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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
二章 聖教侵仰篇
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2話 鴨津にて、向かい風に歩む2

――ガタタン、ゴトン。


 万窮(ばんきゅう)大伽藍(だいがらん)での朱華(はねず)との逢瀬から三日後、晶と咲は鴨津(おうつ)に向かう汽車の車中の人となっていた。


 規則的に大きく揺れる車内からみる外の景色が、前方から後方へと見る間に流れて消えていく。


 蒸気機関車(スチームロコモービル)の生み出す1000馬力超の出力が、それまで高天原の人間が知るどの乗り物よりも高速に物と人を運搬する事が叶うようになってから、およそ50年が経つ。


 だが、近代に足を掛けてそれなりの時間が過ぎても、蒸気機関車が誇る黒鉄(くろがね)の威容は子供の興味を惹いて止まず、車中では子供たちの歓声と駆ける足音が静まることは無かった。


「そういえば、晶くんは鴨津(おうつ)の街について知識はあるかしら?」


「いえ。長谷部領が、珠門洲の最南端であると云う事くらいしか存じません」


 鴨津から華蓮まで領地を2つ越える必要があるため、全行程を消化するには2日は必要になる。

 乗車した最初の方こそ咲と一緒の席に緊張したものだが、車中の人となって2日目の今ではすっかりと慣れて、何となしに子供たちの姿を視線で追うくらいには、晶は余裕を見せていた。


「そう。

 私が知る限りの知識だけど、事前に教えておくわ。

 名瀬領(私の地元)じゃないから公の知識だけど、無いよりはマシだと思う」


「……お願いします」


 云われてみれば、出立の準備に追われて事前知識の仕入れを怠っていた。

 その自身の手抜かりを素直に恥じて、晶は咲に頭を下げた。


「鴨津は、長谷部領の最南端に位置する都よ。

 長谷部領の領都でもあり、おそらくは高天原の中でも2番目に発展している場所でもあるの」


「……領都とはいえ、ただの街ですよね?

 どうして、そこまで栄えたんですか?」


「長谷部領はね、ある特権を有しているの。

 高天原の中で唯一、諸外国との交易が認められていて、鴨津の街はその窓口として開かれている事で有名なの。だからあの街には、高天原でも最大の係留港があるわ。

 長谷部領は莫大な資金と物資の流通を一手に担う利権から、昔から他領に追随を許さない発展を続けてきたの」


 つまり鴨津は、海外と高天原を結ぶ関所の役割を果たしてきたわけだ。

 そして、『導きの聖教』が鴨津で行動を起こしている理由も、大体の想像がついた。


「『導きの聖教』は、鴨津を経由して高天原に侵入(はい)ってくるしか方法はないんですね。

――ですから、鴨津の近郊にある廃村を拠点に定めたんですか」


「うん。その認識で大きく間違ってはいないわ。

 長谷部領から少しでも離れれば、聖教の名前を聞かなくなるのも鴨津の周辺でしか行動できないから。

 ただ、聖教の信徒って云っても大勢(ほとんど)は高天原の住民だから、廃村出身の信徒が無理して住み続けるために戻ってきていたってだけの可能性も低くはないけど」


「なるほど。では、騒動になる可能性は…………」


「そこまで高くはないはず。

 久我の御当主からも、この()の騒動はたまにあるって聞いたし、私たち、というか久我くんに経験を積ませたかったんじゃない?」


 久我くんという表現に、衛士研修として咲と共に守備隊に訪れていた久我(くが)諒太(りょうた)を思い出す。

 少し会話しただけの人物だが、年齢相応程度に粋がった人物と云う印象しか記憶に残っていなかった。


「――久我、諒太さまですね。咲お嬢さまと組まれていたとか」


「それは、晶くんに会った時が初めて。

 面識は以前からあったけど、

……ううん、私は少し苦手かな」


「…………………………」


 ちらり。咲の表情に苦いものが混じる。

 以前の咲と諒太の会話を見ても、咲の口調はそっけなさが目立っていたから、彼女の諒太に対する人物評は意外なものではない。


 咲はあまり訊いて欲しくなさそうだが、鴨津の街では彼と組む可能性が高いのだ。

 晶からの無言の催促を受けて、嘆息一つ、渋々と咲は口を開いた。


「……久我くん。久我諒太殿()は、私と同じ12歳の衛士見習いよ。

 名前で判ると思うけど、久我の直系、それも長男。

 土行の上位精霊を宿していて、私たちの世代(ここ10年)で上位5指に入る精霊遣い。

 誰が呼んだか知らないけれど、久我の神童と呼ばれているわ」


「凄いんですね」


「ええ。優秀なのは間違いないわ。

 文に()いてもそうだけど、特に秀でているのが武の方面。

 ただでさえ強力な土行の上位精霊なのに、八家が宿したんだからその結果は云わずもがな。

 今年、天領学院に進学するまでは、文字通りの意味で負けなしだったから、実力のほどは想像がつくでしょ」


「今年?」


「……うん。私たちの同世代に格が違う人が一人いたの。

 数十年ぶりに生まれた神霊(みたま)遣い、『北辺の至宝』、雨月(うげつ)颯馬(そうま)

 久我くんとしたら、実力が定まっていない内に学院内での序列を決めたかったんだと思うんだけど、今年の入学早々に無謀な突っかかりをしてそのまま返り討ちにあったの」


「………………」


 雨月颯馬。久方ぶりに聞いた、かつて弟だった(・・・)その名前に、晶の口の端が僅かに震えた。

 近頃では思い出す事も無くなってきた、忌まわしいその名前。

 乗り越えられたと思っていたが、どうやら、晶にとって記憶の根は想像以上に深いものだったらしい。


「まぁ、この話題はいいわ。今回の調査に関係はないし。

 多分、調査では久我くんと組まされると思う。

 一応、組んだ実績はあるし、その続きをするだけだから。

 ただ、晶くんは少し会話をした事があるから想像がつくと思うけど、久我くんの性格が少し問題なの」


「そうですね、随分と強引な方と見受けました」


「……ええ。良くも悪くも、生粋の華族って性格ね」

 これから暫くの間、行動を共にするのだ。

 与える印象を悪いものにしないように、咲は必死に諒太に対する表現を柔和なそれに変えた。

 傲慢、独り()がり、自意識過剰。咲が持つ諒太の印象には碌なものが無いが、それを晶に伝えるのは何か違う気がしたからだ。

「まぁ、性根が悪いって訳じゃないから、下手に反駁(はんばく)せずに指示を聞いておけば問題はないわ」


「――判りました」


 少し悩んだ後、咲は中途半端なフォローを入れる。

 晶は咲の葛藤に気付いたが、敢えて指摘はせずに首肯のみを見せるに留めた。




 昼餉を目前にした頃、2人は車内販売されていた駅弁を手にしていた。

 一つにつき8銭(800円)

 かつて、晶が逃げ出した際に乗った洲鉄では、手を出すには空腹であっても躊躇(ためら)うほどに高価な品だ。


 笹の葉に包まれたそれ(・・)を縛る麻紐を解くと、中には焼いた握り飯二つ、沢庵二切れ、小さな焼鮭一切れが入っていた。

 手に収まるくらいの笹包みに随分と大枚(大銭8枚)(はた)いた分、どんなものか期待していただけに、守備隊の賄い飯を、多少マシ(・・)にした程度の内容に、晶は落胆の表情(いろ)を浮かべる。


「どうしたの?」


 晶の落胆に気付いた咲が、竹筒に入ったお茶を口に含みながら怪訝そうに問いかけた。


「……8銭(800円)も出してこの食事だったんで、少し残念に思っていたんです。

 もう少し、携帯食を持ってくるべきでした」


「そう? 駅弁って、こんなものよ。

――流石に、幕の内(掛紙)って訳にもいかないし」


「……ですね」


 色とりどりの季節の菜の物(おかず)を詰め合わせた幕の内弁当(掛紙)は、一等客車でしか売られない金持ち御用達の堂々たる超高額商品だ。

 因みに、値段は30銭(3000円)である。

 当然、晶の懐事情では、夢に見る程度しか許されない。


「それに、余りお腹に物を詰め込まない方がいいわ。

 ほら、」


 咲が握り飯を手に取りながら、晶の慨嘆(がいたん)を慰めた。


 ガタン。咲の言葉に応じるかのように汽車が揺れて、雑木が過ぎて消えるだけだった車窓の景色が大きく開ける。


「わあぁぁぁっ!!」


 通路を走り回っていた少年たちが、歓声を上げて車窓にへばりついた。


「あれが…………」


 子供たちの歓声と咲の視線に促されて、晶が車窓の先に意識を向ける。


 なだらかな丘陵を下る線路が向かうその先に、遠目からでも判るほどの巨大な港湾を抱えた街が晶の視界に収まった。


「うん。長谷部領の領都にして高天原の玄関口、

――鴨津(おうつ)よ」




「ん~~っ。やっと着いたわね。」

 それから半刻(1時間)の後、二人の姿は鴨津駅の改札口の外にあった。

 2日間の列車詰めから解放された反動か、お手伝いの芝田(しばた)セツ子に見つかれば小言を云われるだろう、有り体に云ってはしたない(・・・・・)伸びをする。

「今日は久我の御当主に面会の依頼を入れたら、後は投宿場所を決めるだけね。

 観光に来た訳じゃないけど余裕もあることだし、駅を降りたら港の方まで行ってみましょうか」


「はい、是非!」


 咲からの提案に、晶は目を輝かせて飛びついた。

 生活に追われる日々を送ってきた晶は、これまで、観光を始めとした余裕からくる娯楽を嗜んだことが無かったからだ。


 海原や、そこを越えて異国から訪れた船というのは、情報では知っていたものの著しく晶の好奇心を掻きたてた。


「依頼が依頼だから、しばらく鴨津に腰を落ち着けないといけないし、泊まる宿にはそれなりに拘りたいわね」


「お嬢さまは、どこかの高宿でよろしいのでは?

 俺一人なら、どこかの相宿で雑魚寝できますし」


「駄目よ。

 以前の(・・・)晶くんだけならそれでいいかもしれないけれど、今の君はそう云う訳にはいかないわ」


 晶の提案に、咲は厳しい視線を向けた。

 咲が晶の教導に入ってから実感した事だが、晶は自身の認識とそれに伴う自覚が薄すぎた。


 これは嗣穂(つぐほ)も予想していなかった事だが、教導に入っている咲に対しても、晶は一定の距離を保とうとするのだ。


――多分、無意識にも華族を避ける癖がついているからなんだろうけど、間違いなくこのままじゃ駄目よね。


「晶くんの現在の立場をはっきりとさせときましょうか。

 まず、晶くんはもう防人(さきもり)なの。

――というか、潜在的には衛士(えじ)扱いの認識でいいくらい」


 『氏子籤祇(うじこせんぎ)』における結果としての氏子を出したものは、終生、氏子という結果が変わることはない。

 だが、ただ(・・)人が宿す精霊も能力が一定であるはずは無く、例えば、上位精霊の格にわずかに満たない中位精霊というものも存在する。


 つまり、実力如何で、防人でありながら見做し(・・・)衛士の扱いになるものが、偶にだが存在しているのだ。


 晶は現在、防人として扱われているが、奇鳳院(くほういん)より直々に精霊器(落陽柘榴)を下賜された身、一部からは奇鳳院(くほういん)の後ろ盾を背負った将来の衛士(エリート候補)と認識されていた。


 つまり、ぽっと出ではあるものの、晶は既に華族(・・)なのだ。


――華族には華族の付き合いがある。それは、イヤだから、の一言で避けられるものではない。


「……それは、」


「晶くんだって、薄々は気付いているんじゃない?

 晶くんの華族に対する感情は想像がつくけど、晶くんはもう、その立場なの」


 思わず上げた抗弁の声は、さらに強い咲の口調に塗りつぶされる。

 言葉尻は強いものではあるが晶を案じる感情も同様にあり、咲の真摯な表情に晶は二の句を失った。


「…………はい」


 多分に葛藤を残しつつも、晶は素直に咲の箴言(しんげん)に頭を下げた。

 どう反発があるか分からなかった咲も、晶の(うべな)いを受けて肩の力を抜く。


「まずは、華族としての付き合いを私の後ろで見ていて。

 徐々に、付き合いを広げていきましょう。

 大丈夫、面倒くさい手順があるけれど、要は考え方次第よ。コツをつかめばすぐに慣れるわ

――というか……、」

 相宿で雑魚寝する最大の問題に思い至り、咲は呆れ顔を晶に向けた。

それ(落陽柘榴)、持ったまま雑魚寝する気だったの?」


「……………………あ」


 咲の指摘に、晶は自身の手に在る己の精霊器に視線を落とした。


 厳次にもさんざん注意はされていたが、精霊器は華族の証明にも使われるほど厳格に管理されている器物である。


 当然にして、一般に流通している訳もなく、もし金額で換算するなら、丙種の精霊器でさえ最低価格数千円(数千万円)からの要相談でお値打ち価格と云えるくらいだ。


 そんなもの(・・)を無防備に晒したまま、置き引きは自己責任と言い切られる相宿で長期間過ごす。

 流石にそう判断しただけで、間抜けの(そし)りは免れない。

 考えの至らなさに、晶は素直に恥じた。


「……とりあえず、海を見たら宿探しに行こっか。

 洋式旅籠(ホテル)って値段は張るけど個別の部屋で鍵付きって聞くし、それが一番、理想かなぁ」


 そう口にしながら、今度こそ咲は歩き始めた。

 その後ろに付き従いながら、晶は自身の懐具合を確かめた。


 咲の忠告は納得しているものの、正直、未だ防人としての俸給を貰っていない晶は、当然のように懐事情もお察しの寒さである。


――一応、有り金は持って来てるけど、間に合うかなぁ?


 最悪、咲か久我家に借り受けるしかないか。

 そう覚悟しながらも、晶は一抹の期待を籠めて咲の背中を見た。


――お願いです。せめて、俺の身の丈に合わせた金額の宿を見つけてください。


 流石に男に生まれた以上、女性の目の前で借金する姿を晒したくない。


 口には出せないが、男の矜持を賭けた痛切な願い。

 咲のあずかり知らぬ領域で、譲れない戦いが始まろうとしていた。

読んで頂き、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >無意識にも華族を避ける癖 意識だけの問題と想像したが思ったより重症ですね 下手したら避けない華族が静美だけかもしれません
[一言] 個人的な感想ですが、作中は大正あたりを時代背景にしているとのことなので、大正を彷彿させるようなルビは作品に入り込むのに一役かってる気がするので有りだと思います。 金額のルビも、8銭だけだとど…
[一言] 姫様の晶への待遇があまりにも雑すぎる。
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