閑話 揺れる波間に、何時かの想いを馳せて
――鴨津の沖合。
戦闘の終結より暫くの後、
連絡船から『カタリナ号』の甲板に移った3人は、漸く得た休息にそれぞれ安堵の息を吐いた。
キリキリと錨が巻き上げられて、自由を取り戻した快速帆船の船体が黒煙を吐き出して外海へと舳先を向ける。
「――最悪ね」
「予定通りだろう?」
「6割だけよ。
ソルレンティノを蹴落とせたのは快挙だけど、どうせ身代わりを差し出して保身に走るんでしょうし」
日の出が東を白く染め始める中、甲板の縁に身体を預けたベネデッタは思わず漏らした。
聞き返すサルヴァトーレへの応えも、何処か威勢が及んでいない。
穏やかな潮風に踊る自身の金髪を、一房掴んで毛先を見る。
潮気にべたついたそれは、自慢できた頃よりも輝きが僅かにくすんでいるようだ。
「あ~ぁ。振られちゃったなぁ」
「社交界の華と咲くベネデッタも、振られた経験は初めてか。
……大人しく、身近なものと決めておけば良かっただろう」
「晶さまは格が違うわ。
恩寵の御子はそれだけで国益ともなり得るの、もし来訪が叶えば鉄の時代に抗う光明となれたのよ。
……仕方ないわね」
甲板の縁から身体を離し、向こうから近づいてくるパオロ・バティスタの方へと視線を向ける。
「定刻通りに到着が叶いましたようで。
――アンブロージオ卿は?」
「残念ながら。
彼の地にて自身の望みを遂げられた後に……」
「成る程。――予定通りですな」
「悲しいことです。
――願わくば、聖アリアドネの身元へ戻る彼の魂が安らぎに在らん事を」
聖印を切り、一時の黙禱を囲む数人で捧げる。
その白々しさはその場に立つ全員が知っていたが、アンブロージオの波国に対する忠誠は疑うことも無かったために、沈黙のままベネデッタに追従した。
「……さて、バティスタ船長。積み荷の回収は成功したかしら?」
「滞りなく。――こちらへ」
バティスタの案内で3人は船内の一室へと足を運ぶ。
気密扉を抜けたその先で、一人の宣教師が顔を伏せる立拝の姿勢を取っていた。
「お初にお目にかかります。私は……」
「知っています、楽にしてくださいなコヴェリ宣教師。
聖下の御為と高天原に向かってくれた貴方の献身に、私が返せるものなどそこまでありませんので」
「申し訳ありません、最近は身動きも少し億劫でしてな。
恥ずかしながら、年齢にはやはり勝てません」
年齢の頃は50の辺りか、初老の男性は立拝の姿勢を崩して好々爺に笑み崩れる。
「長きに渡る布教、お疲れさまでした。
祖母の願いで海を渡ったと聴いていますが、故郷を離れて何年になるのですか?」
「30には届くでしょう。教皇の代替わりを一度聴いています。
――少々、異国での生活が長すぎました。言葉は大丈夫でしょうか?」
高天原での日々が長かったせいか、苦笑いに咽喉を擦るその語尾はコヴェリの独白どおりにやや訛りがきつく聴こえた。
老爺の肌に刻まれた皺を見て、ベネデッタの頬が緩む。
「忠誠の証明を嗤うものなどおりませんよ。
早速ですが報告を」
「感謝いたします。
……高速印刷機の普及は上手く行きました。洲史の編纂を提案した際にかなり喜ばれていたので、此方の狙いには気付かれていないでしょう。
成果は此方です」
するり。コヴェリは、長衣の陰から幾冊かの本を手に覗かせた。
洲史とのみ題された本は、その装丁も本と同様のそっけなさしかない。
「充分です。
――内容は?」
「粗方は把握しております。
お求めの知識に繋がるかは判りませんが、気になる情報は幾つか。
中でも最大のものは、三宮四院八家に関する記述ですな」
「高天原の序列ですね、何か気になる情報でも?」
「奇妙なのは序列の線引きです。
三宮四院は聖女さまと同様に半神半人の血統と納得できますが、八家の扱いに関しては妙に不明確なのです」
手に持った本を卓上に広げて、コヴェリはベネデッタの視線を見返した。
「洲の序列上位に立つ華族に対して八家の称号を与えたもの。我々の認識では、その情報で確定していました。
ですが八家と他の領有華族の対応には、私が理解できるほどの差は確認できませんでした。
……そもそも三宮四院は、華族の動向に余り干渉はしないようなのです」
「放置、という事ですか? しかしそれでは、国家の運営など不可能でしょう」
「その辺りは、上手く線引きをしているようですな。
陰陽師や軍、戸籍の管理などを央洲が担うことで華族の手綱を曳いているようです。
――話を戻しましょう。八家とそれ以外の華族の扱いも、多少の優遇はあるものの血眼になって求めるほどの差は見られません。
違いは二つ。洲の大神柱より神器を賜る事、そして八家となって以降の代には強力な上位精霊が宿るようになる事」
武家八氏族。東巴大陸を超えてその名を轟かせる高天原の武の象徴は、高名さに反するように扱いはひどく質素なものであった。
否。神器を賜っているだけでも望外の優遇なのかもしれないが、それにしてももう少しあるだろう。
その場にいたものたちの疑問は、当然のものでもあった。
「神器ですか。晶さまが持っていた2つは確認していますが、残りは珠門洲の八家が所有しているという事ですね」
「……真国で唆した賊を鴨津に嗾けた際、久我の当主が奇妙な武器を手に賊を鏖殺している光景を確認しています。
あれが神器なのでしょうな」
「こちらの干渉には勘づかれているかしら」
「流石に。ですが証拠は残していませんし、高天原としても西巴大陸との交易口は残しておきたいでしょう。
蒸気技術の発達に遅れがある限り、久我も強気の態度で追及はできません」
「では、波国としても使節団の派遣を決定しましょう。
賠償金を振舞えば、久我も矛先を収めるでしょうし」
「了解しました。本国との定時連絡で伝えておきます」
「よろしくお願いします」
ベネデッタの決定に、視線を向けられたバティスタが鷹揚に頷いた。
互いに頷きを交わし、ベネデッタはコヴェリに視線を戻す。
「新しい情報に脱線が続くわね。
八家に関する情報はそれだけ?」
「いいえ。八家に関してですが、過去に幾度か入れ替わりが起きているようなのです」
「神柱から神器を賜るほどの家系が、断絶の憂き目を見たと?
……理由は?」
意外な情報に、ベネデッタは驚いた。
神権授受。神器とは神柱の代弁者と任じられることでもある。
そんな家系が入れ替わりなど、簡単には理解に及べなかったのだ。
「乗っ取り、戦争、衰退。……それこそ理由は様々です。
詳細を確認できたのは500年前と400年前の2件。これに関しては三宮四院の大規模な介入が記録されていたため、追跡は容易でした」
「八家の衰亡でしょう? 介入は当然だと思うのだけれど」
貴族としての第一義は、家系の維持にこそある。
上位精霊を宿しうる器を優遇し武力の象徴として維持するのは、国家としても当然の施策方針と云えた。
しかしコヴェリの口ぶりからは、それが如何にも珍しい事だと伝わってきた。
「……とも言い切れません。
500年前は鴨津での入れ替わりですな。周々木家より分家したはずの久我家が、奇鳳院の後押しを受けて本家を潰した件。
400年前は、壁樹洲で不破家が別の華族より乗っ取りを図られた際、完全に放逐された後にも関わらず玻璃院の介入を受けて復権を果たした件」
玻璃院に至っては陣楼院との間に内乱を起こし、乗っ取りを成功させた華族郎党を首晒しにまでして不破家を自領に引き戻している。
珠門洲と央洲の仲介で被害は収まったものの、この件で壁樹洲は著しく力を落としたと記録に残っていた。
「八家を潰して分家を優遇するかと思いきや、内乱騒ぎまで起こして八家を引き戻すほどの優遇振り。この差が何かと訊いてみても、当地の研究者すら首を傾げていました。
ただ、2件の共通点が一つ。
――何方も、後継者を授かった直後の出来事でした」
コヴェリとの対談を終えて、ベネデッタは青い水平線が広がるだけの甲板にその身を戻していた。
短い間に交わした情報は密度が高く、少し思考の整理を潮風に求めたのだ。
蒸気機関が圧し除ける潮風に煽られて、大きく踊る金髪を手櫛で梳く少女の後背からサルヴァトーレが声をかけた。
「……ベネデッタ、どう思う?」
「断定はしないわよ。
……けど恩寵の御子を高い確率で生み出す手段を、高天原が有しているのは確実なのよ。
神器と八家。数が重要なのか、神器が重要なのか判らないけれど」
「しかし聖下は、これまで恩寵の御子を神託に見通すことが出来なかった。
この差は何だ?」
確信はないけれど。サルヴァトーレの疑問に、そう言葉を置いてベネデッタは自身の騎士へと振り返る。
「――聖典に於いて恩寵の御子は、聖アリアドネの系譜と認められるために巡礼の旅に出たと。
高天原にも同様に、恩寵の御子として認められるための儀式があるのかもしれないわ」
「恩寵の御子としても、段階が存在するという事か。
……なるほど、それなら納得もできる」
得心に頷くサルヴァトーレとは裏腹に、ベネデッタの表情は浮かないそれであった。
そうであるならば、より厄介な問題が持ち上がる。
アリアドネ聖教の聖典に於いて、巡礼の旅の詳細は喪われているからだ。
最も古い聖典を辿っても、巡礼に関する詳細は二転三転と主張を変えている。
分派の乱立を赦してからは、教義の曖昧さはより顕著さを増しているのが現状であった。
その事実からは敢えて思考を逃して、ベネデッタは水平線の向こうに消えた高天原の陸影を追った。
……一旦、青道を拠点として、再度、高天原へと向かう必要があるだろう。
それは確信だった。
閉じた神域への介入は、恩寵の御子の協力無くしては果たせないからだ。
最悪でも恩寵の御子を生み出す知識を波国に持ち帰らないと、西巴大陸が行き詰る。
溜息を漏らしてから、ベネデッタは西方の祝福をその手に顕した。
言葉短く解放と唱えると、落陽柘榴を封じていた頁が一斉に宙へと舞う。
「神器を手放して良かったのか?
……向こうも2度、同じ失態を重ねてくれるとは思えんが」
「ええ。
これで向こうが意固地になるより、今のうちに手放して文句の矛先を無くしておきましょう。
遠くない未来に、又、高天原に向かうことになるのだし、確執の根となる可能性は無くしておきたいわ」
潮風に去り消える頁を目で追い、ベネデッタは何処か晴れ晴れとした表情で蒼天を見上げた。
青く広がる空に、僅かに散らばる白い雲。
その合間に翼を広げる海鳥の影を認めて、少女は口元に微笑みだけを刻んで見せた。
――――――――――――――――
「……勘助、、勘助!!」
「へぇい。
――お呼びでしょうか、女将さん」
商家の蔵で反物を油紙に包んでいた勘助は、呼ばれる声に顔を上げた。
呼ぶ声が怒鳴り散らすものへと変わる前に、蔵の外へと足を向ける。
そこには勘助の雇い主である反物商の女将が、仁王立ちに立っていた。
「何、呆っと仕事してんだい。
やる事、山積みなんだからね!」
「すんません」
仕事を投げていた訳ではないが、そんな反駁は丁稚になって漸く3年の勘助には許されていない。
絹織物は兎に角、管理に気を遣う。日焼けしない程度に虫干しと風通しを繰り返さないと、直ぐに紙魚の食い物となる。
日の良い場所に反物を持って仕舞うの繰り返しは、育ち切っていない丁稚の身体には只管に重労働でしかないのだ。
……と云うか、蔵の虫干しを指示したのも当の女将だろうに。
そう愚痴りたくもなる理不尽な女将の怒鳴りつけに、それでも勘助は丸刈り頭を掻いて頭を下げた。
「反物の虫干しは終わったかい?
――なら、掃除と水撒きに回りな。愚図愚図すんじゃないよ」
「分かりましたぁ」
絶対に仕事の進み振りを見ていたに違いない。反物を一通り仕舞い終えた直後の指示にそう確信を抱きつつ、甕から水を汲んで勘助は表へと出る。
時刻は暑気も猛る昼下がり。愚痴りたくなる衝動を抑えつつ、暖簾下の影に涼を確保しながら勘助は水の満たされた桶を手にした。
ちゃぷ。日中の茹だる熱に曝された温いそれが、勘助の手元で涼やかに波を立てる。
喉元でだけ不平不満を爆発させながら柄杓で水を撒いていると、正面の通り向こうから晶が歩いてくる姿を見止めた。
「――よう、勘助」
「晶。鴨津への出向は終わったのかよ?」
「何とかな。
……守備隊に問題は無いか?」
「特には。って云いてぇ処だが、ちと厄介な陳情が寄せられてきてな。
戻ってきてくれたことは、正直に云えば有り難い」
「厄介? 危険なのか?」
勘助から返ってきた意外な返事に、晶は首を傾げて問い返した。
百鬼夜行から未だ日も経っていないし、その直前には山狩りまでしている。
中位以上の穢レを誘引するほど、晶たちの担当区域には瘴気も流れていないはずだが。
「さてね。妙覚山の麓に住む狩人の爺さんからの陳情だ。
――何でも山の中腹で、木立の間を泳ぐ鯰を見たってさ」
「鯰?」
「そう見えたらしい。
正直、爺さんに呆けが回ったかと思ったぜ」
穢獣の種類は数も多いが、その生態は基本的に在来の生き物を基にする。
何故ならば、それが最も効率的だからだ。
魚の穢獣が存在しないわけではないが、当然、棲まう場所も水の中が相場である。
山間を泳ぐ鯰など、晶の知識に在っても聴いたことは無かった。
本来ならば老爺の戯言と切って捨てるのだが、口振りからしてそれでは終わらなかったらしい。
「妙覚山に入ったのか?」
「中腹までな。鯰の痕跡は辿れなかったけど、阿僧祇隊長が随分と気にしていた。
何か因縁があるらしい。来週にでも、南葉根山脈の山稜付近まで足を向けるって」
「……分かった。詳細を訊いておくよ」
「頼むわ。隊長たちが随分と問題視しているみたいだけど、俺たちじゃ訊き辛くてさ。
――それで?」
気安く互いの近況を語ったところで、勘助は晶に本題を急いてやる。
晶の用事が、守備隊の話題とはまた別のところにあることは気付いていた。
何故ならば、勘助の丁稚先は3区でも1区にほど近い場所に建っているからだ。
3区の郊外に住む晶が足を運ぶ理由は基本的に無く、勘助に用があるのだと直ぐに予想はついた。
「ああ。 ――知恵を借りたい。
これから目上の女性に会うんだが、失礼にならん手土産に心当たりはあるか?」
「手土産?
……そうだなぁ。華族連中の接待に、女将さんが必ず用意する茶菓子があったよな。
っても、俺が思いつくのはそれくらいだぞ。
御用菓子なんざ、俺たちは見るだけでも畏れ多いってもんだろ」
「だよな。……まあ、行ってみるか。
――何処の店だ?」
「ええっと……」
――恃まれた知恵を二人で絞り、ややあって晶が雑踏の中へと消えていく。
その後背を見送りながら、勘助は乾きかけた柄杓を手桶に突っ込んだ。
「――頑張れよ、晶」
ぱしゃり。撒かれた水が、砂埃の立つ地面に黒い波の跡を刹那に刻む。
その様を見ながら、そう勘助は独白のうちに応援を投げた。
夕刻の山間は、陽に面していても暮明に沈むのは早い。
3区の繁華街より歩いて2刻。鳳山の中腹にある奇鳳院の正門前に、晶の姿は在った。
当然ではあるが守衛と思しき衛士たちが投げ掛ける無遠慮な視線に、今更ながら晶の足は後悔に竦む。
電報で面会許可の先触れは打ったため摘み出される心配はしていないが、ここまでの直前に入れたことで不興を買っている惧れはあったからだ。
不審者を眺めるような視線に耐えて数分、晶の不安とは裏腹にあっさりと正門は開いた。
年齢の頃30は数えているだろう洋装に身を包んだ女性が、その向こう側で深く一礼をしている姿が見える。
「――初めまして、晶さん。
奇鳳院の当代当主を務めています、奇鳳院紫苑と申します」
「初めまして、奇鳳院の御当主さま。今日は無理を聴いて戴いたこと感謝いたします」
「まぁ、ご遠慮なさらずに。
晶さんは当家の家族同然。気軽に足を運んでも、拒むものなどおりませんよ。
――御免なさいね。本来ならば嗣穂に出迎えさせるのですが、休暇が明けたために天領学院に戻しております。
年増女の相手は物足りないでしょうが、許してちょうだい」
「御当主さま直々の出迎え、身に余る光栄です」
華族と縁が切れてから3年。晶が見せる付け焼刃の礼節に言及を求めず、紫苑と名乗るその女性は品の良い笑顔を浮かべる。
――その面立ちに浮かぶ影は、娘である嗣穂のそれとよく似ていた。
本来ならば身体検査をするのが筋であろうに、それすらも無いままに本邸の奥へと進む。
屋敷の中にある一室に通された晶は、輸入物だろう桃花心木製の机に座る紫苑の前に勘助と話し合って買い求めた笹包みを置いた。
「これは?」
「その、申し訳ありません。友人と相談しまして、手土産を一つ。
……ありがとうございます。奇鳳院さまに拾っていただいたから、俺はここに居ることが出来ています」
晶の言葉に包みが解かれる。
白が映える求肥の上に餡子が乗った餅菓子。
あら、葦切り餅ね。中身を覗き込んだ紫苑は、目尻を下げて屈託なくそう呟いた。
「嗣穂もこれが好きなのですよ。
小さい頃なんか、甘味と訊けばこれを無心するくらい。
――あの娘は、晶さんに失礼を働いていないかしら? もう少し、顔を見せる回数を増やせと云い聞かせているのですけれど」
「この身に過分な程に良くしていただいています」
「なら良いのですが……。奇鳳院の生まれ故に余り恋愛を教えることもありませんでしたけど、あれで可愛げもあるんですよ。
どうか末永く可愛がってあげてくださいな。晶さん、……」
いえ。そう口を濁してから、決然と晶を見据える。
「雨月晶さんと呼んだ方がいいのかしら?」
「どうとでも。……知っていたんですね」
そう呼ばれることに関して、驚きは余り無かった。
神無の御坐の意味を理解するに、それは当然にしてそう結論が出る事実であったからだ。
鴨津で晶が顕神降ろしを行使した事実は、朱華を通して既に奇鳳院も掴んでいるだろう。
そしてそれは神無の御坐に関する一端を晶が理解したという、事実の証明でもあった。
「予想は直ぐにでもついていました。
何しろ、神無の御坐は八家にのみ生まれる奇跡です。そうと決まっている以上、ここに例外は存在しません。
晶さんが國天洲の出身であることを加味すれば、選択肢は雨月と同行に限られます。
過去数年の國天洲の動向を調べれば、推測を確信に変えることは容易かったですね」
なにしろ雨月家は晶を隠匿するに必死になる余り、それ以外を疎かにし過ぎていたからだ。
晶という存在に気付いてしまえば、雨月の嫡男が颯馬でない証拠は気付かぬ方が間抜けと云わんばかりに晒されていた。
晶が神無の御坐である自覚を持ちえたのは喜ばしい。だからこそ、紫苑は奇鳳院当主として晶の真意を問う必要がある。
お訊きしたいのですが。そう居住まいを正して、紫苑は正面から晶を見据えた。
「……義王院を憎んでいますか?」
「憎む? いいえ、とんでもない。
過去に持てなかった謝罪の言葉を、せめて一言だけでも伝えたい。
それだけが、義王院さまへの心残りです」
そうですか。晶の返答に、紫苑の表情は晴れやかなものへと移り変わる。
晶の口調に悩める淀みは無く、その内容は紫苑にとっても望ましいものであったからだ。
「では奇鳳院としても、晶さんの願いを取り持たねばなりませんね。
暫くお待ちいただければ、私たちが義王院との対面をお繋ぎいたします」
「良いのですか?」
「勿論です。
――そのためにも、晶さんのお話をしなければなりませんね」
「俺の?」
「はい。
晶さん。いえ、神無の御坐という歴史。
――そして、貴方自身のこれからについて、です」
意外な言葉に面食らう晶に、年相応のあどけなさを見止めた紫苑は微笑みを堪えながら頷きを返す。
落陽の影が窓の外を覆い尽くす直前に燃える輝きの中、奇鳳院当主の底を覗かせない双眸が晶の戸惑いを映して揺れていた。
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