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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
三章 巡礼双逢篇
91/222

閑話 答えは遠く、確証は結論に臨む1

 ――壁樹洲(へきじゅしゅう)、洲都鈴八代(すずやしろ)にて。


 改札を抜けた不破(ふわ)直利は、6年振りとなる壁樹洲(へきじゅしゅう)の洲都を一瞥した。


「――変わらんなぁ」


「私にとっては初めての都ですので、何もかもが珍しいですが。

 ……特に、ここまで人が集まっているのは怖くもあります」


 思わず漏れた直利の感慨を、背中で応える声が柔らかく跳ね返す。

 苦笑に咽喉(のど)を鳴らして、直利は一歩後ろを付く己の妻に視線を向けた。


「そうか。妙は七ツ緒(國天洲の洲都)にも足を向けたことは無かったな」


「はい。物の本にも書いてありましたが、祭りでもないのにここまで人が行き交う光景は、読むと実際に見るでは違いますね」


 直利の妻である不破(ふわ)(たえ)は、雨月天山の又従妹であり歴とした雨月の末席に名を連ねている。だが、そこまで離れていれば、雨月を名乗っていてもほぼ別の家系と見做されるのが常識だ。


 八家第一位(雨月家)の親族であるが、内向的な家系で育ったためか随分と世間を知らないままに妙は不破(ふわ)直利と結婚をした経緯を持っていた。


 当然、視界を一巡しただけで百を超える人の数を目にするなど、妙には初めての経験である。数の差に圧倒されて暫し、妙は僅かな恐怖を表情に滲ませていた。


「これでも鈴八代(すずやしろ)は、余所の洲都よりも発展が遅れているんだ。

 街道も通っているし洲鉄も整備されているけれど、やはり、ね」


「400年前の内乱が尾を引いているとは、随分と根深くあるんですね」


 妙よりも遅れて改札を抜けた陰陽師の一団に指示を出し、案内に出迎えた役人に先導を預ける。

 未だ竦むように足を止めている妙と肩を並べて、直利は苦く唸った。


「随分と被害が出たそうだ。玻璃院(はりいん)陣楼院(じんろういん)にしこりも残したし、洲の境も随分と狭められた。不破(ウチ)が発端と記録に残っているから、肩身が狭いよ」


「直利さまに嫁ぐ前、壁樹洲(へきじゅしゅう)の男性は粗暴粗野と思うべしと聞かされていました。

 随分と怖く思っておりましたが、直利さまを見て安堵したことを覚えていますよ」


「あぁ、それは……」


 軽く笑う妙を複雑に見て、そっと視線を逸らす。

 その向こうで、筋骨隆々とした男性が新鮮な魚を大八車に乗せている光景が飛び込んだ。


 荒くれを絵に描いたようなその男から、更に視線を外そうとする。

 が、その先でも大なり小なり似たような男たちが行き交う姿が目に映った。


 鈴八代(すずやしろ)は、洲都の中で唯一、内湾に接している。

 海外との玄関口が珠門洲(しゅもんしゅう)鴨津(おうつ)であるならば、内海流通の拠点は鈴八代(すずやしろ)が一手を担っているのだ。


 洲鉄に運輸の現場を奪われつつも、それでも大量輸送に船は欠かせない。

 海流に護られて波間も穏やかな内湾は漁業も盛んであり、見た目から荒くれた海の男たちの歩く光景は、鈴八代(すずやしろ)での日常でもある。

 ……当然、海の男たちは、妙が想像する通りの気性をしていた。


 道なりに東へ少し歩けば、直ぐに海が見えてくる。

 圧巻の光景であるし、観光に案内しようと思っていたのだが、この分では案内先を変えた方が良いのかもしれない。


 観光先を悩みながら、直利は洲都にある不破(ふわ)の別邸へと足を向けた。

 先触れ(電報)は前に打ってある。


 ――屋敷では、直利の実兄である不破(ふわ)範頼(のりより)が待っているはずであった。


 ♢


「義姉さん、これは?」


「奥に飾って頂戴! ああ、もう。時間が無いわ。

 ――あの(ひと)ったら、埃程度は払っておいてってお願いしたのに」


「払ってはいるみたいですよ。

 義姉さんが神経質になり過ぎです」


 直利たちが不破(ふわ)の玄関に踏み入れた瞬間、喧騒が右往左往と引っ切り無しに飛び交っていた。

 怒号寸前の応酬と共に、直利も面識のある親族たちが陶器や掛け軸を持っては戻してを繰り返す。どうやら、直利が玄関に立っている事には気付く余裕も無いらしい。


 唖然と見送る妙と肩を並べて、眉間に皺を寄せた直利は努めて冷静に声を掛けた。


「……義姉さん、何をしているんですか?」


「な、直利さん!? 何時からそこに」


 驚く声が渡り、屋敷の住人が動きを止めた。

 がちゃん。正月でもない騒動に静けさが襲い掛かり、反動からか壁に掛けていた額絵が落ちる。


 どうにも締まらない再会に沈黙が残り、引っ込んでいたのか屋敷の奥から大柄な男性が姿を見せた。


「帰ってきたか。久しぶりだな直利、取り敢えず上がれ」


「――はい。兄さんもお久しぶりです」


 華族とも思えないほどに質素な着流しに袖を通した男性。不破(ふわ)家当主、不破(ふわ)範頼(のりより)は、歓迎を覗かせない仏頂面のまま直利の挨拶に肯いを返した。




 範頼(のりより)の書斎に入ると、滅多に使っていないのか埃臭い古びた臭いが鼻腔を衝く。

 父親の代から慣れたその臭い故か、不意に直利の胸に郷愁が灯った。


「この書斎も変わらないね。兄さん、あまり弄ってないだろ」


「うん? ……ああ。洲都に寄る度、お前には理想の書斎論を一席打っていたな。

 ――憶えていたのか」


「あそこまで堂々と歌舞いていれば、さぞかし煌びやかな錦の一枚は飾っているのかと。

 ――戦々恐々していたけど、その分、変わらない部屋が懐かしいよ」


 当時を思い出したのか範頼(のりより)はくつくつと喉を鳴らし、腰を下ろす。

 生前の父が座っていた奥座に代替わりを終えた範頼(あに)が座る光景を、直利は眩しく見つめた。


「当主に座ってから、この屋敷を使うのもめっきり減った。

 年に2度、座る機会が有るか無いかの部屋に金子を掛ける必要も無いだろう。

 ――息子の代に、その野望は任せるさ」


「確か、兄さんの演説を聞いた父さんが、やけに生温い視線を向けていたね」


 そうだったか? 空惚ける範頼(のりより)の応えに、これは気付いているなと零れそうになる笑みを堪えた。


 嘗て鈴八代(すずやしろ)の屋敷に寄ると、当主の書斎は必ずと云っていいほど息子たちの話題に上った。


 書斎というほどにも広くないそこに、申し訳程度の座卓と筆が置かれるだけの質素な部屋。現在でさえ、新しいものと云えば卓上に転がる渡来ものの万年筆くらいだろうか。


 落ち目であろうが腐っても八家。書斎の一つくらいは趣味に拘っても良かろうものをと、当時の範頼(のりより)は理想の書斎像とやらを吹聴していた。


 ――いつもは厳しい父親であったが、息巻く兄を生温く応援しているところを思い出せば、嘗ては自身も同じ思いを決意していたのではないのだろうか。


 直利もこの書斎を見て、今更ながらの父の想いに漸く気付くことができた。


「酒という訳にも行かんが、――まぁ、呑め」


「助かります」


 脇に置かれた鉄瓶から湯呑に水を注ぎ、範頼(のりより)から渡されたそれを一気に飲み干す。

 僅かに潮が香る懐かしい清水が、長旅に疲れた身体に染み渡った。


五月雨領(そちら)も余裕が無いことは理解している。

 だが、約定に応じて陰陽師を融通してくれた事、雨月当主どのに重ねて礼を伝えてくれ」


「確かに。國天洲(こくてんしゅう)が荒れていたからね、水気の下流である壁樹洲(へきじゅしゅう)では他人事じゃないだろう。

 ……上流に当たる伯道洲(はくどうしゅう)も龍脈が澱んだそうだけど、陰陽師の頭数は國天洲(こくてんしゅう)に次いで多い。現状が落ち着いた今、喫緊で対処が必要なのは壁樹洲(へきじゅしゅう)だと、雨月御当主も理解しているさ」


「なら良いが。……陰陽師たちは?」


「明日には龍脈の浄化に取り掛かってもらう。瘴気の濃さから概算して、浄化の完了に半月は掛かる見通しだ。

 ――大丈夫。神嘗祭(かんなのまつり)には落ち着くよ」


「そうか」


 直利の慰めに、範頼(のりより)は安堵を吐いた。

 瘴気の問題は、拗れる様相を露わにする前に落ち着きを見せてくれた。

 現状は小康状態を保っているというところだろう。これなら、秋の収穫を乗り切ることができる。


 木行の衛士でありながら陰陽術に強く傾倒して、遂には國天洲(こくてんしゅう)の雨月に腰を落ち着けるまでに決意した直利である。

 性格の良さも相俟ってか、何かと厄介事に首を突っ込む巡りを持つ弟を、範頼(のりより)は探るように一瞥した。


「時に直利、雨月の次期当主、……颯馬(そうま)くんだったか? 教導に入ったとか」


「ああ。別に話題にする事でもないから、手紙にも報せを入れなかったんだけど。

 何か不安でも?」


「不安というかな、少し変だと思ってな」


「変? ……というか、面識を持つ機会はあった?」


 鉄瓶を傾けて自身の湯呑に水を注ぎながら、範頼(のりより)は軽く首を横に振る。


 面識は無い。伝え聞く限り、悪評も無い。

 天領(てんりょう)学院での立ち振る舞いに探りを入れたが、才気煥発を絵に描いたような少年であった。


「三年前だ、親父の死に目にお前を間に合わせてやろうと、天山殿に書状を送ったんだが」


「ああ……」

 思い出す。本当に運が悪く、雨月の前刀自と不破(ふわ)の当主の死が重なったのだ。

 つまり、雨月晶の追放と颯馬(そうま)に教導が移った時期でもある。

 非常に繊細な時期。情報の漏洩を怖れた天山に譲歩して、不破(ふわ)直利は親の死に目を遠地で見送ったのである。

「仕方がないよ。雨月刀自は寿命だし、父さんの方は……」


「そこは良い。そもそも、手紙を出した時点で死に目に会えるかは疑問だったしな。

 ……だが、後から思い返して、疑問に思った事がある」


「何処か、不思議な事があった?」


「直利。お前の今の立場は、かなり曖昧だったはずだ。不破(ふわ)姓の返上も断られているし、このままでは雨月でもかなり立場が危ういのでは?」


 範頼(のりより)の指摘に、直利は苦く肯いだけを返した。

 それなりに信頼関係を築いたとは云え、國天洲(こくてんしゅう)の八家に壁樹洲(へきじゅしゅう)の八家が混じっているのだ。


 幾度となく玻璃院(はりいん)と雨月に不破(ふわ)姓の返上を申し立てていたが、その何方(どちら)からも許可を貰えていない。

 雨月は玻璃院(はりいん)の承諾を得られないからだろうが、玻璃院(はりいん)が許可しない理由が不明であった。


 殊、この件に関しては、妻の妙にも随分と肩身の狭い思いをさせている。

 何とか解消をしたいのだが、どうにも話が進められてこなかった。


「このままでは、問題になるのが判っているんだけどね」


「そこだ」


 差し挟まれた呟きに、直利は視線を上げる。

 湯吞から水を含みながら、範頼(のりより)は驚く直利を見返した。


「過程はどうあれ、お前(直利)は信用されていない。

 雨月の事情を慮ったとしても、信用されていないという結論に辿り着くのは難しくない」


忸怩(じくじ)たるものは有るけど、そうなる」


「だが一方で、お前は八家筆頭の、それも次期当主の教導に就いている。

 ……これは重要だぞ。ここの教導って事は、将来の重臣を約束しているようなものだからな」


 確かに。別段に興味のない選択肢であったから気付かなかったが、直利の血筋は八家第八位の不破(ふわ)であり不安定な立場だ。だがその反面、信頼関係を築きやすい教導も任されている。


「しかも、次期当主の教導という事は、それなりに経験も重んじているはずだ。

 天山殿の性格からして、認めざるを得ない実績が無ければ、選択肢の一つにも挙げないだろう」


「…………………………」


 颯馬(そうま)との面識は無いが、天山とは不破(ふわ)家の当主となってから幾度か会話を交えた間柄だ。

 当然にして、会話から見えてくる性格は把握していた。


 良くも悪くも、八家筆頭らしい(・・・)性格。あれならば、瑕疵と見えるだけでも選択肢から外すと確信できる。


 直利が教導を(たの)まれたのは、公的には雨月颯馬(そうま)が初である。

 だが、天山の性格からして、そこに前例が無ければ怪しむべきであるのも事実であった。


 黙り込まざるを得ない直利に、気にしていないとばかりに範頼(のりより)は手をひらりと振って見せた。


「――済まんな。正直、ただの愚痴だ。

 真逆、洲の外に撥ねてまで陰陽術を修めに行くなんて、親父も思っていなかったからな。

 死に際にまでお前の事を心配していた、その意趣返しだ。

 ……そこまで深刻になるな」


「済まない、兄さん」


「落ち着いたら、墓参りで高邑領に顔を見せろ。

 線香の一つも上げる事は赦さんと、天山殿も狭量は抜かさんさ」


「そうだね」


「今日は佳乃が張り切っていてな。……先刻の騒動もそれだ。埃を払って、埃を立てていれば世話も無いと思うが。

 市場まで鯛を買い付けていたから、今夜の飯は豪勢だぞ。期待しておけ」


 笑いながら立ち上がった範頼(のりより)は、外に向かおうと障子に手を掛けた。

 その姿が、先日に交わした天山と自身に重なる。


 ――自然、気にも留める事が無かった小さな疑問が、直利の口を衝いた。


「そう云えば、兄さん。

 ――神無(かんな)御坐(みくら)って知っているかい?」


「……その言葉、何処で聞いた?」


 痙攣したように、障子に掛かる手が止まる。

 平坦さを僅かに帯びた声音に気付かず、直利は口を続けた。


「天山殿からだよ。訊き返すと誤魔化されたけど、少しだけ気になってね」


「道理で。不破(ふわ)家直系だからと、気を抜かれたな。

 ……また珍しく、迂闊なことだ」


「知っているの?」


 直利の口調に探る気配は見当たらない。

 嘘は口にしていないと判断して、範頼(のりより)は大きく息を吐いた。


 外に向かう足を戻して、直利の対面に座り直す。

 範頼(のりより)がここまで悩む姿を見るのは、直利をしてこれが初めてであった。


神無(かんな)御坐(みくら)は、八家の当主と次期当主にのみ開示が許されている口伝だ。

 本来ならば口に出すことは罷りならんが、特に不破(ふわ)家はこの事項に対して慎重にならざるを得ん」


「……かなりの厄事かな」


 天山の口調からはそこまでの深刻さも窺えなかったが、範頼(のりより)の感情に落ちる影からは尋常ではない緊張が透けて見える。


「相当にな。――だが不破(ふわ)家は、知識としてもう少し周知させておくべきだろうさ。

 何しろ、400年前の内乱の発端がこれだ」


「そこまで。……知らない方が良いんじゃないか」


「正直に云えば、――判らん。

 賽の出目を、良いように当てろと云っているようなものだ。

 ……だが、お前(直利)は知っておくべきなのかもしれんな。口伝を失った際の保険にはなってくれる」


 愚痴混じりに応えを返しつつ、迷いを残した口調で範頼(のりより)は他言無用を念押しした。

 余程の事かと、直利も姿勢を正す。


 不破(ふわ)の屋敷が静けさを保てていたのは、そこから四半刻も無かった。

 不破(ふわ)の屋敷から玻璃院(はりいん)に向けて、緊急の報せを携えた使者が混乱と共に飛び出していく。


 ――深刻な表情を浮かべた不破(ふわ)の兄弟が肩を並べて玻璃院(はりいん)へと向かったのは、さらに幾許も間を置かない後の事であった。


 ♢


 ――同日、珠門洲(しゅもんしゅう)鳳山(おおとりやま)

 奇鳳院(くほういん)本邸にて。


 かちゃり。陶器が触れ合い、紫苑が詰める執務室を豊かな芳香(かおり)馥郁(ふくいく)と泳ぐ。

 (くゆ)る湯気を透して、紫苑はその向こうに立つ人物へと感情の読めない微笑みを向けた。


「紅茶とは、随分と匂い立つ茶ですね。味に癖がありますが、苦味も少ないしこちら(高天原)でも人気は出るでしょう」


「ランカーの二番摘み(セカンドフラッシュ)です。……潘国(バラトゥシュ)貿易株式会社が、その悪名を広めた一端ですね。

 私は珈琲党なので詳しくはありませんが、論国が入れ上げる理由も理解できます」


「御冗談を。論国が欲しいのは、金の鉱脈ではありませんか?

 西巴大陸で需要が高まっていると聞きましたが」


 紫苑の指摘に、眼前の少女が肩を揺らして笑みを浮かべる。

 誰が、何を、何処まで知悉しているか。何気ない会話の端から、相手の底を測り合う。


 年端も行かない眼前の相手は、それでも手練れの政治家であると、紫苑は気を引き締めた。


「否定は致しませんが、それだけではありません。

 ……我らは神柱の威光を遍く示すべく、異教の民と云えど慈悲の光に照らし出さねばなりませんので」


「ええ。先月の一件は、私たちも能く(・・)調べました。……何処ぞの異形に唆されて、良いように捨て駒扱いされたとか? 真逆、ここまでの短期間で態勢を整えるとは驚きましたが。

 ――ベネデッタさん」


「私が正式に(・・・)高天原(たかまがはら)の地を踏んだのは、今回が初めてです。

 ――『アリアドネ聖教』としては無関係ですが、ヴィンチェンツォ・アンブロージオが逸った顛末は聞き及んでいます。破門されたとはいえ(・・・・・・・・・)同じ威光を拝した同輩、遺骨だけでも故郷に(かえ)して差し上げようと思っています」


 一ヶ月(ひとつき)前は一介の審問官という立場を崩していなかったため、公的には今回が彼女にとって初めての入国である。

 紫苑の向けた強烈な皮肉を敢えて流し、ベネデッタ・カザリーニは含みの無い微笑みを浮かべた。


「これは細やかな疑問なのだけれど、どうやって奇鳳院(くほういん)への繋ぎを得るまでの信頼を、久我(くが)法理(ほうり)から得たのかしら? その辺りの付き合いに関して、あの御仁は厳しいはずなのだけれど」


「アンブロージオ卿が引き起こした騒動の補填に、かなり色を付けましたので。

 ……随分と信頼関係に思うところがあったのでは? 二つ返事とまではいきませんが、拒否もされませんでした」


 そうかしら。微笑みだけで情報を聞き流す体裁を保つ。

 神無(かんな)御坐(みくら)の情報に食って掛かっていたから、不満であったのはその辺りだろう。


 この面倒な時期に良くもまあ、しれっと顔を出せたものだ。

 変な関心を保ちながら、紫苑は目の前に立つ金髪碧眼の神子を見つめた。


波国(ヴァンスイール)との正式な国交樹立。国家間の歩調を合わせるための軍事同盟と、交換(・・)留学制度の制定。

 ……随分と大盤振る舞い、故国(くに)が荒れるのでは?」


幸いにも(・・・・)、政治家には穏健派が顔を揃えていますので。大陸を跨いだ島国との付き合い程度、目尻(めくじら)を立てるものも少ないでしょう」


「ああ。教皇選挙(コンクラーベ)の最中だったとか。

 ソルレンティノ卿は、首尾よく排除出来ましたか?」


「滞りなく。カザリーニ家(王家)に権威が(かえ)った事で、民の不満も収まるでしょう」


 こちらの水差しに対する意趣返しか。公然と島国扱いに不満を覚えたが、事実は事実。

 表情に引き攣れを覚えただけで、話題を流す体裁を保つ。


 ――教皇選挙(コンクラーベ)の情報を握っていると仄めかしたことで、相手の警戒を僅かでも引き出せていたならばいいのだが。


「如何でしょうか? 将来に向けた投資として、波国(ヴァンスイール)との長期交流は必要かと自負もしておりますが」


「……随分と、こちらを買っておられるのですね。西巴大陸としては、潘国(バラトゥシュ)に首っ丈と思っていましたが?」


高天原(後進国)の文化に関しての興味は然程に。我々(西巴大陸)に追いつけ追い越せと背伸びしているだけでしょうし。

 ……ですが、神域に対する知識の深さは別です。鉄の時代が幕を掛け始めている昨今、神代を維持する知識は、私たちにとっても絶対に必要となるものです」


「……目的はそれですか」


「はい。波国(ヴァンスイール)への譲歩は、高天原(たかまがはら)全体で決定しなければならないはず。

 月宮(つきのみや)へ、開国の要請を繋いでいただけますか? 神代の知識に関する決定権は、月宮(つきのみや)が掌握していると聞き及んでいますので」


 ――確かに。

 紫苑は、内心で納得に唸った。


 ただでさえ、海外との正式な交流は鴨津(おうつ)にのみ限定されている状況だ。


 波国(ヴァンスイール)との正式な国交樹立ともなれば、珠門洲(しゅもんしゅう)だけで独走できるような話ではない。

 月宮(つきのみや)に裁可を願い、負担も権利も5洲全てで分け合わなければ、最悪、利権の格差から高天原(たかまがはら)に不要な悶着を生みかねない。


「……良いでしょう、月宮(つきのみや)に繋いでみます。

 央洲(おうしゅう)までは御料列車を用意しますので、暫く待ってください」


「感謝します。

 ――ああ、そうだ、」


「何か?」


「留学が決定した暁には、学生の指名はできるのでしょうか?」


「拒否権はありますが、問題は無いかと」


 俗な意見に意図も掴めず、紫苑は当たり障りも無く肯った。

 その応えに満足したのか、ベネデッタは綻ぶような花の笑顔を見せる。


「素晴らしい。

 ――晶さんを波国(ヴァンスイール)へと迎えたく思っていまして、その説得をお願いしたかったのですが」


「……既にその提案は断ったと、聞き及んでいましたが」


 留学をしつこく盛り込んだ本当の意図はそこか。挑発紛いの露骨な勧誘に、紫苑の口元が苛立ちに引き攣れた。


 これからの晶に、女性の影が絶える事はない。これで異国の貴種までもが食指を伸ばしてきたら、朱華(はねず)の勘気がとんでもない事になってしまう。


波国(ヴァンスイール)に籍を移すのを躊躇われたからでしょう。たった数年、最先端の知識と引き換えならば、断る理由も無いはずです。

 晶さんの恋模様に一際の彩りを添えるだけ。……まぁ、波国(ヴァンスイール)の王家としても高天原(たかまがはら)の血を一滴、己の家系に垂らすのは魅力的な選択肢と思っていますが」


「重ねて念を押しますが、決めるのは晶さんです」


「当然です。自由恋愛こそ次代の在り様、――是非とも(・・・・)、晶さんにはその象徴になっていただきたいものです」


 随分な綺麗事を、綺麗事で糊塗してくれる。紫苑は内心で吐き捨てた。

 本心で口にしている事は間違いない。ただ、自由恋愛の選択肢を与えるように見えるだけで、その内実、選択肢は一つしか用意されていないだけだ。

 だが、それは高天原(たかまがはら)も同じことか。そもそも、晶を高天原(たかまがはら)から出す提案など、最初から与える心算(つもり)も無いのだから。


 選択肢を極端に多く出せば、人間は常に慣れた選択肢に落ち着こうとする本能が働く。

 結果の狭い選択を数回繰り返せば、結局は同じ結果に落ち着くのが人間というものである。


 恋は過程だが、愛は結果だ。

 最後の結果は、既に掴んでいる。そうである以上、珠門洲(しゅもんしゅう)の勝利は盤石のものと決定していた。


「良いでしょう。月宮(つきのみや)との交渉の後、話が纏まれば晶さんとの会話の場を設けると約束いたします」


「ありがとうございます。……今は(・・)、その確約だけで充分です」


 紫苑から返る表面上だけの肯いに、これまた表面上だけでベネデッタは応じる。


 そうとは見抜けないほどに歓迎を糊塗した笑顔を交わし、国家の威信を背負った2人は和やかに交渉を続けた。

過去の失態から落ち目でありますが、不破(ふわ)家はとても仲が良いことで有名です。


書籍発売まで一ヶ月を切りました。


特典SSの詳細です。

TSUTAYA様、メロンブックス様、ゲーマーズ様にて、それぞれ短編をつけています。

是非とも、特典のある書籍で求めていただければ嬉しく思います。


読んでいただきありがとうございます。

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