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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
二章 聖教侵仰篇
48/222

4話 日々は過ぎて、眠るように謀る2

「――雲雀突(ひばりづ)き!!」


 (あきら)から放たれた火焔の一撃が、雲耀(うんよう)の閃きをもって猩々(ショウジョウ)土手腹(どてっぱら)に吸い込まれた。


 現神降(あらがみお)ろしを行使し(つかっ)た上で、充分に加速の距離をとった最速の一撃。

 それは外すことの方が難しい一撃、のはずであった。


――だが、


 神速のうちに放たれた炎の槍が虚空を貫き、勝利を確信していた(あきら)の瞳が瞠目に開かれる。

 思考とともに行動も(とど)まりそうになるが、全力で回避を叫ぶ第六感(本能)を信じて前方に身体を投げ出した。


―――()()()ィィィッッ!!


 耳障りに(あざけ)る叫声が、頭上から圧し潰さんと降ってくる。


――()ォンッッ!!


 轟音。

 (あきら)の視界よりも高くに跳躍した猩々(ショウジョウ)が、瘴気と妖魔の膂力を以って(あきら)の立っていた場所に両腕を叩きつけたのだ。


 瘴気混じりの剛風が踊り、猩々(ショウジョウ)の振り回す腕の勢いのままに(あきら)に向かって()(すさ)ぶ。

 その脇の下を転がるように潜り抜けて、(あきら)は必死に猩々(ショウジョウ)の攻撃圏内から逃れようとした。


―――(ムナ)シ、(オロ)カシィッ!!


 (あきら)を弱者と見たか、(あざけ)りが多分に混じった叫声と共に瘴気を(まと)った拳が放たれる。


――死ぬ!

 身の危険から半身を(よじ)ると、寸で蟀谷(こめかみ)(かす)めて拳が通り過ぎた。

 猩々(ショウジョウ)の放つ追撃の嵐に抗い、(あきら)は必死に落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)を拳に合わせる。


 落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)に籠められた神気と猩々(ショウジョウ)(まと)う瘴気が、火花を散らして互いを削った。

 嗜虐(しぎゃく)に歪む猩々(ショウジョウ)(あか)濁光(視線)と、死の恐怖に揺れる(あきら)の視線が火花に照り返されて消えたその時、


――(あきら)が隠し持っていた火撃符が、指を離れて猩々(ショウジョウ)の眼前を舞った。


 その反す手首の動きで剣指を(かたど)り一挙動で霊糸を斬ると、轟音と共に爆炎が膨れ上がり、呪符に封じられていた炎が解放される。


―――()ィィィッ!!??


 たかだか火撃符の一撃であっても浄化の炎は猩々(ショウジョウ)にとって忌避すべきものだ。

 妖魔であるからか、それとも顔面を(あぶ)られる恐怖にか、猩々(ショウジョウ)は断末魔に似た絶叫を上げた。


 猩々(ショウジョウ)が顔面を押さえてのたうつ隙に転がるように距離をとって、仕切り直しとばかりに(あきら)落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)を構え直す。


……そう、仕切り直しだ。


 猩々(ショウジョウ)は妖魔としては下位に位置し、臆病ではあるがその性質は執念深く厄介極まりない。

 下手に刺激して放置すると、人里深くまで下りてきて猛威を振るう恐れがあるからだ。


 それに、(あきら)自身の都合もある。

 人間の知識を簒奪し、背格好(なり)も非常に近い猩々(ショウジョウ)は、当然、戦い方もその見た目に(なら)っている。


 それは対人戦闘、それも防人を想定した仮想敵として最適の脅威度を備えていることを意味していた。


 粗くでも呼吸(いき)を整えて、現神降(あらがみお)ろしを行使する。


――対人の仕合に()いては、精霊技(せいれいぎ)の一撃よりも竹刀の一撃の方が早い。


 技術(わざ)の駆け引きに()ける明暗は、速度がその優劣を決定する。

 生命を賭したこの局面で蘇った厳次(げんじ)の教えに、漸く一つ(あきら)は大きく首肯した。


 (あきら)の足元で爆発したかのように落ち葉が舞い散り、吹き荒ぶ颶風(ぐふう)すら置き去りにする速度で加速する。


 精霊力の充溢した落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)を水平に薙いで、現神降ろし(ちから)に任せた吶喊。

 朱金の精霊光が棚引く軌跡を虚空に刻み、放たれた平薙ぎの一撃は猩々(ショウジョウ)の左腕を正確に捉えた。


 激突。


―――(アマ)シッッ!!


 猩々(ショウジョウ)の腕に濃密な瘴気が(こご)り、浄滅の意思を宿した落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)の刃が喰いあう。


 拮抗は一瞬。左腕に凝った瘴気が弾け散るのと同時に振り抜かれた猩々(ショウジョウ)の腕が、(あきら)の身体を()ね飛ばした。


 確かに、ただの剣技は精霊技の一撃よりも速い。

 だが、決定的な威力に欠けることもまた事実。晶の現神降(あらがみお)ろしは、猩々(ショウジョウ)の剛力に抗えるほど卓越している訳では無い。


 やはり、穢レ相手に決定打を得るためには、精霊技で相手の防御を食い破らなければならない。


「――っっ、まだまだぁっ!!」


 舌打ち一つ。容易く空中に浮く己の身体に苛立ちを覚えるも、(あきら)を撥ね飛ばしたことで猩々(ショウジョウ)の脇腹が大きく見えた事に心が逸る。

 心の中で仔狼(矜持)が猛り叫んだ。


――まだ立てる、まだ征ける、まだ噛みつける(・・・・・)


 喰らいつけ!!

 猛る咆哮に押されるままに両手両足を地面に踏み締めて、転がろうとする慣性を強引に耐える。

 立ち昇る土煙。猩々(ショウジョウ)の膂力を凌ぎきった証明(あかし)を、4条の傷跡(あと)として地面に刻み、


 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――


「――燕牙(えんが)ぁっ!!」


 己が宿す膨大な精霊力に任せて、炎の斬撃を放った。

 燃え盛る一撃が夜気を引き裂きながら猩々(ショウジョウ)に肉薄、


―――()ッッ!


 最早、それ(・・)は通用せぬと云わんばかりに(あざけ)りながら、悠々と猩々(ショウジョウ)は跳躍をもって回避した。

……なるほど確かに。あからさまな一撃ではこの猩々(ショウジョウ)に届かせることも出来ないだろう。


 この大(ましら)の首を獲るためには、隙が生まれるのを待つなどできない。

 隙を強請るなど論外だ。

――できる事はただ一つ、


 高く跳躍した猩々(ショウジョウ)は、遥か眼下、己の着地点(あしもと)で燃え盛る刃を携えた矮小な弱者()が待ち構えている姿を見止(みと)めた。


―――()ッ!?


 鋭く交差する視線。(あきら)の戦意が陰りを見せていない事に、猩々(ショウジョウ)の背筋が云いようなく粟立つ。

 警戒心が回避を叫ぶままに必死に逃げ道を探るが、そんなものは空中に在りはしない。


 仕方ない。拙い思考で刹那の覚悟を決める。

 引きずり出せるだけの瘴気で隙間なく(からだ)を覆う。あれ(・・)の一撃は手痛いが、高密度の瘴気で防ぎきれる事は先刻の攻防で証明済みだ。


 その後は逃げる。全力で瘴気を撒き散らして、嫌な煙(・・・)を突破する。

 ここまで大きくした群れを失うのは残念だが、己さえ無事なら次がある(・・・・)


――相貌(カオ)は憶えた。憶えたぞ。

――次は無い、次はこの猩々(ショウジョウ)がお前たちを狩る番だ!!


 凝る瘴気の奥で瘴気よりも粘つく嗤い、猩々(ショウジョウ)は次に得られるであろう勝利に酔う。

 瘴気の向こうで、(あきら)が悠然と落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)を構えた事に気付かなかった。

 それが幸だったのか不幸だったのか、それは(あきら)にも猩々(ショウジョウ)にも判りはしない。


 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――


鳩衝(きゅうしょう)――」


 下から上へ。鳴動する衝撃の奔流が大きく突き上がり、着地する寸前の猩々(ショウジョウ)を呑み込んだ。

 衝撃と共に吹き荒れる朱金の神気が猩々(ショウジョウ)を護る瘴気を(ことごと)く削り飛ばし、()き出しになった腹を夜闇の外気に(さら)し上げる。


 そう。隙が生まれるのを待つなど、猩々(ショウジョウ)は赦してくれない。

できる事はただ一つ、隙を生ませて強引に()じ開ける。

 (あきら)の実力では、それが限界。

――それだけだ。


 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)――


「――時雨輪鼓(しぐれりゅうご)ぉっっ!!」


 落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)の切っ先に沿ってうねる(・・・)火焔の渦が勢いを増し、爆ぜる衝撃と共に猩々(ショウジョウ)の腹を深々と斬り裂いた。


 内臓を撒き散らし、半ば腹から両断された猩々(ショウジョウ)が湿った音と共に地面に落ちる。


―――()…………。


 末期の息を漏らす猩々(ショウジョウ)の盆の窪を深々と落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)の切っ先が貫き、大きく(あきら)は呼気を吐いた。




 己たちの主である猩々(ショウジョウ)を喪った(ましら)の群れは、目に見えて統制(まとまり)を無くした。


 逃げ(まど)うしか能の無くなったその群れは、それから4半刻(30分)もいかない内に一匹残らず鏖殺(おうさつ)の憂き目を見る。


 守備隊の防人たちが精霊器を振るう中、猩々(ショウジョウ)を狩った(あきら)は1人、休息を強要されていた。


「――(あきら)くん、お疲れ様」


「……ありがとうございます」


 周囲の掃討を粗方()えた(さき)が、手拭いを差し出して(あきら)(ねぎら)う。

 どちらかと云えば気疲れの方が強かったが、その労いに対して(あきら)は短くも素直に感謝を口にした。


 2人肩を並べ、しばしの沈黙が間に横たわる。

 (ましら)の掃討は続いているのか、時折、追い立てる声と(ましら)の吠え声が響く。


「……狩りに参加しなくていいんでしょうか?」


「不満?」


「いえ、不満じゃなくて」


 気不味さから口籠(くごも)った。僅か一か月前まで、(あきら)は練兵としてあの掃討戦の中に生命の危険と共に加わっていたのだ。

 手持ち無沙汰と云うよりは、しなければならない事をしていない、そんな焦燥感が(あきら)の背中を押していた。


「何となく気持ちは判るけど、(あきら)くんは身体を休めなきゃ駄目よ。

 人間に最も近い猩々(ショウジョウ)を相手にしたの、(キミ)の負担は思っている以上のはず。

 君自身が気付いていないだけで、実際はかなり興奮しているのよ。

 その感情で動いたら疲弊した神経がささくれて、知らない間に削れるわ」


「……はい」


 奥歯に物が挟まるかのような微妙な表情で、一応の(うべな)いを返す。

 (さき)の提案を受け入れてはいるのだろう、だが、納得はしていない。そんなところか。


……まぁ、いい。その内にイヤでも実感する。

 精神(こころ)の疲弊は何よりも、自身が気付かない行動に(あらわ)れるからだ。

 それは、自身の体験で既に経験済みであった。


 対人戦闘は、穢獣(けもの)との戦闘とは全く様相を異にする。

 戦術を思考する生き物との相手は、精神に負担が掛かりすぎるのだ。


 それに、もう一つ理由がある。

……いや、こちらが本当の理由か。

 (あきら)の気持ちが落ち着くまで、こちらは絶対に教える訳にはいかないが。


――嗚呼、嫌だ、嫌だ。


 じゃりじゃりと、苦い砂が口の中を犯す様を幻味(あじ)わう。


 人間は同じ人間(ひと)を殺す事に、強い忌避を覚えるようにできている。

 社会を構築する生き物である以上、それは当然の本能だ。


 その本能を麻痺させて、人間(ひと)(かたち)をしている生き物(もの)を壊す事に慣れさせる。それが猩々(ショウジョウ)(あきら)の手で下す事を強要した、本当の理由。


 昨今の防人では経験していない者も多いと聴くが、衛士であるならば、絶対に通らなければならない経験()である。

……それに一度は自分も通った過程だ。酷ではあるが、衛士になる以上、(あきら)とて例外ではいられない。


「ここに居たら気も休まらないでしょ? 後方に……、

 どうしたの?」


 後方に下がらせようと(あきら)を見遣ると、明後日の方向に視線を向けて首を(かし)げている(あきら)の様子が視界に入った。

 同じ方向に視線を向けるも、視界に入っているのは遠くにある小高い山一つ。


「いえ、その……」


「気になった事があるなら云っといて。斥候を派遣して調べさせるわ」


「問題ありません。

 その、誰かに視られている気がしたもので」


 改めて、(あきら)の向けた視線の先を見遣る。

 やはり変わらず、何の変哲もない山間の夜景しか視界には映らない。

 (あきら)の懸念に今一つの緊迫感を持てない。(あきら)とは真反対の理由で、(さき)は首を傾げた。


「……何も無いけど、気の所為(せい)じゃない?

 気になるなら調べさせるけど」


「そこまでする必要は無いです、申し訳ありませんでした。

――やっぱり疲れているみたいですね、後方に下がります」


 自身が口にした一言が大事を呼び込みそうになる気配に、(あきら)は慌てて(かぶり)を振った。

 (さき)の反応も待たずに、後方に設営された簡易天幕(テント)に足を向ける。


「あ、

……もう」


(さき)さま」


 反対側から埜乃香(ののか)に声を掛けられて、天幕に向けて消える(あきら)を呼び(とど)めることを、(さき)は肩を竦めて諦めた。

 久我(くが)監視()が逸れている内に色々と会話をしておきたかったが、全部ご破算になった形である。


埜乃香(ののか)さん、お疲れさま。

――(ましら)の群れは片付いた?」


「粗方は。

 今のところ、包囲網が破られた形跡(あと)はありません」


「良かった」


 猩々(ショウジョウ)が君臨する群れの雌猿(メス)は、基本的に猩々(ショウジョウ)のモノである。

 雄猿(オス)は消耗品に過ぎないが、雌猿(メス)は後継を産むための大事な部品になるのだ。


 猩々(ショウジョウ)を孕んだ雌猿(メス)を逃してしまえば、その(はら)から出てきた新たな猩々(ショウジョウ)が新たな群れを率いて人里に仇を成す。


 それを赦す訳にはいかない。だからこそ、猩々(ショウジョウ)を殺す際の鉄則が群れごとの鏖殺であった。

 今回の狩りで逃亡を赦した形跡は見られなかった。その報に、(さき)は一応の安堵を胸に得る。


――だが、報告を行った埜乃香(ののか)の表情はやや硬く、何処か別の懸念(けねん)を抱いているようであった。


如何(どう)されました?」


「……(さき)さまに一つお伺いしたい事が、

――(あきら)さんは、何者なんですか?」


「……………………」

 その突然に切り込まれた話題に、不覚にも(さき)の反応が一拍遅れる。

 唐突な、そして鋭い質問に、滑らかに二句を繋げることができなかった。

一ヶ月(ひとつき)前に百鬼夜行で大功を挙げたため、奇鳳院(くほういん)さまの肝煎(きもい)りで氏子ながら防人に昇任した人です。

 功を挙げたところは私も直に確認していますので、潜在する実力に疑う余地はありません」


そこは(・・・)私も聞き及んでいます。

 お訊きしたいのは、(あきら)さんの戦い方です」

 (さき)が何とか絞り出した(あきら)に対する当たり障りの無い公的な認識に、埜乃香(ののか)は尚も(かぶり)を振って追及の手を()めなかった。

「正直、(あきら)さんが猩々(ショウジョウ)を仕留めるとは欠片も想定していませんでした。

 あれ(・・)の厄介さは(さき)さまもご存知のはずです、防人になって一ヶ月(ひとつき)程度(・・)のものが単独で挙げられる勲功ではありません」


 猩々(ショウジョウ)は妖魔の中でも下位に位置する。

 だが、ただ(・・)人の智慧(狡賢さ)を簒奪するこの妖魔は、単純な武力で測れない厄介さが特徴である。


「ええ、本来であるならそうですね。

 ですが、(あきら)くんの実力は奇鳳院(くほういん)さまの御推挙あってのもの。

 それに精霊技(せいれいぎ)教導(・・)には、珠門洲(しゅもんしゅう)で10指と名高い武傑、阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)に直々に手を上げて貰っています。

――阿僧祇(あそうぎ)殿が教導に入られて一ヶ月()経つのなら、猩々(ショウジョウ)如き(・・)首級(くび)一つ、上げられないでどうします」


 どう考えても無理のある暴論を並べ立てて、埜乃香(ののか)の追及を(けむ)に巻こうとする。

 やはり無理を感じたのか、埜乃香(ののか)の表情は晴れる事は無い。

 疑念を孕んだ視線を受けてなお、この話題に関して(さき)は努めて無視の姿勢を決め込んだ。


「それよりも、来週には(くだん)の廃村に足を向ける予定と聴いていますが、現地の状況はどうなっていますか?」


「……報告は(かんば)しくありません。

 『導きの聖教』が主体となって村を立て直したのは事実のようですが、どうにも神父を名乗る男性(・・)が専横を利かせているようでして」


 このままでは場が(まと)まらないと、直近の懸念へと強引に話題をすり替えた(さき)に渋々ながらも埜乃香(ののか)は応じた。


「神父、ですか。本名?」


 だとするならば、神の父とは随分と傲慢な名乗りだが。


「いえ、流石に本名ではないと。

 当人(いわ)く役職名だそうです、神の子らを導く父という意味だとか」


三宮四院(神柱の末裔)を差し置いて神柱(かみ)の代弁者気取り?

 西巴大陸の宗教って随分と大らか(・・・)なのね」


 呆れ果てたと云わんばかりの舌鋒に、埜乃香(ののか)は苦笑を浮かべるしかなかった。

 彼女自身、そこまで詳細に現地の情報を握っている訳では無いからだ。


 報告から聞き及んでいる事で埜乃香(ののか)が確信を得られたのは、本当にごく僅かな内容でしか無い。


 そもそもからして、村が棄てられた経緯が一切不明なのだ。

 ある朝、庄屋(大地主)が気付いたら村人が離散していたのが、最初に発覚した出来事である。


その後、元の村人たちが村を棄てた理由も曖昧なまま、『導きの聖教』の信者たちは驚くほど自然な流れで跡地に浸透した。


 久我(くが)本家へと庄屋(大地主)の陳情は上げられたが、(さき)招聘(しょうへい)するためだけに対応が遅れたのは、埜乃香(ののか)としても理解しがたかった。


――久我(くが)法理(ほうり)は、断じてそこまでの無能では無い。


 つまり対応が遅れた理由には、(さき)招聘(しょうへい)する以外の要因があるのだ。

 そこまでは、(さき)埜乃香(ののか)も確信をしている。


 だが、理由が判らない。

その推測すら立てられない現在、時間と忸怩(じくじ)たる思いが緩やかに(さき)の行動を縛っていた。


――――――――――――――――


「――――っっ!!」


思わず呼吸(いき)を押し殺し、ベネデッタは手にした望遠鏡から目を離した。

しゃこり。軽い音を立てながら()に収まるほどに畳まれたそれ(・・)を懐に仕舞い込み、平原(・・)から視界が遮られる後方に身を隠す。


「どうした、ベネデッタ(ベティ)?」


「……離れましょう、気付かれたわ(・・・・・・)


「そんな馬鹿な、平原(あそこ)から此処まで何キロあると思っている」


 同じく望遠鏡を覗いていたサルヴァトーレが、怪訝そうな表情をベネデッタに向けた。

 表情には疑念の色が強かったがそれでも彼女の言葉を狭量に切り捨てはせず、行動はベネデッタに(なら)ってみせる。


「……大規模な結界を張っていた感触は無かったから、視線を感じたとか」


「我々は千里眼を行使(つか)っていた訳じゃない、身体強化を行使(つか)っただけだろう。

あれの痕跡をこの距離で見破るなど、物理的に有り得ないぞ」


 ベネデッタたちが隠れていた丘山から晶たちのいた平原まで、約1里半(約6キロメートル)は離れている。

 この距離を無視して視界を遠方に飛ばすためには、本来ならば千里眼と呼ばれる聖術の存在が必要不可欠になるはずであった。


 非常に便利な聖術であるが、その反面、視界を飛ばした相手に術の痕跡が露呈しやすくなるという欠点を持ち合わせている。


 その欠点故に、ベネデッタたちは波国(ヴァンスイール)で開発されたばかりの望遠鏡を秘密裏に高天原(たかまがはら)へと持ちこんでいた。


 高強度の水晶体(レンズ)と高彩度を可能とする鏡で構成されたそれは一見すると手元に収まる大きさのちゃちな望遠鏡だが、実際は身体強化を掛けた教会騎士が使用する事で本領を発揮する超長距離仕様の望遠鏡である。


 術ではなく機械による視力の強化。未だ文明開化の途上にある高天原(たかまがはら)の人間では発想にも及びつかない、近代技術の結晶であるはずであった。


青道(チンタオ)の港町で、道術(タオ)の一つに視線を辿る(すべ)があるって聞いた事があったわ。

 確か高天原(たかまがはら)の呪術って道術(タオ)が基礎になってたでしょ? 類似の呪術があってもおかしくない」


 サルヴァトーレの疑問に応えながら身を(ひるがえ)す。

 慌てて後背についてくる青年の気配を感じながら、ベネデッタは山を下りるべく足を速めた。


 望遠鏡越しの視界で(あきら)の視線がベネデッタを捉えたのは偶然ではないと、ベネデッタは確信している。


 よしんば偶然であったとしてもこの場は離れた方が良いと、ベネデッタの勘が囁いているのだ。

 ベネデッタの勘は当たる。従わない理由が無かった。


 それに()たいものは観られた。

 守備隊の練度、一部隊に()ける戦闘要員の装備と人数(かず)

――そして、珠門洲(しゅもんしゅう)の大神柱が加護を与えている者の実力。


「やっぱり、(あきら)さんは私たちの前に立ち塞がると思う」


ベネデッタ(ベティ)一押しの坊やか。

 随分と下品な戦い方だったが」


「でも加護の強度が尋常じゃない。

 あれだけ強かったら、間違いなくこの地の全ては彼に味方すると思う」


 先刻の戦闘を思い出す。

 荒削りの戦術、拙い技術。サルヴァトーレの指摘通り、泥臭い戦い。

だがその身に(まと)っているのは、世界を塗り潰さんばかりの濃密な加護。


 相手にしていた妖魔(ディモン)もそれなりの相手であったが、あの加護相手では勝利の可能性は微かも無かっただろう。


「私としては、ピストルが普及していない様子が意外だったな。

 長銃(ライフル)すら構えている様子が無かった。

――こちらとしては都合がいいが」


「……そうね。

 交戦になったら、サルヴァトーレ(トト)はあれの真価を教えてあげてちょうだい」


 晴れぬ憂いを笑い飛ばすサルヴァトーレ(友人)の快活さに、ベネデッタは何時も救われてきた。

――今回もそうだ。


 そして、これからもそうだと祈ろう。

 口にはできない感謝を苦笑に込めて、ベネデッタは拠点としている教会へ帰還するために足を更に速めた。

TIPS:望遠鏡について

 ベネデッタたちが持っていた望遠鏡は、波国で開発された最新式の望遠鏡である。

 見た目がただのちゃちな折り畳み式だが、強屈折の水晶体(レンズ)で構成されているそれは超長距離仕様の望遠鏡となっている。


 ただし、常人が覘いたところで歪んだ風景が写るだけで、身体強化の術を行使した人間が使用する事を前提としている。


 軍用で開発された割には非常に壊れやすく、本国の軍関係者(脳筋ども)には渡せないと開発者が渋ったとか何とか。


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[一言] いつも楽しみにしています!! さて、先走った質問かもしれないですが、気になってしまったので質問します 蕎麦屋で聖女とあった件は咲には報告してあるのでしょうか? 土曜日楽しみに待ってます!…
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