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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
三章 巡礼双逢篇
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2話 他者に問う、知らぬと問う2

「――驚いたよ。孤城(こじょう)との再会は、早くても3ヶ月後だろうと思っていたんだがなあ。

 何時、此方(こちら)に?」


 自分の椅子に腰を下ろし、対面の席を孤城(こじょう)に勧めながら厳次(げんじ)は口を開いた。


 日に焼けた書類の束を脇に寄せて、薬缶(やかん)の水を湯呑に注ぐ。

 勧められるままにその水を一口頬に含み、弓削(ゆげ)孤城(こじょう)は薄く微笑みだけを返した。


「昨日だよ。

 華蓮(かれん)へは、奇鳳院(くほういん)当主さまへの時候の挨拶に使者として訪れたんだ。

 私の隣に立つ御仁は探りを入れたいだろうが、滸さまから(たの)まれたものは書状一つでね。裏も表も無いよ」


「隣、ね。

 お前とも顔を見せるのは久しぶりだな、元高。

 警邏隊に入隊したと風の噂で聴いていたが、洲の要人を送迎する立場になっていたとは初耳だぞ。

 云ってくれりゃあ、祝い言の一つも贈れたのによ」


 孤城(こじょう)の応えに厳次(げんじ)は、孤城(こじょう)の斜め後ろに立つ武藤元高をじろりと()めつける。


 華蓮(かれん)にある上級高等学校で共に学んだ仲間である。青春の酸いも甘いも分かち合ったのに水臭いと言外に非難を混ぜるが、捉えどころのない笑みを浮かべた相手は軽く肩を竦めて返答とした。


「旧来の友人へ白湯を(すす)める奴に、か?

 そこの棚に置いているのはなんだ」


「――()れてもいいが、後の責任は持たんぞ」


「? 毒という訳でもないだろ」


「腹痛に瘴気毒の一時凌ぎ。とりあえず効能は保証してやる。

 ……何よりも、嫌な客には能く効くんだこれが」


 にやりと笑って見せた厳次(げんじ)に、得たりとばかりに孤城(こじょう)が微笑みを返す。


「――ああ、千振(せんぶり)か。確かに効きそうだ」


 千振(せんぶり)は広く一般に流通する薬湯だが、毒物と誤認するほど非常に苦いことでも知られている。

 今度、試してみようと笑う孤城(こじょう)を余所目に、呆れた武藤は話題を本筋に戻した。


「そう云えば聞いたぞ、厳次(げんじ)万朶(ばんだ)総隊長殿と、随分、遣り合っているらしいじゃないか」


「俺だけって訳でもないがね。

 ま、反りが合わんのはお互い様だが、ここ最近は特に、な」


 竹を割ったと評するに相応しい厳次(げんじ)の性格で、ここまで言葉を濁らせるなら相当なのだろう。

 厳次(げんじ)と対面する二人はその心情を(おもんぱか)り、苦笑を浮かべた。


「……みたいだね。

 実は、顔見せは昨日にする心算(つもり)だったんだが、万朶(ばんだ)殿の勘気が少々粗くてね。

 足を運ぶのを一日遅らせたんだ」


「賢明だな」


 万朶(ばんだ)から飛ぶ厳次(げんじ)に対する流言が明後日の方向へと向いている辺り、根も葉もないものを捏ねくり出したと見るべきだろう。


 白湯を呑み干して、薬缶(やかん)から更に水を注ぐ。

 本部で万朶(ばんだ)が何を振り撒いているのか薄々は厳次(げんじ)も理解していたが、直接の影響も無いだろうと放置していたのだ。


 だが、根拠のない噂であろうと、繰り返せば根も葉も育つ。

 いきなり空中から生まれた失態が厳次(げんじ)の評価に影を落としている事は、第8守備隊の中でも問題ともなっていた。


「……で? あれが件の、防人擬きか?」


「その云い様は止めておけよ。

 やんごとないお方が後見に立っておられる、温厚な方だが、この件に関しては随分と神経質だ」


 親指で道場を指す武藤に、厳次(げんじ)は渋面で首肯を返した。


 2ヶ月前に起きた百鬼夜行の際、衛士でも有り得ないほどの大功を収めたことで認められた、平民出身の見做し防人。


 功の詳細は伏せられていたが、この件で万朶(ばんだ)の評価も地に落ちた辺り、万朶(ばんだ)の勘気とも無関係ではないだろう。

 とは云え、少しでも情報は欲しいのか、今度は孤城(こじょう)が身を乗り出した。


「ほう。相手をお訊きしても?」


「……輪堂(りんどう)家だ。それも、当主直々に此方へ乗り込んで宣言してくれた。

 百鬼夜行の2日後にはお膳立てを全て終えて、三女を後ろに就ける程度には入れ上げている」


輪堂(りんどう)の御当主殿が?

 ……随分と珍しいな」


「ああ。それも、かなりの強勢で望まれたようだな」


 行動の早さと手の早さから考えても、輪堂(りんどう)孝三郎(こうざぶろう)の性格ではない。最初に行動した相手から考えても黒幕は奇鳳院(くほういん)だが、他洲の使者を前に厳次(げんじ)はその事実を口にすることは(はばか)られた。


 結局、口にできたのは表向きの後見だ。それでも過分すぎるほどに高位の華族(家名)は、充分な説得力を相手に与えたようである。


「成程、訳ありか」


 八家の、それも出不精で有名な相手が動くのだ、相応の理由があっての事かと勘繰りたくもなる。

 下世話に考えれば、妾腹の一粒種(隠し子)とかも想像してしまうのだが……。


「「無いな」」


 不謹慎にも二人の呟きが重なり、同時に苦笑を交わした。

 厳次(げんじ)は旧来の知人、孤城(こじょう)としても同じ八家当主。何方(どちら)も良く見知った間柄である。

 性格から考えても家族間の仲から考えても、輪堂(りんどう)孝三郎(こうざぶろう)の行いとも思えない。


 腕を組んで思考に耽る孤城(こじょう)を相手に、厳次(げんじ)は湯吞を干して机に置いた。


「まあ、百鬼夜行の手間を随分と削ってくれたからな。防人の後見程度は安いものと考えてくれたんだろう。

 ――孤城(こじょう)どのには手間を掛けて貰ったな」


「手合わせは横紙とも思ったのだがね、待つだけに時間を持て余すよりはと出しゃばらせて貰った。その様子だと、やはり厳次(げんじ)も気付いていたようだね」


 眉間に皺を寄せた厳次(げんじ)は、無言で肯定と返す。


 早朝に行われる修練での素振りを見て、その太刀筋に影が生まれている事は理解していた。

 そのままにすれば、修練とは名ばかりに力量が腐りかねない危険性も。


 だが、厳次(げんじ)の立ち位置は晶と近すぎる。

 矯正は容易いが、その場限りで御座(おざ)なりに流される可能性も捨てきれないのが現状であった。


 厳次(げんじ)以外の師範(相手)と手合わせすることで矯正するのが一般的なのだが、昨日今日で手配できる訳もない。

 横からの差し出口とは云え、孤城(こじょう)の行いは渡りに船であったのは事実である。


「……原因は判っているんだ。

 昨日は防人として初めて指揮も任せたが、あれの指揮下で1人犠牲が出てな」


「防人に被害が?」


「いや、練兵だ」


「それは……、随分と甘すぎるだろう。

 練兵の犠牲程度で落ち込まれたら、この後が続かんぞ」


 武藤が上げた言葉は、常識で考えれば当然のものであった。


 防人だろうが、畢竟、人間という事実には変わりがないのだ。

 口減らしの意味も兼ねている練兵の死傷一つに気持ちを持って行ったら、その重みで直ぐに潰れてしまう。


 最低限、練兵の死傷を数字と認識できるようにならなければ、守備隊などやっていけるはずも無い。


「そう云わんでくれ。

 俺も忘れがちになるが、晶は防人になって未だ2カ月だ。

 その前は練兵で、……死んだのは昔馴染みの仲間だ。

 流石にそこは責めれんよ」


「ああ、そうか。それは……、侭ならんなぁ」


 晶の前歴を指摘され、武藤は天井を見上げた。


 一人の失態が生死に繋がる守備隊では、正規兵でも練兵でも横の結束や帰属意識が強くなるのは当然だ。

 晶が防人になったとしても、既に在った連帯感を変えるのが非常に難しいのは予想に容易い。


 慨嘆は既に吐き尽くした。これ以上無いと手を振って、厳次(げんじ)は強引に話題を変えた。


「まあ、其処は良い。時間が解決してくれる。

 ――それで、手合わせの評価を聞かせてくれるか」


「そちらも色々と疑問だな。

 晶くんの出身は何処か訊いても?」


國天洲(こくてんしゅう)だとは聴いているが、ああ、やはり気付いていたか」


 当然だろうと、孤城(こじょう)は肯いで返した。


 高天原(たかまがはら)最強という触れ込みには、やはり手合わせを望む(たぐ)いも殺到するものだ。


 厳次(げんじ)の目の前に座る男は、高天原(たかまがはら)の史上でも指折りに他流試合の経験がある。

 ……当然、晶の身体の動かし方にも気付いたはず。


「……基礎には玻璃院流(はりいんりゅう)の気配を感じた。

 運体法は義王院流(ぎおういんりゅう)。最近の癖として感じたのが奇鳳院流(くほういんりゅう)、……これは厳次(げんじ)だな。

 修練に明け暮れているのは判るが、随分と纏まりが無い。

 ――悪いとは思ったが、手合わせで矯正を入れさせてもらった」


「いや助かった。あのままじゃあ、実力も底止まりなのは見えていたからな。俺も強引に剛の太刀を教えた手前、どうしたものか悩んでいた」


 5つある門閥流派は各々が五行の精霊技(せいれいぎ)に照応し、その行使に特化されるよう構成されている。


 晶は火行に属しており、当然、奇鳳院流(くほういんりゅう)に集中させるのが正道とも云えるが――。


「一応、厳次(げんじ)の太刀回りに合わせておいたが、剛に傾倒し過ぎるのはお前の悪い癖だぞ。

 それでは厳次(げんじ)の後に続くものがいなくなる。晶くんの背丈を見れば、もう少し柔に目を向けさせるべきだ」


「理解しちゃあいるんだが、これが中々に難しい。

 晶と同じ年齢で同じ技量辺りの防人を当てるのが手っ取り早いんだが、周囲には候補もいなくてなぁ」


 現在、万朶(ばんだ)との悶着が絶えない厳次(げんじ)である。周囲で奇鳳院流(くほういんりゅう)を教えている道場も、付き合いを避けている節があった。


 晶にしても大事な時期だが、付き合いを強要する訳にもいかない。

 細かい所であるが、厳次(げんじ)の悩みは尽きるところを見せなかった。


 腕組みに悩む厳次(げんじ)を見て、悪戯を思いついたように孤城(こじょう)が微笑んだ。


「仕方がない。友人の悩み、私が一肌脱ごう」


「うん?」


「奇縁だが、弟子を華蓮(かれん)に同道させていてね。一週間程度だが、此方に滞在させている間は肩を並べさせてみよう。

 ――手合わせの感触からして、力量は大方に比肩しているとみているが」


 その言葉に、厳次(げんじ)は瞼を瞬かせた。

 あまり気に掛けていなかったが、孤城(こじょう)の後ろを若い防人が付き従っている記憶が脳裏に過ぎる。


「そりゃあ、有り難いが。

 ……良いのか?」


 厳次(げんじ)もそうだが、他の門閥流派との交流は避ける傾向が強い。

 高天原(たかまがはら)最強の看板を背負う孤城(こじょう)ならば、特にそういった(しがらみ)も強いはずだが……。


「問題ない。……実は私の弟子も伸び悩んでいてね。

 どうやら、天領(てんりょう)学院に入学してきた後輩が英傑揃いらしい。

 腐るよりはと私の仕事に付き合わせていたんだが、どうにも学院に戻りたがらない」


「ああ、俺の耳にも及んでいた。『久我(くが)の神童』とは顔も合わせたが、

 ……『北辺の至宝』だったか? 随分な二つ名が幅を利かせていたな」


 それだ。咽喉(のど)で笑いを堪えながら、孤城(こじょう)は肯いを返した。

 上には上がいるとは云え、手が届かなければ、下しか見なくなるのも又、道理である。


「相手は何方(どちら)も八家の直系だと説得したのだがね。

 あの子も弓削(ゆげ)の分家筋では主家に近い家系だ、如何にも納得をしたがらない。

 晶くんと切磋琢磨してくれれば、此方としても助かる」


「そういう事なら、有り難く頼らせて貰おうか。

 顔合わせは…………」


 どおんっ! 孤城(こじょう)の提案に厳次(げんじ)が首肯すると同時に、精霊力のうねりを伴った衝撃が事務所の引き戸を粗く叩いた。


 すわ襲撃かと、事務室に居た全員が引き戸に駆け寄る。


 引き戸の硝子窓越しに外を覗くと、道場の外では砂に塗れた晶が握り締めた木刀片手に立ち上がるところであった。


 晶が()みつける道場の入り口から、羽織を(ひるがえ)した防人の少年が悠然とした足取りで姿を見せる。

 その光景に、弓削(ゆげ)孤城(こじょう)が額に掌を当てた。


「……する必要が無くなったようだね。彼が私の弟子で、名前を奈切迅(なきりじん)という。

 済まない。直ぐに止めさせようか」


「いや、血気盛んで結構じゃないか。

 木刀で私闘ならば、俺たちよりも(・・・)可愛いほどだ。

 ――拳骨は、弟子どもの気が済んだ後でいいだろう」


「ふむ。それもそうか」


 大方の事情を察した厳次(げんじ)が、渋面を作った孤城(こじょう)の申し出を止めた。


 私闘は禁じられているが、ここには彼らの師も揃って肩を並べている。

 制止するにも容易い状況なら、何方(どちら)かといえば互いの実力を知るいい機会だ。


 思い切り振り下ろすための拳を温めながら、厳次(げんじ)孤城(こじょう)は仲良く肩を並べて(弟子)たちの喧嘩を見物することに決め込んだ。


 ――――――――――――――――――――――


 時は少し遡る。


 秋の涼風が渡る道場の中央で、晶は再び木刀を振っていた。

 攻め足、上段。今度は残心から納刀まで、一つずつ丁寧に重ねていく。


 ――疾。疾。疾。


 思考に過ぎるのは、先刻に孤城(こじょう)が見せた自然な斬閃。


 木刀を構えて振り下ろす刹那に、鮮烈に打たれた軽い幻痛が身体を奔った。

 孤城(こじょう)から放たれた、竹刀の幻痛(記憶)


 その瞬間、避けるように庇うように、幻痛(痛み)が最適な動きを導き出した。


 蹴り出す左の踵を重く、踏み込む右の爪先を均等に柔く。

 上がろうとする脇を庇うようにして締め、振り切る二の腕は最小限に。

 ――木刀を振り下ろす手の甲は、直前で握り締めるように。


 その瞬間、重く鋭い斬撃が宙を奔った。


 ――斬!


「あ」


 静かに揺ぎ無く、虚空を断ち割るその一刀に、思わず口から呟きが漏れる。

 それまで放ってきた漫然とした軌跡とは違うその一撃には、阿僧祇(あそうぎ)の放つ斬閃と同じ重さが確かに宿っていた。


「――は。漸く、(ケツ)から殻を振り落とせたか」


「なん――!」


 木刀を振り切ったその背を打つ嘲笑混じりの声が、呆然とする間も与えずに晶の背中を(いき)り立たせる。

 振り返る視線の先には、投げ掛けた声そのままの表情を浮かべた少年が腕組みに立っていた。


 背格好から年齢の頃は、晶と同じか少し上。袖を通している羽織には、衿元(えりもと)に小さく家紋が縫われているのが見て取れる。


 ――二重囲い、車輪に撫子(なでしこ)


 何処かで記憶に触るその意匠に首を傾げる晶を余所に、少年は傲然と言い放った。


師匠(せんせい)直々に手解き(指導)を受けるなんて栄誉、奈切(なきり)の陪臣でも滅多に無いんだ。

 そんな機会を潰して素振り一つを漸くなんて、自分を恥じろよ凡愚」


「んだと!」


「事実を指摘しただけだろうが。

 反骨する前に、才の無さを恥じろってんだ」


 余りの言い草に流石の晶も怒気を覗かせるが、何処吹く風とばかりに少年はせせら笑う姿勢を崩さない。


「……衛士殿()の腕前に比肩するなど、烏滸がましいでしょうがね。

 この身は防人になったばかりの凡愚ですので、基礎に重きを置くべきが当然かと」


 相手が衛士ではないことを理解しつつ、晶は故意に間違えた。

 段位を別にすれば、晶も防人で同格となる。要は、お前も同じ穴の狢(凡愚)だろうと揶揄したのだ。


「――は。云ってくれるじゃないか。

 吼える才能は認めてやろうか?」


「いいだろう、買ってやるよ」


 正確に晶の意図を悟った少年は、壁に掛けていた仕合用の木刀(丁級精霊器)を手に晶との対面に立つ。

 孤城(こじょう)とは師弟の間柄である事を強調するように、その構えは納刀から動こうとしない。


「掛け声が欲しい年齢じゃないだろ、攻めの一歩は譲ってやるよ」


「結構。何なら、くれてやってもいいぞ」


「抜かせ。

 ――奈切迅(なきりじん)だ」


「晶、だ」


 同年代であろう迅に悠然と頭から見下され、晶の負けん気に火が点く。

 相手が意地でも構えを動かさないところを確認し、初手で決着を望むべく精霊力を練り上げた。


 道場を薙ぎ渡る微風が、両者の沈黙を浚う。

 その刹那、晶は脇構えから深く(ねじ)り、木刀を水平に振り抜いた。


 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――。


「――燕牙(えんが)!」


 横薙ぎの軌跡に沿って、炎の斬撃が宙を翔ける。

 ――しかし、

 瞬きも無い刹那の後に迅へと迫った飛燕の刃は、孤城(こじょう)が見せた光景の焼き直しとばかりに輪郭を朧に崩して吹き消えた。


「効くかよ!!」「だよなぁっ!!」


 先刻に視たばかりだ、驚きは無い。

 元より予想できていたその結末に、拘泥は無い。迅が攻めに転じる前に、晶は迅の懐に潜り込んだ。


 晶の精霊力に任せて放たれた燕牙(えんが)を防ぎきる防御の精霊技(せいれいぎ)。つまりこれは、鉄壁を得た代わりに攻撃を捨てると同義。

 畢竟、彼が守勢を維持する限り、攻勢は常に晶へと味方する。


 振り翳す木刀に精霊力が渦と捲く。向かう微風の最中に、晶は強化した木刀を袈裟懸けに打ち込んだ。


 対する迅の初動は、晶の予測通り僅かに遅い。

 体勢も定まらないまま斬り結んだのなら、間違いなく攻勢を保った晶に軍配が上がる!


 閑静な空間に破砕音が響く。互いの意地が軋みを上げて競り合った後、


「ぐっ!」


 ――拮抗を制したのは迅の方であった。


 完全に攻勢が崩され、晶の咽喉(のど)から吃驚が漏れる。本能が回避を叫ぶが、体勢を取り戻す間も無く迅の蹴りが腹に叩きこまれた。


 二転三転。抵抗もできずに道場の外へと蹴り出され、視界が快天の明るさに満たされる。

 腹に響く激痛と土埃の味。目舞う思考のままに立ち上がると、迅が道場から日差しの下に踏み込んだ。


 優勢の確信からか、歪むその口元に晶への警戒は露ほども無い。


「おいおい、もうお仕舞か? 達者なのは口だけだな」


「……抜かせ!」


 追い打つ挑発(こえ)を吐き捨て、晶は猛然と斬りかかった。


 迅の実力を侮った積もりは無い。少なくとも、正当に訓練を重ねた衛士相当の防人なのは間違いないだろう。


 加えて、孤城(こじょう)も行使したあの(・・)精霊技(せいれいぎ)だ。

 火克金。本来なら競り勝てるはずの相克関係を越えて燕牙(えんが)を無効化、先制を取った斬撃を強引に凌ぎきる精霊技(わざ)など聞いたことも無い。


 その術理も見えないままに、晶は劣勢を強いられていた。


 過剰なまでの精霊力を背景に、木刀同士が軋みを上げて鎬を削る。

 強化されているはずの木刀に(ひび)が入り、破片が宙を舞った。


 秋の微風が破片を浚い、晶の後方へと流す。


 ――秋風(かぜ)!?


 その光景に記憶が繋がり、晶は大きく飛び退った。


「……確かその精霊技(せいれいぎ)戦風(そよかぜ)っつったよな」


「は。ここまで痛めつけられて、漸く術理の一端だけは理解できたか」


「微風を維持し操作する。器用な真似を……」


 迅の笑みが深まり、晶は正解を引き当てたことを悟った。


 晶に向かって(そよ)ぎ渡る向かい風こそが、孤城(こじょう)たちの行使してきた精霊技(せいれいぎ)そのものなのだ。

 意識もしないほどの微風だが、風圧ともなれば無視もできない。


 要所に風圧を集中させることで晶の勢いを削り、転じて追い風を受けて自身の攻勢を維持し続けているのだろう。


 呼吸(いき)を整えて八相に構え、晶は低い姿勢から地を蹴り相手へと肉薄する。


「一つ覚えだろうがっ!」


 燕牙(えんが)を無効化される以上、接近する他に手段も無いのも道理。晶の初動を嘲りながら、迅は木刀を振り抜いた。

 陣楼院流(じんろういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――。


円烈(えんれつ)!」「――鳩衝(きゅうしょう)


 唸りを上げる木刀の軌跡に沿って疾風が迸り、精霊力が迅の戦意を飛斬と変え、


 ――迅の斬撃が波濤と迫る衝撃に呑み込まれたことで、晶は推察が正しかったことを悟った。


 戦風(そよかぜ)は厄介な精霊技(せいれいぎ)だが、その性質上、風を一定方向へと維持し続けなければならない。


 つまり、


緋襲(ひがさね)!」「くそっ」


 大気を掻き乱す類いの精霊技(せいれいぎ)の前には、滅法弱い!


 飽和する熱量の衝撃が連続して戦風(そよかぜ)を弾き飛ばし、晶はがら空きになった迅の懐へと潜り込んだ。


 晶の木刀が迅に目掛けて正中から叩き落とし、

 舌打ちすらもどかしいと云わんばかりの焦りを浮かべた迅の木刀が、存分に強化された晶の木刀と噛み合う。


 ――その瞬間、鈍い破砕音を立てて、二人の木刀が木片と散らばった。


 本来の仕合ならば、両者相打ちの上で引き分けの判定が出るのだが、


「こんなんで止めねぇよなぁっ」「当然だっ。やられた分は拳で返してやるっ!!」


 頭に血が上り切った二人は、仲良く互いに拳を振り上げ喧嘩の継続を叫んだ。

 ……互いの背中に、拳を振り上げた師二人が立っていることを気付きもせずに。


「「――仕舞いだ、馬鹿もの」」


 唸りを上げて振り落とされる拳二つ。鈍い音が秋日の高い天に響き渡った。

TIPS:戦風(そよかぜ)について。


弓削孤城が独自に編み出した攻防一体の精霊技。

自身を中心とした空気を渦動させ、大気そのものを相手にまとわりつかせる。

相手の体感としては文字通りの微風でしかないが、身体全体に受ける風圧は意識できないうちに相手の動きから精霊技までを減衰させる。


ただし、晶が鳩衝で吹き飛ばした事実と同様に、弱点も多い精霊技でもある。

何よりも問題となっているのが、受ける恩恵の割に難度の高い精霊技でもある事実か。


行使するだけなら可能なのだが、精霊技を維持しつつ他の精霊技を行使するとなれば、思っている以上に難易度が跳ね上がる。


奈切迅が弓削孤城の弟子となれたのは、この精霊技を修得できたからでもある。

それでも、行使い熟しているとは言い難いようだが。


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― 新着の感想 ―
[一言] 技名言って攻撃してたら次何やるかモロバレ?
[気になる点] 技を放つ際の神気の質(色?)で正体割れたりしないのでしょうか。 [一言] ブチ切れて神器抜かないのは偉いですね。 この調子で健やかに育って欲しいものです。
[良い点] 晶はもしかして、戦風も使用可能なのでしょうか。他の方も言われていましたが、5つの流派全て会得可能なら開祖の源流に辿り着けてもおかしくないかも。 しかし、まともに修練させて貰えていないだろう…
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