1話 残響は遠く、燎原に思いを馳せて5
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
……まぁ、作中はいまだに真夏、なんですけどね。
そーゆーもんだと一つ、ご納得お願いいたします。
「絢爛たれ――寂炎、、雅燿っっ!!」
朱金に迸る精霊力が上から下へと弧を描いて岩に激突する。
――同時に、世界から音が消えた。
少なくとも、晶たちはそうとしか認識できなかった。
寂炎雅燿が宿す莫大な熱量に空間が撓み、軋みを上げて大きくうねる。
尋常ではない衝撃が周囲に撒き散らされたが、あまりの規模に音としては認識できず、その場にいた者たちの全身を打ち据えて過ぎていったのだ。
現神降ろしを行使していなかったら、間違いなく鼓膜が破壊されていただろう程の圧力の波濤。
常人であれば意識を浚うであろうそれは、晶たちも見えぬ向こうで遠雷に似た残響を轟かせて消えていった。
残心を解いて、深く呼吸を一つ。
寂炎雅燿の剣先に視線を向けて、今度こそ晶は言葉を失った。
……そこには岩はおろか、何も残っていなかった。
寂炎雅燿は、炎という概念そのものを鍛え上げて造り上げられた業火の太刀だ。
それは事実上、人間が観測しうる熱量の上限値と等しく、朱金に輝くその刃は、そこに極小の太陽が顕現しているようなものである。
例えるなら無制限に解放された場合、その余波だけで洲都を含む一帯が消し炭に変わる程の熱量である。
晶たちが無事でいられるのは、寂炎雅燿が完全に熱量を統御しているからに他ならない。
その朱金の刃が岩に振り下ろされた時、熱量は正しく武器としてその効力を発揮した。
余波だけでも一帯を灼き尽くすほどの熱量が、ちっぽけな質量しか持たない岩を遊離電子にまで分解する。
粗いとはいえ純粋な波動粒子に変換された質量は、寂炎雅燿の統御を超えて爆散し、晶の前方を焦獄の世界へと変えた。
「……っ! …………っっ!?」
見渡す限り、というまででは無いものの、数町四方に渡る空間が炭と溶岩の入り混じる地獄に変じている様を見て、晶は無意味に口を開閉させた。
事を終えた朱金の大剣が、音もなく輝く粒子となって宙に溶ける。
その異常さえも、晶には気にかける余裕が無かった。
「…… 寂炎雅燿。あかさまより下賜された、晶さんの半身たる器物の銘です」
眼前の惨状に動じるでも無く、ひどく落ち着いた嗣穂の声が、晶の意識を現実に引き戻す。
「その剣は、ご覧の通り非常に強力な器物です。
意識も制御も出来ずに抜けば、この通り、見える世界を焦獄の地へと容易く変えます。
これが、今の晶さんの能力です。
――ご理解をいただけましたか?」
「…………何で」
「?」
「だって、俺は精霊が居ないはずで、こんな精霊技を撃てるなんて……」
「隠世の精霊」
「へ?」
「晶さんの事情はよく知りませんが、そう呼ばれる精霊が存在します。
あまり動かず、存在も極力隠す精霊。
極めて隠形が得意で、他者には存在すら認識を許さない精霊だとか」
「……俺の精霊がそうだと?」
「さて? ですが、これらの精霊には、一つ特徴が。
――例外なく極めて強大な精霊なのです。もし宿すことが出来れば、無尽蔵とも呼べる精霊力を与えられる程度には。
そして、晶さんは現在、精霊力の制御が全くと云ってもいいほどになっていません」
前方に視線を戻すと、炭しか残らない世界が広がっている。
否応なく、晶は自身の現状を未熟さも含めて理解させられた。
「……それで、どうしろと?」
「ご理解が早くて助かります。
――申し訳ありませんが、寂炎雅燿は、しばらくの間、使わないで欲しいのです」
嗣穂の要求は、当然のものだろう。
誰とでも何処とでも、いったん抜けば焼け野原に変えてしまうような相手と、ただ人が住まう地で付き合いたいなんて思わないのは当たり前である。
――だが、
「じゃあ、俺の武器は……」
制御がなっていないといっても、初めて与えられた強力な武器。晶は手放すという選択に難色を示した。
たまに雨月の陪臣どもが腰に佩いている精霊器を見るのがせいぜいであった晶にとって、目に見える武力を得ることは密かな羨望であったからだ。
初めて得た羨望の精霊器。
それを失う危惧を理解してか、然して悩む様子も見せずに嗣穂は首肯した。
「はい。精霊力の制御を会得するまでの代わりの器物を、こちらでご用意いたしました。
――奈津」
「かしこまりました」
咲と肩を並べて後方に控えていた奈津が、晶の前まで進み出て、手にしたものを差し出した。
臙脂の太刀袋に包まれた、2尺ほどの太刀。
金糸で編まれた太刀袋の口を緩めて、鯉口を切る。
鞘から覗き見えた刀身は、臙脂の太刀袋よりもなお昏く鮮やかな赤色。
どこか禍々しく揺らめくその輝きは、魅入るかのように晶の意識を支配した。
「銘は落陽柘榴。寂炎雅燿と同じ位階に属する器物にてございます。
使いようによっては強力ですが、派手に暴発する恐れがないので、こちらを普段使いの器物にしてください」
ひうぅぅ。晶が手にしている落陽柘榴を背後から覗き見て、それが何かと理解した咲が、卒倒寸前の顔色で悲鳴にならない悲鳴を立てた。
幸運だったのは、一杯一杯だった晶も、咲のその様に気付く余裕すら無かった事か。
ありがたくも戸惑いながら、落陽柘榴を大切に抱える。
そんな晶を認めて、ようやく嗣穂は心からの安堵の笑顔を浮かべた。
――――――――――――――――
晶たちが第8守備隊の屯所に帰還したのは、申の刻を回って直ぐの頃であった。
状況の諸々が一段落したのか晶が出立する頃の喧騒も既に収まっており、周辺は随分と静かなものであった。
「それでは、晶さん。私どもはこれで失礼させていただきます。
――話の続きはまた後ほど、土曜の夜半にいたしましょう」
「は、はい。よろしく、お願いします」
蒸気自動車から逃げるように降り立った晶は、穏やかに微笑む嗣穂へと一礼を返した。
晶と入れ違いに、屯所から出てきたもう一方の側役である名張和音を乗せて、蒸気自動車は爆音を響かせながら消えていった。
「…………っはあぁぁぁぁぁ」
「――気持ちは分かるが、気を抜きすぎだド阿呆」
「!?」
息の詰まる重圧がようやく無くなり、心の底から安堵の息を吐いた。
その背後から、いかにも機嫌の悪そうな阿僧祇厳次の叱咤が飛ぶ。
厳次が居たことにすら気付いていなかった晶は、驚きの声を寸でのところで飲み込んだ。
そのまま、それ以上の失態を見せないように、厳次の方へと向き直った。
頭を下げて一礼し、挨拶もそこそこに本題に入る。
「阿僧祇隊長。それで、俺の処分はどうなりましたか?」
「……それなりには聴いているだろうが、お咎めは無しだ。
だが、名張さまより、今後の方針について嗣穂さまの勅旨が伝えられている。
お前は明日から、防人として正規隊員の所属となる。練兵班の班長は勘助に引き継げ。
強引だが、奇鳳院流の段位を二つ上げて、初伝を叩き込む」
「は!?」
厳次から告げられた、この日、極めつけのとんでもない内容に呆け面を晒した。
高天原に武芸の流派は数あれど、主幹となる流派は5つしかない。
全ての流派の祖となる月宮流を筆頭に、四院の名を冠した4つの流派。
防人や衛士となった者たちは例外なくいずれかの流派に属するため、これら5つの流派をして門閥流派と呼ばれていた。
門閥流派の一角である奇鳳院流も例には漏れず、火行の精霊を宿すものはその全てが奇鳳院流の敷居を跨いでいる。
晶は精霊を宿していないものの、守備隊に所属しているため、戦闘技術の一環として3年前から奇鳳院流を学んでいた。
晶の段位は四段。開帳が精霊技を習得するための精神修養の過程である事を考えると、精霊力を扱えない平民として求められている最高段位に一応は達してはいる。
……だが、段位というのはお題目や飾りではない。
厳然たる判定基準が存在し、その基準にした理由も明確に記述されている。
独断で一段上相当に扱うと云うのであるならば、問題が山積するものの前例がないわけではない。
しかし、二段も上げてさらに精霊技を教えるとなれば、いくら奇鳳院の下知があったとしても容易に受け入れられる話ではないはずだ。
「そんなことをすれば、問題がどこからでも生まれてしまうのは俺も分かっている。
こんな前例があれば、不正の横行を許しかねん。
――だが、勅旨は絶対だ。何を焦っているのかいまいち分からんが、奇鳳院の姫さまは、お前を一ヶ月で半人前の防人にせよと俺に命じられた」
頭痛と嘆息を堪えながら、厳次は横目で晶の抱えた落葉柘榴を見る。
臙脂の太刀袋に仕舞われたそれを直に見ることは叶わなかったが、太刀袋の仕立てを見るに在野の精霊器とは一線を画する存在である事は簡単に窺い知れた。
嗣穂の言が事実であるならば、それは奇鳳院所有の精霊器なのだろう。
ならば最低でも、等級は甲を数えているはずである。
精霊器は、華族の証明代わりになるほど厳格に管理されているものだ。
値段の程度は時価で不明なものの、希少な霊鋼を消費するため、高騰傾向にあるのは間違いがない。
加えて奇鳳院の管理下にあったものならば、その価値も推して知るべしであろう。
端的に表現するならば、晶は数百単位で殺人を犯すリスクを天秤に掛けても傾くほどの財産をその手にしているのだ。
「……晶。確かお前は、北西の長屋住まいだったよな?」
「はい」
「余所にどこか、隠れて住む場所は無いか?」
「隠れ? ……いえ、ありません」
「だよなあ。
――ならせめて、その精霊器を肌身離さず持っておけ」
精霊器の価値というこれまで縁の無かった分野に言及され、危機感の薄かった晶が、厳次の説明に顔を引き攣らせた。
それもそうだ。自分の手に最低数千円単位の価値が収まっているなど、誰が想像つくだろうか。
だが、これだけ脅しておけば、最低でも自衛くらいはしてくれるだろう。
「状況が落ち着いたら、俺の方でも住まいを探してやる。
昨日今日に見つかるものでもないからな、あまり期待はしないで欲しいが」
「――よろしくお願いします」
「とりあえずはそれぐらいか。
尋常中学校は夏季休暇に入ったよな?
――明日からは道場に詰めろ。開帳と並行しつつ、初伝を叩き込む」
「お、押忍」
言葉尻から漂ってくる不穏な響きに戦々恐々とする晶。
開帳は精霊技を修得するための土台作りであったはずだから、同時進行でもなんとか問題ないと判断したのだろうが、傍から見ても無理筋なのは明らかだ。
明日から始まる鍛錬を考えて暗澹となる晶に、厳次は悟られないように肩に力をいれた。
「そういえば、だ。
――晶ぁ、」
「はい」
「新倉から聞いたがな、お前、槍を投げたんだってな」
びく。非常に分かりやすく、晶の肩が跳ねた。
後が無い者、馬鹿の代名詞として『投げやり』なんて言葉があるほど、穢レとの交戦において、自身の得物を手放すのは自殺行為と同義とされている。
穢レの脅威もそうだが、瘴気に直接触れるとそれだけで皮膚が冒されて、生きたまま腐ってしまうからだ。
継戦能力を重視する門閥流派として、それは避けなければならない致命傷でもある。
故に、どの流派においても戦闘時の鉄則として、武器を投げないことは最初期に教える教訓であった。
当然、阿僧祇厳次も入隊直後の練兵から、その旨は訓示として叩き込んでいる。
それしか方法がなかったとはいえ、晶は上司の指示を無視して独断に走った形になるのだ。
「それは……、その…………」
視線が泳ぎ、暑気からのものとは違う汗が額に浮かぶ。
そんな晶の様子に、己のやらかしを理解しているかと、厳次は口元を緩めた。
「……まあ、経緯は聞いている。
槍投げに思わんこともないが、あの時は手段も限られていたからな。
咲お嬢も助けられたと云ってたし、それに免じてこの件に関しては不問にしといてやる」
そのありがたい言葉に、晶はあからさまな安堵を浮かべた。
――だが、甘い。
「…………が、だ」
「?」
厳次の問い詰めたい本命は、そちらではない。
「晶。お前、大鬼を斬った時のことを憶えているか?」
「大鬼、ですか?
あの時は……」
確か、昂揚した感情のまま大鬼の頭上高くまで跳ね飛んで、大上段から大鬼の脳天を叩き斬った……。
――大上段で。
「……………………あ」
ようやく、厳次の云わんとしていることを理解する。
剣術において、禁じ手とされている行為は非常に多い。
掬い突きなどの殺傷力の高いものもそうだが、合理性に欠ける為に禁じられたものもある。
大上段もそうした理由によって、禁じ手に指定された一つであった。
基本の構えとされる五行の構えの一角である大上段は、相手よりも早く、最大の一撃を繰り出すことを術理の念頭に置いている。
その反面、放たれる初撃の軌道も読みやすい上、防御が一切考慮されていないため、容易に回避と反撃が可能であるという欠点がある。
その為、大上段は試合において上位のみ取って良い構え、実戦には不向きな構えという認識が一般に浸透していた。
当然、厳次はこの認識を練兵たちに叩き込んでおり、晶も充分にそれは知っていたはずであった。
「やるなっつった行動を連続で破るたぁ、随分とやらかしてくれるじゃねぇか。
えぇ、晶」
「…………………………………………」
弁明も何もできず、だらだらと額に浮かぶ脂汗を流すままに、直立不動のまま背筋をさらに伸ばす。
隣で無形の圧を放つ厳次の方をまともに見ることすら、恐怖のあまり思考にすら上らない。
「とりあえず、今日は帰って休め。
――だが、明日から基礎も含めて鍛え直してやる。分かったな?」
「――はいっ!」
「よし、解散っ!!」
「お疲れ様でしたぁぁっっ!!」
弾かれたように後も振り返らず、倒けつ転びつ一目散に晶は駆けて去っていった。
その姿を見送って、厳次はようやく肩の力を抜く。
これで昨日から続く厄介事に、一段落がついたからだ。
ぼりぼりと旋毛を掻いて、一息後に踵を返す。
――晶たちは一段落だろうが、厳次にとっては事後処理がまだ残っているのだ。
事務仕事が苦手な厳次にとって、長い時間が始まろうとしていた。
TIPS:段位について。
5つある門閥流派の段位は、10段階に分かれている。
一段、二段、三段、四段、五段、初伝、中伝、奧伝、皆伝、極伝。
あくまでも、門閥流派は精霊技の流派であるため、この内、五段までが武技修練の対象となり、五段以降が精霊技の修練となる。
ちなみに、五段は精霊力を行使するための精神修養の項目が加わるだけで、内容としては四段とさほど変わらない。
読んでいただきありがとうございます。
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