10話 天地を暴くは、神柱に非ず2
「……そろそろ、薬が切れる頃かな」
独り、用意された部屋で待つエドウィン・モンタギューは、懐中時計の蓋を閉じて独り言葉を呟いた。
――感知できる限り、周囲に武侠の気配は10。徹底的に平民を装ってきたのに、気を抜かないなんて大盤振る舞いじゃないか。
真国に於ける一般的な武侠の実力は、論国の騎士爵に相当する。
精霊の位階だけで判断したなら、平民でしかないエドウィンに対しては過剰とも云える戦力の判断だ。
意図したとおりの事態進行に含み笑いを残し、エドウィンは懐中時計の竜頭を捻じった。
かりりと軽く、時計内部の発条が捲き上がる慣れた手応え。
「だけど、まぁ。道士を配備しなかった辺り、平民への侮りを捨てきれなかったかな」
西巴の人間にとって、東巴の道術は未知そのもの。間違いなく、潜在的な脅威だろう。
最も警戒していた道士の存在が感知できない事実に、エドウィンは安堵を潜ませた。
呼気を整え、精霊力を加速させる。
左の指先に点る熱を掃うように、素早く二の腕へと術式を叩き込んだ。
心奧に響く術の反動を噯にも漏らさず、宛がわれた椅子の背もたれに身体を委ねる。
天井を見上げる青い双眸に、梁の上を奔る鼠の影が映った。
「こちらの仕掛けに喰い付かないなら、武侠の感知能力は騎士相当と判断して良いか」
独り言葉を続けながら、エドウィンは左の手釦を緩めた。
釦の内部に詰められた粉を一舐め、頬を引き攣らせて嚥下した。
「 、 、全く。妖精の粉の効果は有り難いが、味はどうにかして欲しいものだね」
特に水で呑み下せないのは、致命傷だろう。
辛く苦い。異物感と云うべき味が咽喉を滑り落ちる感触に、エドウィンは愚痴を漏らした。
手釦を締め直して、深く呼気を残す。
「これで暫くは誤魔化せる。
後は精々、久我家の御曹司が信顕天教の洞主との繋ぎを得てくれる事を祈るとしようか」
祈ると口にしつつ、そうなるであろう結果を白い洋装の男は確信していた。
何故ならば、真国は論国を否定しているからだ。
無意識から来る意識的な断絶こそが、真国の根底にある不利の原因である。
それを知悉する西巴出身の青年は、直に呼ばれるだろう謁見の時を泰然と待つことにした。
「さて、信顕天教はどれだけ、論国の平民風情に耳を傾けてくれるかね?」
それだけが、僅かに稼いだ時間の優位を維持する鍵だと、エドウィンは微笑みを口の端に残す。
――ただ、彼にも誤算があった。
真国が論国を否定しているのと同様に、論国もまた真国を知らないと云う単純な事実が前提から抜けている事実を。
♢
エドウィンが信顕天教との交渉に臨めたのは、晶たちが先に通されて半刻遅れた頃であった。
高い天井の広間へ進むと、晶たちと信顕天教の面々が迎える。
卓の奥座脇に立つ戴天偲弘の品定め擦る視線を、白皙の青年は真正面から受け止めた。
「謁見を赦していただき、感謝いたします。
ロインズ保険会社の、エドウィン・モンタギューと申します。以後、良しなに」
「良くぞ来られた、論国の。
取り敢えずは、歓迎を示しておこう」
付け焼き刃で真国の礼に倣うでもなく、エドウィンは胸に手を当てて頭を下げる。
簡略な論国式の立礼に思うものはあっても粛々と、信顕天教の洞主として、戴天偲弘は肯ってみせた。
「公司とは、要は商会のはずだが、貴殿は論国の使者だと受け取って良いのかな?」
「ロインズの雇用制度なら貴国の幇の方が近いでしょうが、そこまで拘束力が高いものではありません。
論国は関係なく、私は伝言係程度のものとお考えいただければ」
「――甘く見るなよ。勝ちを拾った国とは云え一組織が要望など、礼儀知らずの真似が赦されるものか」
唐突に割り込んだ幼い指摘に、エドウィンは視線を広間の奥へと向ける。
その視線を、最奥に座る年齢15辺りの少女が嘲笑で応じた。
どう返答するべきか思考を巡らせつつ、エドウィンは曖昧に笑顔を返す。
「要望ではなく、対等に交渉を要請しています。
押し掛けた結果と相成ったのは、高天原の依頼に機会を得た序でに御座いますので」
「呵々。勝者の国と云え精々が一組織に、真国と対等に交渉する権限が与えられていると?
謀りを申すな。そちの本来の所属を述べるが良い」
「事実ですので。私は間違いなく――」「エドウィン」
流れるように応じる白皙の青年の饒舌を、冷徹な少女の舌鋒が断ち斬った。
「・モンタギューと云ったか。戯れに一度の偽りは見逃してやろう」
「そのような事は、」「――だが、再びは赦さぬ。朕を前に偽るは天に唾を吐く行為と斉しくあると、骨身の髄に思い知らせてやるぞ」
いっそ傲慢に大神柱である少女の宣言が、広間へと響き渡った。
赤と金。火眼金睛の人ならざる双眸が、偽りを糊塗しようとしたエドウィンの反駁を睥睨する。
――誰だ、この少女は?
漸くエドウィンは、その少女の立ち位置に違和感を覚えた。
広間の最奥に最重要の人物が当てられる風潮は、どの国でも共通した配置である。
つまり、信顕天教に当て嵌めれば、最奥に座る人物は本来、戴天偲弘でなければならない。
だが、当の偲弘はと云えば、少女の脇に立つだけ。異常とも思えるその立ち位置を、誰もが当然のように受け入れているのだ。
この事実が意味するのは1つ。この少女の立場は、戴天家よりも上位であるのだ。
真国を訪れるに当たり、エドウィンもこの国の基本的な権力構造は理解している。
真国六教と呼ばれる武力集団による地方の統治。その上位には、崑崙の半神半人が立っている階層構造。
――ならば、この少女の正体は。
「申し訳ございません。
真逆、崑崙の仙女が下野されているとは、露にも思い至らず」
「構わぬ。殊更に騒がぬと約するならば、知らずの無礼は些事と捨て置ぅてやる。
――天教の。其方もそう気を立てるな」
「……御心の侭に」
エドウィン・モンタギューも、真逆、ここに大神柱そのものが座っているとは思っていないのだろう。
エドウィンの誤解を敢えて否定する事無く、太源真女は肯いに頤を揺らした。
流し目のまま向けられた視線に、戴天偲弘も渋面で受け容れる。
「呵々。素直であればこそ、子等はそれで善い。では、改めて訊こうか。
そちの所属は? 詳らかに述べよ」
「――論国王室情報局。名前だけエドウィン・モンタギューとご承知いただければ」
西巴大陸の軍事教義を学び始めた高天原にあっても、高度に組織化された情報戦は未知の分野である。
聞いた憶えの無い役職に、その場の全員が騒めくように互いを探り合った。
「名乗りを約束しない辺り、要はすぱいの類であろう。私掠免状も持っているのか?」
「海賊の真似事は、出しゃばりの連中に任せるのが今の流行で。
――女王陛下より名代としての権限を賜っています。これならば、伝言係としての役どころに不足は無いはずですが」
「ふん。その断言からして、論国の半神半人は絶えていないな?」
「 、さて、どうでしょうか」
「ほう。所作は疎か、表情1つも揺らさんとは、狗風情にしては躾が行き届いている。
――くく。心音が半拍、高くなった。沈黙は肯定であるぞ、論国の」
即座に返った断言に、それでもエドウィンは人好きの笑顔だけを守った。
下手な言質を返すのも、太源真女に対しては悪手と判断した為だろう。
――半神半人は不老と聞いたが、
ちらりと奥座の少女を眇め見る。エドウィンの警戒を充分に理解した上だろう、その視線を、火眼金睛がにやりと真っ向から受け止めた。
――絶対に見た目通りの年齢じゃない!
女性に年齢を問うのは致命傷であるのは、国境を越えた常識だ。それを理解するエドウィンも又、その反駁を内心だけのものとする。
だがその裏で、エドウィンは、眼前の少女に対する警戒を最大に引き上げた。
無言で笑顔だけを交渉するただ人と神柱へと、晶だけが疑問を挟んだ。
「半神半人が絶えるなど、どうして見抜けたのですか?」
「鉄の時代とはそう云うものだ。
半神半人は詰まる所、神柱によって造られた天子の代替品だからな」
「………………そうか、それで」
記憶の向こうで擦れ違った、キャベンディッシュと名乗る軍人を思い出す。
――復権派。
状況を理解した晶に気付いたのか、赫く金の瞳が愉しそうに煌めいた。
「ほぅ。気付いたか、天子」
「大方は。論国は現在、外へ目を向ける余裕がないんでしょうね」
「…………」
金髪碧眼の青年の相貌は、晶の指摘にも揺らぐものは見せない。
硬度を増すエドウィンの笑顔へと愉し気に、太源真女が肩を揺らした。
「沈黙は金にあるが、否早。何方にとっての金であるか判らんな」
「……仙女。これは貴女の入れ知恵ですか?」
「いいや。朕は何も。まぁ、幾つかの助言は囁いたが、気付いたのは天子の力量である」
「晶。論国の目的は、潘国の神域じゃなかったの?」
「――そこは変わっていないと思う」
堪らず疑問を挟んだ輪堂咲に、晶は首を横に振った。
抑々、全員の見ている方向が違うのだ、これでは、敵の良いように状況が掻き回されているのとそう変わらない。
「咲。論国が青道を放棄した時点で、変だと思うべきだったんだ。
苦労して得た領地を、自国民を追い出してまで手放す理由が論国には無い」
言葉尻を切る事なく、晶の視線がエドウィンへと向かう。
「エドウィン・モンタギュー。以前、論国は一枚岩じゃないって云っていたが、 、完全に二枚に割れているんじゃないのか?」
自分の半分も活きていないだろう少年の視線を受けて、エドウィンは観念したと両手を上げて見せた。
降参の証に、吐息を1つ漏らして見せる。
「はは。 、ええ、そうです。より正確には、貴族の中でも復権派と呼ばれる連中が、神柱の復活を謳って独自に活動を始めたのです。
海軍が復権派に擦り寄ったお陰で、論国の防衛戦力は過去最低にまで落ち込んでいます」
エドウィンの返答に、晶は咲やその後ろに立つ久我諒太たちを一瞥した。
今一つ、理解できていない咲たちの表情に、どう説明したものかと思考を巡らせる。
「俺たちで云うなら、奇鳳院嗣穂さまがあかさまを喪ったって云う事だ。
……それにしては、青道駅で随分と和やかに会話していたよな」
「ロインズは、論国海軍にも投資していますので。キャベンディッシュ大佐であろうと、表立っては喧嘩を売れないでしょうね」
「要は、賭場が公権に噛んでいるって事だろ。親玉の下っ端って考えれば、そりゃ噛みつけない」
賭け事に興味は欠片もないが、上意下達を旨とする守備隊に於いて、目上に逆らわないのは不文律の一つ。
自身の事情に当て嵌めて、晶は1つ肯いを返した。
「貴族にとって、株式も賭場も嗜みの一つですので」
「蔵の中身を別の形に変えて、税を誤魔化そうとしているだけじゃねぇか。
最近、観光気分の華族共がほざく手元不如意だとか巫山戯た言い訳は、鴨津租界の入れ知恵だな」
「――お義父さまが手綱を締めていますが、年々、巧妙になっていますものね」
腕を組んでぼやく諒太に、帶刀埜乃香が苦笑を向ける。
未だ拙い夫婦の会話を横に、エドウィンは表情を改めた。
「ともあれ、論国で集めた資金を元手に、復権派が王室の意向を離れたのが2年前ですね」
「つまり復権派は、上意である王室と距離を置いて。けど、その割に公権からは離反していない状況か。
――成る程。論国が対応に困る訳だ」
文明開化と共に高天原も参考にしている通り、論国は王室と議会の二重構造をしている。
資本主義と共に複雑化したその権力構造に、復権派の曖昧な立場が巧く嵌った格好である。
「王室の権威もかなり削がれまして、昔の勅旨が良いように使われる有り様です。
今回、論国海軍の暴走でどれだけ被害を受けても真国の責を問わないと、女王陛下より譲歩の提案を受けています」
「逆を云うなら、東巴がどれだけの損害を受けようとも、論国に責任を問えないって事だろうが。
――随分と皮肉な譲歩だな」
「論国の責を問うのは不味いと、天教洞主も理解できるのでは?
論国が撤退路線に傾けば、間違いなく周辺国家が蚕食に動きますよ」
エドウィンの言葉に戴天偲弘が嘲笑を返し、応酬の裏で静かに睨み合う。
一見すると傲慢なだけのエドウィンの指摘も間違ってはいない。
西巴大陸の領土拡大路線は、論国が主導しているからだ。
槍の切先である論国が崩れてしまえば、西巴大陸の国家群は無計画な戦線拡大へと雪崩れ込むだろう事は想像に難くない。
――終始、言及のない侭に、大陸の両翼を担った双眸は静かに離れた。
「復権派が、論国貴族の立場を保証してきた王室と距離を置いた理由は?
原因程度は明確に文字で残して貰わんと、論国に日和られたら堪ったものではないが」
「……その辺りは探っても出てきませんでした」
戴天偲弘の要求に、エドウィンも苦笑を漏らした。
偲弘の要求した内容は、手を組む条件として至極真っ当な部類のもの。
裏切るかもしれないが信じろなど、殺されても文句の云えない内容だからだ。
それでも跳ね付けるようなエドウィンの返事に、天教の広間に緊張が奔る。
半ば予想はしていたのだろう。偲弘は腕を組んで、嘆息だけを吐いて見せた。
「理由は知らん、協力も無い。これで――」
「ただ、1つだけ。――神造計画。そう呼称される計画に、復権派がかなりの力を注いでいると」
「……でうす、えく、 ?」
偲弘が会話を断ち斬ろうとした寸前、食い気味にエドウィンは口を開いた。
その聞き慣れない響きに、晶の眼差しが向かう。
論国の言葉ではない。何方かと云えば、ベネデッタ・カザリーニが口にしていた響きの方がそれに近いだろう。
「詳細は洋と知れませんでしたが情報局に依ると、
――曰く、神柱を造る計画だと」
「神柱を造るだと? 都合の良い不敬を口にできる」
「だが、少なくとも復権派は信じている。違うか? エドウィン・モンタギュー」
嘲笑う神柱の呟きが、広間へと響き渡った。
火眼金睛の煌めく侭に、椅子に頬杖を突いたままの太源真女が口角を嗤いに刻む。
「でなければ、己の跪いていた半神半人を棄てて、新しく神柱を迎える算段などただ人に考えつくものか」
猫のように咽喉の奥を鳴らし、太源真女は手にした杯を煽った。
口の端に漂う輝きと共に、芳醇と広場を甘い芳香が支配する。
「あの神柱に、妙な見せ金でも見せられたのだろうな。嘗ての手口を考えるなら、大方に神器を都合よく造り変える辺りか」
「……そう云えば、敵手の正体は理解したと云っていましたな」
「もう、気付いているはずだぞ。と云うか、そんな阿婆擦れは一柱しか残っておるまい。
――神柱の本懐とは畢竟、己が象にこそあるのだからな」
悪戯に微笑む少女の神柱が、晶の視線を正面から見返した。
最悪の想像が的中した事に内心で頭を抱え、少年は重く口を開く。
「ええ。潘国に向かう前に、相手の象の意味をもっと良く考えるべきでした。
――そう考えると、論国の大神柱も?」
「恐らくな」
そう考えると、正解は最初から目の前にあった。
ラーヴァナが西巴大陸を訪れたのは、論国の神柱が喪われた後。――つまり、ラーヴァナは西巴大陸の鉄の時代に関与していない。
そして、晶の中で決定打となったのは、
「昨年の百鬼夜行の折り、ラーヴァナはパーリジャータ越しに龍穴を繋いで風穴を穿っています。
あの手段が元はシータの手管だったと考えれば、西巴大陸の龍穴を狙い撃つ手段にも説明がつくでしょう」
「然り。それこそあの阿婆擦れが、神代に刻んだ偉業そのものである」
晶の正答を受け、太源真女はしたり顔で嗤い返した。
28本14対の夜素馨の棘を手折り、混沌たる乳海を攪拌する事で天地を別け断った、現世救済の神柱。
「さて。皆も正体に辿り着けたな。
――救世を暴くぞ。復権派とやらが踊らされた挙句、朕の膝元を攻め込む前にな」
来月8月8日に、拙作の5巻が発売される運びとなりました。
副題は、玄の微睡みに、少年は縁るを巡れ
楽しんで頂けると、嬉しいです。
今後とも、拙作「泡沫に神は微睡む」をよろしくお願いいたします。
安田のら
読んでいただきありがとうございます。
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