44.主導権
俺はサラと手を繋いで元の宿へと帰る。すると川が見えてきた。
「ティベル川、というそうですよ。」
川の周りには遺体が転がっていた。
「疫病の原因は死体や排泄物に触れるのと、あと水だって言ってたよね?」
俺は酒場の店主に言われたことを思い出していた。
「ええ、おっしゃってました。」
「よいしょっと。」
俺は川の傍へと寄る、そして手ですくう。
「バランタイン様、飲んじゃダメですからね。きれいな水は携帯しておりますから。」
「ああ、わかってる。」
わざわざ病気になる水なんか飲むか。俺はにおいを嗅ぐ。うん、普通だ。では口に含んでみよう。
「バランタイン様!」
俺はすぐに吐き出した。
「大丈夫、飲んでない。水ちょうだい。」
サラに渡された水筒で、俺は口をゆすぐ。
「味も臭いも普通だ。」
五感では分からない。
「無茶しないでください。」
サラの心配を無視しもう一度川の水をすくう。
そして俺に備わったもう一つの感覚__魔力によって水を感じる。
うん__何も分からない。
「サラ、また水ちょうだい。」
「もう、貴重なんですから無駄使いはダメですよ。」
「ごめんって。」
俺は水筒から手のひらに水を出してもらった。その水を先ほどと同じように魔法で撫でる。うーん。やはり分からない。いや、少しだけ違うような__。
気になるな。俺は近くに転がる死体を見た。吐しゃ物のにおいにはもう慣れてしまった。しかしこの遺体は腐敗した臭いが漂っていた。
これではだめだ。他のを探そう。
近くには若い女性の遺体があった。やせ細っているが遺体は比較的奇麗だ。しかし例外なく吐しゃ物や下痢が感染者であったことを証明している。俺はその遺体に近づく。
「バランタイン様、何を?」
どちらにしようか。どっちも嫌だな。でもこっちは乾いている。こっちにしよう。
俺は遺体の尻に手を触れる。下痢によってシミが出来てる。そのシミを手で削り取るように、手にくっつけた。乾いた土のように排泄物がぽろぽろと衣服からこぼれていく。
「うっ、バランタイン様。汚いですよ。」
サラは口を手で覆う。
「僕だっていやだよ。」
俺は手についた排泄物を見た。不快感から体が震える。
かなり擦り取ったはずだが手にはそこまで排泄物は付着していない。よっぽど水っぽい下痢だったのだろう。
俺は魔力を再度放出した。するとどうだ。先ほどより大きく魔力が反応している。『祝福は万物に宿る』と教皇は言っていたが、こんなものに含まれていても、『祝福』なのか??
「サラ、ビンゴだ。」
「ビンゴ?なんですかそれ。」
ああ、決め台詞が伝わらなかった。まあうんこを手に付けている状態で、どんな決め台詞を言ってもかっこはつかないのだが。
「細菌って分かるか?」
「いえ初耳です。」
そうか。まだこの文明レベルでは食中毒や疫病の根本原因は分からないわけだ。だから魔女だの悪魔だの宗教的な理由付けが行われているわけだ。
「疫病の原因だよ。いろんなものに含まれている目に見えない生物。良いものもいるが、今回のように病気を引き起こすのもいる。」
「なるほど、確かにそれなら地面に埋めた遺体が骨だけになっているという事象にも説明がつきますね。」
「そういうことだ。」
頭の回転が早いな、俺の騎士は。実際にはそれは細菌ではなく微生物という枠なのだろうが、俺はそこまで詳しくないし、ここではさほど重要ではない。この世界において意味を持つのは、宗教的な理由によって疫病が蔓延しているのではなく、自然のメカニズムが原因だということだ。
俺は心の中でガッツポーズをした。
「サラ。」
「はい、何でしょう。」
「俺たち主導権を取れる。俺たちが疫病を止めれば、教皇や国王の対立を止められるかもしれない。」
今回、国王が教会と衝突しようとしている”表向きの理由”は、教会は疫病を放置し社会不安を引き起こしていることだ。本心は弟の恨みだったり、国王自身のイデオロギーであるが、政治を行うものにおいて世間向けの理由というのは必要不可欠だ。
疫病を止めればその理由が失われる。友人を失わずに済むかもしれない。人間味あふれた教会のトップを失わずに済むかもしれない。
「しかし、疫病の原因が分かった所で、どのようにするのですか。」
そうだ。俺が現世の知識を流布して、疫病は細菌によるものだと世間が認めてくれたとしてもそれに対応するだけの医療が発達していない。抗生物質を飲めば回復する病気を、適当な女を見つけて火あぶりにすれば解決すると思っている世界だ。今のままじゃ何の解決にもならない。
実際、この文明でできる対策はほとんど行っている。ローマはもう死者が多すぎて機能不全だが、遺体を街の外へ埋め、汚物は水で流す。感染者とは距離を置き、家族ですら看病を放棄する。
しかし、俺には一つだけ考えがあった。俺は手に自分の魔力を集中させる。付着する排泄物が保有する魔力を俺の魔力で包み込み、同化させる。細菌が持つ魔力を”奪う”のだ。すると排泄物は色を失っていき、灰色に変色した。
「バランタイン様、何をしたのですか?」
サラは驚いて尋ねた。
「奪ったんだ。細菌が持つ魔力__祝福を。」
教皇が使っていた魔力吸収装置を見て、俺にも出来るのではないかと思ったのだ。魔法使いが持つ多量の魔力は無理でも、微生物くらいの魔力なら吸収できる。
「ということは。」
「ああ、魔力を使えば細菌を殺せる。疫病を止められる。」
「やりましたね!」
「ああ、やった。本当にこれで主導権を取った。」
聖俗間の戦争など起こさせない。俺は川で手を洗った。
これで俺が好感を持った人間同士が殺しあうのを避けられる。安堵を感じる一方で俺は恐怖を抱いていた。
もし膨大な魔力量を持った魔法使いが、微生物ではなく人間の魔力を奪ったら、人間も灰のように消え去っていくのだろうか。あんなに簡単に人の命を奪えたら。
教皇が言った”神”という言葉がよぎった。そんなことが出来るのであれば本当に神だ。悪魔だ。疫病をもたらすなんて、そんなちんけなもんじゃない。万物を無に帰す、本物の悪魔だ。
自分が何気なく生まれ持ったこの力に初めて畏怖を抱いた。
『力には責任が伴う』
初めての戦闘で俺が殺せなかった森の隊長が言ったセリフだったか。
「バランタイン様、どうかしました?怖い顔してますよ。」
サラが俺の顔を覗き込む。
「いや、なんでもないよ。」
まあ、間違っても俺がサラや両親など大切な人に向けて使うことはない。要は使いようだ。俺は自分の好きな人を守れれば、それ以上の力はいらない。大丈夫、俺は大丈夫だ。
「とりあえず、今日はもう帰ろう。」
「はい。」
俺達は宿に戻る。夜はもう明けかけていた。でもまだ寒いな、俺はサラの手に腕を伸ばす。するとサラはその手をぺちんと軽く叩いた。
「えっ。」
思わず声が出た。
「いくらバランタイン様でも今日はその手には触れたくありません。」
「えー、いいじゃん。つなごうよ。」
「私だって繋ぎたかったですよ。」
サラは頬を膨らませる。
宿に帰り俺は手を洗った。何度も、何度も。




