45.決断
宿に戻った後、俺は泥のように眠った。酒が入っていたのもあるが初めて来た街での情報収集、教皇の二度目の謁見など、オーバーワークも甚だしい一日だった。帰って来たのが朝方だったため、起きた時は午後だった。
ベッドはふかふかで、疫病の真っただ中とは思えないほど快適な宿だ。国王などの王族や貴族は、こんな状況下でも質のいい衣食住を確保できる。地位と金こそがものをいう世界なのだと改めて実感した。
宿に併設されている食堂に行くと国王が昼食を食べていた。俺を見ると昨日のやり取りがなかったかのように、手を振ってテーブルの反対側を指さした。俺は誘導されるがままその席へと座り、食事を注文した。
「やあ、君ってずいぶんたくさん寝るんだね。」
国王が尋ねる。
「昨日は遅くなってね。」
「ふーん、何してたの?」
国王は俺の顔を覗き込んだ。彼の真意を読もうとしたが分からない。俺が教皇とあったことを変に隠そうとすれば、国王との協力はなくなり、信頼も失われる。しかし、素直に昨日のことを包み隠さず話して、国王は納得するのだろうか。
「教皇にお会いしてきました。」
俺がした決断は、直球だった。これで信頼が失われるのだったらそれまでの男ということだ。そんなのはそもその友達でもない。
国王は一瞬驚いたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「そう、なにか言ってた?」
「聞いたのはナポレオン様のこと。権威派から清貧派に移行した話。あとは教会側が君と敵対する言い分かな。」
「ふうん、教会側の言い分を聞きたいな。」
「本音と建て前の両方でおっしゃてましたが、どっちにする?」
「両方。」
「教会の解釈では禁忌の力は神の力(祝福)と同じらしい。つまり俺たちは神ってことになる。だから俺たちは教会の唯一神を脅かすものってこと。」
「それが建前だね?」
俺は頷いた。
「もう一つは、国王、教会は君が怖いんだ。」
教皇が言ったことをそのまま伝言する必要はない。
「まあ、僕は数えきれないほど教会の人間を殺してきたからね。」
「違う、そうじゃない。」
俺はかぶりを振った。
「君が皇帝になるのが怖いんだ。」
「どういうこと?」
国王は首を傾げた。
「君は国のトップとして不適格ってことさ。教皇は君が皇帝になれば帝国は不安定になるだろうと思っている。教会ではなく、帝国のことを考えると君を殺さなければいけないってさ。」
「勝手なこと言うね。君はどう思うの?」
国王は俺自身の意見を求めた。
「俺も同じ意見だ。確かに君はまだまだ未熟だ。」
「ひどいこと言うね。」
口ではそういうが俺の話を最後まで聞こうとする意志は感じられる。
「友達だからだよ。君の騎士みたいに何でもかんでも肯定してほしい?」
そう言うと彼はすぐに否定した。
「いや。ありがたい。昨日のことだってそうだ。僕の頼みは、受け取る側の立場になれば命令と等しいんだろう。僕の周りにはイエスマンしかいないから。」
そう言うと、彼は続けて言いずらそうに口を開く。
「君の意見はありがたい。でも僕のやることはもともと決まっている。教会や君が何と言おうが僕は変わらない。帝国民をアクア教から解放する。」
「そう言うと思った。だけど伝えたいことがもう一つある。」
「なに?」
ここからが本題だ。教会を潰すという目的の下ローマに来た彼にとって、教会の言い分なんて関係ない。それはそうだ。しかし味方の俺にとっては、彼の行動理念をはっきりさせておく必要がある。彼のことを何も知らず、命を預けることなんてできない。
「疫病を止められるけど、教会を潰すことはできないと言ったら君はどうする?」
彼は驚いた表情をする。
「疫病を止めるって、どうやって___」
「答えて。」
俺にとって一番重要なことはこれだ。やり方どうこうではない。彼はどうしたいのか、それをはっきりさせたい。
沈黙__5分くらい彼は考えていた。
「でも疫病の解決と教会を敵対することになんのトレードオフが__」
「黙って答えろ。」
俺はテーブルを叩いた。いつの間にか運ばれてきていたスープが少しこぼれる。せっかくの食事を少し無駄にしたことに罪悪感を普段だったら抱いただろう。しかし、今は違う。彼の意思決定が何よりも大切だ。
国王はびくっとした。そしてもう一度考えた。さっきよりも長く真剣に考えていた。沈黙は前世からそこまで得意ではないのだが、今は気まずさというよりも、応援しているような気分だ。W杯のPKを蹴る前の静けさに似ている。
「疫病を止めたい。」
呼び動作なしで彼は言葉を発した。長い思案の末の、覚悟が籠った一言だった。
「よし、じゃあ。疫病を止めよう。」
「うん。」
彼の顔は晴れやかだった。
正直、彼が教会を潰すことを選んでも良かった。実際、疫病を止めることと教会を潰すことは相反する事項ではない。
しかし、俺にとって大事なのは、国王が民衆の危機か私怨か、そのどちらを大切にしているか、自分自身で認識してもらうことだ。自分がどうしたいか、それがぼんやりとでも分かるだけで、心はずっと軽くなる。彼のように多くのものを背負っている人間からすればなおさらだ。
「尊敬するよ。」
俺は心からそう言った。俺だったら国王のように利他的な方を選べない。でも彼は弟の恨みではなく民衆の命を優先した。これが王の器ではないのなら、いったい何がそれに該当するのだろう。
「ありがとう、それで、具体的にどうするの?」
国王は尋ねる。
俺はコップの水にブドウを絞った。
「奇跡を起こそう。」




