104.皇帝
-アマレット-
私の恋人は皇帝だ。誰よりも強いのにに、自分に自信がない。弟さんのことを聞いたことがある。辛かっただろう。もし私のためにお兄ちゃんが死ぬとしたら__耐えられそうもない。
私はオルに助けてもらったあの夜から、あの人と生きることに決めた。殺されそうになったところを涼しい顔して助けてくれた。好きにならないわけない。私は頑張った。彼の部屋に忍び込んで、誘惑した。うれしいことに、お母さんに負けないくらいおっぱいがあったから、結構うまくいった。オルはその後、私を好きだと言ってくれた。
サラお姉ちゃんみたいに強くはないけど、お母さんとお父さんみたいにお互いを助け合える存在になりたいと思っている。
絶対に言うことはないけど、お兄ちゃんとサラお姉ちゃんのカップルも理想だ。サラお姉ちゃんはお兄ちゃんを何度も助けている。それにお兄ちゃんは気づいていないけど、お兄ちゃんもサラお姉ちゃんを何回も救っているんだよ。もう少し自分を褒めてあげてもいいのに。
私はそれに比べ、オルに助けられてばっかりだ。
「マインツ選帝侯。貴殿は僕が責任をもって相手する」
皇帝は殺気を放って言い捨てた。オルやお兄ちゃんは”魔力”とか、”禁忌の力”なんていう物を使役しているらしい。私とお兄ちゃんが双子なのに成長速度が全然違うのは、この力が原因だそうだ。
「こうなってしまってはやるしかありませんね。私は祝福を用いて、神聖帝国を導きます。あなたは最初の犠牲です」
「僕を殺して、どうする?」
皇帝はピクリと眉を動かした。腹が立っている時に、オルはああなる。
「皇帝と教皇の両方の座につきます。くだらない聖俗分離は終焉を迎え、帝国は神の名のもとに統一されるのです」
「ファルツ選帝侯が皇帝の座に就くのでは?」
皇帝が言うと、マインツ選帝侯は鼻で笑った。
「馬鹿な。あの者はただの戦闘狂ですよ。何の目的もなく、ただ命のやり取りを楽しむだけ__くだらない。私と彼が組んだのは、ただの利害の一致ですよ」
「あなたにファルツ選帝侯が殺せるとは到底思えない」
マインツ選帝侯はまた鼻で笑う。
「ええ。あの戦闘狂に敵うのは、あなたかバランタインくらいでしょうね。だから私は手を打った。そしてその計画は、もう済んだ」
マインツ選帝侯の口角は上がったままだ。オルは不審がり、構えをすこし解く。
「何をしたんだ?」
「祝福のことは、あなた方よりも知っているのですよ。聖なるの息吹の限界も」
「聖なるの息吹の限界?」
皇帝はマインツ選帝侯の言葉を繰り返す。
「そう。心臓と言えども、祝福を吸収できる量には限界がある。行き場を失った祝福は空に浮かび、大地へと潜る。大きな破壊を周りにもたらして」
妙に詩的な言い方が癪に障る。それに反して、オルは真剣にその言葉に耳を傾けた。
「つまり__」
「爆発です」
皇帝はブランデンブルク選帝侯と熾烈に戦いを繰り広げるファルツ選帝侯を見る。
「選帝侯が、爆発で死ぬのか?」
「バランタイン殿の乳歯を研究に用いていたのですが、研究所諸共、灰と化しました。容量の少ない乳歯ですら石の建造物を粉々にするのですから、心臓は一体どの規模になることやら」
「オル!無茶しないでね!」
私は叫び、堪らず駆け出した。マインツ選帝侯の言ったことが本当なら、大変なことになる。呑気に戦っている余裕は無い。こういう時に頼りになるのはお母さんだ。
私はテンプル騎士団の陣営へと走り、お母さんを呼んだ。消耗が激しいテンプル騎士団ではあるが、士気は高く、対応は早かった。
「そう。なら、この場を早く離れないと」
母はやはり落ち着いていた。安心する。お母さんがいれば、どんな時でもなんとかなりそうな気がするのだ。
「戦局を教えて」
母の質問に答える。
「現状、トロイエくんが率いるブランデンブルク軍とファルツ選帝侯が交戦中で、実力は拮抗してる。お父さんとファルツ選帝侯も交戦中で、勝敗は分からない。マインツ選帝侯の軍は倒した。オル__じゃなくて皇帝がマインツ選帝侯と交戦中」
限りなく端的に状況を説明する。
「サラとバランタインは?」
「今は後方で待機してる。お兄ちゃんは聖なる息吹の影響で戦える状態じゃない」
「そう」
母はじっと顎に手を当て、考える。
「アマレット、ヨハネ騎士団とブランデンブルク軍を退却させなさい。ファルツ選帝侯は私たちが相手する」
「え?」
予想外だった。一気にファルツ選帝侯へと攻勢を仕掛け、みんなで退却することを選ぶと思っていた。
「残るの?」
自分の声が震えていることに気づく。
「ファルツ選帝侯は強敵よ。このまま戦っても、泥沼化するだけ。私たちが足止めするから」
「なんで!戦局はそんなに悪くない!みんなで戦えば__」
母は首を振る。
「サラとバランタインを呼んで。話したいことがある」
母の目は真剣だった。反論を受け付けるつもりはないようだ。
「分かった」
私は来た道を引き返す。すると、オルとマインツ選帝侯の戦闘の余波が伝わる。ファルツ選帝侯の時とはまた違う、音と風だ。
ファルツ選帝侯の時は、もっと剣と剣がぶつかる音がしたし、ピリピリとした感触が肌に伝わっていた。対して今は静かだ。慎重で用心深いマインツ選帝侯の性格が、戦闘にも表れている。
お兄ちゃんの方へ向かう途中、オルが遠くに見えた。睡眠をとることなく戦い続けている彼には、若干の疲労が窺える。
彼の疲れた顔を見て、ハッとした。戦局は思っている以上に悪い。お兄ちゃんや両親、そしてオルがいるから、容易に勝てると思っていた。
母が正しかった。聖なる息吹が崩壊するまでに片を付けるのは至難の業だ。
私はお兄ちゃんの元へ走った。私の胸の内には不安しか残っていなかった。




