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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
三章 巡礼双逢篇
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5話 媛は朱金に舞いて、君よ因果を断て2

「一寸ばかり遅くなったな。

 ……これなら、濡れるのを我慢して歩けば良かったか」


「だから云ったろ。

 路面電車(トラム)を待つ行列に並ぶよりかは、現神降(あらがみお)ろしを行使して走った方が早いって」


 晶と迅が1区と3区の境にある路面電車(トラム)の待合駅に降り立ったのは、しとつく小雨が地面を黒く濡らす夕刻過ぎであった。

 高位の華族とも思えない迅の性格に、自然と砕けた応酬が二人の間を行き交う。


 呆れた指摘を受けて、迅は僅かに口だけを尖らせた。


「ま、そう云うなよ、後輩。

 現神降(あらがみお)ろしを行使うのも、市中じゃ本来は禁止だろ。

 それに路面電車(トラム)って奴は、一回は乗っておきたかったからな」


「乗ったことがないのかよ、先輩」


「これが初だな。

 ……奈切(なきり)領じゃ整備も侭ならんし、伯道洲(はくどうしゅう)なら洲都(小幣)に配備されているのが精々だ。資財(カネ)も場所も必要だしなぁ、こんな贅沢設備は他洲(よそ)でも似たり寄ったりだと思うぜ」


 利便性が目に付く路面電車(トラム)だが、実のところ人の量や交通量に影響されやすく遅延しやすい一面も持っている。

 その上に収益を見込むならば、利用者の移動がある程度は固定されていることが前提となってくるからだ。

 この規模の交通手段を賄うには、如何に文明開化(いちじる)しい高天原(たかまがはら)であってもそれなりの大都市でないと不可能であった。


 それを理解しているからこそ、移動に(かこつ)けた観光が迅の本音である。

 苦笑いに過ごしながら二人。肩を並べて、傘を差した。


 ぱたぱたと軽く雨撃つ音。傘の油紙を伝って、水滴が地面に落ちる。


「……そういや奈切(なきり)領って、先輩の苗字と同じだよな。

 何か謂れでもあるのか?」


「応、それを訊くか。

 周囲の奴らは気を遣って、口にしないようにするのによ」


「悪い。

 訊いちゃ不味いことだったか」


 軽く返されたその言葉に、晶は内心で眉根を寄せた。

 雨月もそうだったが、華族は面子を重んじる傾向がある。


 ともすれば、それは血縁よりも優先される事例があるほどだ。

 その犠牲でもある晶にとって、迅の反応(軽さ)は意外なものでもあった。


「いんや別に。寧ろ、奈切(なきり)家じゃあ誇ってすらいる。

 ……単純な話だよ。元々、奈切(なきり)家は奈切(なきり)領の領主だったからだ」

 迅から告げられたその内容は、晶にとって衝撃のものだった。

 領主から一介の分家に身を落とす。それは、誰もが気を遣う醜聞の類でもあるからだ。

「400年前の内乱は知っているよな。その当時まで奈切(なきり)領は、壁樹洲(へきじゅしゅう)の所領だったんだ」


 高天原(たかまがはら)を割りかけた伯道洲(はくどうしゅう)壁樹洲(へきじゅしゅう)の内乱。丁度、4洲の中央に位置する奈切(なきり)領は、その主な戦場になった。

 事の顛末はさておき、内乱に()ける賠償の一環として奈切(なきり)領が伯道洲(はくどうしゅう)に移譲。その際に、弓削(ゆげ)家が奈切(なきり)領に転封される経緯を辿ったのだ。


「本来なら追放か断絶って瀬戸際なんだろうが、弓削(ゆげ)の分家に納まることで家名まで残して事を納めてくれた。

 だからこそ奈切(なきり)家は弓削(ゆげ)家に絶対の忠誠を誓っているし、一分家としてそれを誇りに思っている。

 もう一つ理由はあるが、まあ、それは良いだろうさ」


 軽い口調に秘められた感情は、それこそ誇りに満ちているようにさえ思える。

 八家である咲や諒太とも違う華族としての考え方に、暫く晶は目を奪われた。




「しっかしまぁ、華蓮(かれん)は群を抜いて都会だよな」


「海外との玄関口である鴨津(おうつ)も、かなり開発されていたけどな。

 流石にあそこまで洋装が主になったら、違和感しか残らないが」


「行ったことがあるのか?」


「つい先月に。

 発展ぶりだけならば華蓮(かれん)以上だが、俺としちゃあ洋装よりも着物の方が肌に馴染んでくれる」


 洋装の洒脱さは認めるが、着物にもそれなりの良さや愛着はある。

 鴨津(おうつ)では洒落た服装が多すぎて、流行に関してはどうにも迷走している意識が強かった。


 単純に、晶の洒落っ気が低かっただけの可能性も高いが、それは考えないようにしておく。

 晶の懐は相も変わらず寒いまま、服装に気を遣う余裕までは無いからだ。


懐古主義者(蛮カラ)め。もっと流行を見ろよ。

 まぁそれは、他洲の人間(俺たち)にも云えることだが」


「平民の俺が華族の流行(ハイカラァ)を語れる訳ないだろ。

 懐が幾ら在っても足りなくなる」


「そりゃあそうか」


 2人、肩を並べて、防人の羽織が濡れて(ひるがえ)った。

 他愛のない世間話に盛り上がる小雨の中、路面電車(トラム)を横目に守備隊総本部に続く大通りを(そぞ)ろ歩く。

 ――と、


「……先輩」


「後輩も感じたってことは、気の所為(せい)じゃないな」


 足の裏に伝わる、微細な振動(ゆれ)。小雨と蒸気の熱に(けぶ)る僅かな瘴気が、晶たちの歩みを止めた。

 ひりつくような焦燥感が、晶の腰を落として臨戦の姿勢を選ばせる。


「どこから?」


「さあな。

 雨に混じって瘴気の出所が読めん」


 苦く応える迅の視線も、瘴気の出所を探れずに宙を泳いだ。

 周囲の華族たちも感付き始めたのだろう。武装していないものたちが、狼狽えながら騒ぎ始めている。


 その呑気な醜態に晶は(いら)立ちを覚えるが、仕方も無いかと自身を慰めた。

 (ケガ)レの発生は瘴気溜まりの周辺に限定されているため、ただ(・・)人の生活圏で発生が確認されたことは無い。

 華蓮(かれん)でも都市中央で(ケガ)レの目撃例は少なく、平時であれば、(いぬ)や猫又などの小粒な穢獣(けもの)が偶に有るくらいが精々だ。


 それ故に、守備隊は華蓮(かれん)の外縁、それも龍脈に沿った侵入経路に沿って配備されるのが鉄則であった。

 都市内部の治安を維持するのは警邏隊の領分であり、こちらは当然にして(ケガ)レ相手の戦闘経験は圧倒的に低い。


 周囲の様子からしても、恐らく交戦に耐えうるのは晶たちだけだ。


 相手の場所が判らない、脅威も、数も。

 ――間違いなく、晶が周囲全てを護り切ることは叶わない。


 己の判断で仲間を失った記憶に、晶の足元が怯懦の感情で震えた。

 ちらりと視線を横に走らせる。緊張は残しているものの、それでも感情に余力を残しているだろう迅の姿が視界に映った。


 冷静なその態度に随分と救われて、晶の視線が定まる。

 深呼吸を幾度か繰り返すと、足の震えも治まってくれた。

 その時、


 ―――()()()


 耳に障る肢音(あしおと)が晶たちの背中で響く。

 振り向く二人の視界に飛び込んできたのは、轟音と共に路面電車(トラム)を串刺しにする槍のような黄色の多肢であった。


「「は!?」」


 覚悟はしていたものの、思わず二人の声が重なる。


 呆然とするなかで、蠢く肢が路面電車(トラム)を持ち上げた。

 砕け散った硝子を撒き散らし、(ひしゃ)げた車体が玩具の如く放り投げられる。


 華蓮(かれん)1区(心臓部)で見るとも思っていなかった現実味の無い光景に、二人は続く言葉を失った。


「流石、大都会華蓮(かれん)

 あんな化生も飼っているとは……」


「んな訳あるかっ」


 惚けた迅の呟きに晶が突っ込む。

 その隙を好機と見たか。雨の帳を貫いて、鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の赤黒い頭部が一直線に晶たちへと踊りかかった。


「「!!」」


 傘が二つ、無惨に喰い裂かれて宙を舞う。

 その主であった二人は、強化した脚力に任せて後方高くに跳ねて退いた。

 3丈3尺(約10メートル)の高さで泳いだ後、瓦を蹴立てて商家だろう店の屋根に着地する。


「無事か、後輩!」


「何とかな!」


 交差する声に、蹴立てる土煙の向こうから鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)が牙を剥く。

 乱杭に生えた牙を切っ先に、赤黒い槍と化した鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の頭部が晶の居た屋根に突き立った。


 飛び散る瓦と上がる悲鳴。それらを余所に、晶は地面へと飛び降りる。

 屋根の上だと足場が弱く、崩れ落ちる可能性があるからだ。

 同じ結論に達したのか、迅も地面に降り立ち蜈蚣を見上げた。


「後輩を狙っているみたいだが、知り合いか?」


「つい先日に、お仲間を浄滅したばっかりだよ。

 ……大蛇と云い、なんだろうな。俺って長蟲に好かれる体質なのか?」


何方(どちら)かといえば、根に持たれている方だと思うが」


 ―――疑散(ギチ)ッ! 戲血(ギチ)ッ!


 余裕が無いなりに軽口を交わす2人、応じるように鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の牙が軋んだ。

 見せつけるように開く牙に、毒液が糸を引く。


 明白(あからさま)な威嚇に、迅が晶の前に出た。

 下段に太刀(精霊器)を構えて、迎撃の姿勢を取る。


「何としてでも、俺が奴の顎を搗ち上げる。後輩は、頭を叩き落せ」


「応」


 昂る2人の戦意に応じたか、蜈蚣の頭部が赤黒い閃きとなって落ちてくる。

 高みから低みへ。高所の勢いをつけて迫りくる牙。

 明確な脅威に恐れもせずに、迅の刃が下から上へと斬り上がった。


 陣楼院流(じんろういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝――。


鮭颪(さけおろし)!」


 暴風を従えた精霊技(せいれいぎ)が、迅の振るった切っ先に沿って吹き荒れる。

 下から上へ。無形の槌が、蜈蚣の顎を正確に捉らえた。


 ―――疑ッ!!


 落ちる速度も相まってか、鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の苦鳴が口籠(くごも)るように牙の隙間から漏れる。

 落下する巨体が天へと仰け反る隙を突いて、赤煉瓦の壁を蹴った晶は蜈蚣よりも遥か高みに跳び上がった。


 腰から白刃が引き抜かれ、朱金の輝きが閃く軌跡を染める。

 溢れんばかりの精霊力が炎に換わり、消魂(けたたま)しく()く一閃が無防備な頭部を捉えた。


 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、止め技――石割鳶(いしわりとんび)


 防御も回避も考えず、最悪手とされる最上段の構えから放つ破壊の一撃。

 しかし、それだけに威力は折り紙つきでもある。


 如何なるものも爆砕の意思に沈めるそれが轟然と虚空を刻み、

 「!!??」


 鋭くも鈍い響きと共に圧し負けたのは、石割鳶(いしわりとんび)の方であった。

 轟音と共に炸裂する爆炎が硬質な蜈蚣の眼球を舐め、傷一つ負わせられないままに晶へと牙が向く。


 晶の石割鳶(いしわりとんび)は未熟であることは確かだ。阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)は疎か、輪堂(りんどう)咲に技量としても追いついていないのが現実である。

 ――だが莫大な精霊力が、その拙さを埋めて尚、余りある威力を引き出しているはず。


 滑りついた甲虫の外殻とはいえ、嵩が化生の護りを砕けなかったのは晶としても想定していない。

 蜈蚣の巨躯が晶の眼前を過ぎていき、振り抜かれる曳航肢が空中を泳ぐ晶の身体をさらに撥ね飛ばした。


「ぐうぅっっ」「無事か、後輩!?」


「何とか!」


 気遣う迅の声に、跳ね起きて晶は身構えた。

 循環する精霊力が晶の身体を癒し、たちどころに痛みが消える。


「威力自慢の火行を防ぐとか、鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)ってこんなに硬いのかよ」


「違う。前の奴はもっと柔かったし、先輩の一撃には敗けていた。

 此奴、別の硬さを持ってやがる!」


「その通り。これぞ我が神器(・・・・)御座(ござ)いますれば。

 現世の刃に砕ける道理は赦されておりませんよ」


「――誰だ!?」


 吐き捨てるように迅の言葉に応じた晶は、自然と差し挟まれたその声に鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の向こうを()み付けた。


 破壊された蒸気管から噴き上がる白い帳の向こうから、滲み出るように晶よりも大柄な老爺の姿が浮かび上がる。

 好々爺然としたその姿は晶の記憶に無いものであったが、相手にはあるのか迅よりも晶の方を注視しているようであった。


奇鳳院(くほういん)を撒けたと安心しておりましたが、ここで貴殿に遭うことになろうとは。

 ……さても珠門洲(しゅもんしゅう)の大神柱に捉えられていたのは、身共の方でありましたか」


 場に漂う緊迫を余所に、老爺が和やかに顎を擦る。

 その姿に記憶を探るが、晶には思い当たる節が無い。


「俺を知っているのか?」


「何を云っている、後輩。

 ……あいつが総隊長の万朶(ばんだ)だぞ」


あれが(・・・)?」

 面識のある迅の指摘に、晶の眉間に皺が寄った。

 事実、晶を排除するべく蠢動していた万朶(ばんだ)だが、間抜けなことに直に向かい合ったのは、これが初である。

 だがそれ以上に、解せない事実が晶の視界に映っていた。

「面をしているのに何で判るんだよ、先輩」


「面!?」


 晶にとって、そこに立つのは老爺の面をした黒衣の男。

 特徴の無いその立ち振る舞いは、それでも老爺のそれとは思えない。


 表情すら窺わせない。ぬらり(・・・)とした能面の奥から伸びる視線が、晶の視線と交差した。

 僅かの沈黙を経て、男の両肩が嘲りに揺れる。


「―――卑、非。想定はしていましたが、やはり貴殿にも通用しませんでしたか。

 如何にも。現世の因果を有するものを演じるが、我が九法宝典の権能なれば。

 想定よりも早くなりましたが、大神柱に捕らわれ貴殿と遭うは予定の通り。

 守備隊本部ではないことが心残りですが、ここに百鬼夜行の狼煙をあげましょうか!」


 哄笑する男の(さき)を断つように、鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)が牙を剥いて地を這い迫った。

 蜈蚣だけでも手に余っているのだ。形勢が一気に傾き、晶たちは別々に飛び退って蜈蚣の牙を遣り過ごす。


「先輩、防御は?」


陣楼院流(じんろういんりゅう)は速攻必中が身上だ。

 防御なんか考えちゃいねぇよ」


「御自慢の戦風(そよかぜ)があるだろ!」


質量差(おもさ)を考えろ。

 単体の猪程度なら兎も角、基本、あれは対人専売だ」


 使えねぇっ! 投げ捨てるような晶の台詞を無視して、迅は太刀(精霊器)を居合に構えた。

 それは、相手の懐に飛び込んで迎え撃つための姿勢である。本来の陣楼院流(じんろういんりゅう)ならば下策と云われているが、その距離こそが弓削(ゆげ)孤城(こじょう)を最強と足らしめている所以。


 防御を捨てて、至近の距離に活路と見出す。

 それが弓削(ゆげ)孤城(こじょう)の身上なれば、奈切迅(孤城の一番弟子)に辿れぬ道理も一切ない!


 刹那に溶ける彼我の間合い。大きく開かれた鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の口蓋目掛けて、迅の放つ一閃が叩き込まれた。

 陣楼院流(じんろういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――。


(なぎ)南風(はえ)!」


 口蓋の裏に風圧が直撃し、鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の進路が僅かに変わる。

 過ぎる蜈蚣の脇腹を限り限りに通り、(ひるがえ)る迅の白刃が蜈蚣の頸部に差し込まれた。

 陣楼院流(じんろういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)――。


白襲(しらがさね)!」


 鋭く研ぎ澄まされた疾風の斬撃。しかし、噴き上がる炎に圧し潰されて、迅の体躯ごと鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)から弾かれる。

 宙を舞う迅の身体が高層建築(ビルヂング)へと叩きつけられる直前、壁に足を置いて衝撃に耐えきった。


「くそっ! 手応えが水気じゃない。野郎、見た目は鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)だが火行だ」


 ―――戲邪(ギャ)ハハハハハッッ!!


 正鵠を射られた鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)が蝕むように嗤う。

 その胴体に目掛けて晶が燕牙(えんが)を放つが、黒い外殻に炎の飛斬は苦も無く阻まれた。


 相手の男も黙ってそれを見ていた訳ではない。ぬるり(・・・)と滑り込む歩法で間合いが詰められて、変哲もない刃が晶の脇腹に切っ先を向けた。


「身共を忘れてもらっても、困りますなぁ」「黙って見ていろよ、卑怯者!」


 刀の柄で切っ先を受け止め、返す刃で弾くように互いが距離を取る。

 嗤いながら飛び退った男の胸元から、晶の記憶にもある意匠の首飾りが零れるように姿を覗かせた。


「――その首飾り」


「おや、これはしたり。そう、貴殿は鴨津(おうつ)に足を運ばれていましたか」


「見た事があるぞ。確かそう、『導きの聖教』の意匠。

 お前、」


 核心を探ろうと揺れる晶の視線を誤魔化すように嗤いながら、男は呪符を持った左の掌を晶に向けた。

 人差し指と中指だけを立てて剣指を象り、斬るように虚空をなぞる。


「然り、漸くに邂逅が叶いましたな。

 身共が演出いたしました波国(ヴァンスイール)との戦興行、(たの)しんでいただけたでしょうか」


神父(ぱどれ)か!!」


 嘲る声に追い打たれ、晶の記憶が正答に結ばれた。

 『アリアドネ聖教』を唆し、一度も姿を見せることなく逃げ果せた正体不明の男。


 万朶(ばんだ)の面の奥で、男の口元が三日月に刻まれる。

 嘲笑の気配に囚われた晶は残炎を足元に刻み、その懐深くに踏み込もうとした。


「―――卑、卑。

 貴殿と遊びたいのは山々ですが、此処(ここ)では少しばかり間が悪い。

 故に、万朶(ばんだ)どのに協力を願いましょう」


 嗤う声と共に神父(ぱどれ)の手を離れた呪符が、迅を狙い虚空を裂いた。


 飛翔する呪符の先から回避した迅の後を追うように、爆炎が幾重にも追い縋る。

 幾度かの炎が爆ぜては消えて。迅と鎧蜈蚣(ヨロイムカデ)の距離が充分に開いたのを見て取り、神父(ぱどれ)は一際に大きな呪符をその中程に投げつけた。


 赤黒く瘴気の炎が燃え立ち、その奥から筋骨が隆々と盛り上がる巨腕が()り出す。

 次いで、鍛え抜かれた巨躯にそれを支える足。


「此れなるは鬼道(グィタオ)の呪法、鬼種招来。

 身共の技量では2体が限界に御座(ござ)いますが、そこの方を相手取っての足止め程度なら充分でしょうな」


 ―――()()、アァァアッッッ!!


 術に呼び寄せられた大鬼(オニ)が二体、瘴気の炎が消え去ると同時に嚇怒を吼えた。

 晶が大鬼(オニ)を目の当たりにしたのは百鬼夜行の際。その脅威は記憶に鮮烈で、身に染みている。


 一歩、気圧される晶に向けて、覚悟を決めた迅の声が飛んだ。


「――済まん後輩。

 暫くの時間稼ぎを(たの)めるか?」


「ああ」


 晶とも神父(ぱどれ)とも等しく距離を開けられて、何方(どちら)に足を向けるにしても邪魔になるのは大鬼(オニ)の存在だ。

 今の迅に選び得るのは、出来るだけ早急に大鬼(オニ)を討滅する可能性だけである。

 その事実を理解して、返す晶の決意も跳ねるほどに早かった。


「有難うよ。

 ……礼の代わりだ、良いものを見せてやる」

 返す声もそこそこに、迅は虚空に手を差し伸べた。

ぱどれ(・・・)と云ったな。

 (奈切迅)を前に鬼が2体で充分なんざ、随分と無礼(なめ)た悪手を指してくれた」


 (こいねが)う呟きは短く、迅は己の中に納刀(おさ)められた柄を握る。


 ――それは奈切(なきり)の地、千年の結晶。死して尚、大鬼(オニ)に一太刀刻まんと、抗いのものたちが願った歴史の精髄。


「――一太刀、(つかまつ)(そうろう)、」


 声と同時に爆風が奔り抜け、大鬼(オニ)が二体纏めて通りの向こうへと殴り飛ばされた。

 莫大な精霊力が熱量に換わり、降り頻る雨を蒸発させて視界を白く染める。


 奪われる視界。しかし、続く剛風が満ちる蒸気ごと虚空を上下に断ち切った。


 斬るとは無縁の武骨な刃金が、それでも鋭く虚空を踊る。

 その柄を握った迅は、自身の血脈に宿るその銘を高らかに名乗って見せた。


「――百鬼丸(なきりまる)

TIPS:止め技について。

 奧伝に到れない中位精霊の防人たちが、奧伝並みの威力を求めようとした結果、生まれた精霊技(せいれいぎ)

 力無きものが上位のものに抗うための技。


 ……と云えば、非常に格好が良い。


 実際は、威力に威力をぶち込んだら俺的最強技の完成! と非常に頭の悪。もとい、思い切った発想の元で創られたものが大半。


 取り敢えず威力を求めた結果の精霊技(せいれいぎ)であり、溜めも必要だし発動も遅い。

 但し、中伝程度の難易度で威力は奧伝並みにある。浪漫砲というヤツである。


 ……奧伝が行使できるのに、行使するやつもかなり多い。だって派手だし格好良いし。


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[良い点] ロマン砲使うのは仕方ない。浪漫があるからね。。 [一言] 先輩頼りになるけど、戦力的には嗣穂様にも来て欲しいところ。ただ守備隊本部に向かってるんだよなぁ。あかさまの方針はこのまま晶くんだけ…
[良い点] 百鬼丸!格好いい [一言] ここで神父にまで繋がるのかあ
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