19.交渉2
前回のあらすじ
ブランデンブルクに常備軍を設置するという交渉は上手くいくかに思われた。しかし話がまとまりそうなとき、サイシェ・ヴェルムトとその息子、シェリー・ヴェルムトが割って入る。
「盗み聞きとは感心しないわね。」
そういったのはザクセン選帝侯だった。
「このような素晴らしい会談にお誘いくださらないのもまた水臭いと思いますがね。」
サイシェ・ヴェルムトは椅子にどかっと座る。シェリーは立ったまま、サラを見ている。サラは服を強く握り、うつむいていた。
俺はサラの手を掴んだ。机の下なので、彼らからは見えない。彼女は強く握り返した。
「その話、私も一枚嚙ませてもらえませんかな?」
サイシェ・ヴェルムトが母に尋ねる。
「どのように?」
「はは、別にあなた方にどうしろと言うつもりはないのですがな。あなた方が東の大森林を開墾するというのなら、私もそれに出資したいと考えているのですよ。」
「その対価は、新経済圏でのビジネスでの優位性と魔女の力の研究成果の横流しですか。」
母は見透かしたように言う。サイシェ・ヴェルムトは下品に大声を上げて笑った。
「さすがですな。どうです?金銭面では苦労させませんよ。新設の常備軍にはお金がかかるでしょう?」
こいつ、最初から聞いていたのか。俺は昨日のこと、サラの過去のことでこいつに対し憎悪を持っていた。しかし、この場では母が主導権を握っているため、昨日よりは落ち着いていられた。
母は毅然とした態度で、しかし丁重に言った。
「ありがたいお話ですが、お断りさせていただきます。」
それを聞いたサイシェ・ヴェルムトの瞼がぴくっと動いた。
「失礼、今なんと?」
「お断りすると申し上げました。」
断られたのが予想外だったのか、サイシェ・ヴェルムトは声を張り上げて話す。
「おおっと、よろしいのですかな。あなた方は皇帝へに対しザクセン選帝侯から推薦をもらおうと考えているようですが。私はこの地域に長らく投資してきたのですぞ。あまり無下にされるのはいささか不愉快です。それに、」
サイシェ・ヴェルムトは俺とサラの方を見て話す。
「あなたのご子息、森の民とやらと同じ力を持っているそうじゃありませんか。確かにその力は貴重なものとなるでしょう。しかし、その子は帝国の脅威となる賊どもと同じ力を持っている。見方によっては領主一族としての信用は疑わしくなるのでは?」
彼は大げさなジェスチャーをしていった。俺はまた怒りが込み上げてくるのを感じていた。この大げさな動きと人を馬鹿にしたような話し方がどうも癇に障る。だが、こいつは物事の捉え方がかなり柔軟だ。賢いはずのサラを丸め込んだだけの能力はある。
「加えて、そのサラ・ベルモットも問題ですぞ。ザクセンに対し背信しただけではなく、ブランデンブルクの領主に仕えるとは!このような者が選帝侯の一族の使用人など、許されていいはずがない!」
サイシェ・ヴェルムトはサラを指さし、糾弾する。俺は怒りが急激に沸き立つのを感じていた。
「あら、ザクセンの有力商人も案外考えが古いようですね。」
「どういう意味ですかな。」
「いえいえ、深い意味などありませんよ。私は自身の務めを精一杯果たそうとする者が好ましいだけです。身分や過去には関心があまりないのです。私の尊敬するザクセンの方々も同じ考えをお持ちだと思っておりました。」
母はザクセン選帝侯とマスクに目線をやった上で、サイシェ・ヴェルムトの方を見た。ザクセン選帝侯とマスクは同じ考えだが、お前は違うのか?そういう意図が込められた動きだった。
「ええ、私もその点に関しては寛大ではあります。しかし、限度はあります。例えば出自も分からず、育った施設に援助を受けているのにもかかわらず、その恩を仇で返すような恥知らずなどとは私は関わりたくありませんね。」
明らかなサラへの当てつけだ。俺は心拍数が上がるのを実感していた。
「でしたら、あなた方の一族はさぞ優秀なのでしょうね。」
母はちらとシェリーの方を見た。母は続ける。
「年下で、しかも少女に劣るなどあり得ませんものね。」
それを聞き、シェリーはむっとした表情になった。
「さあどうでしょう。しかし、逃げずに自身の最大限を尽くすと思いますよ。あなたと同じで私も全力を尽くす人間が好きなのでね。」
サイシェが返す。
「そうでしょうね。父親からの厚く、献身的な援助をあることですしね。」
母は形容詞の部分を強調するように、大げさに言う。その間もシェリーの方をちらちらとみている。母もまた、シェリーへの当てつけを行っている。お前は父親がいないと何もできない、そういうメッセージを込めているのだ。
この我慢比べは冷静でいられる方の勝ちだ。侮辱を皮肉として出来るだけオブラートに包みながら相手を沸点に到達させたら勝ちだ。だがこの両者の大きな違いは、サイシェ・ヴェルムトはあくまで売られた喧嘩を買い、ラムファード家とザクセン選帝侯との交渉を決裂させることを目的としているのに、対し母は別の目的を持っているということだ。
俺にはそれがよくわからない。温厚な母が口上とは言えここまで攻撃的になる意図が読めない。
サイシェ・ヴェルムトが返す。
「親が援助するということは当然だと思いますがね。使えるものは使う_それが競争に勝つ上で大事なことでは?」
「匠の剣を用いるものはそれ相応の技量が求められるものですがね。」
母は落ち着き払っている。というか少し楽しそうだ。我慢比べは母が優位だ。シェリーは体がこわばり、サイシェの声量が大きくなっている。
「騎士には高潔な意思が最も重要です。金に困れば股を開くような人間には務まらない。」
サイシェは下品な笑いを作り言った。
「てめえ!」
俺は魔力を全開で放出し、刀に手をかけた。殺してやる。明確な殺意を覚え、飛びかかろうとしたとき、ザクセン選帝侯が大きく声を張り上げた。
「そこまで!」
ザクセン選帝侯は両者の間に立ち告げる。
「これ以上お互いを侮辱しても何の意味ももたらしません。ラムファード家はブランデンブルクでの常備軍の設置、それに伴うコルネオーネ・ラムファードの選帝侯への陞爵を望んでいる。間違いないですね?」
母が頷く。
「ヴェルムト家の主張は、常備軍の設置後の大森林開墾への出資を行いたい。そうでなければ選帝侯に値しない一族として帝国に不服を申し立てる。間違いないですね?」
出資の権利_事実上ブランデンブルクへの介入だ。サイシェ・ヴェルムトは頷く。
「私としたしましてはどちらも大切な友人です。どちらの主張も無下にしたくはありません。裁判を行うのは長らくザクセンに貢献してくださっているヴェルムト家にどうしても有利となってしまう。そこで伝統的な解決手段に訴えたい。フェーデはいかがでしょう。」
「フェーデ?」
俺は小さく呟いた。母が教えてくれた。
「模擬的な戦闘よ。時間や場所を決めて代表者が戦う。法律や裁判が浸透していない時代には多く使われたわ。」
サイシェが先に反応した。
「分かりました。そういたしましょう。」
ザクセン選帝侯はそれを受け、母の方を見た。
母は一歩前に出た。
「受けましょう。」
「では、どなたがフェーデを行いますか?」
ザクセン選帝侯が取り仕切る。
「僕が戦います。」
母にさんざん煽られたシェリーが前に出る。
「お前、いいのか?」
サイシェが尋ねる。
「あれだけの無礼を受け黙っているわけにはいきません。」
「そうか、分かった。」
「では、ラムファード家の方は。」
ザクセン選帝侯が尋ねる。
「サラ、行きなさい。」
サラの身体がびくっと震えた。
「いえ、俺が行きます!」
俺は声を荒げて主張する。
「だめよ。」
「でも!」
「サラ、命令よ。」
命令という言葉を聞き、サラは前に出た。真っすぐ前を見れていない。
「サラ・ナイルズ・ベルモット。あなたがラムファード家の代表者としてフェーデを行う。よろしいですね?」
サラは頷いた。
「では時間は明日の昼に、麓の広場で。形式は決闘でいかがでしょう。」
両者は承諾した。
「では握手を。」
まず母とサイシェが握手をし、その後サラとシェリーが握手をした。
「よろしくお願いいたします。ナイルズさん。」
シェリーの品のない煽りに、サラは無反応だった。ヴェルムト親子が部屋を去った。
サラはずっと俯いたままだった。




