５話 媛は朱金に舞いて、君よ因果を断て４
「嗣穂！」
晶の叫ぶ名前は眼前の相手に向けたものでなく、その視線は神父の背中に向けられていた。
思考するよりも早く、黒衣の怪人はその瞳が向ける先を辿る。
その視界に映ったのは、瓦礫の積もる大路だけであった。
――その頭上。雨撃つ虚空の高くで、少女の華奢な身体は大気に揉まれて大きく踊る。
嗣穂自身から捲き上げる神気に煽られて、綸子の着物が大きく翻った。
希少な霊鋼を惜しげもなく蕩尽した甲種精霊器の匕首を構え、金色に染まった長髪が鳳の翼と広がる。
蒼炎が猛る眼光は鋭く、しかし、猛る神気の一切が嗣穂の身体を舞うことは無い。
精霊力は疎か、生命の揺らぎすら覗かせない静謐の飛翔。
それ故、晶の誘導に乗せられた神父は、後方へと嗣穂の姿を無意識に追い、
当然のように、見失った。
重力に絡め取られ、墜ちるに任せた嗣穂は神父に初撃を向ける。
闇夜を翔る猛禽の爪と見立てた匕首は、寸前で気付いた神父の掲げる刀身に突き立った。
匕首の切っ先が、刀身の根元からその切っ先へと火花の軌跡を刻む。
――瞬後、神父の身体は業火の底へと沈んで消えた。
奇鳳院流精霊技、中伝、――夜這う梟。
精霊技の残炎を軌跡に刻みながら、嗣穂は遅滞することなく次撃に移る。
丹田で神気を練り込み、強化した匕首を構えて一歩。
奇鳳院流精霊技、連技――、
「緋襲！」
踏み込みに地面が震え、神父との間合いが慄くように軋んだ。
残炎が爆発し、炎を捲いた匕首が巨大な太刀を形成する。その切っ先を斬り上げるに任せて、業火の濁流が神父を圧し流した。
視線に在る総てを、容赦なく灼き祓う。
そう思えるほどの一撃は、それでも被害を神父の周囲に限定しているようだった。
「……やれ、追いつかれましたか」
ぬうるりと嗤う囁きが耳に届き、精霊技を放った隙を奪う。
渦巻く熱波を突き破り、鎧蜈蚣が大きく口腔を剥いて迫った。
「！」「させるかぁっ！」
迫る牙を迎え討つべく、嗣穂は神気を昂らせる。しかし、半拍の遅れが致命を生み、蜈蚣を浄滅させるには及べない。
神柱の加護を防御へ回す嗣穂を、晶が紙一重で抱え込む。
――考える余裕も無かった。
暗転する視界の中、
ただ、間に合わせる一心のみが、晶を衝き動かして大きく地を蹴らせた。
ごおう。耳元で颶風が渦と鳴く。
何時か聴いたその風鳴りに、晶は薄く瞼を上げた。
眼下に広がるのは、華蓮の明るい街並み。
遙か上空を翔る非常識な体験。２度目とはいえ、晶の思考は軽く混乱に陥る。
「う、ぁっ！！」
「……落ち着いてください、晶さん」
囁く声で我へと返る。視線を胸元に落とすと、縋るような格好で嗣穂が晶の腕に抱かれていた。
晶よりも落ち着いた素振りで晶の腕深くに収まり、満足そうに少し微笑む。
「これが寂炎雅燿の有する飛翔の権能ですか。
歴代の神無の御坐も行使しなかったとは聞いていましたが、
……慣れは必要でしょうが、随分と気持ちが良いですね」
「……嗣穂さまも、ご無事なようで何よりです」
喉を転がし鳴らして、嗣穂は擽るように笑い声を上げた。
一頻りそうしてから、真剣な輝きを瞳に浮かべる。
「あの男、どうやら目的は晶さんのようですね」
「ええ。
――神父の奴、俺のことを神無の御坐と知っていました」
「！ ――なるほど、それで」
何か得心がいったのか、嗣穂は二、三度、肯いを返した。
晶たちを追おうとしてか、眼下で鎧蜈蚣の蠢く姿が見て取れる。
「……守備隊の本部が穢獣の群れに襲われて、現在、守勢に入らざるを得ません。
応援を恃むのは難しいと、覚悟してください」
「！ はいっ」
守備隊本部の膝元でここまでの騒動が起きているのに、警邏隊は疎か、守備隊も姿を見せないのは変だと思っていたのだ。
騒ぎがあちこちで起きているなら、納得もいく。
「相手の狙いは、晶さんでほぼ間違い無いでしょう。
……あかさまの膝元で晶さんを害せるなど、増上慢に浸れる愚物とも思えませんが」
「俺もそう思います」
「……相手の思惑に乗るのは癪ですが、ここは私たちが相手をするべきでしょうね。
晶さんは、何故、顕神降ろしを行使わないのですか？」
「それは、その……」
痛いところを突かれて、晶は視線を伏せた。
その先を無意識に追った嗣穂は、灼けて半壊した街並みに納得の首肯を返す。
「制御できない可能性を危ぶんでいるのですか。
――沓名ヶ原の繰り返しを恐れる気持ちは能く判ります」
「はい」
「ですが、そうであるならば、尚のこと、顕神降ろしに臨まれるべきでしょう」
「――え？」
矛盾する嗣穂の指摘に、晶は視線を上げた。
視線の先で、嗣穂の向ける澄んだ瞳が絡み合う。
沈黙。僅かな後に、嗣穂が少し瞳を逸らした。
「顕神降ろしは、世界の在りように自身の意思を優先させる技術です。
どう望もうが、どう決定しようが、晶さんの意思にこそ世界は応えるでしょう」
「それは、……むぐっ」
どう云う意味か。問い返そうとした晶の口元を、嗣穂の唇が無理矢理塞ぐ。
微笑む少女は晶の胸元に掌を置いて、晶の裡に眠る刀の柄を掴んだ。
「寂炎雅燿は私が。そうすれば、顕神降ろしの誤魔化しも周囲に利きます。
――晶さんは、あかさまと一緒に神父の討滅をお願いします」
微笑みながら、嗣穂は晶の胸元を突き放して宙を泳ぐ。
止める間もない。少女の身体はすぐさまに落下を初めて、蜈蚣目掛けて雨天の闇へと消えていった。
晶の指先が、嗣穂を引き留めようと虚空を掻く。
しかし指先に返ってくるのは、雨に濡れる感触ばかり。
飛翔の権能も消え、落下を始めた晶の耳元に嗣穂が囁いた最後の言葉が蘇った。
「もう少し、あかさまを信じてあげてください。
それこそが、晶さんに勝利を呼ぶでしょう」
――――――――――――――――――――
顕神降ろしを行使しながら、嗣穂は掌に掴む寂炎雅燿の感触を確かめた。
日輪の象徴。南天を泳ぐ鳳の玉体を象としたそれは、嗣穂をして行使した経験の無い洲の至宝である。
ここまで慣れていないものだと、如何に巫であっても充全な行使に臨めるとは思い上がれなかった。
――だが、顕神降ろしを行使している瞬間なら？
この身体は南天の意思と斉しく、神器も応えぬ道理は無い。
飛翔の権能を意識してみる。
地を這うただ人の意思に異質なだけの権能は、それでも劇的に落下が緩和する感覚を齎した。
墜ちる姿勢のまま、夜天に寂炎雅燿を掲げる。
向かう嗣穂の姿を見上げ、二度の奇襲は効かぬと云わんばかりに万朶であった残骸が牙を剥いた。
奇襲が望めないのは承知の上だ。
だからこそ、蜈蚣も逃げるという選択肢は選べないだろう。
逃げずに抗う事こそが、生き延びる最善手と理解できるからだ。
「その思い切りの良さを見るに、間違いなく万朶の意識は残っていないわね」
往生際の悪かった万朶の醜態を思い出し、皮肉を漏らす。
「あれも、長蟲の余生なぞと生き恥を曝したくはないでしょう。
――苦痛なく終えてやる事こそ、私からの慈悲と知りなさい」
神気を精緻に編み上げる。それは石割鳶と似た、それでも別格の威力を誇る精霊技。
墜ちる星の輝きが、寂炎雅燿の刀身に宿った。
奇鳳院流精霊技、奧伝――、
「――奈落鵬」
大地を裂くことも、果て無き熱量を放射することも無い。ただただ、灼熱の塊と化した刀身が、鎧蜈蚣の脳天に落ちた。
質量ではなく、熱量で対象を圧壊する奇鳳院流の奧伝。
この精霊技の前に防御は疎か、回避も意味を為さない。避けたところで、墜ちてくる熱量が空間ごと対象を蒸発させるからだ。
黒く滑る外殻に護られた胴体が見る間に泡立ち、黄色く延びる多肢が一瞬で熱量に呑まれる。
――だが、その熱量を受けて尚、面に護られた頭部は原形を保っていた。
その時、蜈蚣の面の正中に、一筋の見逃せないほど確かな罅割れが走る。
否、その熱量に耐えられただけでも大した物か。
その様子を目にして動揺したのは、寧ろ嗣穂の方であった。
先刻に看破した通り、面は神器であると嗣穂は確信を持っていた。
神器は不壊の特性を持つ。
それは、世界の常識と云っても良い知識だ。
神柱とは事象そのもの。人々が抱く認識でもある。
それが破損に至る。
嗣穂の知識にある限り、それは神殺しに斉しい異常であった。
――……悩むのは事の後。
頭を振って、嗣穂は躊躇いを生むだけの思考を捨てた。
長蟲の生命は図抜けている。今も尚、嗣穂に喰いつかんと、大きく牙を広げているほどに。多肢は殆ど喪われ、巨躯の大半が炭と化して。それでも果てなき悪欲が、鎧蜈蚣を衝き動かす。
「本当にしぶとさだけなら随一ね。
万朶。其方の技量では、奥伝に至れないと聞いています。
私手ずからに与える、二度の奥伝。
……これを、黄泉への手向けと誇りなさい」
中段平突きから、相手にもよく見えるように寂炎雅燿を構えてみせた。
絢爛なる一握の炎が、朱金の刀身を編み上げて、断罪折伏の輝きで鎧蜈蚣の全身を照らし出す。
―――疑、戯、戯イィ！
人間であった頃の何もかもは、もう既に欠片も残っていないのだろう。
それでも蜈蚣は、何処か人間臭い戦慄きに牙を開閉して見せた。
未だ、生き恥を晒そうと、足掻いているのか。
それでも躊躇無く、嗣穂は寂炎雅燿の刀身を蜈蚣に突き立てた。
長蟲の体内で爆発した熱量が、辛うじて残っていたその半身を消し飛ばす。
少女の持つ神器を起点として下から上へ。莫大な浄滅の炎が巻き上がる流れに沿って、嗣穂は寂炎雅燿を斬り抜いた。
終わることを知らない灼塔が、化鳥に似た僅かな音だけを示して天を衝く。
奇鳳院流精霊技、奥伝。――彼岸鵺。
万朶であった残りが灼塔に呑まれ、最後まで耐えた面が罅から割れて千々に散り去る。
大きく呼吸を吐いて、寂炎雅燿を納刀めた。
――その時、南天が大きく歓喜に揺れる。
何が如何なろうと、この場での戦闘はこれで終わるか。
朱金に輝くその先に立つ晶を思考に浮かべた。
知らず、己の唇に指先を当てて、晶の残り香を確かめる。
男性に口を赦すのは、嗣穂にとって初めての体験だ。
一般にはしたないともされる女性からの行為に、それでも嗣穂の唇は熱を帯びて綻んだ。
――――――――――――――――――――
落下する違和感に、内腑が悲鳴を上げた。
当然のこと支えは無く、耳元で風を切る音だけが唸り声をがなり立てる。
勢いに際限の無い落下の速度に、それでも危機感は僅か。
恐怖の感情も遠く、晶は迫る地表を見据えた。
――あかさまを信じてあげてください。
嗣穂が向けた、その言葉が胸を去来する。
晶にとっての信頼とは、限られた相手としか共有しないものであった。
普通であれば最初に信頼する相手は家族であったろうが、畢竟、晶にとっての家族とは信頼に値しない集合体でしかない。
……特に祖母が亡くなった後は、家族とは敵と等しいとさえ認識していた。
それこそが嗣穂たちの誤算。
家族間の信頼とは、親愛の感情だ。だが、晶にとっての親愛とは、警戒すべき悪意と同義であった。
……だからこそ、
咲や嗣穂、朱華が見せた親愛は、晶にとって警戒すべき異質なものでしかないのだろう。
だが、晶の感情すら受け入れて、それでも嗣穂は口にしたのだ。
――信じてみよう。
親愛は警戒しろ。晶の過去が牙を剥き出す。
今まで晶を守護してきたその感情を振り切って、晶は大きく息を吸い込んだ。
「願い奉るは、奉天芳繻大権現」
容赦なく迫る地表に焦ることなく、希う声は高らかに。
それは、火行の象を降ろす詔そのもの。
「泡沫に舞い給え、鳳翼夏穏朱華媛！！」
南天を願う晶の声が終わるや否や、その視界が映す世界そのものが朱金の輝きに満たされた。
天を衝く朱金の塔が、昏い雨雲をその形に刳り貫いて広げる。
その向こうに、星の満ちる夜闇が垣間見えた。
「――本当に妾を待たせるのが好きじゃのう、晶」
「申し訳ありません。
――朱華さまに足労を願うのは、滅多には出来ませんので」
「善い。晶が気にする事でもない。
妾を気遣う其方も、愛おしくは思うがのう」
悪戯に微笑む囁きが、晶の耳朶を擽る。
高所からの自由落下にも関わらず、晶の爪先は僅かな衝撃も伝うことなく地に触れた。
くるりと、首に巻いた繊手を伝い、稚い朱華が晶の腕へと納まる。
胸元で嬉しそうに鼻を鳴らしてから、眉根を寄せて不満気に唇を尖らせた。
「なんじゃ、女性の匂いがするぞ？」
「嗣穂さまの香りでしょう」
であろうさ。然程、気分を害した様子も無く、朱華は鼻を胸元に擦りつける。
そうしてから、楽し気に視線を巡らせた。
辿る視線の先には、神父の姿。
流石に無視もできない相手と思い知っているのか、緊張も露わに視線が返る。
「ふ。随分と懐かしい相貌じゃの。未だ地上におったとは、思っておらんかったわ。何処で遊び歩いておった？
――滑瓢」
「……久しゅう御座いますなぁ。
何処で、と問われましても、方々で、としか応えられませんが」
「くふ、随分とおいたが過ぎたようじゃの。
侵した業が、貴様の在り様を歪めておるぞ」
指摘する朱華の笑みが、彫りも深く凄みを増す。
その遣り取りに、晶は朱華に視線を落とした。
「神父を知っているのですか？」
「神父？ ……そう名乗ったのかや。
まぁ、知っておると云えば知っておる。
千年は行かん程度の昔、華蓮で権力争いを愉しんだ外海の客人神よ」
「……あの頃は愉しゅう御座いましたなぁ。
念入りに選んだ華族を駒に、出世街道を直走らせて。
――足元から幻と崩れた駒の絶望と御座いますれば、今でも悦に浸れます」
「其方の火遊びで、今でも沓名ヶ原は怪異の棲み処よ。
……妾の目の前で、貴様は確かに浄滅したはず。どうやって逃げ延びた？」
朱華が突き付けた疑問に、神父は口元を歪めて返した。
「神柱は不壊不滅。その程度ならば、よくご存じでは無いですか？」
「嘘、じゃな。確かに神柱は不滅ぞ。
――じゃが、記憶は不滅ではない。死ねば、記憶が残る道理は無かろう。
あの時の記憶があるという事は、貴様はあの時に糸を引いていた存在に他ならん」
朱華から漏れた言葉に、晶は吃驚を抑えることができなかった。
神柱は嘘を吐けない。絶対である筈の前提を容易く崩した目の前の存在が、何よりも異質であると漸くに理解できたからだ。
「斜陽に沈め、――落陽柘榴！」
虚空に手を差し伸べ、晶の内心に納刀められたもう片方の一振りを抜刀する。
朱金の神気を捲き上げて、神器が昏い炎を立ち昇らせた。
晶の背後に回った朱華が、ゆるりと舞いを始める。虚空を揺蕩うその掌に従って、朱金の輝きが周囲を染めた。
顕神降ろしの領域が、自身を越えたこの一帯を神域に沈め始めたのだ。
「これで、此処は神域と為った。貴様には念入りに晶との縁も結んでやったしの。
此度も逃げられると、無為な奇跡は期待するな。
――ここが貴様の終焉じゃ、滑瓢」
顕神降ろしの神域。どう逃げても、最終的には晶と邂逅する縁の罠。万全に檻は組まれて、入り口は閉じられた。
「ええ、ええ！ 元よりこうなる事は予定のうち。
珠門洲の大神柱を狙えるこの好機、逃すほどに身共も愚かでは御座いませんとも！！」
神父。否、滑瓢が三日月に嗤う。
その捨て台詞を皮切りに、晶と滑瓢の戦いが再開する。
初手は晶。強化した身体能力に任せて、一直線に斬り込んだ。
先刻の剣戟で、間違いなく神父の剣術は晶のそれを上回っていることは確信している。
悔しいが、経験やそれに伴う力量が明確に及んでいないのだ。
――だが、勝機が無い訳ではない。
奇鳳院流は、何よりも剛を重視する。攻め足からの上段、単純故に最強の一撃こそ奇鳳院流の強みだ。
そこに小細工が入り込む余地はない。一直線に斬り込む太刀には、真っ向からの防御しか対抗の術はないからだ。
隼駆けの勢いを得て真正面から叩き落される斬撃を、滑瓢は刀身を盾に受ける。
激突。落陽柘榴の刀身と瘴気に凝る刀が火花を散らして噛み合い、
――一方的に、滑瓢の刀が二つに折れ飛んだ。
半分の長さに目減りした得物をそのままに、晶の間合いから神父は飛び退ろうとする。
逃す心算も無い。
晶は二の足を大きく踏み込み、返す刃で斬り上げた。
奇鳳院流精霊技、初伝、――帰り雀鷹。
上段の一撃で防御を崩し、返す刃で致命を狙う二連撃。
僅かに反応が遅れた滑瓢の顔面に、迷いも見えず灼闇の刃が吸い込まれる。
神気が迸る切っ先は、偶然にも面に入った罅の中心へと突き刺さった。
渦巻く爆炎が滑瓢の顔面を呑み込んで、木彫りの面が呆気なく二つに割れる。
地面に落ちる面の欠片が、現実を思い出したかのように燃え尽きて。
その奥から覗く滑瓢の相貌は、これといって特徴のないただの男でしかなかった。
「それが貴様の本当の姿か、神父」
「如何にも。随分と長い間、付き合ってきた身共の相貌で御座います」
滑瓢の口元が、勝ち誇るように歪む。
圧倒的な不利にも拘らず、折れた刀の切っ先は晶の正中を狙って向けられた。
「もう切り札は充分に切ったろ。
……次で詰みだ」
「策は充分に仕込みました。
果てるのは貴殿で御座いますよ、晶どの」
吐くようにそう応え、滑瓢が大きく踏み込む。
ぬうるりと間合いが蝕まれ、放たれた斬撃を晶は流すように凌いだ。
火花が舞う度に、瘴気と神気が互いを刃鳴り散らす。
僅かな優勢は刹那に裏返り、忽ちに晶は劣勢を強いられた。
それでも、晶の瞳に焦る感情は浮かばなかった。
晶の胸中に去来する想いは、僅かに一つ。
――信じてみよう。
朱華が向けてくれた感情を。これまで忌避してきた親愛を。
滑瓢に剣技で劣り、術に及ばない。
ちっぽけで情けない晶が唯一、眼前の怪人に勝れるのは、
――きっと、そんなものくらいしかないのだから。
「神域解放」
決意に背中を押され、晶は自然と己の奥底に眠っていた詩を口に遊ぶ。
「――落日に、燃える柘榴の、甘露かな」
闇を泳ぐ晶の指先から撃符が放たれ、爆炎が滑瓢の視界を舐める。
怯む滑瓢の足元から昏い灼閃が牙を剥き、嗤う怪人の身体を貫いた。
「盛りは過ぎて、一年に栄えと」
朱金に染まる世界に、蝕の輝きが差し込む。
昏く影に燃え立つ炎は止まること無く、広がっていった。
落陽柘榴は、日輪に落ちる鳳の影を象として鍛造した神器である。
その逸話がたどる終結こそ、その神髄。
如何なる神柱ですら、自身の影から逃れる術もなく。
――生まれぬはずの影が辿るのは、如何なる守護も貫く無窮にして矛盾の刃。
如何に神性を得ていたとしても、現世に受肉している以上、この刃に対し無傷でいられない。
晶が突き出した落陽柘榴の切っ先が、滑瓢の顔面を貫いた。
莫大な瘴気が嗤う怪人から噴き上がり、神域の輝きに千々と消える。
呆気ないその消滅に、晶は神器の消えた掌中を確かめた。
手応えが返ることも無い、だが、僅かに耳朶を撃つ轢音が残るのみ。
雨撃つ音が再び世界を支配して、それでも耳に残るその音だけが晶の疑問にささくれて痛みを刻んだ。
―――パキ。
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと評価もお願いいたします。
この場を借りてご報告させていただきます。
幾人かの方から、気付いたと感想で報告を貰っていたのですが、
この度、カドカワbooks様より書籍化の機会に与れることとなりました。
イラストレーターとして、あるてら様に受けて頂きました。
僕の頭にしかなかった晶や咲たちが、絵の中でも躍動するさまを楽しんでいただければ幸甚です。
更なる躍進の機会を貰えたこと、応援してくださった皆様に感謝申し上げます。
日程等、詳細の報告です。
2023年・2月10日 発売。
著 安田 のら /イラストレーター あるてら
カドカワbooks、紹介ページへのＵＲＬです。
https://kadokawabooks.jp/product/utakatanikamiha/322210000520.html
特典SSも書きました。
詳細は後日、報告させていただきます。
今回の話を受けて、沢山の知らなかった情報を得ることができました。
僕にとって縁のなかった世界に触れる機会を与えてくれたこと、ありがとうございます。
亀の歩みでありますが、この物語は確実に前へ進むように組み上げています。
今後とも、「泡沫に神は微睡む」をよろしくお願いいたします。
