13話 宴も酣、千秋楽が告げられて2
少女の容をした神柱が、一直線に久我諒太へと間合いを詰めた。
馬の勢いを得て、蹴立てるその軌道が茫漠と跡を曳く。
懐深くへと刹那に踏み込んだシータは、呼気と同時に右の腕を諒太の胸元へと衝き込んだ。
「La――A」「疾ィッ」
歌に似たシータ独特の呼気と、諒太の戦意が交差。
神柱の放つ一撃が、僅かに足を退いた諒太の胸元を掠めて過ぎた。
――轟音。
手弱女の如き細腕に連れた衝撃が、少年を打ち据える。
如何に見た目が少女であっても、シータの本質は神柱であり世界そのもの。その意向は字義通り神威であり、委細違わず世界と斉しいのだ。
手荒れを知らないような細腕が繰り出すその一撃は、尋常ではない重みを有している。
手刀の直撃を逃れて尚、衝撃に耐えきれず諒太の足が地に跡を刻む。
辛うじて耐えたものの、身体を抜ける衝撃が諒太の肺腑から呼気を総て絞り取った。
「かは」
「a――A、 、Fu」
悶絶する諒太を一顧だにせず、シータの足が跳ね上がる。
撓る少女の爪先が一直線に、少年の顎へと。
――虚空を裂き連れた蹴撃は蟀谷を過ぎ、そのまま昇天を指した。
直後。世界そのものの生んだ爆風が、暮江鎮の街並みを揺らす。
耐え切れなかったのか、諒太は膝から垂直に崩れ落ちた。
――口ほどにも無い。
蹴り上げたままの姿勢で、シータが慈母の笑顔を浮かべた。
太源真女の代言とは云え、神柱たる志尊の身を嘲笑ったのだ。寧ろ、この程度の楽で死ねるのは、慈悲の範疇とさえ云える。
――否。肉袋が未だに原型を留めさせてやったのは、慈悲を越えてしまうか。
少年だったそれを広場の染みに変えるべく、シータは振り上げた脚を叩き落とそうと――、
同時に、シータの踏み込みに隠れた諒太は、精霊力を籠めた太刀を大地へと衝き立てた。
月宮流精霊技、中伝――。
「!?」
火生土。灼熱で織られたシータの神気を僅かに喰らい、少年の精霊力が旋風を描く。
「陣中秋麗!」
熱波と冬の乾いた大気が悲鳴を上げて、地を貫く雷の杭と換わった。
諒太自身を諸共に、地を奔る雷禍の檻がシータを封じ込める。
紫電が肌を舐める不快な感触。現世の躯を得て初めて覚えた感情に、シータは咽喉から呻きを漏らした。
「其方。私の神気を、 、」
「遷し身で格を落としたシータなら、俺でも時間稼ぎ程度はできるだろうとさ。
確かにな。今の手前ェ相手なら、勝てはしなくとも敗ける気もしねぇ!」
シータは神代が灼熱に沈む中、踊り続けた逸話を持つ神柱だ。その性質は火行に属し、相生である諒太の土気と相性が良い。
神柱が振り撒いた神気を直接喰らい、諒太は精霊技の威力に変えたのだ。
神柱の神気をただ人が奪うなど、本来は不可能である。だが、それを可能としたのは、現世に一時的な顕現を果たすためにシータ自らがパーリジャータへと意識を遷したからだろう。
神柱の炎を盗り、薪と焚べる不遜な行い。神柱を相手とも思わぬような諒太の反撃に、シータの表情が嚇怒に歪んだ。
――神柱の動きを止める事ができた。
一手奪えた会心の手応えに終わらぬとばかり、諒太は振り下ろした切っ先を返す。
太刀のふくらの照り返す鋭い晴天がシータの視界を射した次の瞬間、
――諒太の斬閃が神柱の正中を昇った。
月宮流精霊技、連技、――鳴子渡し。
過剰に注ぎ込まれた精霊力が、雷の網と変ってシータを縛る。
己を苛む精霊技越しに、シータの紅い双眸が諒太を映した。
「不快な――!」
己を縛る精霊技の評価を不快程度で片づけ、シータは軽やかに爪先で地面を叩いた。
半歩だけ後退。沈むシータの身体が、舞うように旋回する。
「!」
己の精霊の叫ぶ警告に従い、諒太は練り上げた総ての精霊力を現神降ろしに回した。
精霊技も何もない。ただ只管に本能の要求するまま、全身を駆動させて地面を蹴る。
――その瞬間。盾と構えた太刀越しに、激甚と衝撃が諒太を襲った。
揺れる視界が途切れ、次の瞬間に低い冬の青空を映し出す。
蹴り飛ばされた。その事実だけを思考に刻み、諒太は必死に空中で足掻いた。
「ぐ、 、そがっ」
放物線を描いて宙を転び、広場に隣接する建物の1つに落下。瓦を砕き立てて勢いを殺し、息吐かぬ間に跳ね起きる。
眼下の広場で悠然と蹴り足を戻すシータを、諒太は痛みを堪えて睨め付けた。
「鷲の蹴りを受けて、原形を保っていられるなんて。
自分から跳んで衝撃を逃したの、器用な事」
「踊り子の神柱と聞いちゃいたが、随分と足癖が悪いな。おい」
回生符を数枚、纏めて励起する。青白く癒し炎に慰撫されながら、諒太は負けん気だけを返した。
一気に目減りした回生符の残量に、苦く内心で嘆息を吐く。
神柱と対峙する。その難題に、改めて太刀の柄を握り直した
――後、少し。
「あら。踊り子が武を語らないと、誰が決めたのかしら。
舞踊とは畢竟、伝承そのもの。神代の再現こそ私の偉業の本質ならば、嘗ての英雄が見せた勲を己のものにするなど造作も無いわ」
「神代の再現。……それがお前の目的か」
「勘違いしないで欲しいわ。私が欲しいのは、選り善い来世のみ。穢れは疎か淀みすらなく、静けさだけが生の営みを護る、澄み渡った涅槃よ。
こんな苦涯に塗れた現世を夢見るのは、ラーヴァナぐらいだわ」
それより。諒太との会話を打ち切り、シータは凄惨と微笑みを浮かべた。
「……身体はそろそろ、癒えたかしら?
時間稼ぎに付き合ってあげたのだから、それなりのものは期待しても好いわよね」
「ありがとよ。お蔭さまで間に合ったようだ」
図星を衝かれ、尚も諒太は負けじと嗤い返す。
回生符の残火を振り払い、完治した足で屋根を疾走りだした。
目眩しにと余分に呪符を費やした甲斐があった。身体が全快して、更に数十秒も稼げたのだから、収支の面では御の字だろう。
呼気を1つ。金撃符を励起しつつ、己の精霊技をその只中へと叩き込んだ。
月宮流精霊技、初伝、――延歴。
土生金。土気を喰らい、勢いを跳ね上げた旋風の斬撃が幾重にもシータへと向かう。
「可愛らしい風で対抗しようだなんて。
――期待外れを愉しめとでも云いたいのかしら」
火克金。炎は風に勝ると嗤い、シータは掌を来襲する風刃へと翳した。
旋風の只中を錐揉まれる呪符が1枚。指の狭間を透かして、シータの視界に映る。
「?」
それが何なのか。少女の神柱が理解するよりも速く、青白く励起して術が発現した。
――水撃符。
金生水。旋風を残らず喰らい、凍てつくだけの小さな術が火種と爆ぜる。
轟音。大気が衝撃に揺れ、暮江鎮の街並みを吹き抜けた。
土埃を圧し除け、代わりに広場へ霜が落ちる。動いているものであろうと問答無用に凍てつかせる水気の波濤が、シータを中心に広場の殆どを氷の彫像へと変貌させた。
「……上手く行きました」「良くやった、埜乃香!」
街角に隠れていた帶刀埜乃香が姿を現し、安堵を吐く。
太刀を脇に構えながら、シータを油断なく観察した。
「火、土、金、水。精密に合わせた四行を叩き込んだんです。常人なら永眠する威力ですけど」
「どうせピンシャンしてらぁ。ここまでやっても感想は、驚いた程度だろうな」
「神霊遣い程度にまで力量が落ちているはずでは。――他の神霊遣いも頑丈なんですか?」
埜乃香の疑問に、諒太は快癒したはずの手首を擦って口を開く。
思い出すのは、先刻に斬り上げた瞬間の手応えだ。
精霊技が本命とは云え、あの一閃は確かにシータの正中を捉えていた。
それなのに無傷で精霊技まで受けた辺り、尋常ではない頑健さである。
その理由はたった一つだ。
「颯馬と遣り合った感想が欲しいなら、無茶苦茶だったが此処までじゃねぇっ。
誤魔化されるなよ。幾ら見た目があれでも、本質はパーリジャータのままだ」
「――ええ、その通りよ」
本質はパーリジャータ。つまり、神器としての性質の1つである不壊は、変わる事なくシータを護っていると云う事である。
くすくすと正解を讃えながら、凍てついたままシータは周囲へと視線を巡らせた。
術と神威のぶつかりに我を忘れていたのか、広場のそこかしこから漸くに悲鳴が上がり始める。
逃げ惑う群衆の混乱を余所に、シータの褐色の肢体から白く霜が降り落ちた。
愉し気に。穏やかで悪戯な微笑みを浮かべて、シータは右掌を青天へと向ける。
紅く煌めく神気が、弛まずその腕に絡みついた。
「少し驚いちゃったから、期待には応えてくれたのだと褒めてあげる。
お返しに、こんなものはどうかしら?」
振り下ろす。
――瞬後。広場を中心に、シータの神威が広場へと顕現した。
神柱の威光が確かな圧力を伴い、暮江鎮の街に立つものたちを地へと叩き墜とす。
物理的なものではない。それは生あるものだけを圧し潰す、神柱の罰たる無形の鎚だ。
「ぐ、ぉ」「――かは」
諒太と埜乃香が苦悶の呼吸を漏らし、その場に足を止めた。
「善いわ。子供はそう、大人しければ。吾子の如く、可愛がってあげようものを」
「こ、の」
「ああ。先に忠告してあげるけど、これ以上の時間稼ぎは無駄と知りなさい。
論国海軍を沖に待機させたわ。開戦は遅れるでしょうし、太源真女と神無の御坐は、暫く向こうに釘付けでしょうね。
――大人しくラーヴァナを封じた九法宝典を返しなさい。そうすれば、この場は大人しく退いてあげる」
「冗談――!」
シータの提案を吐き捨てようとする諒太へと、シータの威光が更に圧し掛かる。
堪らず沈黙を余儀なくされた諒太の様に、心地良くシータが肩を揺らした。
「抗うのは其方の勝手でしょうが、街に潜む雑多までを巻き込んで良いものかしら。
この街に這いずるもの達にとって、私の威光は耐えきれるものでは無いわよ」
要は、暮江鎮の住民たちを人質に取ったと云う事だ。そう嗤うシータの台詞に、諒太と埜乃香は阿吽の呼吸で視線を交わした。
――神柱は基本的に人を顧みないものだけど、シータはかなりのものだろうな。
諒太の脳裏に、晶の言葉が蘇った。
あれは、咲に神錬丹を呑ませると決めて、晶と諒太だけで今後を打ち合わせていた時だったか。
ただ人として神柱と関わってきた晶の推測には、確信に近い響きがあった。
――ラーヴァナを欲しがる理由が救世を確かなものとするためなら、シータが先刻の話を聞いた以上、俺と太源真女を芳雨省から引き離す方針で動くはずだ。
なぜならば、救世を行うためには、太源真女の坐す真国の龍穴をパーリジャータで撃ち貫かねばならないからだ。
今この場で行うには条件が足りず、かといって無闇と仕掛けるにも、晶と太源真女の組み合わせは目障りなはず。
だがそれでも、攻勢の側に立つシータの優勢は揺らがない。
シータは己の優勢を間違いないものにするためにも、必然的に晶と太源真女をラーヴァナから引き離す方向性に執着せざるを得なくなる。
その矢先に、晶と太源真女が芳雨省から離れればどうなるか。これ幸いにと、シータ自ら遷し身を行使ってでも、開戦前にラーヴァナを奪還するべく動くだろう。
太源真女の策は、その事実を逆手にとって、シータの仕掛ける時期と対応する場所を制限させたものであった。
――太源真女の策通り、シータが暮江鎮の広場に現れたら、注意を引いて時間稼ぎを頼む。
――……どれだけの時間が必要だ
咲に宿るエズカ媛の気配を辿らせて、シータを広場に誘導。此処までは、太源真女の想定通りに事態は推移している。
諒太は改めて冬の青空を見上げた。
――四半刻。
冬枯れの空が随分と近づいている。その事実に、諒太は内心で笑みを浮かべた。
「人質を取るたぁ、救世を謳う割に随分と人を顧みないんだな」
「必要無いもの。私は世の救いを与えるだけ、過程の犠牲など些事に過ぎないわ。
それは其方たちも、繰り返してきた歴史の1つじゃない」
違いない。諒太はシータの応えを認めて、くつくつと咽喉を鳴らして嗤う。
晶と太源真女は、確かにこの神柱の性格を読み切っていた。
「なら、今後は多少なりとも、地を這う程度のものにも目線をくれてやるんだな。
――足元を綺麗に掬われりゃあ、省みる余地の1つも生まれるだろうさ」
「!?」
諒太がそう嘯いた瞬間、周囲で神威に当てられていた群衆が一斉に崩れ落ちた。
慌てて周囲を見渡すシータの視界で、宙を舞う白い切れ端が地面に落ちる。
――それは、人形に切り抜かれた紙箋であった。
紙箋兵。そう呼ばれる人の気配を模倣する道術は、正体を見抜かれた事でその役目を終えたのだ。
「真逆、其方たち――!!」
「基本、ここまで盛大にバラ撒いたら、それだけで術が維持できないんだがな。
――晶の云う通り、お前は人を見なさ過ぎた」
街に住まう人を模した影が、乾いた音を残して消滅していく。
その数、凡そ500数余。後に残った夥しい紙片が、路上を白く斑に染め上げる。
「俺は時間稼ぎの本命じゃねぇぞ。
――この街が総て、お前を足止めする為に準備された封じの術だ」
諒太の言葉を受けて、地面に落ちた紙箋の兵が一斉に青白く燃え尽きる。
紙箋に隠した別の術式が励起。結界が構築される中、諒太と埜乃香は一気に距離を取った。
充分に冬の青空は近く降りている。
――諒太の役目は総て終わった。その確信に後方を振り仰ぐ。
諒太の視線を追い、その先を見止めたシータの双眸が思わず苛立ちに歪んだ。
「後は頼むぞ。――晶!」
「任せろ。これ以上、シータを何処にも逃がす心算は無い」
広場に降り立つ夜劔晶は、苦く睨みつけるシータに構わず右の掌を天に翳した。
四半刻の時間稼ぎは充分に。既に、九蓋瀑布は晶の天上を覆っている。
晶は己に残った水行の神気を総て解放し、緩やかに昼と夜が入り交じる天を振り仰いだ。
「願い奉るは――」
読んでいただきありがとうございます。
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