンコマンだ」
俺は半笑いで言った。
「おい!言うなって」
俺は国王から背を向け逃げる。
「おい、待て!」
「やーいウンコマン」
広い彼の部屋で俺は逃げ回る。しかし彼は魔力を使い俺に飛びついた。
「これで君も同類だ。エキスはつけたぞ」
彼は決め台詞かのように言った。それを見て俺は吹き出す。彼も笑った。
「この宮殿でこんなに笑ったのは初めてだよ」
国王は満足げに言った。
「それは良かった。こっちはいきなり知らない強面の男にガンつけられたんだ。帰ろうかと思ったよ」
俺は先ほどのことを思い出した。
「よくビビらなかったね。僕でも結構怖いのに」
「いやいや、怖かったよ。ビビってないように見せただけ」
ファルツ選帝侯も明らかに手練れだった。
「あの人には気を付けて」
国王は真剣な表情で忠告をする。
「帝国には忠実なんだけど、忠誠心が行き過ぎるところがあってね。次は自分が国王になるんだと息巻いてるから」
つまり政敵ということか。父を次期国王にするという教皇との約束を果たそうとするならば、父とファルツ選帝侯は真っ向から対立することになる。
「それともう一つ」
国王は俺に耳打ちをする。
「皇帝が病気になった。いつまで持つか分からない」
「えっ」
驚き声が出なかった。
「うちの家系の定めだ」
国王は自嘲気味に笑った。
「普通の人は気づかないけど、僕たちの力なら分かる。あとで見るといいよ」
「わ、わかった」
皇帝が病気という国の超重要情報を握ってしまったという緊張感が俺を支配する。
コンコン___
扉をノックする音だ。
「国王様、定刻です。集合を」
「はーい」
時計を見ると会議の時間となっていた。
「国王だからね、他の選帝侯より後に行くくらいが丁度いい。まあ皇帝より遅れたら大問題だけど」
国王は立ち上がり、歩き出す。
「バランタイン。君は何もしなくていい。だけど気を抜くな」
国王は命令口調で俺に言った。緊張感が高まるのを感じる。
大きな扉がある部屋に入っていく。そこには円卓が置かれ、選帝侯が座って待機していた。注目が集まる。だがその大半は国王に向けられたものだ。俺に対する視線は4つ、両親とザクセン選帝侯とマスクだ。懐かしい気持ちが少し浮かんだが、場の重さがそれをすぐに打ち消した。
国王が一番の反対側の椅子に座る。補佐役の俺はその隣だ。円卓の中ではかなり上座であるが、扉の反対側、円卓の奥に数段高い位置に一つの席__玉座が置かれている。言うまでもなく皇帝の席だ。
座って待機していると廊下の方から足音が聞こえてくる。俺たちは全員が立ち上がる。皇帝は円卓を通り過ぎて、玉座に腰かける。俺たちはそれを確認し上座の順から座っていく。
進行役を務めるマインツ選帝侯が告げる。
「それではこれより、帝国会合を開会いたします」




