2話 鴨津にて、向かい風に歩む4
久我法理との面会は、僅か4半刻ほどで終わった。
僅かとは云え実に濃密な面会であったが。
咲と晶は内心の疲労困憊を必死に押し隠しながら、再び埜乃香の先導で廊下を歩いていた。
咲は目の前を歩いている埜乃香に視線を向けながら、先刻の面会をなぞるように思い出す。
晶は発言を控えていたし、言質の取りようが無い。
咲も慎重に、当たり障り無く応えた自負がある。
……何も問題は無かったはずだが、咽喉に小骨が刺さったかのような違和感が抜けない。
久我法理は、善意では絶対に動かない。
咲はそれを良く熟知していた。
必ず、最大利益を図った行動を起こすはずなのだ。
だが、意図が知れない以上、咲は行動を起こす事ができない。
対処したいのに対処できない。その板挟み故に、咲は自縄自縛に陥っていた。
嘆息を1つ。意を決して咲は口を開く。
「……埜乃香さん、少し良いかしら」
「勿論です、輪堂さま」
「咲でいいわ、これから暫くの付き合いになるんだし。
――一応、状況を把握しておきたいの。
特に久我くんと話し合う前に、意見の摺り合わせはしておきたいわ」
「はい、では個室を用意いたします。
そちらの方はどういたしますか?」
いきなり視線を向けられて、晶は慌てふためく。
「お、俺は先に戻っています」
「――いいえ。この際、聴いておいた方が良いと思う。
晶くんも、調査に加わるんだし」
「…………はい」
何となく、凄い厄介な事に巻き込まれそうな予感がしたのだが、有無を云わさない咲の判断に、敢え無く撃沈した。
通された個室は、5畳ほどの小さな部屋であった。
そこに、全員が車座になって座る。
「さて、まず訊いておきたいんだけど、埜乃香さんの段位はどこに至っていますか?」
「私は、玻璃院流の奧伝を頂いております。
――ですが、皆伝は頂いておりませんので、奧伝は撃てません」
側室とはいえ、八家に嫁ぐ以上、上位精霊であるのは確信していた。
年上である事からしても順当な段位。咲が中伝であるから、段位の序列でいけば埜乃香に場を仕切る資格があるはずだ。
「どうします?
埜乃香さんに水を預けた方が良いかしら?」
「――いいえ、私は側室として入った身です。
家格からしたら咲さまが上位。咲さまが場を仕切る方がよろしいかと」
「……判りました。
では、訊いておきますが、中伝は全て使えますか?」
「はい。咲さまのご懸念も、重々に承知しております。
故にお応えしますが、あの精霊技も使えます」
「良かったです。
荒事になる可能性は少ないと聞いてましたが、備えておくに越したことはありませんから。
――では、もう一点。久我くんの問題については聞き及んでいますか?」
「――はい。私が側室に入ると決定した際、諒太さまの性格と私が望まれている役割も聞かされております」
「……正直に話していただいて、ありがとうございます。
こちらの内情もお伝えします。私は奇鳳院流の中伝を頂いております。
こちらの晶は、初伝を習い始めたところです、初伝を4つ、連技を2つ。
対応力は心許ないですが、全て呪歌無しで行使えますので、余程の手練れに当たらなければ戦線の長期維持は可能です」
「はい。
――晶さんと云いましたか、よろしくお願いします」
「は、はい。よろしくお願いします」
「久我くんは、……月宮流の中伝。一ヶ月前と変わってなければ、最大火力を一点に叩きつける一対一の戦闘を得意としていたわ」
目線で埜乃香に確認を送る、無言の首肯が肯定の意思を返してきた。
「……荒事になった場合、久我くんには敵の中枢を叩く役割をお願いしましょう。
鴨津は久我家の所領だし、私たちは必要以上に出しゃばる必要は無いわ」
元々、久我法理からしたら、諒太に経験と功績を積ませるのが目的なのだ。
咲や晶は、おまけ程度に呼び寄せているに過ぎない。
だが、直情的な諒太は武勲争いに興味を示しはするが、主導権争いに興味を示す事は無いだろう。
咲とても奇鳳院よりこの件の解決を求められているが、誰が解決したかは求められていない。
故に、咲は武勲争いを早々に放棄する事を決め、裏方に徹することを決めた。
「――よ、よう、咲! 来てたのかよ?」
埜乃香との話し合いを終えて玄関近くまで来た時、その向こうから初老の男性と共に久我諒太が歩み寄ってきた。
稽古帰りだったのだろう。
焼け付くような猛暑の熱と汗に塗れた諒太に嫌悪感こそないものの、相も変わらず相手に配慮しないその性格に、咲は思わず口元を引き攣らせた。
「……ええ。久しぶりね、久我くん」
「ああ。衛士の研修で別れて以来だから、一ヶ月ぶりか。
……と」
話しかけている内に、咲の後背に控えている晶にようやく気が付いた。
余計な刺激をしないように、無言のまま晶は首を垂れる。
「なんだ、外様モンかよ。
どうした、咲の金魚のフンでご満悦か?」
多分に他意を含ませた嘲弄で諒太は晶を挑発するが、晶としても異論を差し込めない状況に、ただ沈黙を守って頭を下げ続けた。
一向に手応えを見せない晶に急速に興味を失ったのか、諒太は一つ鼻を鳴らして、咲の方へと向き直る。
「それで、咲は例の件で来たのか?」
「ええ。奇鳳院さまの下知で、『導きの聖教』に関する調査と解決を命じられたわ。
詳細は受け取っているし、手が空いているなら予定を詰めたいのだけれど」
「忙しいって訳じゃないが、夕餉の後でいいだろ。
どうせ、行動すんのは明日からだし」
「食事? 終われば夜になっちゃうじゃない。
どうやって帰ればいいのよ?」
守備隊の夜番や不寝番で深夜に活動することに慣れてはいるが、それは、武力集団としての行動の一環であるからに過ぎない。
そういった諸々を除いてしまえば、咲は華族出身の淑女なのだ。
夜間に出歩くのは、流石に二の足を踏むお年頃なのである。
「帰る? お前こそ、何云ってんだ。
泊まるに決まってんだろ、部屋ももう用意してある」
さも当然といった風に云い放ち、諒太は埜乃香に視線を向けた。
視線だけの問いかけに、埜乃香は戸惑いながらも頷く。
「は、はい。
諒太さまのご指示通り、客間を整えておきました。
……あ、あの、こちらに腰を落ち着けられるのではなかったのですか?」
「…………何云ってんの!?」
諒太からのその言葉に、咲は驚くよりも先に呆れかえった。
『男女七歳にして席を同じうせず、食を共にせず』は、咲たちの生きる現代に於いて貞操感覚の大前提である。
男性が他家に部屋を借りることは然して問題ないが、未婚の女性が他家に部屋を借りる事はかなりの問題が生まれる。
幼い少女が両親と共に泊まるのであるならばまだしも、咲が久我家に泊まると云うのは、両家同意の下に婚姻関係を宣言したのと同列に扱われてしまうのだ。
しかも本来、婚姻に関する発言力は女性側の家に預けられるのだが、不用意に他家に泊まった場合の婚姻に関する発言権は、大幅に男性側に認められてしまうのだ。
流石に、そうすると宣言する図々しさを流せるほど、咲は寛容では無かった。
「久我の御当主さまは、この件について知っているの?」
返答如何ではただでは置かないと、追及の姿勢に剣呑な雰囲気を漂わせる。
咲は、自身の価値を正しく把握していた。
第五位とはいえ、輪堂は紛れも無く八家の一角。
咲にしても、本家直系の三女である。
仮令相手が八家第二位の久我家とはいえ、碌な話し合いも持たずになし崩しに側室入りを要求される謂れは無い。
咲という高価な交渉札を、こんな捨て札として扱われるのは屈辱に過ぎた。
「咲が俺ンとこに来るって話か?
俺が提案したら、父上は随分と喜んでくれたぜ」
「つまり、輪堂の当主には話を通していないのね?
呆れた。そんな姿勢で八家と婚姻関係を通せるなら、久我の御当主どのなら大喜びで頷くに決まっているじゃない」
口振りから、大方の実情を察する。
知ってはいるが、大いに焚きつけて黙認した、といったところだろう。
上手くいけば御の字。文句を云われても、輪堂孝三郎なら説き伏せられると踏んでの暴挙か。
「別に問題ないだろ。八家同士の婚姻なら、家格の意味じゃ充分だ。
第五位が第二位に側室に望まれるんだぜ? 何が不満だよ」
「決まっているじゃない、全部よ。
そう云った話をお父さま抜きで進める腹積もりなら、輪堂だって黙っていられないわ。
……行こう、晶くん。久我くんは忙しいようだから、調査の話は明日また来て詰めましょう!」
吐き捨てるように云い放ち、咲はずんずんと足を踏み鳴らしながら玄関に向かって歩き始めた。
「――少しお待ちいただけますかな?」
「……翁どのとは面識の記憶がありませんが、貴方は?」
憤懣やるかたない咲の感情を鎮めたのは、記憶には無い老成した静かな一声であった。
年功序列を配慮して苛立ちを押し殺しながら、声を発したであろう諒太の隣に立つ老人を視界に収める。
「これは失礼を。儂は央洲華族の末席を汚しております、御厨至心と申します。
久我家には、月宮流の師範として招かれている身にございます。
輪堂の姫君におかれましては、以後、よろしくお見知りおきをお願いいたします」
「……翁どのは央洲の方でしたか、よろしくお願いいたします」
年下であるはずの咲に対して、礼節を尽くした態度。
未だ年若いとはいえ、八家の怒気を正面に受けて小動もしないその顔に、下手に感情的になると足元を掬われかねないと判断した咲の態度も改まった。
央洲華族は、他洲を格下と見る風潮がある。
理由は様々あるが、他の精霊よりも強力とされている土行の精霊は、主に央洲の華族に宿るという事実が、その自負の多くを支えていると聞く。
下手に矜持の高い老人、機嫌を損ねると厄介そうだ。
それに間違いなく、相手は小知恵が回る。
「いや、12の若さでそこまでの立ち振る舞い、儂も多くの御仁を見てきたが、堂々たる姿勢に、流石は八家の姫君よと感じ入るばかりにございますな」
――早速、猿山の頂点争いを仕掛けてきたか。
咲の警戒に気付いているからか、御厨至心は咲を褒めちぎることから始めた。
そこに透けて見えるのは、久我法理とは別種の年季の入った老獪さ。
本性は、好々爺然とした面の皮に覆い隠されて全く見えてこない。
だが、四方山話の体裁を取り繕った言葉の意図は、どちらが上かを決めるための旗頭の取り合いだ
故に、咲は相手が述べ連ねるだけの褒め言葉に、感情を揺らすことは無かった。
「……央洲華族の方にそこまでの評価を頂けるとは、過分な評価、身に余る思いです」
言葉を短く、目上に対する姿勢をもって感謝を述べるに止める。
当たり障りのない言葉は、相手に下手な言質を与えないためである。
咲の意図に気づいてか、御厨至心は面白そうに片眉を上げた。
興味を惹いたのか、生意気と内心で吐き捨てたのかは咲には読み取れない。
だが間違いなく云えるのは、御厨至心は、咲と交渉をしてやる気になった事だ。
「なに、南部の方といえ同じ華族。洲の垣根や華族の位など、高御座の姫君と高天原を統べる三宮の方々の御許では、斉しく膝を折る立場に違いはないでしょう」
「なっっ――――!!」
――央洲を統べるものの前で、八家と己とでは然して違いはない。
丁寧なのは上面だけ。傲岸不遜に云い切る御厨至心に、咲の感情が再び揺れた。
若い咲が見せた青さを、経験豊富な老爺が見逃すはずもない。
「……無論、八家の姫君に対して、久我の領地に足を踏み入れたからには嫁ぐ気もあるだろう、は流石に暴言も過ぎるでしょうな。久我家の勇み足について、充分に輪堂家への配慮は必要でしょう。
――ですが、諒太殿の心配にも、御一考の猶予は頂きたい」
「……く」
二の句を失った咲に、素早く御厨至心は、輪堂家への配慮を見せつつ都合のいい主張を差し込んだ。
「聞けば咲殿は、教導としてそこのものを連れて回っているとか。
如何に奇鳳院さまの下知と云え、下の民と肌を近づけるのは迂闊が過ぎるというもの。
久我本統の御生母にもなれる方にそのような下働き扱いを強いるとは、輪堂家の格が軽んじられるというもの」
「――屋根は同じですが、部屋が違うので問題はありません。輪堂家の当主よりの許可も頂いています。
何よりも、彼が一人前になるまで補佐をする、その命を果たさずしては奇鳳院さまへの申し訳が立ちません」
「無論、無論。咲殿の面目を汚す意図は一欠片とてありません。
ですが、下雀どもが囀る噂話に責任を問うても仕方ないでしょう。
気の安んじ得る女性が市井の噂話に上った事を聞き及んだ、諒太殿の御心情にも配慮いただきたかったですな」
久我諒太に配慮する必要などそもそもないし、実際のところは噂になどなっていない。
平民は華族に対してそこまでの興味を持っていないし、教導役と云っても、表に立っているのは基本的に阿僧祇厳次のはずである。
これは間違いなく、久我家に探りを入れられていたのだろう。
――目の前の老爺か、久我法理からの善意の提案。
下手に提案全てを突っ撥ねたら、こちらもある事ない事流してやるぞ、と云いたいのか。
不利を悟って、咲は早々に論争を切り上げることを決めた。
どうせ相手も、こうなった場合の折衷案を用意してあるはずだからだ。
「…………では御厨翁は、久我家に配慮して輪堂咲に泊まれ、と?」
ここが分水嶺だ。越えれば、奇鳳院の下知だとしても、久我への協力などできなくなる。
それは老爺も熟知しているのか、にこやかに首を横に振った。
「まさか。ですが、こちらで別に用意した宿へ泊まって頂けたら、諒太殿の安堵も得られるでしょう。
ご安心ください。久我家にほど近く、鴨津で一番と名高い高宿だとか」
――やはり、既に宿も用意済み。
無駄だと知りつつも、苛立ちから咲は皮肉を舌に乗せた。
「……無論、男客は居ないのでしょうね?
知らぬ宿で男が一緒に屋根を借りているなど、それこそ醜聞になりかねないのですが」
「御心配なく。完全に借り切っておりますので、咲殿以外の客がそもそもおりませんので」
「…………判りました。では、宿への紹介をお願いします」
僅かに本末転倒の手落ちを期待するが、老爺はにこやかに否定する。
――結局、舌戦で御厨至心の上を行くことは叶わなかった。
咲の行動を決定するためにどれだけの出費をしているのか。
どう考えても無駄遣いがすぎる善意の押しつけに、内心で舌打ちをしながらも咲は最終的に折れる事になった。
読んで頂き、ありがとうございます。
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