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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
210/222

13話 宴も酣、千秋楽が告げられて1

 ――春先を目前に、未だ寒い青天のその日。

 冬の日差しに瀬々らぐ葉潺河(イチャンホゥ)の傍らを伸びる砂利道に、楚々と爪先が落ちた。


 手弱女ほどの細い肢体をした褐色の少女が、砂利1つも蹴飛ばすことなくふわりと舞う。


 しゃらり、しゃら。細やかに、時に大胆に。少女の肢体がカタックを刻むにつれ、手足で鉄輪が清らかに鳴る。

 単調なだけの鈴の音はしかし、風に搔き消される事なくただ自然と少女を彩った。


 やがてカタック(舞踊)は、パタカ・ハスタ(天上の指)を胸元に導いて終演へ。激しく舞いを過ごしたシータは、陶然と青天を見上げた。


「――嘗ては人を導いた(わたくし)の指も、明日には天を指して終わるでしょうね。

 この為にこそあったと思えば、千年を超える無駄も味わい深いものだったわ」


 くすくすと咽喉(のど)を鳴らし、褐色の美少女は穏やかに歩き出した。

 澄んだ灼熱の瞳が揺るぎなく、歩く先に広がる芳雨省の省都を映す。


「さぁ。3千年振りね、ラーヴァナ。

 ――ゆっくりと捜し出してあげる。再会が叶ったら、懐かしく積もった話でも交わしましょうか」


 やがて道行く先に人の気配が増え、シータの背はその只中へと紛れていった。




 芳雨省は風月の削り出した峻険な山々が生み出す葉潺河(イチャンホゥ)の流れは、涸れを知らない事で有名である。

 真国(ツォンマ)中原の際に接する芳雨省は、真国(ツォンマ)随一を謳う葉潺河(イチャンホゥ)の豊かな水源を中心に発展してきた。


 一次産業は勿論の事、交通に至るまで、芳雨省の歴史は葉潺河(イチャンホゥ)無くして語れない。

 東巴大陸鉄道が通る現代であっても、芳雨省の生活は河川を奔る船を中心に成り立っているのだ。


 忙しなく両岸を行き交う貨物運送業の小船の1つ。その舳先で、シータは風に身体を任せていた。

 客ですらない少女が堂々と、それも無断で乗り込んでいるのに、船頭は気にした様子すらなく当然とばかりに櫂を操るだけ。

 異常なその光景にも関わらず、その船は静かに芳雨省の省都、暮江鎮(ムージャチン)へと進入していった。


「ありがとう。此処(ここ)までで善いわ」

「――…………」


 少女の要請に壮年の船頭の口元は皺を揺らす。――が、結局は声として形を成すことなく、静かに船は少女を残して河岸から離れた。


 その船の後ろ姿を見送る事無く、少女も軽やかに踵を返して街中へと歩き始める。

 異国の着物(サリ)を纏った絶世の美少女となれば注目を浴びそうなものだが、誰からの引き留める声も上がる事すらなかった。




 神柱とは世界を支える柱であり、云ってしまえば世界を構成する概念そのものである。

 どれだけ美しく、或いは異形であったとしても。世界そのものである神柱は、正者の視界に映る風景でしかないからだ。


 衆目を集める事なく、ただ(たの)し気にシータは雑踏を歩く。暫く道なりに歩いて、シータはやがて省都の中央広場へ。


 少女の神柱が辿り着いたそこは、先日に輪堂(りんどう)咲と戴天(ダイティエン)玲瑛が会話を交わした店であった。

 店先に並べられた卓の1つ。咲の座っていた小卓の縁を、褐色の指先が優しくなぞる。


「……想定はしていたけれど、太源真女(タイユェンジェンニュ)も私がここに潜り込む程度は予測済みと云う事ね。

 逃げたラーヴァナを暫く匿っていたらしいから、情報源はそれかなぁ。

 ――ね。あの蛇女から、何か聞いていない?」

「知らねぇよ。そもそもだが、手前ェにしたって俺たちを気にしなさ過ぎなのが問題なんだろうが」

「至尊たる私に直答などと云う不遜。見ぬふりをしてあげるだけ望外の幸運だと、何故わからないのかしら。――現世(いま)神代()も、卑賤(おとこ)と云うもの(・・)はこれだから手に負えないわ」


 不意に投げたシータの問いへと、不機嫌そうに少年の応えが返った。

 答えにもなっていない応えに微笑みながら、椅子へと腰を下ろす。


 巡らせた視線の先。2つ卓を挟んだ対面で、久我(くが)諒太が腕組みをして唇を歪めてみせた。


「手前ェもそうだが、太源真女(タイユェンジェンニュ)は俺の奉じている神柱じゃねぇ。

 何もせずに垂れるほど、俺の首は易くないぞ」

「……貴方を見た記憶があるわね。

 そう。高御座などと(うそぶ)いていた、あの四つ足の差し向けかぁ」


 僅かと思案に暮れ、暫くしてシータは結論を舌に乗せる。

 寒空に素肌を晒して産毛の1つも逆立てず、褐色の脚を組んでみせた。


 太源真女(タイユェンジェンニュ)の性格は(さいな)烈であるが、懐深く在るほど情に厚い一面を持っている。

 外へ目を向けるに躍起となる余り、自身と関りの深い省都への監視が甘くなるとシータは踏んでいた。


 事実、信顕天教が率いる主だった武侠たちは、判りやすい論国(ロンダリア)海軍の対応に動いている事を確認している。


 ――そうなるように、ハリエットが仕組んだのだから当然だ。

 自身が囮として太源真女(タイユェンジェンニュ)を釣り出させたのだから、現状はシータの想定通りに策動していると云えた。


 想定外だったのは、太源真女(タイユェンジェンニュ)神無(かんな)御坐(みくら)である晶が同行(どうぎょう)していた一点か。

 本来であれば今頃は、真国(ツォンマ)を素通りしているはずだったのだ。


 真国(ツォンマ)でも内政干渉に近い今回の戦争に加担している状況は、シータの予想を大きく外れていた。


「予想よりも太源真女(タイユェンジェンニュ)の一手が速いわ。

 青道(チンタオ)租界だっけ。あの辺りの一手から、論国(ロンダリア)と私が組んだと気付いたのかしら」


 手掛かりを与えすぎちゃった。そう苦笑を浮かべながら、少女の指が自身の頬へと触れた。


 青道(チンタオ)租界から始まった東巴大陸鉄道事業は、シータがパーリジャータを真国(ツォンマ)各地に楔打つための隠れ蓑の1つ。

 しかし、急速に普及する鉄道は、シータや論国(ロンダリア)の思惑とは裏腹に事業として重荷と変わっていった。


 理由は単純で、論国(ロンダリア)の資本が底を尽きかけたからである。損を前提とした国策であったとしても、論国(ロンダリア)が資本主義で駆動している以上、必ず予算には活動上限が存在する。


 その予算を嵩増しする為に、未だ使い潰していない青道(チンタオ)租界を幽嶄魔教に売り払いまでしたのだ。


 冷静に考えれば、現状で論国(ロンダリア)青道(チンタオ)を手放す理由など無い。それを仕出かしたと云う事は、論国(ロンダリア)青道(チンタオ)を支配する論国(ロンダリア)海軍の間に深刻な意見の乖離があったことを意味している。


 ――それを見過ごしたのは間違いなく、この局面におけるシータ最大の失着であろう。


「さあな。

 とは云え、神柱さん同士。遣り合いたいなら、どっか余所でやってくれや。高天原(たかまがはら)まで巻き込む理屈も無いだろうが」

「巻き込まれたのは、其方たちの勝手よ。

 私が目的にしていたのは真国(ツォンマ)中原のみ。他は興味なかったのは、知っているでしょ?」

「ラーヴァナを返還しろと、咲と契約を結んだんだろうが。あれで興味が無いってのは、一寸とばかり無理があるぞ」

「……神柱の宣下に疑いを持つとは。ただ(・・)人の浅はかさと(わら)ってやれば、どれだけつけあがる心算(つもり)かしら」


 諒太の追及に痛い処を突かれ、それでもシータは唇を歪めて応じてみせた。


 神柱としてのその発言は間違いなく嘘ではない。


 ――しかしその反面で、これ幸いと高天原(たかまがはら)の状況に介入したのも事実だ。

 現状、シータの揃えている救世の条件は、現世を破壊するまで。シータが来世を繋ぐためには、ラーヴァナの協力が絶対条件となる。


 その為にも、シータはかなりの無理を強いて、ラーヴァナの奪還に赴いたのだ。

 此処(ここ)で思惑を達成できなければ、救世は中途半端に終わってしまう。それは己の偉業に生きる神柱として、最も避けねばならない最悪の結末である。


「云いたいことはそれで終わり? ならば、粛々とラーヴァナを差し出しなさい。

 そうすれば、神柱たる私の前に立ったその不敬、一時為れど見逃してあげるわ」

「断る」


 余興は終わりとばかり、シータは僅かに己の神気を解放した。


 ――途端。立ち昇る紅の神威が冬の日差しを染め、空間を歪めて軋んだ。

 神柱そのものを証明する尊き意思が、確かな質量を以て諒太へと圧し掛かる。


「ちぃ」


 神柱の神威を流石に無視できず、諒太は舌打ちして精霊力を練り上げた。


 久我(くが)諒太が神威の圧力を覚えるのは、これが最初ではない。

 半年前。高天原(たかまがはら)源南寺(げんなじ)で、ベネデッタ・カザリーニが降ろしたアリアドネの神威。未だ記憶に新しいその鮮烈な体験と、今回のシータの神威を慎重に比べてみる。


「あら。神柱の意向に抗うなんて、不敬で片づけるだけは流石に早計かしら」

「残念ながら、初めてでも無ぇからな。――それに、お陰様で判った事もある」

「?」


 汗を一筋浮かべながらも諒太が返した反駁に、意図を測りかねたシータは首を傾げた。


 その瞬間。シータに生まれる、僅かな意思の間隙。

 瞬くように神威が霧散し、身体に自由が戻る。その刹那を逃すことなく、諒太は眼前の卓を大きく蹴り上げた。


 轟――

 白刃が閃き、褐色の腕と交差する。

 ――音。


 無色の衝撃が爆ぜ、粉塵が白く周囲を濁した。その裡から突き破り、少年の姿が通りの中央へと逃れ出る。


 瞬後。神威が復活し、視界を奪っていた白煙を空間ごと圧し潰した。


「っっぶねぇっ」

「あら、残念。仕留め損なっちゃった」


 悪態を半ばで呑み込み、諒太は袂で口を拭う。その様を嘲笑う神柱の声を辿り、寸前まで座っていた場所を睨んだ。


 椅子と卓が綺麗に爆ぜ散る。その中心でシータは、(そよ)とも感じないとばかりに諒太を睥睨した。


「口は達者でも、分が悪くなった途端に神柱の威厳を囀り出す。太源真女(タイユェンジェンニュ)から聞いたとおりだよな」

「神柱の赦した謁見を断ち切ったのだから、この程度で済んで感謝すべきよ。

 ――それで? そろそろ、この茶番(時間稼ぎ)を仕掛けた意味を教えてくれないかしら?」

「お互い様だろ、それは」


 諒太が時間稼ぎを仕掛けているのは気付いていた。それでも何も問う事なく少年の仕掛けに乗っかったのは、シータも時間が欲しかったからだ。


 それでも疑問は残る。首を傾げたシータへと、諒太は鼻を鳴らして応じた。


「咲と契約を交わした以上、シータ(あんた)がラーヴァナの奪還に動くだろう事は予想していた。

 問題だったのは、何時、実行するのか。その時期が読めなかった点だ」

太源真女(タイユェンジェンニュ)の策なら、私も想定していたわ。大方、私を焦らせて、初手から拙策を誘う心算(つもり)だったんでしょう? ――お生憎様。太源真女(タイユェンジェンニュ)たちなら今頃は、論国(ロンダリア)海軍を待って沿岸で釘づけじゃないかしら。

 どうせ、もう直ぐ用済みになる有象無象たちを相手に、無駄骨になるのは明白なのにね」


 しなやかな所作で、太源真女(タイユェンジェンニュ)が立ち上がる。

 広場へとゆっくりと降りる少女と相対し、諒太は慎重に間合いを測った。


「焦っていたのは、あんたも同じだろ」

 せせら笑う少女の容をした神柱へと、負けじと返す。

「だから太源真女(タイユェンジェンニュ)は、神器の遷し身を見せたんだ。単独で自由に動ける手段を手に入れたら、お前は必ずラーヴァナの奪還を優先するはずだからな」


 シータと太源真女(タイユェンジェンニュ)の相対なら、シータの侵攻経路は論国(ロンダリア)海軍のみとなる。だが、シータの側に自由に芳雨省へと侵入できる術があるなら、前提から話は違ってくる。


 論国(ロンダリア)海軍を囮に太源真女(タイユェンジェンニュ)を釣り出したように見せかけ、暮江鎮(ムージャチン)にシータを誘い込む。

 自由に戦端が切れるなら、救世を確実にするためにもラーヴァナの奪還が最優先事項となるからだ。


 その思考を外から見ると、シータの側に与えられた選択肢はかなり限られている事に気付くだろう。


 ――この策の肝要は、シータが主導権を握っていると実感できる点にある。

 自由は与えられてこそ。それは裏を返せば、結局、選択肢を決められている現実と違いは無いからだ。


 そしてもう一つ。


「神器の遷し身は便利だが、そのものが罠でもある。神器に意識を降ろすって事は、肉体(うつわ)を得ることと同意義だからな。

 太源真女(タイユェンジェンニュ)の想定通りなら、お前は現在、神霊(みたま)遣い程度にしか実力を発揮できないはずだ」

「……………………」


 元がパーリジャータである以上、奪われる可能性から直ぐに逃げることもできない。

 畢竟、肉体の檻に閉じ込められたと等しい状況に気付き、シータは遂に沈黙を選んだ。


 図星を突いたと諒太は(わら)い、抜刀した太刀を袈裟に構えてみせた。


太源真女(タイユェンジェンニュ)から伝言を預かっている。

 ――考えなしの貴様の事だ。新しい玩具を見れば、何も考えず飛びつくと信じていたぞ。シータ」

「太源、真女ッッ!!」


 初手を裏目に取られ、優し気だった少女の相貌が嚇怒に染まる。

 瞬後。少女の足元で石畳が砕け、褐色の肢体が砲弾と化して、諒太へと間合いと詰めた。



遅れました。

どうにも文章が纏まらない。


歯痒い限りです。

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― 新着の感想 ―
前回見るに、神々の外から来た存在だから、この世界外の存在かと思いきや、神々が争っていたから新たに生まれたシステム内の存在だったシータ 更にラーマが晶にルビ振られててビックリ FGOとかやってると、別物…
初手は太源真女の勝ち さて諒太は何処まで神柱に抗えるかな
やっぱりシータは、全てお膳立てされてから初めて出現する逸話を持っているからか、根本的に自分で何かをするって言う経験がそもそも無いんだろうな。 神柱が上から物を言うのは当たり前にしても、他の神柱と違っ…
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