4話 不穏を食みて、生きどまる1
――状況が動いたのは、晶が襲撃に会った翌日の事であった。
「……つまり、華蓮に伯道洲の手を潜ませていることは、儂らも証拠を掴んでおる訳です。
言い逃れは利きませんぞ、弓削どの」
「――ふむ」
昼にはやや早い頃。孤城たちの元へと強引に押し掛けてきた万朶は、卓を挟んで孤城たちと向かい合っていた。
得意気に言葉を募らせる万朶を前に、弓削孤城は表情も変えずに腕を組む。
――表情からは理解し辛いが、師匠も状況を掴むのに内心必死だな。
などと、これまた表情を変えずに、孤城の後方に控えた迅は薄く思考を巡らせた。
黒幕が接触してくるとは思っていたが、それは使者を立てて間接的に迅を呼び出すだろうと想定した上の事である。
――一晩跨いだだけの朝一番で、当の御本人が乗り込んでくるとは間抜けにも程があるだろう。
事情を理解している迅も我関せずの姿勢を決め込んでいたが、万朶の寄越す意味ありげな視線に苛立ちが隠し切れなくもなっていた。
最低限の面通し程度はしていたのだろう、的確に迅を狙っている。
……それだけは評価してやる。
苛立つ感情を宥めるために、迅は的外れな思考に集中した。
「――私の弟子が何か?」
「いや、何。この件に関して、弟子どのには心当たりが有る御様子。
是非とも、お話を聴かせていただきたいのですが」
万朶の視線に気付いたのか、指摘から返る応えに孤城が迅へと視線を向ける。
「そうなのか? 迅」
「――いえ。心当たりはありませんが」
「何を白々しい。
昨日、儂の手のものが貴殿に撃退されたと、報告を受けておるのだ。
面相も確認しておる。この期に及んで無関係を主張するのは、幾ら何でも無理があるというものだろう!」
空惚ける迅の応えに万朶の語調に熱が入る。
……迅たちから見れば明白に空回りしている万朶の勢いに、孤城も辟易してきたのか、何処か投げやりに迅へと問いを投げた。
「――だ、そうだが?」
「と云われましても。
……あぁ、そうだ。昨日と云えば、平民の子供を悪漢から助けました」
「……報告は聞いていないが」
「すみません、師匠。
真逆、破落戸を痛めつけた程度で、飼い主が乗り込んでくるとも思っていなかったので。
万朶さまの子飼いでしたか、随分な弱卒揃いでした」
「貴様……っ!!」
嘲りも混ぜた迅の応えに万朶は席を立ちかけるが、孤城の鋭い視線に気圧され渋々と長椅子に腰を戻した。
この時点で万朶は、洲都の治安を与る警邏隊と交渉権を持つ洲議の領分を大幅に侵している。
当人からすれば非公式の会談を気取った心算であろうが、現実を見れば何の予定も組むことなく孤城の元へと押しかけた形をとっているのだ。
本来ならば叩き返されていても文句は出ない。しかし、守備隊総隊長の肩書がその無理を押し通していた。
――だが、無理を通した上で他洲の使者に暴言を吐くのであるならば、間違いなく奇鳳院にも話が上がってしまう。
その事実に辛うじて理性が勝ったか、万朶は迅を睨みつけるだけに留まった。
「確かに、私の弟子も軽率であった事は詫びよう。
――それで、本題はそれだけかな?」
「……いいえ。伯道洲が飼っている間者のうちに、玄生と云う老人がいるはずです。
それを、儂らに引き渡していただきたい」
「先ず、伯道洲は間者を送り込んでいない。
その上で断言させてもらうが、私は玄生と云う者を知らないが?」
非公式とはいえ、間者を他洲に向けているなどと云う事実を断言できる訳がない。
その部分に断りを入れつつ、孤城は真実を口にした。
知らないものは知らないのだ。孤城としてもそう口にするしかないのだが、都合の良さを求める万朶には孤城が真実を隠そうとしているように映ったようである。
「儂らは以前から、玄生が他洲の間者であるとして追っておりました。隠し立てすると後悔しますぞ」
「と云われましても、知らぬとしか応えられませんな。
存在しないものを引き渡せとは、随分と無茶を云ってくれる」
「くっ……!!」
結果として暖簾に腕押しの応酬に埒が明かないとみたか、肩を怒らせて万朶は席を立つ。
立つ跡を濁す罵声もそこそこに、礼節を欠くほどに足取りも荒く孤城の前を辞去した。
台風一過。扉の向こうから人の気配が消えた後、静けさだけが残る室内で孤城は迅を睨みつけた。
「それで、実際のところはどうなんだ?」
「俺は無関係ですよ。昨日、後輩が破落戸に囲まれているところを見まして、手助けを一つ。
万朶さまが探しているのが老人ならば、あいつも間違いにあったかと」
「後輩? ……あぁ、晶くんか。
確かにそれなら無関係か。何を間違えたら子供と老人を見間違うのか、よく理解できないが」
迅の応えにも、今一つ状況が見えてこない。
沈思黙考に暫し耽るが、そもそも繋ぎ合わせるべき情報が全くないのだ。
「――奇鳳院さまに問い合わせを掛けるとしよう。
痛くも無い肚を探られるだろうが、理性で会話をしてくれる分には、万朶どのを相手にするよりかはマシだろう」
「分かりました、向こうに予定を訊いておきます。
しかし一昨日に会った時も思いましたが、あれに守備隊の総隊長が務まっているんですかね?
正直、組織の長に置くとしても品性に欠けると思いますが」
歯に衣着せぬ迅の物言いに、孤城としても苦笑が隠せなかった。
万朶への評価としては同意できるが、他洲への批判ともとられかねない危険なものだ。
「優秀なものよりも凡人を長に据えている方が組織にとって都合が良い場合と云うのは、何処であっても何時であっても良くある事さ。
……とはいえ、確かに変だな」
「?」
首を傾げながら孤城は立ち上がった。万朶の騒動に余計な時間がとられたが、実のところ、孤城としても暇を持て余す時間などない。
この後は、珠門洲と伯道洲を結んでいる商家連中との会食も控えているし、華蓮に住む陣楼院流の師範たちとの意見交換にも出向かなければならないからだ。
伯道洲に所属する衛士であることを示す羽織を翻す。
背中に白抜きで染められた弓削の家紋が揺れ、更にその後ろを奈切迅が続いた。
「凡人の方が都合良いのは、黙って座ってくれている間だ。
――燥ぎ始めてくれたら、その限りじゃない。奇鳳院さまも黙ってみているとは思えないというだけだよ」
――――――――――――――――――――
奇鳳院紫苑は、呼び出した相手に執務室の長椅子を勧めていた。
好々爺然と礼を述べながら、矍鑠とした矮躯の老人が椅子に腰を下ろす。
「おぉ、おぉ。ありがとうございます、紫苑さま。
恥ずかしながら、この年齢ともなれば立つだけでも億劫に御座いましてなぁ」
「ええ。私の方こそ、呼び立ててしまって御免なさい。華蓮に赴いていると聴いたので、丁度いい機会だと思ったのよ。
最後に会ったには10年前だったかしら、
――万朶翁」
記憶を探る紫苑の問いかけに、万朶本統を掌握する万朶定国は皺に埋もれた口元を思案気に擦って見せた。
「左様ですなぁ。
央洲を結ぶ街道を通す会合に出席したことが最後でしたから、それぐらいにはなりますか。
――いやはや、あの頃は儂も血気盛んに御座いました。稚気た醜態を晒した記憶しか残っていませんが」
「ふふ。私も奇鳳院の当主に就いたばかりで、背伸びをしたがる年齢でした。
今、思い返せば、お恥ずかしい限りですね」
「いやいや。嗣穂さまの聡明さ、紫苑さまとも瓜二つと遠く我が領にも轟いておりますれば、
――珠門洲、曳いては奇鳳院の繁栄はここに極まれりと、儂も確信しております」
正直、10年前と立場は疎か容姿も変わっていない定国から稚気たと云われても戸惑いしか残らないが、それを噯にも出さずに紫苑は肯いだけを返した。
万朶家は、央洲と壁樹洲の領境にある小領を統べる領家である。表向きは古いだけの特徴を持たない家系であるが、その実態は高天原に跨る影働きの中枢であった。
その歴史の長さに任せて、万朶の家系は姓を変え、出身までも改竄して珠門洲のありとあらゆる組織へと浸透している。
その規模は当の万朶家ですら把握できておらず、実質的な排除は不可能であろうと紫苑は認識していた。
昨今は諜報のお株を公安に奪われたことで凋落も久しかったが、それでも隠然とした組織力には些かの翳りも見せていない。
決して表に浮かばない、水底に降り積もる澱の家系。だからこそ万朶家は厄介で、
――粗も多いのだ。
「さて、四方山話は尽きませんが、本題に入らせていただきましょうか。
華蓮守備隊総隊長の万朶鹿之丞、知っていますね?」
「ふむ。ご存じの通り、万朶家は広く人材を供する事で生き残ってきた家系に御座います。
万朶の名を負うものもそれなりに居りますれば、そのものと指されても思い出すには時間が……」
「惚けずとも結構。万朶翁が随分と肩入れしていることは私も知っています。
――ここ最近も、幾許かの私財を放り込んでやったことも含めて、此方は掴んでいますよ」
跳ねるように返る紫苑の追及に、定国は息を吐いて顎を擦る。
髭も見えない皺だらけの感触だけが、老人の指先に残った。
奇鳳院紫苑にどれだけの情報が渡っているのかは確信が持てなかったが、万朶鹿之丞には洲議への出馬を期待して金子を都合した記憶もある。
嘘の吐けない奇鳳院の断言である。間違いなく、証拠も含めて確信を持たれているだろう。
「参りましたな。
……儂の甥にその名前があることは、記憶に御座います。
特に問題が無いと思っておりましたが、奴めが何か?」
「という事は、詳報は届いていないのですね。
此方に使者として訪れている弓削孤城どのより、苦情が寄せられました。
――どうにも間者との繋がりを疑われたようで、乗り込んでこられたとか」
老人からの探る視線を、真意を覗かせない紫苑の笑みが迎え撃った。
愚図が。
口の中で、この場にいない甥に向けて悪罵を吐く。
金子賄いのために追っていた人物が、伯道洲の間者である確信を得たという報告とも一致している。間違いは無いだろうと、渋々に肯いを返した。
「……確か玄生と云う老人と伯道洲の繋がりに、確信を得たとまでは聴いております。
万朶家としても奇鳳院に示せる忠義の証。存分に功を献じさせたく、奴めの背中を叩きましたな」
「万朶の耳目も鈍りましたね。
――先ず、玄生に関しては私の知己でもあります。
その上で客観的な事実として断言しますが、相手は伯道洲と何ら関りを持っていません」
「馬鹿な。複数の報告で、伯道洲との密談を確認したと。
奇鳳院に不義を働いたという事実が此方に御座います!」
「密談を交わしていたのなら、沈黙を図った方が早い。
弓削孤城が堂々と此方に苦情と出した以上、その可能性は低いでしょう」
「…………左様ですか」
奇鳳院の意向は崩れない。断言を受けてあまり期待もしていなかったが、潮時と見て定国は玄生の身柄を諦める事を決意した。
高位の回生符が書けるとは云え、老爺の身柄一つに拘って奇鳳院に脇腹を突かれるのも面白くないからだ。
「それと、ここ最近に上がってくる万朶鹿之丞の評定には、翳りも著しい。
老境の身に守備隊の長は余るでしょう。
……そろそろ年齢のようですので、引退を勧めたらいかが?」
「――仕方ありませんな。
鹿之丞に身辺の整理を命じておきましょう」
「結構。
過怠なく進退を納めれば、万朶の忠義を検める意向はありません」
「は。奇鳳院の御恩情、肝に確と命じます」
万朶鹿之丞以上の年齢に達している定国は、その言葉の裏に潜んでいる自身の進退への強烈な皮肉を気付かないふりで遣り過ごす。
とは云え、完全に無視も出来る訳がなく、皺だらけの拳が僅かだけ感情的に震えた。
「――全く。図体が大きいだけの過去の遺物が、利権欲しさに勝手を仕出かしてくれるわね」
「お疲れ様でございました」
万朶定国が執務室を辞去した後、嘆息混じりに紫苑は自身の椅子に深く背中を預けた。
革張りの背もたれが軋み、その眼の前に焙じ茶が置かれる。
側役の淹れてくれたそれを一口だけ含む。香ばしい旨味を含んだ熱が胃腑に流れ落ち、気鬱な会談の疲れを癒してくれた。
「まあこれで、万朶の排除は名目が立ったでしょう。
公安主導で警邏隊を動かしてちょうだい。適当な犯罪に免罪をちらつかせれば、老後の金子惜しさに引退も受け入れるでしょうね」
「応じなければ?」
「老後の心配しか出来ないような生活しか残らないわ」
「それでも退かない場合もありますが」
陰りが落ちる手元に、窓の外へと視線を向ける。
何時の間にか雲が広がり厚みが重なり、風に湿り気が含み始めていることに気が付いた。
「――その時は、老後の心配もする必要が無くなるわね」
言外に無情な判断を下しつつ、紫苑には言葉にできない気がかりもある。
……万朶の評価を検めると、ここ数年での劣化が著しいのだ。
特に洲議への転向に色目を向け始めた頃から、言動の乱高下が激し過ぎる。
それはまるで万朶が二人はいないと説明がつかないほどに、周囲の評価は両極端に分かれていた。
「取り敢えず、万朶の身柄を最優先に。
――家探しで、何か手掛かりを掴めると期待しましょう」
「畏まりました。
予定ではもう直ぐ、嗣穂さまが中央駅に到着されるはずです。
送迎の車は、」
「そうね、丁度良いわ。此方に戻る前に、公安に合流させてちょうだい。
――万朶の捕縛をあの娘に委ねましょう」
一通りの指示を終えて、紫苑は深く嘆息を吐いた。
背もたれに身体を委ねて思考を緩めるが、どうにも気がかりが晴れない。
順当に相手の退路は詰めた。万朶自身は実力にも頼りない小物でしかなく、この程度は片手間に下している判断と然程に違いは無い。
……そうである筈なのに、紫苑の胸を曇らせるのは、重苦しく押し寄せる高波のうねりに似た予兆であった。
――――――――――――――――――――
「――という訳で、万朶に俺たちを構うだけの余力は残っていない筈だぞ」
「はあ……」
曇天が更に重みを増して、吹き付ける風に肌が湿り気を覚え始める夕刻の手前。
その一報を携えた迅が守備隊の屯所に姿を見せたのは、一足早く晶が遅番の支度をしている最中であった。
昨日の今日。しかも与り知らない場所で問題が終わったことに実感も湧かず、生返事で相手に返す。
「何だよ。随分と不満そうだな」
「不満って云うか、随分とあっさり終わったなとしか」
「それだよな。
……全く。もう少し手間取ってくれても良いのによ」
「は?」「いや、こっちの話」
結局、天領学院への帰還を先延ばしにする目論見が不意になってしまい、思わず零れる本音を慌てて迅は誤魔化した。
「万朶って、華蓮守備隊の総隊長どのだよな……。
――何で、俺を?」
「いや、後輩は無関係だろ。
追っていたのは、玄生の方」
「ああ、そうだった」
玄生と晶が同一人物であると、迅が知らないことに思い至る。
努めて平坦な口調を保った晶は、横目で新しくできた友人を眇め見た。
「玄生を追っていた理由は、そいつが伯道洲の間者だって疑いを掛けたかららしい。
どうにも聴く分には、俺と後輩が一緒にいたってのが根拠らしいが」
「おかしいだろ、それ。
俺と先輩が一緒にいたのは追われていた後だ。……順番が逆だぞ」
渋い表情のまま、迅は晶の指摘に肯いを返した。
孤城の手前、明白にはできなかったが、迅も当然に気付いた疑問である。
「……玄生の身柄を押さえる理由をこじつける為に、伯道洲は出汁に使われたってことだ。
つまり相当に後ろ暗い理由で、万朶は相手を捕らえたいって事だな」
「後ろ暗い?」
「誘拐とか、拷問とか。玄生って爺さん、どうやらかなりの人気者らしいな。
知っている相手か?」
当人です。等と軽口を叩ける状況でもなく、晶は肩を竦めて返事と返した。
「だよな。まぁ、万朶の捕縛は今日の夜だそうだ。
師匠と阿僧祇どのは、それの検分に1区へ駆り出されている。
――俺が阿僧祇どのの代行でこっちに来たのは、それが理由だよ」
「伯道洲の使者なのに、随分と便利に使われているよな。
後で問題になりそうだけど?」
「師匠もそれ込みで動いている、その辺りは気にするな」
「そんなもんか」
軽く応酬を交わし、晶は迅と連れ立って屯所の表に出た。
その視線の先で、新倉が複雑そうな表情を浮かべている事に気付く。
「新倉副長、如何されましたか?」
「晶くん。今し方、守備隊総本部より防人の協力要請が来ました。
急ぎ、1区にある総本部に向かってもらえますか」
「……総本部に出向くなら、副長の方が適任では?」
至極真っ当な晶の反応に、新倉は眉間に指を当てた。
彼本人としても忸怩たる思いはあるのだろう。至極当然な晶の返答に納得の様子を見せたが、それでも言葉を変えることは無かった。
「そうしたいですが、巡回任務とはいえ歴とした作戦行動。
他の防人は出払っていますし、若輩の晶くんに現場を委ねる訳にはいきません。
総本部には弓削さまが居られるはず。奈切殿も指示を仰ぐなら、総本部に向かった方が納まりも良いでしょう」
与えられた指示に、二人は横目で視線を交わす。
しかし断る理由も無い。深く考えることなく、晶と迅は揃って新倉の指示に肯いを返した。
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