36.国王の謁見
「見えてきたよ。ローマだ。」
国王が馬車の窓から体を出して伝える。俺もつられて外を見る。ああ、イメージ通りだ。石でできた道。地面に直角に建てられた壁のような建物。この世界においても紀元前後にかけて特定の民族がこの場所を中心に隆盛を極めたのだろうと伺える。
しかし、街の中身は過去の栄華など微塵も感じさせない。街には死体だらけだ。やせ細った子供の遺体が街の外に山積みになっていた時には吐き気を催した。そして街に入った後も、死体が所々積み上げられている。死体の腐る臭い、排泄物のにおい。
街の通りを走る馬車に対し、生き残った街のものは数奇の目を向ける。国王はそんなことなど気にしない。
大きな聖堂が正面に見える。そこまでに続く道は両側に壁のように建物がある。正面の大聖堂に一直線に導くように。少し進むと道は膨らみ、広場となる。馬車はそこで止められた。
「何者だ。」
近衛兵のようなものが運転手に質問する。運転手は多少訓練したものであればそれなりに強者だと分かる。にもかかわらず高圧的な態度を運転手へ向ける。
「国王、オルダージュ・ブランデー様をお連れした次第であります。教皇への謁見を。」
「___こちらへ。」
近衛兵の態度は軟化した。神聖側とてさすがに国王をぞんざいに扱うことは出来ないのだろう。
馬車は大聖堂の前に止まった。
「教皇は現在他の業務を行っています故、それが終わり次第お呼びいたします。」
「ご苦労。」
国王が近衛兵にそう告げると、彼はむっとした表情をする。
「やっぱきらいだなあ、ここ。」
俺達は巨大なドーム状の大聖堂の前に立っていた。
「ピンサロ・エト大聖堂って言うらしいよ。最近改築したみたい。見てみようよ。」
俺たちは中へと入る。天井は高く、首が痛くなる。天井は金色。建物というより、街の中にいるような錯覚を起こすほどのスケールだ。壁や柱は大理石。細部に装飾が施されている。
「きれい。」
サラが思わずつぶやいた。それを聞いた国王は一瞬立ち止まり、虚に呟いた。
「そうだね。出来たものには敬意を払わないと。」
俺達は豪華絢爛な聖堂を見て回った。そこに聖俗の対立などはない、ただの芸術鑑賞だ。聖職者たちとすれ違っても何も言われないのは、自分たちのこの聖堂に誇りを持っているからなのだろう。
「お待たせいたしました。こちらへ。」
中年の聖職者が俺たちを案内する。この聖堂に隣接する、宮殿の奥の礼拝堂が教皇の仕事場で住居なのだそう。その礼拝堂もまた、芸術であった。外見上はレンガ造りの長方形の建物、だがその内側にはびっしりと絵が描かれていた。壁、天井、隙間なく宗教上重要な場面であろうシーンが描かれている。
「フレスコ画というのですよ。」
その中年の聖職者が教えてくれた。
「もうすぐ教皇がお見えになります。今しばらくお待ちを。」
壁一面に広がる絵を見ながら数分待機する。
すると入口の扉が締められる。俺たちが反応すると反対側からなにかが流れ出てくる。毒ガスか何かか?まずい、逃げなければ。
「サラ、入り口を壊して!」
「なぜです?」
「見えないの?何かが出口から入ってきてる!いいから!」
俺は苛立ち大声を上げる。
「バランタイン様!」
続いて、キャスが声を張り上げる。
「なにも__起こっておりません。」
キャスは俺をなだめるように言う。俺は改めて出口を見る。俺が恐怖した何かはもう消えていた。すると出口の方から足音が聞こえてくる。白い衣服に小形円形の帽子をかぶった老人が、礼拝堂に入ってきた。
「驚きました。まさかこちらも禁忌の力を有しているとは。いやはや俗世は乱れているようですな。」
その老人は穏やかな口調に強烈な皮肉を込めて国王に言った。
「お久しぶりです。教皇様。」
国王は片膝をついた。今までの国王とは全く違う、畏まった言葉遣いだ。俺達も続いて同じ姿勢をとる。
「7年ぶりですね。ブランデー国王。噂はかねがね。お父様はお元気で?」
「ええ、皇帝になって以降ずいぶん痩せましたがね。」
教皇は笑う。
「そうでしょうとも、俗物の相手は大変でしょう。」
この態度は実に鼻につく。しかし、俺以上に憤りを感じていそうだったのはキャスだ。
教皇は続ける。
「それで、この度はどのようなご用件で?」
「ローマ周辺で疫病が蔓延しているのはご存じでしょう。」
「ええ、多くの教徒が亡くなり、こちらとしても大変心が痛みます。」
「私共といたしましては、教皇様のご無事の確認と何かお力沿いが出来ればと思いまして、ここへ参りました。」
「ほほう、それは大変喜ばしい。国王直々に私の無事を確認しにわざわざご足労をしていただけるとは、感動いたしました。」
教皇はわざと長く、ゆっくり話している。
「しかし、お力添えは不要です。お帰り下さい。」
教皇は出口を指す。
「今この間にも人が死んでいるのですよ。それを黙って__」
「お帰り下さい。」
教皇は国王の話を遮る。誰が見ても無礼な態度だ。
「分かりました。」
国王は立ち上がり、出口へと歩いて行く。そして去り際。
「素敵な礼拝堂や大聖堂ですね。」
「ええ、そうでしょう。」
「アクア教の教徒はやはり敬虔ですね。命をも預ける。」
「ええ、主は帝国の繁栄を見守ってくださっている。自然の輪廻の外から、我々を救ってくださるのです。」
「民は自身の意思で生きるべきだ。誰かの意思ではなく、自分の意志で。」
「国王というお方が主をないがしろにしてはいけませんよ。人は皆、主の御心の下にある。むろんあなたの弟君も。」
俺の後ろで剣の鞘を抜こうとする音がする。それはキャスだ。
「ごきげんよう!」
国王は声を上げ、出口へ消える。それと同時に後ろの殺気も消える。
俺達は宿に泊まった。聖職者の偉そうな人が宮殿での宿泊を提案したのだが国王は拒否し、疫病が蔓延する街の宿にした。国王が床につくには相応しくない、質素なものだ。しかし金はあるのでその宿は貸し切りになった。
「あれが教皇、この国のもう一人の支配者さ。バランタイン君、どうだった?」
俺達は国王の部屋に集まった。
「なんというか、失礼な方だなって。国王に対していくらなんでもあの態度はひどいよ。」
「そっか。」
国王は堅いベットに飛び込んだ。
「でもまあ、あんなもんだよ。昔はもっと世俗の人間を見下してたらしいし。でも君たち、とくにバランタイン君がいてくれて助かった。」
「俺たちはなにもしていませんよ。」
サラやキャスも頷く。
「いや、もし一人だったら僕、死んでたよ。君もみたでしょ、あの靄。」
俺がサラに入り口を壊せと言ったあれか。
「あれ、禁忌を殺す呪い。救いの息吹っていうらしいよ。」
俺は全身に悪寒が走った。だから俺は恐怖し、反対にサラやキャスは動じなかったのか。
「教皇は僕を殺すつもりだった。でも、騎士と騎士並みに強い人間が2人いて、禁忌の力を持つ者がもう一人いる。さすがに躊躇したんだろうね。」
あの謁見に戦闘がおこる雰囲気など微塵も感じなかった。自分の未熟さを痛感する。
「でもまさかあれが完成していたとはねえ。これで教皇を殺すのは難しくなっちゃった。」
国王はベッドで右に左に転がりながら話す。
「オルダージュ様。」
キャスが立ち上がり、心配そうな顔で国王を見る。
「申し訳ありませんでした。さすがに腹立たしく。」
「いいよ、大丈夫。僕の代わりに怒ってくれてありがとう。」
国王は感謝を述べた。キャスが剣を抜こうとしたときのことだろう。
「国王様に弟がいたなんて知らなかったよ。」
そう言うと国王の顔は一気に曇る。
「バランタイン様、その話は__」
キャスが俺の話を遮ろうとするが、国王がそれを止めた。
「いいよ、どうせ話すことだったし。」
国王はベットに腰を掛けて指を組んで話し始めた。
「弟はもう死んでるんだよ。1歳の誕生日くらいに。」
重い話が来るとは思っていた。語りは苦しそうだった。黙って聞いていた馬車の運転手の騎士が止めに入る。
「ブランデー様。」
「いいから!」
国王はぴしゃりと言った。
「弟は___教会に連れ去られ殺された。身体は跡形もなく研究された。禁忌を滅ぼすために。」
俺の中に最悪な考えがこびりつく。
「それって___つまり。」
「そうだよ。救いの息吹は教会が僕を殺すために弟を犠牲に作った兵器だ。」




