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108.父親

 -バランタイン-


  アマレットとサラは涙を流していた。ここにいるいずれの人間も、母の決断を止める意思は持っていない。俺が持っていた両親への不信感も、もう残ってはいない。


「僕は__この力を得て、良かったと思っています。辛いこと、逃げ出したいことはたくさんありました。だけどその経験を通して、自分がどういう人間で、何をしたいのか向き合うことが出来ました。だから__ありがとうございます」


 言葉がまとまらない。彼女へ抱いた様々な感情を形容する語彙力が、俺には備わっていなかった。


「ありがとう。サラと__幸せにね」

 母とサラは目配せをする。俺よりも付き合いが長い二人にとっては、それだけで通じ合えるのだろう。


「アマレット」

 母の視線は妹へ移った。


「あなたは私とよく似ている。お兄ちゃんと比べる癖があるようだけど、あなたは立派よ。皇帝と一生を共に過ごしたいのなら、自分を肯定しなさい」

「はい」

 アマレットは強く返事をする。それを確認した母は口元が緩んだ。


「じゃ、言いたいことは言ったから、外に出ましょう」

 俺達は母より先に、外へ出た。戦場の血なまぐささはいつの間にかなくなっていた。


 死体の間をぬって進んでいく。目指す先は板金鎧を身にまとった騎士だ。

「父上」

 剣に寄りかかり疲れた姿勢の父に声を掛ける。その足元には、ファルツ選帝侯の遺体があった。いくつもの刺し傷が、その激戦を物語っている。

 帝国の裏切り者は、粛清された。だが勝利の美酒に酔いしれる気分には程遠い。


「バランタイン」

 父が俺の名前を呼んだ。俺は父に寄る。会話はサラや母には聞こえない。


「よくやった。お前は自慢の息子だ」

 父の傷だらけの顔に、光が差す。

「いえ、僕は何も。ただ__負けただけです」

 足元のファルツ選帝侯を見る。


「いや、こいつは俺が殺さないといけない人間だった。俺の__生き写しのような存在だ」

「生き写し?」

 ファルツ選帝侯と父は似ても似つかない。


「そうだ。俺がもしシロックと結婚せず、お前やアマレットがいなかったら、俺はただただ人を殺すだけだっただろう」

 乾いた風が頬に吹く。


「バランタイン。お前は実は__」

 父はその強面の顔に複雑な表情を乗せてしゃべる。


「弟」

「___そうだ」

 父は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに普段と同じように穏やかになる。


「なぜ、僕を兄にしたのですか?」

 この世界に生れ落ちて最初に自分の身に降りかかった”運命”について尋ねた。


「なんとなく__お前が俺に似ていると思ったからだ」

 自分が__父に?

「どういうことですか?」


「何というべきか。生まれたきたばかりの赤ん坊になぜそう思ったのか今でも不思議だが__後悔に満ちたような表情をしていたのだ。自分の人生はこれでいいのかという疑問、過去の選択への後悔。そういう物を感じたのだ」


 心当たりがある。自分が交通事故で死の淵に際したときの感情、それが後悔だった。せっかくの人生がこんな幕切れでいいのかという後悔。それを転生した瞬間にも引き継いだということだろうか。


「俺はずっと、これでいいのかと疑い続けてきた。騎士になったこと。ブランデンブルクの領主となったこと。そして、シロックを好きになったこと」

 最期の一言に、ある種の悲壮感が漂っていた。


「父上。僕の力は__」

 言ってしまうべきだろうか。母が自分に伝えたこと。母が父と結婚した経緯について。最初は力を求め、そして父の愛に気づき、それに応えようと本当に夫婦になったという経緯を。


「何も言うな。知っている」

 父は俺の言葉を制した。

「バランタイン。お前には色々なものを背負わせすぎた。最低な父親だ」

 父は剣に触れる。そして手を離し、俺を真っすぐ見る。



「バランタイン。お前は騎士にはならなくていい。もう誰の後も追おうとするな」


 父の言葉は相変わらず不器用で、的を得ない。だが、今だけはその言葉の真意を、まっすぐ受け入れることが出来た。


 自分の道を行け


 口下手の父が言いたいことは、それだけだったのだろう。父はこれから死ぬという状況でも、決してその本音を明かしたりはしない。騎士らしく、かっこつけて死ぬのだろう。


 だが騎士であるということは母への愛であり、ブランデンブルク選帝侯としての定めであり、呪いでもある。父もまた、力を追い求めた人間だった。確かに形は違えど、ファルツ選帝侯と似ている。



「お別れです。父上」

 俺が言うと、父は微笑んだ。そしてまた厳めしい表情に戻り、手を差し出した。俺はその手を強く握る。


 父は頷くだけだ。


 最期まで、格好をつけたいようだ。




「ブランデンブルク選帝侯」

 知っている声が父に声を掛ける。家族の別れに割って入ることのできる唯一の存在。皇帝だ。彼もまた、マインツ選帝侯の遺体を引きずっている。しかし息は荒く、今にも倒れそうだ。肩を貸そうとするアマレットを母が制止する。



「陛下」

 父は片膝をつき畏まる。

「選帝侯としての敬虔な忠誠、感謝します」


「騎士であります故」

 父は頭を下げたまま返答する。


「そうか。では帝国のために。一役買ってもらいましょう」

 皇帝の言葉はひどく冷酷なものだった。だが、その中に苦しみが混じっていることを俺は感じた。後ろを振り向く。アマレットもそれを感じているようで、拳にぐっと力を入れている。


「仰せの通りに」

 父はファルツ選帝侯の懐から聖なる光(ホーリーブレス)を取り出す。俺と皇帝が嫌悪感を隠せないその代物は、今にも破裂しそうだった。


「僕にできることであれば、なんでもおっしゃってください。叶えます__なんでも」

 そう言うと、父は数秒沈黙を作る。そして、ゆっくりと口を開いた。




「ブランデンブルクに主権を」






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