103.かつて憧れていたもの
-バランタイン-
「父上」
ファルツ選帝侯の剣を止めたのは、ブランデンブルク選帝侯、つまり父だった。
「遅くなった。少しばかりマインツの軍に手こずった」
振り返ると、アクア教を刻んだマインツ選帝侯の軍は皆、横たわっていた。
「トロイエ、だったな」
ファルツ選帝侯の剣を抑えながら、父がトロイエを見る。
「そうっす」
トロイエは恐る恐る答える。
「息子を連れて離れておけ」
トロイエは固まる。
「選帝侯の命令だ」
父が言うと、トロイエはハッとしてこちらを見る。俺も動けない身体で何とか首を縦に振る。選帝侯の命令、つまりブランデンブルクとトロイエにおける契約はまだ継続しているということだ。
「さっさと_主を助けてくれ」
自分が放った声は思った以上にか細かった。魔力を吸われることが、ここまで大きなことだとは思わなかった。誰かに助けてもらわねば動けそうもない。
「うっす」
トロイエは後悔か、安堵か、複雑な感情を抱えたような表情をしながら俺を担ぎ、その場を離れた。彼揺られ、意識が飛び飛びになる。徹夜による疲労感のように、俺の意識は有無の狭間にあった。
「バランタイン様」
意識がはっきりと有に傾くと、サラが俺を膝枕する。気高く俺を待ってくれた彼女を見て、自分を情けなく思う。
「負けてばっかりだ」
俺が言うと、サラは一生懸命に首を振った。
「バランタイン様は、ちゃん来てくれました。あなたが来てくれたから、私たちは反撃できたのです」
サラは微笑を浮かべる。少ししか離れていなかったのに、彼女の表情を、随分久しぶりに見たような気がする。
「見てください」
サラが俺を抱き起す。俺の視界には、ブランデンブルク軍やヨハネ騎士団、テンプル騎士団がファルツ選帝侯の軍に勇ましく立ち向かっている。
「あの者たちは皆、あなたを待っていたのですよ。あなたが来たことで、士気は盛り返しました」
サラの言葉が信じられず、俺は彼女の目をじっと見る。
「不思議ですか?ふふ、バランタイン様は自己評価を改めた方が良いと思いますよ。バランタイン様、あなたの歩んだ来た道の成果です。あなたは良き次期選帝侯として、兄として、友人として歩んできました。だから、もう十分です。あなたがここに来た。私たちはそれだけで十分なのですよ」
「分からないよ」
俺の歩んできた道とか、そう言うのはどうでもいい。ただこの場において、俺は役立たずだ。それが情けないのだ。
「そして__」
サラは俺否定の言葉を無視して、俺の手を取り、彼女のお腹に触れさせる。
「あなたは、良き夫で、父です」
その時、手の平で鼓動を感じた。なぜかは分からない。どっと、何かが決壊したように感情があふれ出す。
「ごめんな。心配かけたよな」
俺の声は震えていた。サラは変わらず俺に微笑を向けてくれた。
「ありがとう。トロイエ」
サラは顔を上げ、近くに立つトロイエに礼を言った。
「お安い御用です。サラさん、兄貴」
トロイエは一瞬空を仰ぎ、鼻をすすった。
「じゃあ、おいらは仕事に行ってきます」
そう言うと彼は、ブランデンブルク軍の方へと向かっていった。




