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25.地下室

前回のあらすじ

バランタインは交渉の条件を受け入れないサイシェ・ヴェルムトに対して、息子のシェリーを無力化し、見せしめとして妻を犠牲にした。

 凄惨な光景が格子越しに移る。フランツ・オルテンシュタインはその光景を見て、何度も胃の内容物を戻した。

 サイシェ・ヴェルムトは蹂躙されていく妻を見て叫び、俺に罵詈雑言を浴びせ、泣き咽いていたが1時間もすると彼は何も言わなくなった。俺は彼の前に立った。


「さて、交渉再開と行きましょう。」

「これ以上、何を交渉するっていうんだ__。」

 彼は体を震わせ、怒りや恐怖が入り混じった眼を俺に向ける。

「決まっているでしょう、あなたの命をどうするかですよ。」

「なん__だと。」

「逆にお聞きしたいのですが。あなたは先ほどあそこに横たわっているご子息を使い、我々を脅迫しました。我々の命を交渉の天秤に乗せたわけです。にもかかわらず、なぜあなたの命は安全だと思い至ったのか、私には不思議でありません。」


 俺が話すたびにサイシェ・ヴェルムトの顔色が青ざめていく。彼は必死にこの場を切り抜けようと思考を巡らせているらしい。

「だ、だが!お前はサラの復讐の代理人としてこの場にいるわけだろう。私の妻をナイルズと同じ目に遭わせたのなら、もう復讐は完了しているはずだ!」

 彼は牢屋の方を見た。もう声も出さない一人の人間。生きているかも怪しい。それでもまだ、奴隷たちはそれを弄んでいる。

「ええ、確かに、サラの復讐は完了しました。」

「だったら___」

「ですが!」


 俺は縄を取り、サイシェの首に巻き付ける。彼から出る汗は満員電車の中のにおいを思い出させる、ひどく不快なものだ。

「復讐はあくまでついでです。僕にはラムファード家次期当主としての務めを果たす義務がありますので。」

 俺は首にくくりつけた縄の余った部分を牢屋の格子の上側へと投げ入れる。身長が小さいため一度外したが二度目は上手くいった。縄は向こう側へと達する。

「私を殺して、お前の一族になんの利益があるのだ。」

 彼が尋ねたので、丁寧に答えることにした。慈悲ではない。俺の目的のために仕方なく死ぬ、尊い犠牲だからだ。

「あなたを殺すことに利益など対してありませんよ。僕の気分が晴れるくらいです。」

「じゃあ、なんで殺す必要があるんだ!助けてくれよ。」

 彼の命乞いを聞き、若干苛立った。商才があり交渉力もある才能豊かな人間だ。サラを侮辱したのは依然として許してはいないが、それでもこの男が有能であるくらいは分かる。だからこそ、死ぬときもそれらしく潔く死んでほしい。

「合理的なあなたなら、分かると思いますがね。僕が何を望んでいるか。」


 俺は牢屋の方へ向かい、口笛を吹いた。奴隷がこちらを向く。そして、フランツ・オルテンシュタインから受け取った薬物を見せびらかす。奴隷たちは一気に格子の方へと寄って手を伸ばしてくる。俺は縄を指さす。


「それを持て。そうすればやる。」

 そういうと奴隷たちは我先に縄を掴む。サイシェの身体が持ち上がるが、失った片足を椅子につけ何とか吊られないように耐えている。


「お、下ろしてくれ。」

 のどが圧迫されながら、サイシェは声を絞り出した。

「ええ、考えましょう。あなたが僕にそれに足り得る利益を与えてくれるのなら。」


 沈黙。俺は4本ある椅子の足を斬った。椅子は不安定となる。片足の置く位置が悪ければ、彼は宙ぶらりんとなってしまう。彼は安定するポイントを見つけ、何とか堪えた。


「分かっているはずです。」

 俺は不安定になった椅子に足をかけ、グラグラと揺らす。彼の顔には汗がびっしょりとまとわりついていた。松明の淡い光がそれを輝かせる。


 彼はじっと俺を見ていたが、ふと俺の後方へと目線を移した。俺も振り返る。

「父上!」

 壁に叩きつけられたシェリーが剣を握り、こちらを見ている。頭を打ったようでふらふらしている。あれでは脅威にならない。俺はサイシェに向き直る。


「あなたが死んでも、あなたの財産、築き上げたビジネスはシェリーへ移る。そう考えていますね。」

 サイシェの目線は息子から俺へと向かう。分かりやすい反応だ。


「あなたの命か、あなたが今まで築き上げてきたもの。それを天秤にかける時です。」

 少し考えさせよう。そう思い俺は椅子から離れる。


「父上!大丈夫です。俺が__こいつを。」

 シェリーはおぼつかない足取りでこちらに切りかかろうとするが、中立の立場であったマスクがシェリーの肩を掴んで止めた。


「シェリー・ヴェルムト。あなたも決断の時です。」

 シェリーは困惑した表情をマスクへ向けた。

「ヴェルムト家は長らくザクセンの政治を経済面で支えて頂きました。しかし、今回の詐欺の件を含め度重なる悪行はもう看過できません。ザクセン選帝侯はいずれ、ヴェルムト家と縁を切るでしょう。この交渉がどのような結論に達しようと。」


 シェリーはふっと体の力が抜けたようだ。それは心理的な事情か、もしくは脳震盪か。分からないが、彼は頭を抱える。人生の岐路に立たされたことを自覚しているようだ。


「俺に__父上を見捨てろと?」

「いえ、選択肢は2つです。ヴェルムト家として処分を受けるか、一族と縁を切り騎士見習いとしてやり直すか。」


 シェリーの息が荒くなる。サイシェと違い、なぜ俺は彼に対し手を下さないか。それはこの話をマスクから聞いていたからだ。死ぬか、もう一度騎士を目指すか。俺は彼にとって残酷な方を知っている。一度挫折を味わった道にまた戻る。その恐怖を俺はよく知っている。


 しかし、彼は年齢に相応しい判断を下した。

「捨てます。ヴェルムトの名を。」

「誓約を立てられますか。」

「ええ。」

「では結構。この場から立ち去ることを許可しましょう。」

「いえ、この場に最後まで同席させていただきたい。」

 彼はマスクに頭を下げた。彼はそれを許可する。



「さて、次はあなたが決める時ですよ。サイシェさん。」

 俺は改めてサイシェに尋ねる。これで彼が死んでもその財産はシェリーには帰属しない。ザクセンの法律によれば、相続先のない金銭は教会に帰属するんだったか。まあ、この男にとっては自身が築いたものが誰かの手に渡るだけで耐えがたいことに違いはないだろうが。


「さあ、僕に譲ってください。あなたの財産とビジネスを。」

 彼は口をつぐむ。俺はさすがに面倒になってきた。俺は椅子の足をまた切った。椅子が傾く。サイシェの片足は何とか椅子の背もたれに乗っていた。

「わ、わかった。渡す。だから、頼む。殺さないでくれ。」

 やっとだ。手間かけさせやがって。

「マスクさん。言質は取りましたね?」

「ええ、確かに。」

「シェリー・ヴェルムト。あなたもよろしいですね?。」

 シェリーは頷く。


「いいでしょう。オルテンシュタインさん。あとはお好きに。」

 フランツ・オルテンシュタインはサイシェに近づく。

「あなたを殺すことが出来るとは、希望とは絶望の中に光るものですね。」

「なぜだ!私は貴様にすべてを渡した。命だけは救うという契約だっただろう!!」

 サイシェが悲痛に叫ぶ。

「ええ、殺しませんよ。僕はね。」


 そういうとシェリーが叫んだ。

「いくら何でもそれは道徳に反します!ただの屁理屈だ!騎士は契約が履行されるよう最善を尽くすべきです。それが人のあるべき姿です!」

 もっともな意見だ。しかし、肝心なことを忘れている。


「彼はアハトの刑を受けています。つまり人間ではない。そんな彼がなぜ社会秩序に従う義理があるというのです。ましては自分をだました相手に。」

 そういうとシェリーは黙ってしまった。


「やめろ_。やめてくれ。」

 サイシェが命乞いをするしかし、もう遅い。

「俺から家族を奪ってふざけたこと言うんじゃねえ。」

 彼は椅子を蹴飛ばした。吊られる。栄養失調の奴隷たちは支えきれなさそうだが、ヤクをちらつかせると健気に頑張ってくれる。

 彼から糞尿が垂れ、ひどく不快なにおいが尾行を刺激する。フランツ・オルテンシュタインはその光景をすっきりとした顔で眺めていた。


 5分ほどたつと奴隷たちが力尽きた。汚物で汚れた地面にぼとっと遺体が落ちる。終局だ。そしてこいつも用済みだ。



 俺は剣を抜き、フランツ・オルテンシュタインの首を切り落とした。


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