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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
二章 聖教侵仰篇
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閑話 夏に戦ぐは、火花と散れる百合二輪2

 話をする前に腰を落ち着かせようと選んだのは、同じ中央棟にある会議室であった。


 昼下がりも未だ過ぎず、両端の校舎からは賑やかに喧騒が届いている。

 華やぐ外とは裏腹に、静寂に満ちた会議室では不穏さを保ったまま義王院(ぎおういん)奇鳳院(くほういん)に両翼を別けて対峙を果たしていた。


「さて。会談の前に前提として訊いておきますが、静美さまは何処まで把握していますか?」


「……(おおよ)そは。

 とはいえ、晶さんの生存を確信したのは、くろ(・・)さまの回生符が行使されたからですが」


「回生符?

 呪符組合(じゅふくみあい)が裏取引をしていた晶さん(玄生)の呪符は、流通からそれなりの時間が経っていますが……」


 問うように、咲と側役の二人へと順繰りに視線を巡らせた。

 返答代わりに、咲たちは首肯のみを返す。


 咲から届いた電報の情報を元に、呪符組合(じゅふくみあい)から玄生の呪符を回収し終えたのはつい先日のことである。


 玄生の呪符は組合内で名が通っていたため、その総てを奇鳳院(くほういん)の管轄に移すことにはかなりの抵抗をされたが。

 その後も回生符の納入が続くことは容易に予想がついたので、越権覚悟で政治の面から圧力を加えたのだ。


「その呪符ではありません。

 玄生の雅号を与える際、くろ(・・)さまは呪符の一つに手ずからご自身の神名()を別けて呪符を(したた)められました。

 神名()を別けた呪符はくろ(・・)さま自身と同義、その呪符が燃やされた時点で我々は晶さんの生存を確信したのです」


 後背に立つ咲たちは戸(まど)いに顔を見合わせるばかりであったが、静美からの返答に嗣穂(つぐほ)は得心を得た。


 神名()を別けられたという事は、見た目にはただの回生符であってもその実は神器と同じ扱いとなるからだ。

 該当するであろう回生符を行使した形跡は、源南寺(げんなじ)の報告にあった大規模回復のそれだろうと想像もつく。


「成る程、経緯は理解いたしました。

 こちらの状況もお教えした方が良いでしょうか?」


「……お願いします」


 3年の別離は余りにも永い。成長途上にある少年は、背も性格も思う以上に変わっているのは想像に難くなかった。


 四院のものであれば偽りを口にすることもあるまい。その事実に唯一の信頼を置いて、静美は嗣穂(つぐほ)の提案に(うべな)いを返す。


「……とは云え、私もそれほど3年間を知り得ているわけではありません。

 晶さんの生活は…………………………」


 嗣穂(つぐほ)の口から語られる晶のこれまでを、静美は寂しそうに嬉しそうに聴き入るだけ。

 不穏は残っても何処か穏やかに、幾許の時間だけが流れるに少女たちは身を任せた。




「……といったところでしょうか」


「随分と苦労されたのですね。

 私たちの事は何と?」


 訊き終えてから暫く、静美は溜息を禁じえなかった

 第8守備隊。長屋。そこまで訊ければ晶の在所を辿るには容易い。


 だが想像に反してかなり穏やかに生活を育んでいる様子であることは、静美をしても救いであった。


 本来であるならば、そのまま華蓮(かれん)で生を送るが倖せにあろうが。

 晶は神無(かんな)御坐(みくら)だ。その事実こそ、義王院(ぎおういん)が一歩も退けない現実となるのである。


「私が直接訊いた訳ではありませんが、お母さまが義王院(ぎおういん)について問われています。

 ――過去に持てなかった謝罪を、一言だけでも告げたいと」


「…………………………っ!」


 不意を突かれ、零れそうになる涙を静美は堪えた。

 ――謝罪は別離への裏返しだ。それは最早、晶の心が國天洲(こくてんしゅう)に無いことを意味している。

 だが、はいそうですかと頷く訳にもいかない。


義王院(ぎおういん)が望まれた場合、晶さんとの対面を計らいますが」


「――それが(・・・)奇鳳院(くほういん)の総意と理解しても、宜しいでしょうか?」


 退く心算(つもり)が無いことは判っている。奇鳳院(くほういん)、否、朱華(はねず)であっても500年ぶりに得られた神無(かんな)御坐(みくら)だ。


 だが、義王院(ぎおういん)に至っては、初めて得られた神無(かんな)御坐(みくら)である。

 この機会を逃せば、次に神無(かんな)御坐(みくら)を得られる保証など期待すら持てない。


 此処(ここ)が分水嶺だ。


「――はい」


藤森宮(ふじのもりみや)。いいえ、月宮(つきのみや)に訴状を上げると云ってもですか?」


「その場合、義王院(ぎおういん)に不利と出る可能性が高い事は、想像に容易いと存じますが」


 裁判権を統括する藤森宮(ふじのもりみや)と国家の象徴でもある月宮(つきのみや)を背景に圧力を強めるが、嗣穂(つぐほ)の顔色は小動(こゆるぎ)も見せることは無い。


 こちらが出る行動は、一通り読まれているのだろう。

 流れるように返る応えに、静美は内心で歯噛みをした。


 これまでの晶の生活を鑑みるに、廿楽(つづら)での生がかなりの抑圧と共に過ごしていたのだろう。

 雨月を信用し過ぎていたとはいえ意識に及ばなかった義王院(ぎおういん)の手落ちを言及されれば、実利であれ情であれ、間違いなく奇鳳院(くほういん)に軍配は上がる。


「……くろ(・・)さまに、退くはありませんよ」


あか(・・)さまも、同じく」


「結構」

 嗣穂(つぐほ)の肯いを受けて、静美は明確な敵意を瞳に浮かべて立ち上がった。

 覚悟はしていたが、此処(ここ)まで強硬に断言を返されたら宣戦布告と同義であろう。

「晶さんの裡に封じているくろ(・・)さまの神気を圧し流した時点で、開戦の合図と見做します。

 顕神降(あらがみお)ろしが望めないのであるならば、神嘗祭(かんなのまつり)での披露も通らないことはご存じでしょう? それ以上を求めるならば、此方も強硬手段に訴える事を覚えておいてください」


 それだけを言い放ち、嗣穂(つぐほ)に背を向けた。

 後背に側役が追従する気配を感じつつ、会議室を出ようと踵を返す。


 しかし追い打つ嗣穂(つぐほ)の言葉が、再び静美の歩調を凍らせた。


「お待ちください。

 晶さんは既に、あか(・・)さまを降ろしています」


「何ですって!?」


 正者の器一つにつき精霊が一体しか宿らないことは、最大原則である。

 実のところ龍穴であれ風穴であれ、器の大小に係わらず宿せる存在は一つしかありえない。


 封じるという事実を裏返せば、晶の裡から玄麗(げんれい)の存在は喪われていないという事。

 現状に()いて、それこそが義王院(ぎおういん)に残った望みの一筋でもあった。


 何故ならば、晶の裡から玄麗(げんれい)の神気を圧し流すためには、晶の同意も最低条件として必要になるからだ。


 ――晶の器は、未だ他の神柱に染まり切っていない。玄麗(げんれい)と静美が賭けた望みも、この一点にこそ掛かっている。


 だが、嗣穂(つぐほ)が口にした応えが、静美の希望を全て裏返しに変えた。

 器が染まり切っていないならば朱華(はねず)の加護と神気を与えるまではとりあえず可能だろうが、神柱を宿すとなると話は違ってくるからだ。


 それは、晶の器に一柱以上(・・)を宿すことが出来るという、事実そのものを証明していると云えた。


 それを可能とするのは、神無(かんな)御坐(みくら)としての器だけではありえない。

 神柱の頂へと昇るための偉業を成し、己と云う自我を削り切った空の位と成してこその特権である筈だ。


 (かつ)ての先達が成した偉業を強引に再現させる儀式、『禊ぎ祓いの儀』。

 それは、五洲何れにも存在する五都神社(いつやしろ)を巡ることで成功へと至るという。


 自我を削り取る。その苦痛は、正気の内に耐えうるものでは無いことは想像に容易い。

 ほぼ絶対的に廃人しか残らない。成功したとしても、人と云う器しか残らない結果が透けて見える。


 儀式が存在することは知っていても、これまでの神無(かんな)御坐(みくら)が挑まなかった最大の理由がそれであった。


「貴女たち、晶さんを『禊ぎ祓いの儀』へと送り出したの!?」


「私たちが企図した訳ではありません。

 順序が逆なのです。晶さんが儀式を通ったからこそ、あか(・・)さまは晶さんを見止める事ができたのです」


「――戯言を!!」


「私たちが偽れないことは静美さまもよくご存じのはずかと。

 当初、晶さんが華蓮(かれん)五都神社(いつやしろ)産霊(むす)びの要たる茅之輪神社に訪れた目的は、『氏子籤祇』を受けるためでした」


 『氏子籤祇』も『禊ぎ祓いの儀』も、対象と条件こそ違えど儀式の入りは同じである。

 何故ならば『禊ぎ祓いの儀』の利点だけを抜き出し、極限まで劣化させた技術こそが『氏子籤祇』なのだから。


 同じ儀式なのだから、条件と対象が一致さえすればより上位の儀式が優先されるのも、又、当然の帰結であろう。


「晶さんは……」


「ご安心ください。『禊ぎ祓いの儀』は不完全のまま終えています。

 晶さんの器自体は完成していますが、人格に然程の影響は確認されていません。

 ――どうにも捨てたくない記憶と感情があったらしく、相当数の精霊たちが合力して自我を護り切ったようですね」


「無事なのですね?

 ……良かった」


 嗣穂(つぐほ)の慰めに、静美は大きく息を吐く。


 その姿を目の当たりにして、咲の胸中に曇天に似た感情が渦巻いた。

 それは怒りでも哀れみでもなく、それこそ嵐の直前に似た静寂の感情。


「……………………あの!!」


「咲さん!?」


 本来、逆らう事の出来ない2人を相手にして、咲はその想いをぶつけるように進み出た。


「晶くんのことをそんなに大切に思っているのなら、何故、お逢いになる回数を増やさないんですか? 私の目からすれば、お2人とも晶くんとの接触を極力に避けているようにしか見えません。

 嗣穂(つぐほ)さまも、週に1度、あか(・・)さまと一緒でしかお逢いになった事しかないとか。

 幾ら晶くんだって、婚約なんて思わなくなります!」


「……貴女は?」


「……輪堂(りんどう)家が三女、咲と申します」


 静美にとって、輪堂(りんどう)家は他洲の八家である。当主の相貌(かお)は知識に有っても、その末娘にまで及ぶものでは無い。

 見も知らない相手からの非難ともとれる奏上に、静美の眼差しが鋭さを増す。

 その視線に射抜かれ咲の腰が怯みかける、がそれでもその足は後退の様子を見せることは無かった。


 取り為すように、嗣穂(つぐほ)が口を挟む。


「咲さんには、現在、晶さんの教導に立ってもらっているのです。

 ――ええ。静美さまの云いたい事は判ります。

 咲さんを教導に立たせたのは、此方としても止むを得ない事情があります」


 何しろ、時間がありませんでしたから。

 独白に零した嗣穂(つぐほ)の応えに何かを理解したのか、静美は咲に対する矛先を収めて見せた。


そういう事(時間稼ぎ)ですか。

 ――咲さん。私であれ嗣穂(つぐほ)さまであれ、成人前で私たちと晶さんの接触は出来る限り控えなければなりません。それが神無(かんな)御坐(みくら)と付き合う際の、鉄則と云われています」


「そうであったとしても、……」


 百歩譲ってそれを受け入れたとしよう。だが、現実に起きてしまった問題の遠因は、義王院(ぎおういん)の情報共有意識の低さが原因であることも間違いはない。


 晶への扱い。雨月の行いを糺す猶予は、義王院(ぎおういん)にも充分にあったはずだ。

 それは手落ちと判断されても仕方の無い、義王院(ぎおういん)の失策である。


 どう話したものか、口籠(くごも)る静美の前に嗣穂(つぐほ)が口を開いた。


「出来ないのですよ。

 晶さんは神無(かんな)御坐(みくら)です。これは三宮四院(私たち)、神子や巫と同じ位階に在する称号であると教えましたね?」


「――はい」


「より正確に言及すると、神子や巫は恣意的に生み出された神無(かんな)御坐(みくら)です。……つまり神無(かんな)御坐(みくら)とは、最上位の称号。

 加えて、その神無(かんな)御坐(みくら)を欲するために、神柱は持ち得る総てを振り捨てることに躊躇いすら覚えません」


 最上位の称号という事は、晶が願えば嗣穂(つぐほ)と同じく隷属の言霊が行使(つか)えるという事実を意味している。

 云うまでもなく、その強制力は下位である嗣穂(つぐほ)にまで及ぶ。

 流石に、神柱にまでは効力も及ばないが、神柱は神無の御坐の所業を制止することは絶対に無い。


 それは詰まるところ、晶がその気になれば誰であろうと従えてしまう能力があるという事実の指摘に他ならなかった。


 そこまでの無茶苦茶な存在が、ただ(・・)人程度の精神で現世に存在しているのだ。

 これまで晶がこの言霊を行使してこなかったのは、偏に晶が知らなかった事と幸運が重なったからに過ぎない。


 下手な教育を与えて、言霊を乱発する専横者を育ててしまうくらいなら、普通の人間として素直な成長を望ませる。

 明確に伴侶としての意識を育てるのは、人間としての精神が成熟してから。それが、神無(かんな)御坐(みくら)に対する教育の最適解である、とこれまで云われてきた。


 そもそも、雨月のような失伝からの放逐という、前代未聞の大失態の方が想定の範囲外なのだ。


「――そこまで理解して咲さんを教導に就けたのならば、義王院(ぎおういん)は何も口を挟みません」

 そう負け惜しみに口を挟んで、静美は踵を返した。

「私はこれより、國天洲(こくてんしゅう)へと帰還します。

 僅かなれど、あか(・・)さまには感謝を。晶さんが健やかに過ごされているならば、くろ(・・)さまも暫くの安堵を得られるでしょうし。

 ……それで、再会に向けた交渉は?」


「概要は神無月(10月)までに詰めれば問題ないでしょう。

 私も一度、珠門洲(しゅもんしゅう)へと帰還して交渉の準備に入ります。

 ……そういえば、雨月の始末はどうされるお心算(つもり)ですか?」


「あれは國天洲(こくてんしゅう)の華族、義王院(ぎおういん)が処遇を決定いたします。

 ――何か問題でもありますか?」


「いいえ。

 ですが僭越ながら、神無月(10月)まで処分は見合わせた方が良いでしょう。

 どの道、先は長くはありませんし、急ぐ必要も無いかと」


「雨月に慈悲を掛けろ、と?」


 義王院(ぎおういん)への内政干渉と取られかねない発言に、静美が眉間を(ひそ)めた。

 予想通りなのか、その反応に薄く嗣穂(つぐほ)が微笑みと返す。


「真逆。ただ、一番の被害者は晶さんです。

 ……憎しみの向かう先が無くなれば、人は心の整理がつかなくなるかと。

 晶さんの成長のためにも、最終的な雨月の処分は彼に預けるのが妥当と思ったまでです」


「……そうね。

 どの道、くろ(・・)さまの関心は晶さんの生存に移っていますし、雨月の処分を遅らせる程度は難しくないわ。

 それでは後ほど、交渉の使者を此方から送ります」


「是非に」


 別れ際の言葉も短く、静美は迷う足取りも見せずに会議室を後にした。

 去るその後背が、軋む引き戸の向こうに消えて暫く。息の詰まる交渉が終わった安堵から、咲は大きく息を吐いた。


「…………………………はああぁぁぁっっ!」


「ご苦労様。

 咲さんは、この()の交渉は初めてだったかしら?」


「父さまに連れられて、久我(くが)家での交渉は何度か。

 ですが、今回ほどに緊張したのは初めてです」


 微笑む嗣穂(つぐほ)の慰めに、咲は笑顔を浮かべる。

 引き攣れた頬の痛みがその笑顔のぎこちなさを雄弁に語っていたが、敢えて指摘することも無く嗣穂(つぐほ)は立ち上がった。


「女性は家内を護ればいいと云うのは、時代遅れの考え方よ。

 西巴大陸じゃ、表に出て働く女性っていうのが一般になっていると聴きますし。

 さて。学院での用事を済ませたら、私は華蓮(かれん)へと帰還します。

 ――咲さんも、一緒に戻りますか?」


「……いいえ。晶くんも学校が始まった頃なので、私は学院に残ります。

 阿僧祇(あそうぎ)の叔父さまが晶くんに付いていますので、下手な勘繰りをさせてしまう訳にはいきませんし」


 今でも充分に怪しまれているのだ。

 性格と裏腹に勘の鋭い阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)が首を突っ込んでくる前に、一時的にでも晶との距離を置く必要を咲は感じていた。


「そう。

 でも神無月(10月)に入る前には、華蓮(かれん)に戻っておいてね。

 ――晶さんの準備を手伝ってもらわないといけませんし」


「はい」


 返る咲の肯いに嗣穂(つぐほ)は満足そうに頷き、会議室を後にする。

 これが余人の知るところに無かった、晶を巡る緒戦の静かな始まり。


 ――統紀3999年、葉月(8月)の終わり。

 秋の足音が遠くに聴こえ始める頃の一幕であった。

以上で閑話の終了となります。


次回より、三章 巡礼双逢篇を開始させていただきます。

今後ともよろしくお願いいたします。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
なるほど。主人公が削ぎ落とす儀式の割には劣等感などを捨ててない理由は精霊たちにあったのね。 そして同時に一人じゃないの意味も精霊たちが文字通りの命を賭して守ったのね。精霊たちがいると、守ってくれている…
[一言] 私生活が忙しくてやっとここまで読んできましたが、これからこの物語の始まりである雨月家との件が決着するかと思うと読み溜めてて良かったです。 咲が指摘している通り晶に会う頻度が少ない理由が以下…
[一言] 交渉とは晶の身柄の引き渡しというより、シェアする条件のすり合わせと思うんだけど、これそのまま女の意地の闘いよねー
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