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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
二章 聖教侵仰篇
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閑話 小雨に綻びて、黎明に哭く1

――葉月(8月)中旬前、國天洲(こくてんしゅう)、洲都七ツ緒(ななつお)にて。


 しとつく小雨に(けぶ)る中、義王院(ぎおういん)の膝元たる七ツ緒(ななつお)にある雨月(うげつ)別邸に雨月(うげつ)天山(てんざん)とその嫡男たる颯馬(そうま)が腰を落ち着けたのは、夕闇の沈む足音も早さを見せる頃であった。


「――見よ、颯馬(そうま)


「はい」


 常よりもやや豪華な夕餉を終えた後、周囲を眺望できる中広間に颯馬(そうま)を呼びつけた天山(てんざん)は、夜闇と雨の帳に霞む黎明山(れいめいさん)の中腹を誇らしげに指差した。


「何度かこの屋敷に連れては来たから知ってはいるだろうが、あれが黎明山(れいめいさん)。我ら雨月(うげつ)が忠義を尽くすべき義王院(ぎおういん)の方々が住まう屋敷だ。

 そして、お前が伴侶として尽くさねばならぬ方がお住いの場所でもある。

――厳しい将来(みち)だ、覚悟は良いか?」


「はい、(しか)と心得ております!」


 溌剌とした颯馬(そうま)の返事には、その将来に向かう迷いは欠片も見えなかった。

 使命に燃える息子の(いら)えに、天山(てんざん)も頼もしさから満足そうに首肯する。


 自慢の一人息子(・・・・)だ。

上級小学校の頃からそうであったが、天領(てんりょう)学院の中等部に進学した今でも文武の両面に()いて周囲の評価に陰りは一切見えない。


 否。陰りどころか、輝きはいや増すばかり。

 特に他者を率いる才に()いて、颯馬(そうま)の技量は同年代のそれと比べて一線を画しているとも聴いている。


 中等部の学年首席に2位以下よりも抜きんでた成績で選出されたのも、天山(てんざん)の自信を深める一助となっていた。


「……早苗(さなえ)にも苦労を掛けたな。

領地を完全に空ける訳にはいかん故、廿楽(つづら)に留まって貰うしかなかったが、この光景を一目でも見せてやりたかった」


「母上にもご理解はいただいております。

 出立前にも充分に姿を見て貰いましたし、心残りも無いでしょう」


 颯馬(そうま)からの慰めに、胸熱く幾度か頷きを返す。


 出来損ないの穢レ擬き(もどき)を孕んだ異胎女(ことはらおんな)。陪臣もそうだが、母方の一族からもそんな突き上げと陰口が多くあった事に天山(てんざん)は何よりも心を痛めていた。

 あれ(・・)を産んだ直後は狂乱に近い取り乱しを見せていただけに、颯馬(そうま)への溺愛ぶりには理解も出来る。

 母親からの過剰な期待に潰れるかとも心配はしたが、颯馬(そうま)は充分に応えてくれた。


 周囲への根回しと人別省の認定は、先日にようやく済んだ。

 後は、颯馬(そうま)雨月(うげつ)嫡男認定と2人の婚姻を正式に義王院(ぎおういん)に受け入れて貰うだけであり、これはすんなり通るものと天山(てんざん)は考えていた。


 何故ならば、嫡男のすげ替えは醜聞の類であるものの、意外とどの華族(いえ)でも行われている事であったからだ。


 生まれてくる長男が優秀であるとは限らない。そうであるならば、優秀な子供以外の芽を()んでやること(・・・・)は、後世に対する思いやりであり責務である。

 だからこそ婚姻の約束を交わす定型文には形式上、個人の名前を入れることは無く、続柄(つづきがら)を記入することになっているのだから。


 人名が明記されてさえいなければ、意外と本人(なかみ)の真偽は問われないのが華族としての常識であった。


 そう考えると、あれ(・・)がくたばってくれた(・・・)時期も、限り限りではあるが最善であった。そこだけは評価できると、天山(てんざん)は思考の片隅で(あれ)を褒めてやる。


 義王院(ぎおういん)からの要求に対する誤魔化しももう限界であり、最終的にはあれ(・・)が隠れ住んでいるであろう山住の民の集落を焼き払ってでも、(あきら)の排除を目論まねばならないところまで天山(てんざん)の心境は追い詰められていたからだ。


「うむ、そうだな。

……静美(しずみ)さまはお優しいお方だ。穢レ擬き()を追放した事に理解はしていただけるであろうが、あれの死を悼みもされるであろう。

――颯馬(そうま)よ。伴侶と受け入れていただいた暁には、静美(しずみ)さまの傷心を(あつ)くお慰め申し上げるのだぞ」


「はい。父上のお言葉を(しか)りと胸に刻んで、義王院(ぎおういん)家にお仕えする所存にて御座(ござ)います」


 頼もしい息子からの迷いない返事に、天山(てんざん)は目頭の奥に熱が帯びる気配を覚える。

 だが、気恥ずかしさからか口を(つぐ)んだまま首肯を返して、瞼に帯びた熱を誤魔化した。


「御当主さま。お約束の方々がお着きになられました」


「そうか、直ぐに向かう。皆さま方は応接間にてお待ちいただけ。

――これから会うのは、お前が当主の座に就くために骨を折っていただいた方々だ。

 お前の代以降も、雨月(うげつ)家とは(なが)の付き合いとなるであろう。顔を合わせるに丁度良い機会かもしれん、お前も席を共にするが良い」


 しばし、颯馬(そうま)との歓談に興じていた天山(てんざん)は、外廊下の端から手伝いの女性からの報せにそう応える。


 内心では颯馬(そうま)を嫡男と認めていようと、これまで天山(てんざん)は、内々の重要な会談に颯馬(そうま)を付き合わせることは無かった。

 だが、口にせずとも永代に望まれていた義王院(ぎおういん)伴侶の座を目前に控えた現在、天山(てんざん)は今後の事も考えてこの会談に颯馬(そうま)を同席させることを決意した。


 押しも押されぬ雨月家(八家第一位)の当主である父親(天山)がここまでの気を遣うとは、これから会う相手は余程の重責を担う者たちなのか。

緊張に気を引き締める颯馬(そうま)を背中に、天山(てんざん)は中広間を後にした。




「小雨が続きますな」


「ここしばらく、七ツ緒(ななつお)の天気は崩れやすく……」


 応接間は、基本的に親しいものとの歓談に使用される部屋である。

そこに近づくにつれ、緊張とは裏腹の和気藹々とした穏やかな語調が交わされている事に颯馬(そうま)は気付いた。


「お待たせして申し訳ない、井實(いじつ)殿、御厨(みくりや)殿」


「なんのこちらこそ。

大願を目前にした親子の会話、遮ってしまったようで気が引けますな。

 もう宜しいのですか?」


「はは、今生の別れでもありません。機会は幾らでも」


 がらり。天山(てんざん)が応接間に続く板張りの引き戸を開けると、柔らかな橙色の灯りと壮年を越えた男が2人、会話の手を止めて天山(てんざん)に視線を向けた。


夏の小雨特有の蒸れた水気が漂う室内で、天山(てんざん)たちと男二人は各々、卓を挟んで向かい合う。


「さて、お忙しいお二人の時間を割いてしまいましたな。

顔を合わせるのは初めてでしょう、嫡男の颯馬(そうま)となります。

――颯馬(そうま)。こちらは洲議であらせられる井實(いじつ)業兼(なりかね)殿。そして、其方の母、早苗(さなえ)の兄に当たる央洲(おうしゅう)華族の御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)殿だ」


「先日、人別省に雨月(うげつ)家嫡男と正式に認めていただいた、雨月(うげつ)颯馬(そうま)と申します。

井實(いじつ)さま、御厨(みくりや)さま、よろしくお願いいたします」


「おお。君のお父上に幾度なく面会を頼んでいたんだがね、ようやく応じてくれたか。

――その年齢(とし)にして立派な口上、雨月(うげつ)殿も一安心で御座(ござ)いましょう」


「妹が偶に寄越す手紙は君の自慢話しか載せていないものでね。正直、私は初めて会った気がしないな。

 だが、この若武者ぶり。颯馬(そうま)君の成長には妹も満足だろう」


「お恥ずかしい限りです」


 褒め上げられた照れからか頬に紅が差す颯馬(そうま)を、頼もしくも微笑ましく天山(てんざん)たち三人が視線を向けた。


 天山(てんざん)と2人の付き合いは、それこそかなりの年月を遡る。

 御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)天山(てんざん)の代よりさらに先代(まえ)からの付き合いであり、洲議としての地盤固めの奔走していた井實(いじつ)業兼(なりかね)御厨(みくりや)を挟む経緯で天山(てんざん)と縁を結んだ。


 互いに狙いは有るものの、概ね目的が被る事が無かったのも、結果としては良かったのだろう。

 決定的な破綻を迎えることなく、これまでの3人は穏やかに関係を育んできた。


井實(いじつ)殿はもうすぐ洲議の代表選挙に打って出るとか、対抗馬は何方(どなた)ですかな?」


力山(りきやま)西科(にしな)……。あの辺りが出張ってくる気配を見せてますな。

実力は団栗(どんぐり)の背比べですが、長年、議会を支えてきた重鎮です。

 油断はできんでしょう」


「ご助力が必要となる際はお声掛けを。

 あれ(・・)が生まれ落ちた際に折っていただいた労苦の一端、ここで返させていただきたい」


「助かりますな。その時が来れば是非とも」


「はは。抜け駆けとは、雨月(うげつ)殿も狡いですな。

 井實(いじつ)殿。この御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)も、貴殿の後背に控えている事をお忘れなきよう」


「無論、無論。

 感謝しておりますぞ、御厨(みくりや)殿」


 ははは。和やかに交わされる談笑の合間にも相手が何を望むか推し計り、都度、合いの手を差し挟む。

 雨月(うげつ)家と2人の関係が推察できているか。ちらりと視線を向けるも、颯馬(そうま)の表情に戸惑いが見えない事に天山(てんざん)は安堵した。


 精霊無しの忌み子が()りにも()って雨月(うげつ)家に産まれたという汚点は、義王院(ぎおういん)には勿論の事、周囲にも決して漏らせぬ秘匿事項であった。


 だが、人別省に登録した上、義王院(ぎおういん)が望みまでしてしまった一個人を抹消()す事など、幾ら八家とはいえ一華族が権力を及ばせるもので無い事は天山(てんざん)とても理解はしている。

 その為、天山(てんざん)が外部の協力者として手助けを願った相手が、井實(いじつ)御厨(みくりや)の両名であった。


 雨月(うげつ)の看板に泥が付く事は、関係を深めていた井實(いじつ)や縁組をした御厨(みくりや)にとっても致命傷になり得る可能性がある。

 それ故に、義王院(ぎおういん)(あきら)の本質が知られる事もそうだが、周囲から(あきら)の存在が無かったように陰に日向に手助けを向けていたのだ。


 時に義王院(ぎおういん)の対応が遅れるように、時に義王院(ぎおういん)(あきら)の接触が最低限に落ち着くように。

 他家との交流で(あきら)が表に出ないように振る舞い、積極的に颯馬(そうま)が目立つように喧伝(けんでん)する。


 お陰でここまで来れた。

 天山(てんざん)は感慨深く、腰を落ち着けている安楽椅子の背もたれに背中を預けた。


 洲議としての伝手(コネ)が広い井實(いじつ)業兼(なりかね)や、凋落しかけているとはいえ央洲(おうしゅう)華族としての権勢を未だ保っている御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)の助力無しでここまでの無茶ができるかと訊かれれば、天山(てんざん)とても否と答えるしかない。


 2人としても、この協力にはかなりの散財をする破目になったはずだ。

 雨月(うげつ)家が負う借りも、相当量に上っている。


 だが、過去の自身が下した判断には間違いは無かった。

 天山(てんざん)は談笑をしながらも、そう確信した。


颯馬(そうま)君を伴っての登殿は明日でしたな。

……雨月(うげつ)殿のご苦労が報われる瞬間だ」


「はは。皆さまのご助力あればこそ、私の労苦は然程でもありますまい。

……そういえば、至心殿(義父上)現在(いま)何処(いずこ)に?

 てっきり今日こそは、七ツ緒(ななつお)に足を運ばれると思っておりましたが」


 御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)からの(ねぎら)いに笑顔で返すも、ふと疑問が浮かんだ。


 御厨家(みくりやけ)の先代当主であり天山(てんざん)の義父でもある御厨(みくりや)至心は、央洲(おうしゅう)()ける御厨家(みくりやけ)の復権に苛烈な野心を燃やしている人物だ。

 未だ、央洲(おうしゅう)議会に強い発言力を維持しているも、往年の権勢と比較すれば御厨家(みくりやけ)の凋落も明らかであり、一度沈めば浮き上がるためには相当の運気と努力が必要となる。


 御厨家(みくりやけ)再起のためかなりの無理を押して雨月(うげつ)家に実の娘(早苗)を送り込んだが、その第一子が精霊無しの(あきら)であったため、当時の至心の落胆と嚇怒は相当なものであった。


 穢レ擬き(もどき)異胎女(ことはらおんな)。悪しざまに吐き捨てると共に、一時は早苗(さなえ)の処罰も雨月(うげつ)に求めるほどであったが、颯馬(そうま)の評判に至心も心を安んじられただろう。


 颯馬(そうま)こそは己が直孫よ。央洲(おうしゅう)でもそう声を高らかに喧伝(けんでん)していると聞いてはいたので、少なくとも不満には思っていないはずである。


 ここまで推す以上、晴れの舞台を控えたこの日くらいは顔を合わせてくれるだろうと、期待していた天山(てんざん)は肩透かしの戸惑(とまど)いを隠せなかった。


「ここ数年、父上は珠門洲(しゅもんしゅう)に招かれていましてな。

 逗留している他家の手前、私用で(くに)を越える訳にはいかなかったのです。

 この日に足を向けたかったと、手紙では随分に残念がっていましたが」


「それは残念だ。

 にしても至心殿を招くとは、先方は随分と剛毅(ごうき)ですな。

 用件を訊いてみても?」


「……ええ。長谷部領(はせべりょう)久我(くが)家に、月宮流(つきのみやりゅう)の師範として招かれております。

 久我(くが)家の嫡男が土行の精霊を宿していたので、父上が教導に手を挙げた経緯があります」


「ほう」

 どう返したものか少し迷ったのだろう。僅かに口籠(くごも)るが御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)からの応えに、天山(てんざん)は深い得心を抱いた。

「義父上が教導をされたか。

 成る程、技量のほどは確からしい」


 久我(くが)の神童。八家第二位如き(・・)が持ち上げる若き俊英。天領(てんりょう)学院で粋がって颯馬(そうま)に突っかかった事は耳に挟んでいたものの、この場所でその名前が挙がるとは。


 ちらりと颯馬(そうま)に確認の視線を向けると、確かに視線を下げて肯定の意思を返す。


久我(くが)君とは三ヵ月(みつき)前に手合わせをいたしました。

 神気と精霊力の差から辛勝を得ましたが、手強い相手でした。

……成る程、お祖父さまのご教導の賜物でしたか」


「そう云っていただけると有り難い」


 実際は、ほぼ刹那の内に危なげない勝利を得たと聞いている。

 多分に世辞を含ませた颯馬(そうま)の返答に、御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)の表情も明らかに安堵したものとなった。


 如才なく返す颯馬(そうま)のやり取りに天山(てんざん)の表情も和らぐ。

 文武に長けた方が良い事は間違いないが、こういった人心を掴む話術には、また別種の才を要するのだ。


 あれもこれも。多才は成長の妨げにもなるが、颯馬(そうま)の力量には如何(いかん)なく応えられる範疇にあった。




「そういえば最近、義王院(ぎおういん)が少しごたついているようですな」


「何か懸念事でも?」


 歓談も幾許の後、就寝のために一足早く颯馬(そうま)が辞去した応接間で、明日を控えて義王院(ぎおういん)の近況が話題に上っていた。


「さて? 洲議会に情報が少しも入ってきませんので、議長でない私には及ぶ権限がありません。

――ただ、文月(7月)の上旬には情報統制の影響が出始めていましたから、決定はその辺りで行われたはずです」


 井實(いじつ)から寄せられた情報も、首を傾げるしかない曖昧なもの。

 天山(てんざん)は腕を組み直し、周辺の事柄から情報を埋めるべく思考に沈んだ。


 他洲からちょっかいを掛けられたとしても、収穫前の夏盛りに時機が合わない。

 逆に出すためでも、義王院(ぎおういん)に意味は無い。


――そう云えば、


 ふと天啓のように、脳裏にその文言が浮かぶ。

 だが、有り得ないその答えに、頭を振って思考を散らした。


「何か心当たりでも?」


「いや、気の所為(せい)だろう。

 御厨(みくりや)殿は、何か心当たりがお有りか?」


「……いえ。

 その頃は央洲(おうしゅう)への水利権の話し合いもしておりませんので、義王院(ぎおういん)に嫌厭される理由もないはずです。

――他洲に影響を受けたとかは? 父上経由で聞きましたが、確か百鬼夜行が珠門洲(しゅもんしゅう)の洲都を襲ったとか。

 理由としては弱いですが、時機は合います」


「……かもしれませんな。

 まぁ、明日の登殿に際して、余裕があるようなら訊いておきましょう」


「助かります」


 所詮、天山(てんざん)には直接関係の無い話であろう。

 少し気になる情報であったものの、特に深く考える事無く鷹揚に受け答えを交わす。


 やがて、夜も更ける歓談の終わり、天山(てんざん)は就寝の床に就く前に、井實(いじつ)の言葉に思考の隅で思い浮かんだ言葉を再度、思い返した。


――そう云えば、穢レ擬き(もどき)くたばった(・・・・・)のも、その頃であったな。

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― 新着の感想 ―
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