52.思わぬ機会
「僕たちが、国王に?」
「ええ、現在の皇帝が死去し、あそこにいる国王が皇帝に繰り上がった場合、次の国王を決める選挙が行われます。我々教会は三大聖俗選帝侯を有しておりますので、議決権は7つのうち3つあります。選帝侯は自身への投票が可能ですので、ブランデンブルク選帝侯が自身に投票すれば過半数となります」
教皇は酒の杯をカウンターに置き、手を組んで続ける。
「その後、我々は政治上の権利を全て皇帝に譲渡いたします。議決権も同様に放棄いたします。その後は皇帝が世襲制を採用すれば、あなたの一族は皇帝の地位を維持することが出来るでしょう」
確かに制度上それは可能となるだろうが、なぜ俺にそれを提案するのか分からない。
「なぜ、僕にそのような提案をするのですか?」
そう尋ねると彼は気まずそうに声を潜める。
「ブランデー家は確かに皇帝としての経験値も豊富である上、禁忌の力を持っています。しかし彼らは力を失いつつあります」
「なぜ?国王は僕よりはるかに強大な禁忌の力を持っていますよ?」
そう言うと教皇はうーんと唸り、答える。
「それが問題なのです。祝福は通常循環するもの。それを自身の身体に留めてそれを力として放出する。禁忌の力は、いわば祝福の『淀み』です」
「淀み?」
俺は教皇のように声を潜めて尋ねる。教皇は頷く。
「禁忌の力が強くなるということは”淀み”が大きくなるということ。つまり通常の人間から逸脱しているということです」
要領がつかめない、彼は何を伝えたいのだろう。
「何が言いたいんです?」
遠回しな物言いの核心を掴むべく、直球で質問をした。
「それは__」
教皇はすでに小さい声をより小さくする。酒の席の喧騒で消え去るぎりぎりまでに。
「ブランデー家は長らく純血主義を貫いておりました」
「純血主義?」
「ええ、つまり__その__」
「あっ」
俺は気づいた。そういうことか。前世でもあった。王家や貴族が直面する跡継ぎ問題の原因。上流階級の常識。前世の価値観では気持ちが悪いと一蹴される慣行。
「インセスト」
俺は声に出して言った。教皇は周りをきょろきょろ見渡す。そうだよな。教皇だもんな。飲酒とは比べ物にならないほどの話題だ。
教皇は頷いた。
「そう、その慣行によってブランデー家はもう風前の灯です。ブランデー家にとってその慣行は自らの一族は恵まれてると言った選民的な理由ではなく、祝福という力を得るための手段だったのです。もう国王以降は跡継ぎが出来る可能性は極めて低いでしょう」
「禁忌の力」
俺は呟いた。
「そう祝福を操れるのも宗教の解釈上は良いとされません。しかし最も禁忌を犯していると言えるのは、その過程です」
ぞっとする話だ。しかし、国王を軽蔑しようとは思わない。あの力はそれだけの価値があるということだ。禁忌と魔力、国王がもつ魔力を考えると等価交換だと思ってしまう自分に驚いた。
「崩壊間近のブランデー家の状況を鑑みると、新たな皇帝一族の選出は不可欠です。もしかしたら選帝侯同士で内乱に勃発する可能性もあります。それを防ぐために、誰かを皇帝として確固たる位置に確立させなければならない」
なるほど、あくまで帝国の治安維持を最優先にしている訳か。
「でも、なぜ僕なのです?」
「言ったでしょう。あなたも王の器があると。私はあなたに帝国を治めてほしいと考えております。さすればしばらくの間帝国の政治は安定化するでしょう」
「しかし、順番を考えると僕より先に父が皇帝になるのでは?」
父を差し置いて俺が国王になるなどあり得ない。
「ええ、それは別に構いません。あなたの父上の人柄も伺っています。国を従える裁量があるかどうかは分かりかねますが、奥様のシロック様も優秀だと聞きますし、跡継ぎのあなたもいるので大丈夫でしょう」
「随分と僕たちのことを調べているのですね」
「何も知らぬ相手にこのような話は持ち掛けませんよ」
底知れない恐ろしさをこの男に感じた。国王との和解の際には潔く頭を下げるのに対し、腹の内ではしっかりとその先のことを捉えている。化け物だ、こいつは。
「しかし、僕の一存でそれは決められませんね」
正直、帝国のトップという地位に微塵も俺は興味がない。皇帝になって何になる?俺の目標である気楽な生活の正反対のような地位だ。父がどう思うかは分からないが、少なくても俺は乗り気になれない。
「ええ、存じ上げておりますとも。それに皇帝はまだ若い。死去されるにはまだ時間があります。ゆっくりと考えてください。それまでは内密に」
そう言うと、教皇は立ち上がった。
「楽しい時間をありがとうございました。フランチェスコ」
「はい」
フランチェスコも立ち上がる。帰り支度を整える。
「おう、もう帰るのかい」
店主が教皇騎士と教皇に尋ねる。
「ええ、深酒は厳禁です。清く貧し。それが清貧派のモットーですのでね」
「20杯近く飲んでるやつが言ってんじゃねえよ。また来い」
店主は笑って言う。
「ええ。また来ます」
「ドミニクさん」
フランチェスコが店主に話しかける。
「少し、通う頻度が落ちるかもしれません」
「どうした。肝臓でも傷めたか」
「いえ、私は清貧派教皇騎士であります故」
フランチェスコは深々と店主に頭を下げた。
「ふっ。そうかい。寂しくなるな」
「ええ、次は客として来ます」
「おう、待ってるぜ」
教皇と教皇騎士は帰っていった。




