11話 途上にて振り返る、理を見ぬものたち
青道から南へと向かう洋上を、幾つかの艦影が疾走していた。
潮流を逆らう曳航の跡が、長く船尾を曳く。
それは青道で補給を終えて芳雨省へと向かわんとする、キャベンディッシュたち論国海軍の東巴方面軍の一翼であった。
「……未だ、芳雨省に到着しないのか」
「計算上、青道から1週間は掛かると見込んでいます。
真国の抵抗を回避する関係で、沿岸から距離を置いていますし、――時間は致し方ないかと」
艦影の1つ。論国海軍の旗艦の艦橋で、東巴方面の戦略を一身に背負うヴィクター・キャベンディッシュは独り悪態を吐いた。
独白は意外と大きく響いたのか、ハリエット・ホイットモアが静かに上官の憤懣を宥める。
判り切った事実を蒸し返された格好に、だが副官に当たり散らす醜態よりはと、嘆息だけで応じた。
「実感するともどかしいだけだな」
「幽嶄魔教の神器が喪われた辺り、既に情報は信顕天教へと持ち込まれているでしょう。
今は拙速を尊ぶべきと、大佐の焦りは我らも充分に理解しています」
「……『王の魔弾』の様子はどうだ?」
不意のキャベンディッシュの問いかけに、ハリエットは己の心奧へと意識を向ける。
――一拍の間をおいて、『王の魔弾』と名を与った神器は、己が所有者の右手へと確かに姿を顕した。
「少し鈍いですが、 、順調に稼働しています」
「そうか」
ハリエットの応えに僅かな救いを得て、キャベンディッシュは少しだけ安堵を吐いた。
女性が手にした短銃は、神柱の再生を目的とした神造計画の中核を担う神秘学の結晶。恐らくは、否。間違いなく、世界でも初となる人造の神器であった。
「……救世の知識を以て、神秘学は大いなる飛躍を得た。
その事実は否定しないが、あの神柱はどうも論国に恭順するを良しとしないのは頂けん」
「どの地の神話に於いても、大神柱は傲慢なものです。
まるで己が世界そのものであると、信じて疑っていないような」
「傲慢か。論国の大神柱もそうだったのかね。だとすれば、大神柱がお隠れになった理由も、女王陛下に勘気を働いた故という噂も強ち否定しきれんな」
「……自分には判りかねます」
嘗ては王位継承権すら有していたキャベンディッシュの家系は、その類の伝承に事欠かない。
言葉に窮するハリエットを余所に、キャベンディッシュは肩を揺らして懐古に浸った。
到着までの四方山話に興じていたキャベンディッシュは、やがて艦橋に現れた老躯の姿に口を噤んだ。
気鬱に眉を顰め、似たような表情をした相手の方へと身体ごと向かい合う。
「歓談中、失礼とは思ったがね」
「構わんよ、ハーグリーブス博士。進捗を訊こう」
ハーグリーブスと呼ばれたその老人は、キャベンディッシュへとそう応えながら、艦橋に設えられた椅子に腰を下ろした。
倒れれば折れそうなほどの矮躯が、腰の高い椅子へと乗って漸くハリエットと並ぶようになる。
そうやって一息、老いて尚鋭い視線がキャベンディッシュを正面から見返した。
「結論からすると、 、芳しくない」
「見れば判る」
短い、残念な老人の報告に、東巴方面軍をその手に担う壮年の男は跳ねるように応じた。
反す言葉に詰まったのか、沈黙が艦橋を支配する。
――やがて、埒も明かないと、キャベンディッシュは静けさを追い払うように右手を振って見せた。
「……質問を変えよう。博士の唱えた説は、何処まで正統性を証明できた?」
「7割。『王の魔弾』を製造できた時点で殆ど証明できたと云って良いが、後の進捗も鑑みるとその程度で収まるじゃろう」
「神柱の製造は、到底、覚束ないか」
「左様」
苦み走るキャベンディッシュの確認に、ハーグリーブスは肯い返した。
論国で今まさに隆盛を誇っている神秘学は、論国の大神柱の逸失に端を発した学問である。
神柱の回復を題目に謳う学問だが、その実態はと云えば隠避に耽る貴族たちの趣味に堕していると云うのが正直なところであった。
霊体物質化や死者との交信等々。民間迷信の澱を煮詰めたかのような学説が罷り通る中、それらを検証し正統性を証明したものこそ、キャベンディッシュの眼前に立つハーグリーブスである。
神秘学の権威としてその地位を確立したハーグリーブスが立てた説こそ、キャベンディッシュが東巴方面軍を率いる事になった最終目的。
――その内容とは即ち、神柱の本質とは、神話を寄る辺とした人々の信仰そのものであると云うものであった。
「神造計画の中枢は大まかに三段階に分かれておる。神話の偽造、神器の製造、
――最終的な到達点として、神柱の製造を目指す」
「神話の偽造は滞りなく。波国の聖伐に乗じ、亡んだ一国に元は存在しない神話を浸透させた」
「……それも、シータあってこその証明と思うと、少し思うものはありますが」
口調に忸怩としたものを滲ませるハーグリーブスに首を振って見せ、キャベンディッシュは思考を現状へと戻した。
「あの神柱の助言通り、論国の神域跡で神代の遺物が発見されたな」
「はい。それと偽造された神話を核にして生み出された、存在するはずのない短銃の神器。これらは確かに、儂の説を証明してくれました」
ハーグリーブスの唱えた説を証明したのは、皮肉にも侵攻を続けていた潘国の神柱シータであった。
彼女は幾つかの条件と引き換えに、神代の知識をキャベンディッシュたち復権派へと齎したのだ。
「神柱の製造に失敗した理由に、博士は予想がついているか?」
「論国の大神柱と成る逸話。天と地を強引に別け断ち、地を均した神柱の神話は過不足なく揃えました。
青道と滝岳省の風穴も同様に、一時的ではありますが神域に比肩するまで霊気の質が高まっているのを確認しています」
「――博士の云う通り、私も風穴の霊気濃度が跳ね上がっているのは確認済みです」
「信じよう。ホイットモア少尉」
ハーグリーブスの言葉の後を継いだハリエットへと、キャベンディッシュは首肯を返す。
何を言及するでもなく、そのまま、洋と広がる海原へと視線を戻した。
霊気。そして神柱を構成する神話。神柱の核となるものさえも、キャベンディッシュの掌中に在る。
しかし、そこから先の進行が思うようにいかなかったのが問題であった。
「論国で発見した、神代の遺物である白い杭。必要だったとはいえ、これを『王の魔弾』の核としたのが失敗か」
「……可能性はありますな。人も当然、血が違えばショック死も逃れられないと考えれば、土地と云う要素が神話にとって無くてはならない要素と云うのは有り得ます」
「他のアテが無かったとはいえ、私の神柱を製造する素材に真国の風穴と神器を軽々と流用するのは早計だったな」
猿どもに温情を向けた甘さが仇と浮かんだか。老人の同意を得て、己の判断ミスをキャベンディッシュは素直に認めた。
「大佐。――個人的な意見とお聞きいただければ。」
思考に沈むキャベンディッシュを横目に、ハリエットは声を潜めた。
「正直。私はシータを信用していません。
祖国の窮状は理解していますが、己の支配地を攻めさせるあの神柱と手を組むなど」
「同感だ、少尉。当然に私も、信用などしていない。
……まぁ、噓を吐けないあれの手綱を私が握っている限り、利用価値を認めてやっているだけだ」
「ですが、潘国の抵抗で受けた我が軍の被害が甚大すぎました。
何処かで手打ちにして、向こうに自治権を与えておけばと、 、悔やまれます」
この当時、論国の目的は潘国に埋蔵されている資源の独占であり、そこには搾取すべき労働力も含まれている。
論国の方針に於いて、支配行為は寧ろ無駄な投資でしかないのだ。
それでも潘国に侵攻を続けた理由こそ、シータとの契約に含まれていたからであった。
己の支配地であるはずの潘国を貶めるシータが、ハリエットには不気味な存在として映っていた。
「……シータが儂らに与した理由じゃが、凡その推測はついておる」
更に言葉を返そうと。それでも反論に詰まったハリエットへと、ハーグリーブスが静かに応えを返した。
「シータは、ラーヴァナに龍穴を奪われ、現世に降臨していない唯一の神柱じゃ。
救世と謳われる象の強大さを考えれば、当然であろうが」
「集まる信仰も全て、龍穴を持たないなら所詮は無駄か。
シータにとって潘国の地は、腰掛け程度の価値しかなかった訳だ」
ハーグリーブスの推測を耳に、キャベンディッシュは2人へと視線を巡らせた。
「シータが何を考えていようと、所詮は神器を散逸させ、信仰する民を己で棄てた神柱。
私の希望した通りの、私の信仰する、私だけの神柱が造れればお役御免となる」
「……ですが」
「少尉の不安も当然。だが、神造計画の成否はこの際、何方でも良いのだよ
――ハーグリーブス博士。シータの伝承は、総て確認済みなのだろう?」
「うむ。神々の暴虐を平定し、現世を始めた世界を繋ぐ踊り子。
つまり現世に於いて、シータの偉業を再現させるとは――、」
「神代をこの地に再臨させると云う事となるな。
シータが我らに協力する際、救世を行使する方法は訊き出している。つまり私は、救世を再現できる唯一の人間と云う事だ」
会話を締めて、キャベンディッシュは艦橋の入口へと歩き出した。
「神造計画が失敗に終わった場合、速やかに救世計画に移行する。伝承が確かならば、神代の再臨が叶う時、鉄の時代も終わりを告げる
――さすればこの私、ヴィクター・キャベンディッシュの名前は、西巴大陸のみならず世界を救った唯一の救世主として、この世界に消えぬ栄光を刻む事になるだろう」
書籍の5巻が発売されました。
皆さんに楽しんで頂けたらと、僕も願って止みません
どうかよろしくお願いいたします。
安田のら





