102.贖罪
当エピソードは三人称視点で書かれています
聖なる息吹の出現に、悪寒を走らせたのは無論、バランタインだけではなかった。
「なんであれが__!」
皇帝は地面に倒れるバランタインを助けようとする。彼は後悔していた。ファルツ選帝侯の狙いは皇帝ではなく、バランタインだった訳だ。自分はあいつにあしらわれていた訳だ。くそっ、情けない。
「待って!」
走り出そうとする皇帝の手を掴むのは、アマレットだった。
「落ち着いて!ファルツ選帝侯が聖なる息吹を持っている限りあなたに勝ち目はないのよ!」
兄の危機でも、アマレットの冷静さは失われなかった。
「マインツ」
皇帝はマインツ選帝侯を睨みつける。
「弱体化した教会から、それらを奪うのは簡単でしたよ。なにせ、あのフランチェスの腕がないのですから。あなた達のおかげです」
マインツ選帝侯は嫌味たらしく言う。
「くそっ」
膝を叩く皇帝の横を、黒髪の女性が通る。
「アマレット様、何か刃物はありますか?」
サラは落ち着いた声で、アマレットに尋ねる。
「あるけど、どうしたの?」
アマレットは懐から小刀を取りだしながら尋ねた。
「何も言わず、貸していただけますか」
アマレットはサラの顔を見た。
「サラお姉ちゃん、何を考えて__」
アマレットの肌に風が触れる。
「お借りします」
サラは瞬く間に、アマレットから小刀を奪った。
「皇帝様」
サラは目線を皇帝に向ける。
「私がファルツ選帝侯を止めます。なので、申し訳ありませんが魔力を少しばかり分けていただけませんか」
サラは頭を下げて頼み込んだ。
「だめ!」
アマレットの透き通る声が戦場に響く。
「そんなこと__絶対にだめ」
サラは首を振る。
「アマレット様も、分かるはずです」
サラは鞘を抜く。キャスの剣もあるが、幸せになれと言ってくれたあの人の剣は抜けない。
「皇帝陛下、失礼を申し上げますが、あなたはバランタイン様に借りがあるはず。その恩は代理として私に」
サラは騎士としての忠義を皇帝に指示した。
「オル!いくら何でもだめよ!断って!」
皇帝はアマレットの問いかけに応じない。
「バランタインは、それを望むと思う?」
皇帝は問いかけた。
「いいえ」
サラは再度首を振る。
「これはただの__」
サラは腹に向け、刃を向ける。
「エゴです」
「やめてください!」
サラの剣を止めたのは、トロイエだった。剣身を握る彼の手から、血が垂れる。その地は剣を伝い、サラの膨らんだ腹へと滴っていく。
「トロイエ」
サラは予想外といった表情を裏切り者へと向ける。
「勘弁っすよ、サラさん」
彼は下を向き、絞られたような声で言った。その声は懇願のような、懺悔のような響きを持っていた。
「意外ね」
「兄貴の大好きな人にこんなこと__させたくないっすよ」
トロイエは頭を振りながら言う。
「俺と同じ思いをサラさんにしてほしくない」
トロイエはサラの剣を取り、ファルツ選帝侯の方へと走っていった。
「トロイエ、待て!」
マインツ選帝侯がトロイエを追おうとするが、その前に皇帝が立ちはだかる。
「お前は__僕が許さない」
皇帝はマインツ選帝侯に向け、剣を構えた。
「うおおお!」
トロイエはファルツ選帝侯に対し、まっすぐに剣をふるう。
「何だ貴様」
ファルツ選帝侯は軽く、その剣を受け、トロイエを押し返した。
「ぐっ」
軽く押し返されただけで、トロイエは後方へと弾き飛ばされる。その差は歴然だ。
「トロイエ__お前」
弱っているバランタインがトロイエの足元を見ながら言う。
「兄貴__」
トロイエはファルツ選帝侯とバランタインの間に入る。
「裏切ってマインツ側についた奴がいると聞いていたが、お前じゃないのか?」
大男のファルツはトロイエを見下す。
「ええ、おいらです」
じりじりと寄るファルツに対し、トロイエは構えを強める。
「主君を裏切った半端モンが、今更どういう風の吹き回しだ?ええ?」
ファルツ選帝侯は大きく剣を振る。トロイエは受けるが、身体ごとまた飛ばされる。
「俺はよ、てめえみたいな力のねえ半端モンが、どうしても嫌いなんだよ」
ファルツ選定子はトロイエの首を掴み、持ち上げる。
「気づいちまったんすよ」
トロイエは何とか、抜け出そうとする。
「おいらは__逃げているだけだって。妹を助けるためだとか言って、結局自分と向き合っていなかった。そうっすよ。おいらは半端モンっす。だけど__いや、だからこそ、情けなく兄貴に謝るんすよ!」
トロイエはファルツ選帝侯の腕を握り返す。
「むっ」
ファルツ選帝侯の腕がみしみしと音を鳴らす。たまらず、ファルツ選帝侯は手を離す。
「なるほど、思ったよりは骨があるようだな。いいだろう。なら俺は容赦しない」
ファルツ選帝侯はバランタインと戦った際と同じ構えをする。
「トロ__イエ」
バランタインはトロイエに必死に声を掛ける。トロイエは勝てない。バランタインはトロイエを止めようとする。
「兄貴」
トロイエはファルツ選帝侯を見たまま、バランタインに声を掛ける。
「すいませんした。許してくれとは言いません。もし、生きてたら土下座して謝りますんで、その時は聞くだけ聞いてくださいっす」
「待て__」
「行くぞ」
ファルツ選帝侯の迅剣がやってくる。トロイエでは勝てない。やめてくれ__
「ぐっ」
ファルツ選帝侯の身体は、ぴたりと止まった。トロイエは呆然と立ち尽くしていた。
「ブランデンブルクの未来に、手を出さないでもらおうか」
大きな背中。武骨な剣を持ち、全身をプレートアーマーで覆う騎士がそこにいた。




