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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
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13話 宴も酣、千秋楽が告げられて2

 少女の容をした神柱が、一直線に久我(くが)諒太へと間合いを詰めた。

 (アシュヴァ)の勢いを得て、蹴立てるその軌道が茫漠と跡を曳く。


 懐深くへと刹那に踏み込んだシータは、呼気と同時に右の腕を諒太の胸元へと衝き込んだ。


「La――A」「疾ィッ」


 歌に似たシータ独特の呼気と、諒太の戦意が交差。

 神柱の放つ一撃が、僅かに足を退いた諒太の胸元を(かす)めて過ぎた。


 ――轟音。

 手弱女の如き細腕に連れた衝撃が、少年を打ち据える。


 如何に見た目が少女であっても、シータの本質は神柱であり世界そのもの。その意向は字義通り神威であり、委細違わず世界と斉しい(・・・・・・)のだ。

 手荒れを知らないような細腕が繰り出すその一撃は、尋常ではない重みを有している。


 手刀の直撃を逃れて尚、衝撃に耐えきれず諒太の足が地に跡を刻む。

 辛うじて耐えたものの、身体を抜ける衝撃が諒太の肺腑から呼気を総て絞り取った。


「かは」

「a――A、 、Fu」


 悶絶する諒太を一顧だにせず、シータの足が跳ね上がる。


 撓る少女の爪先が一直線に、少年の顎へと。

 ――虚空を裂き連れた蹴撃(けり)蟀谷(こめかみ)を過ぎ、そのまま昇天を指した。


 直後。世界そのものの生んだ爆風が、暮江鎮(ムージャチン)の街並みを揺らす。

 耐え切れなかったのか、諒太は膝から垂直に崩れ落ちた。


 ――口ほどにも無い。


 蹴り上げたままの姿勢で、シータが慈母の笑顔を浮かべた。

 太源真女(タイユェンジェンニュ)の代言とは云え、神柱たる志尊の身を嘲笑ったのだ。寧ろ、この程度の楽で死ねるのは、慈悲の範疇とさえ云える。


 ――否。肉袋が未だに原型を留めさせてやったのは、慈悲を越えてしまうか。

 少年だったそれを広場の染みに変えるべく、シータは振り上げた脚を叩き落とそうと――、


 同時に、シータの踏み込みに隠れた諒太は、精霊力を籠めた太刀を大地へと衝き立てた。

 月宮流(つきのみやりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝――。


「!?」

 火生土。灼熱で織られたシータの神気を僅かに喰らい、少年の精霊力が旋風を描く。

陣中(じんちゅう)秋麗(あきうら)!」


 熱波と冬の乾いた大気が悲鳴を上げて、地を貫く雷の杭と換わった。

 諒太自身を諸共に、地を奔る雷禍の檻がシータを封じ込める。


 紫電が肌を舐める不快な感触。現世の(にく)を得て初めて覚えた感情に、シータは咽喉(のど)から呻きを漏らした。


「其方。(わたくし)の神気を、 、」

「遷し身で格を落としたシータなら、俺でも時間稼ぎ程度はできるだろうとさ。

 確かにな。今の手前ェ相手なら、勝てはしなくとも敗ける気もしねぇ!」


 シータは神代が灼熱に沈む中、踊り続けた逸話を持つ神柱だ。その性質は火行に属し、相生である諒太の土気と相性が良い。

 神柱が振り撒いた神気を直接喰らい、諒太は精霊技(せいれいぎ)の威力に変えたのだ。


 神柱の神気をただ(・・)人が奪うなど、本来は不可能である。だが、それを可能としたのは、現世に一時的な顕現(けんげん)を果たすためにシータ自らがパーリジャータへと意識を遷したからだろう。


 神柱の炎を盗り、(まき)と焚べる不遜な行い。神柱を相手とも思わぬような諒太の反撃に、シータの表情が嚇怒に歪んだ。


 ――神柱の動きを止める事ができた。

 一手奪えた会心の手応えに終わらぬとばかり、諒太は振り下ろした切っ先を返す。


 太刀のふくらの照り返す鋭い晴天がシータの視界を射した次の瞬間、

 ――諒太の斬閃が神柱の正中を昇った。

 月宮流(つきのみやりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)、――鳴子(なるこ)(わた)し。


 過剰に注ぎ込まれた精霊力が、雷の網と変ってシータを縛る。

 己を(さいな)精霊技(せいれいぎ)越しに、シータの紅い双眸が諒太を映した。


「不快な――!」


 己を縛る精霊技(せいれいぎ)の評価を不快程度で片づけ、シータは軽やかに爪先で地面を叩いた。

 半歩だけ後退(ピニル・チュヴァドゥ)。沈むシータの身体が、舞うように旋回する。


「!」


 己の精霊の叫ぶ警告に従い、諒太は練り上げた総ての精霊力を現神降(あらがみお)ろしに回した。

 精霊技(せいれいぎ)も何もない。ただ只管に本能の要求するまま、全身を駆動させて地面を蹴る。


 ――その瞬間。盾と構えた太刀越しに、激(はなは)と衝撃が諒太を襲った。


 揺れる視界が途切れ、次の瞬間に低い冬の青空を映し出す。

 蹴り飛ばされた。その事実だけを思考に刻み、諒太は必死に空中で足掻いた。


「ぐ、 、そがっ」

 放物線を描いて宙を転び、広場に隣接する建物の1つに落下。瓦を砕き立てて勢いを殺し、息吐かぬ間に跳ね起きる。


 眼下の広場で悠然と蹴り足を戻すシータを、諒太は痛みを堪えて睨め付けた。


(ガルダ)の蹴りを受けて、原形を保っていられるなんて。

 自分から跳んで衝撃を逃したの、器用な事」

「踊り子の神柱と聞いちゃいたが、随分と足癖が悪いな。おい」


 回生符を数枚、纏めて励起する。青白く癒し炎に慰撫されながら、諒太は負けん気だけを返した。


 一気に目減りした回生符の残量に、苦く内心で嘆息を吐く。

 神柱と対峙する。その難題に、改めて太刀の柄を握り直した


 ――後、少し。


「あら。踊り子が武を語らないと、誰が決めたのかしら。

 舞踊(ナティヤ)とは畢竟、伝承(シャストラ)そのもの。神代の再現こそ私の偉業の本質ならば、嘗ての英雄が見せた(いさおし)を己のものにするなど造作も無いわ」

「神代の再現。……それがお前の目的か」

「勘違いしないで欲しいわ。私が欲しいのは、選り善い来世のみ。(ケガ)れは疎か淀みすらなく、静けさだけが生の営みを護る、澄み(わた)った涅槃(ニルヴァーナ)よ。

 こんな苦涯に塗れた現世を夢見るのは、ラーヴァナぐらいだわ」


 それより。諒太との会話を打ち切り、シータは凄惨と微笑みを浮かべた。


「……身体はそろそろ、癒えたかしら?

 時間稼ぎに付き合ってあげたのだから、それなりのものは期待しても好いわよね」

「ありがとよ。お蔭さまで間に合ったようだ」


 図星を衝かれ、尚も諒太は負けじと(わら)い返す。

 回生符の残火を振り払い、完治した足で屋根を疾走りだした。


 目眩しにと余分に呪符を費やした甲斐があった。身体が全快して、更に数十秒も稼げたのだから、収支の面では御の字だろう。

 呼気を1つ。金撃符を励起しつつ、己の精霊技(せいれいぎ)をその只中へと叩き込んだ。

 月宮流(つきのみやりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――延歴(えんれき)


 土生金。土気を喰らい、勢いを跳ね上げた旋風の斬撃が幾重にもシータへと向かう。


「可愛らしい風で対抗しようだなんて。

 ――期待外れを(たの)しめとでも云いたいのかしら」


 火克金。(火行)(金行)に勝ると(わら)い、シータは掌を来襲する風刃へと翳した。

 旋風の只中を錐揉まれる呪符が1枚。指の狭間を透かして、シータの視界に映る。


「?」


 それが何なのか。少女の神柱が理解するよりも速く、青白く励起して術が発現した。

 ――水撃符。


 金生水。旋風を残らず喰らい、凍てつくだけの小さな術が火種と爆ぜる。

 轟音。大気が衝撃に揺れ、暮江鎮(ムージャチン)の街並みを吹き抜けた。


 土埃を圧し除け、代わりに広場へ霜が落ちる。動いているものであろうと問答無用に凍てつかせる水気の波濤が、シータを中心に広場の殆どを氷の彫像へと変貌させた。


「……上手く行きました」「良くやった、埜乃香(ののか)!」


 街角に隠れていた帶刀(たてわき)埜乃香(ののか)が姿を現し、安堵を吐く。

 太刀を脇に構えながら、シータを油断なく観察した。


「火、土、金、水。精密に合わせた四行を叩き込んだんです。常人なら永眠する威力ですけど」

「どうせピンシャンしてらぁ。ここまでやっても感想は、驚いた程度だろうな」

神霊(みたま)遣い程度にまで力量が落ちているはずでは。――他の神霊(みたま)遣いも頑丈なんですか?」


 埜乃香(ののか)の疑問に、諒太は快癒したはずの手首を(さす)って口を開く。

 思い出すのは、先刻に斬り上げた瞬間の手応えだ。


 精霊技(鳴子渡し)が本命とは云え、あの一閃は確かにシータの正中を捉えていた。

 それなのに無傷で精霊技(せいれいぎ)まで受けた辺り、尋常ではない頑健さである。


 その理由はたった一つだ。


颯馬(そうま)と遣り合った感想が欲しいなら、無茶苦茶だったが此処(ここ)までじゃねぇっ。

 誤魔化されるなよ。幾ら見た目があれ(・・)でも、本質はパーリジャータのままだ」

「――ええ、その通りよ」


 本質はパーリジャータ(神器)。つまり、神器としての性質の1つである不壊は、変わる事なくシータを護っていると云う事である。


 くすくすと正解を讃えながら、凍てついたままシータは周囲へと視線を巡らせた。


 術と神威のぶつかりに我を忘れていたのか、広場のそこかしこから漸くに悲鳴が上がり始める。

 逃げ惑う群衆の混乱を余所に、シータの褐色の肢体から白く霜が降り落ちた。


 (たの)し気に。穏やかで悪戯な微笑みを浮かべて、シータは右掌を青天へと向ける。

 紅く煌めく神気が、弛まずその腕に絡みついた。


「少し驚いちゃったから、期待には応えてくれたのだと褒めてあげる。

 お返しに、こんなものはどうかしら?」


 振り下ろす。


 ――瞬後。広場を中心に、シータの神威が広場へと顕現(けんげん)した。

 神柱の威光が確かな圧力を伴い、暮江鎮(ムージャチン)の街に立つものたちを地へと叩き墜とす。


 物理的なものではない。それは生あるものだけを圧し潰す、神柱の罰たる無形の鎚だ。


「ぐ、ぉ」「――かは」


 諒太と埜乃香(ののか)が苦悶の呼吸(いき)を漏らし、その場に足を止めた。


「善いわ。子供はそう、大人しければ。吾子の如く、可愛がってあげようものを」

「こ、の」

「ああ。先に忠告してあげるけど、これ以上の時間稼ぎは無駄と知りなさい。

 論国(ロンダリア)海軍を沖に待機させたわ。開戦は遅れるでしょうし、太源真女(タイユェンジェンニュ)神無(かんな)御坐(みくら)は、暫く向こうに釘付けでしょうね。

 ――大人しくラーヴァナを封じた九法宝典を返しなさい。そうすれば、この場は大人しく退いてあげる」


「冗談――!」


 シータの提案を吐き捨てようとする諒太へと、シータの威光が更に圧し掛かる。

 堪らず沈黙を余儀なくされた諒太の様に、心地良くシータが肩を揺らした。


「抗うのは其方の勝手でしょうが、街に潜む雑多までを巻き込んで良いものかしら。

 この街に這いずるもの達にとって、私の威光は耐えきれるものでは無いわよ」


 要は、暮江鎮(ムージャチン)の住民たちを人質に取ったと云う事だ。そう(わら)うシータの台詞に、諒太と埜乃香(ののか)は阿吽の呼吸(いき)で視線を交わした。


 ――神柱は基本的に人を(かえり)みないものだけど、シータはかなりのものだろうな。


 諒太の脳裏に、晶の言葉が蘇った。


 あれは、咲に神錬丹を呑ませると決めて、晶と諒太だけで今後を打ち合わせていた時だったか。

 ただ(・・)人として神柱と関わってきた晶の推測には、確信に近い響きがあった。


 ――ラーヴァナを欲しがる理由が救世を確かなものとするためなら、シータが先刻の話を聞いた以上、俺と太源真女(タイユェンジェンニュ)を芳雨省から引き離す方針で動くはずだ。


 なぜならば、救世を行うためには、太源真女(タイユェンジェンニュ)の坐す真国(ツォンマ)の龍穴をパーリジャータで撃ち貫かねばならないからだ。


 今この場で行うには条件が足りず、かといって無闇と仕掛けるにも、晶と太源真女(タイユェンジェンニュ)の組み合わせは目障りなはず。

 だがそれでも、攻勢の側に立つシータの優勢は揺らがない。


 シータは己の優勢を間違いないものにするためにも、必然的に晶と太源真女(タイユェンジェンニュ)をラーヴァナから引き離す方向性に執着せざるを得なくなる。


 その矢先に、晶と太源真女(タイユェンジェンニュ)が芳雨省から離れればどうなるか。これ幸いにと、シータ自ら遷し身を行使ってでも、開戦前にラーヴァナを奪還するべく動くだろう。


 太源真女(タイユェンジェンニュ)の策は、その事実を逆手にとって、シータの仕掛ける時期と対応する場所を制限させたものであった。


 ――太源真女(タイユェンジェンニュ)の策通り、シータが暮江鎮(ムージャチン)の広場に現れたら、注意を引いて時間稼ぎを頼む。

 ――……どれだけの時間が必要だ


 咲に宿るエズカ(ヒメ)の気配を辿らせて、シータを広場に誘導。此処(ここ)までは、太源真女(タイユェンジェンニュ)の想定通りに事態は推移している。

 諒太は改めて冬の青空を見上げた。


 ――四半刻(30分)


 冬枯れの空が随分と近づいている。その事実に、諒太は内心で笑みを浮かべた。


「人質を取るたぁ、救世を謳う割に随分と人を顧みないんだな」

「必要無いもの。私は世の救いを与えるだけ、過程の犠牲など些事に過ぎないわ。

 それは其方たちも、繰り返してきた歴史の1つじゃない」


 違いない。諒太はシータの応えを認めて、くつくつと咽喉(のど)を鳴らして(わら)う。

 晶と太源真女(タイユェンジェンニュ)は、確かにこの神柱の性格を読み切っていた。


「なら、今後は多少なりとも、地を這う程度のものにも目線をくれてやるんだな。

 ――足元を綺麗に掬われりゃあ、省みる余地の1つも生まれるだろうさ」

「!?」


 諒太がそう(うそぶ)いた瞬間、周囲で神威に当てられていた群衆が一斉に崩れ落ちた。

 慌てて周囲を見渡すシータの視界で、宙を舞う白い切れ端が地面に落ちる。


 ――それは、人形に切り抜かれた紙箋であった。


 紙箋兵。そう呼ばれる人の気配を模倣する道術(タオ)は、正体を見抜かれた事でその役目を終えたのだ。


「真逆、其方たち――!!」

「基本、ここまで盛大にバラ撒いたら、それだけで術が維持できないんだがな。

 ――晶の云う通り、お前は人を見なさ過ぎた」


 街に住まう人を模した影が、乾いた音を残して消滅していく。

 その数、凡そ500数余。後に残った夥しい紙片が、路上を白く(まだら)に染め上げる。


「俺は時間稼ぎの本命じゃねぇぞ。

 ――この街が総て、お前を足止めする為に準備された封じの術だ」


 諒太の言葉を受けて、地面に落ちた紙箋の兵が一斉に青白く燃え尽きる。

 紙箋に隠した別の術式が励起。結界が構築される中、諒太と埜乃香(ののか)は一気に距離を取った。


 充分に冬の青空は近く降りている。


 ――諒太の役目は総て終わった。その確信に後方を振り仰ぐ。

 諒太の視線を追い、その先を見止めたシータの双眸が思わず(さいな)立ちに歪んだ。


「後は頼むぞ。――晶!」

「任せろ。これ以上、シータを何処にも逃がす心算(つもり)は無い」


 広場に降り立つ夜劔晶は、苦く睨みつけるシータに構わず右の掌を天に翳した。

 四半刻(30分)の時間稼ぎは充分に。既に、九蓋瀑布(くがいばくふ)は晶の天上を覆っている。


 晶は己に残った水行の神気を総て解放し、緩やかに昼と夜が入り交じる天を振り仰いだ。


「願い奉るは――」



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― 新着の感想 ―
しかしこれで晶からくろの加護が無くなるわけか どう転んでも太源真女にとっては愉快な状況になりそうですね
他の神柱が人と交流している中で、ほぼ唯一人と交わらないシータにとって人とは地を這う虫と変わらないんでしょう だから人を軽視し人によって簡単に騙される 世の多くの神話伝承で英雄は武力ではなく策略で格上を…
しかしシータは根本的に考えが足らない感じがするのに、どうしてここ迄の事態を引き起こせたんだか……。 なんか特殊な力が有るのか、アリアドネ圏内の人がとんでも無く無能だったのか……。 両方臭いな。 …
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