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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
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9話 鴻鵠は至る、省都の地よ3

 ――晶と戴天(ダイティエン)偲弘(スーフン)が決着を迎える少し前。


 虚空に火花を残し、木立の向こうから輪堂(りんどう)咲が現れた。

 土煙を蹴立てて、少女の踵が地摺る跡を刻む。


 ――と。晴天と木の葉の影に紛れ、黒い衣装の相手が音もなく間合いを詰めた。


「疾ィィィー!」「――吹ゥッ」


 戟音。呼気さえも触れ合う距離で、少女と黒ずくめの斬閃が交差。

 軒昂と意気を交わし、やがて弾かれるように両者が距離を取る。


「……真强啊(強いな)」「?」


 不意に零れる相手の独白は、意外にも若い女性のそれ。

 驚く咲の様子に伝わっていない事が判ったのか、軽く首を振って黒ずくめは言い直した。


「中々に遣る。正直、天子(ティエンズ)の方は期待外れだが」

「期待外れ?」


 咲越しに晶を野次る響きへと、咲は視線を巡らせた。


 振り向く少女たちの視線の先で、木立の向こうへ戴天(ダイティエン)偲弘(スーフン)の姿が消える。

 音を伴わない轟音が少女たちの衣服を揺らし、遅れて耳朶から風が抜けた。


「――勝ったみたいだけど?」

「飛刀術なぞ天教の一芸に過ぎん。洞主に勝ったからと、接待を天教の実力と勘違いされてもな」

「顔を隠して喧嘩を仕掛けた挙句、敗けて言い訳かしら」


 咲の突っ込む呟きに、黒ずくめが小馬鹿(こばか)に返した。

 その台詞を耳に、負けじと咲も云い返す。


「――敗北を安売りすると、後が無いと知れるわよ」

「鈴を盗むだけに耳を塞ぐ心算(つもり)は無いさ。――だが、」


 咲の反駁を風に流し、黒ずくめは顔を覆う黒巾に手を掛けた。

 しゅるりと衣擦れの音を残し、黒巾が宙に泳ぐ。


 露わとなったその相貌は、玲瑛とよく似た雰囲気を湛えていた。


「事実として、私が敗けた訳ではないっ」

「――――っっ!!」


 怜悧と吠える女性の肢体が、僅かに撓む。

 爆ぜる土煙を断ち斬る瞬後、咲の懐深くへと女性は一気呵成に踏み込んだ。


 女性の腕が鋭く撓り、息を休める余裕も与えず斬閃を放つ。


「破ァッ」「このォッ」


 息も吐かせぬ女性の猛攻を、鋭く咲は凌ぎ続ける。

 剣戟が幾重にも鬩ぎ合う中、僅かにその踵が後退った。


 ――仕切り直せない。

 頬で散る刃花の熱に、咲は口苦くそう認めた。


 未熟とはいえ、咲も奇鳳院流(くほういんりゅう)で衛士を与る身である。それも高天原(たかまがはら)で最上位の武家華族である八家の末席だ。

 ――にも拘らず、事ここに至るまで、相手の攻めを崩せていない。


 原因は、咲も痛いほどに理解している。

 彼我に横たわっている、――それは純然とした技量の差。

 眼前の女性との戦いに()いて、咲は一歩も二歩も遅れている事実を認めざるを得なかった。


 ――何よりも。


 ちりり。己の心奧に燈る埋め火にも似た感触に、咲は僅かと眦を眇めた。

 それは咲の中を巣食っている、痛みを伴わない痛み。


 精霊力の暴走と共に太源真女(タイユェンジェンニュ)に指摘されたその異常は、ゆっくりと咲の心身を蝕み始めていた。


「吹ゥゥー、 、――征ィッ」


 心奧に居座る異常から、今だけ視線を逸らす。


 細く鋭く。肺腑から呼気を整えて、咲は精霊力を練り上げた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――現神降(あらがみお)ろし。


 四肢から零れるように舞う精霊光を視界の端に見止め、攻め足からの一歩。

 (すみれ)の残光を曳きながら、咲は一気に加速した。


「特攻!? 自棄にでもなったかっ」


 少女の反攻に虚を突かれたか。それでも女性は、動じることなく呪符を懐から引き抜いた。

 咲の踏み込む直線上に幾重も金撃符が奔り、その内の3枚が咲の持つ太刀に絡みつく。


「疾!」


 (ひるがえ)る剣指に従い、青白く燃える呪符から剛風が生まれた。


 轟音。枯葉と土煙が風圧に連れて咲へと集束し、諸共に爆ぜた。

 人間の平衡感覚は意外に脆い。気圧差が少しでも狂えば、簡単に意識だけを刈り取れる。


 攻勢に転じた直後の反撃。咲に防御する余裕がなかったのは、間違いない。

 茫漠を澱む視界が晴れたら、意識を失った少女の身体が倒れ伏しているはずだ。


 勝利を確信しつつ、女性は剣を納め。

 ――直後。土煙を斬り抜けた咲の姿に、動揺を返した。


 精霊遣いの性能(・・)は、宿す精霊の位階に純然と依存している


 昇華して日が浅いと云え、咲も歴とした神霊(みたま)遣いだ。

 神気を練り上げていない状態であれ、精霊力の出力自体は上位精霊遣いのそれを遥かに上回る。


 己の中で息衝く破滅を過剰に刺激しない際まで練り上げた精霊力を以て、咲は金撃符の風圧を斬り裂いたのだ。


 現神降(あらがみお)ろしに隼駆けを重ねて行使。疾走する軌跡に残炎が刻まれ、刹那に彼我の距離が熔ける。

 返した峰と女性の斬撃が辛うじて噛み合い、二撃、三撃と火花が虚空に散った。


 はぁ、は。思った以上の消耗に少女の唇が息を継ぐ度、虚空へと精霊光が舞い散る。


「ち」


 咲のその姿を視界に、不意に女性が舌打ちをした。

 未だ臨戦を崩さない少女を余所目に、剣を鞘へ納める。


「中々に遣ると評価してやっていたが。真逆、走火入魔(ゾゥフォルゥモ)の成りかけとはな」

「ぞぅ、 、何の事?」

「無自覚なら、尚更に始末に負えん。

 ……自分の腕を良く見ろ」

「?」


 奇妙な女性の言葉に、咲は慎重に己の二の腕へと視線を向けた。

 何もない。傷一つない肌は、朝に見たそのままであった。


 ――が。


「精霊光が、漏れている!?」


 精霊光が一筋、肌を舐めて虚空へと散る。

 戦闘も一段落を迎えた直後の現象に、咲は思わず瞠目した。


 精霊力は練り上げていない。太刀に注ぎ込んだ精霊力も、間違いなく咲は統御している。

 制御されているにも拘らず、精霊光が抜けている現象に、咲は漸く気付いた。


「何時からだ?」

「……今、気付いたわ」

「違う。痛くないが、痛い感覚はあるだろうが。

 精霊光が肌を舐めるまで進行しているなら、自覚はしていた筈だ」

「!」


 女性から的確に図星を刺され、咲は思わず息を呑んだ。


 精霊力の暴走は自覚していたが、敢えて無視していたのだ。

 しかもその病状は、晶にすら話していない。


 咲がひた隠しにしていた現実を指摘したと云う事は、眼前の女性はその知識を持ち合わせている事実を意味していた。


「昨年の、 、師走(12月)の前辺り」

「半年は経っていない辺りでその進行だと、決壊は早いな。

 ――そうか。太源真女(タイユェンジェンニュ)の勅旨にあった、羽化登仙を果たした高天原(たかまがはら)の娘とはお前の事か」

「……この病気の事を知っているの?」


 独り納得を返すだけの女性に、咲は鋭く問いを投げた。


 病状を的確に云い当てた以上、相手は咲が罹患した病気を知っている。

 否。そればかりか進行具合を訊いたのであれば、咲の状況をより深く把握しているのだ。


 その事実に思い至り、咲はゆっくりと太刀を鞘に納めた。

 眼前の相手から戦意が消えた事実に気付いたのだろう。


「病気と云うよりも、正確には怪我と云った方が正解だろう。

 お前の魂魄は今、割れる寸前で踏み止まっているのだ」

「それって……」


 つい最近に聞いた事のある説明。記憶を探る少女に構う事なく、女性は言葉を続けた。


「五気調和も未熟なうちに、五気精錬に手を伸ばしたものが罹る魂魄の怪我だ。

 魂魄が割れ、己の精霊力で己自身を燃やし尽くす。――その状況を、走火入魔(ゾゥフォルゥモ)と呼ぶ」

「治るの?」

「さてな。未熟共が罹る方なら治しようもあるが、お前のはそれとも違うようだ。

 大神柱が崑崙から来臨された時には、どんな天変地異の前触れかとも考えたが……」


 そう呟きながら、女性は踵を返した。

 二三歩足を進めて、視線だけを咲へと向ける


「――向こうの方も、鞘当てが一段落して頭が冷えた頃だろう。

 妹の事になれば頭に血が上る父さまだが、冷静になれば話が分からぬ相手ではない」

「やっぱり」


 玲瑛に似た面立ちに、戴天(ダイティエン)偲弘(スーフン)を父と呼ぶ相手。自身の正体に納得を返す咲を見ながら、女性はふと溜め息のような笑みを漏らした。


 今更ながら、お互いに自己紹介をしていない。


輪堂(りんどう)咲よ」

「――戴天(ダイティエン)家長女、雲岫(ユンシゥ)と云う。

 天教武林で掌門人を務めている。宜しく頼む」


 木立が生み出す影の向こう、雲岫(ユンシゥ)は微かにそれだけを言葉に乗せて投げてきた。


 ♢


 ――暫くの後。

 雲岫(ユンシゥ)の先導で、晶たちは木立の続く山道を歩いていた。


 薄暗く周囲の気配が、次第に長閑から裏寂れたものへと変わっていく。


「はは。街から随分と離れましたが、

 天教の総本山には未だつかないのでしょうか」

「何を云っている。ここ(・・)が既に、総本山のある黎隠山(リーインシャン)

 基本的に、省都と風穴は相容れないからな。近づくほどに人の気配は遠ざかるものだ」

「成る程。いやいや、一つ勉強になりました」


 誰ともなく投げたエドウィン・モンタギューの問いに、雲岫(ユンシゥ)は鋭く声を返した。

 暗に黙れと刺々しく返され、エドウィンも肩を竦める。


 だが、性格上から沈黙はできないのか、物珍しく視線を巡らせた。


「論国では、風穴の扱いは?」

「恥ずかしながら、自分は平民の出でありまして。

 風穴に関する知識は、貴族階級の方々のものです」

「へぇ。それでも、有名な会社に所属して、世界中を飛び回っていると

 噂で聞いたが、海向こうじゃ精霊の位階に関係なく己の才覚で成り上がれるそうだな」


 論国の話に興味を曳かれたのか、エドウィンへと久我(くが)諒太が声を投げる。

 道なりに砂利を踏み締める中、2人は会話に花を咲かせた。


 精霊の位階に関係なくと云う響きに、晶も視線を巡らせる。


 論国の制度である株式が導入されて以降、高天原(たかまがはら)でも身分の差は縮まり始めていた。

 それでも、旧来の身分制度が残っているのは、(ケガ)レと云う脅威が厳然と身近に存在していたからである。


 銃火器の威力は、(ケガ)レへの対抗には到底及んでいない。理由は酷く単純で、鉛玉では瘴気の浄化が追い付かないからである。


 総てを腐らせる瘴気の毒には、鉛玉も牽制程度の威力しか発揮できないからだ。

 だが、論国では銃火器が武器の主流になりつつあると聞く。

 必要だったものが、必要なくなっている。それが意味する事実は――。


「論国じゃ、(ケガ)レの脅威が殆ど無いのか」

「……はは。夜劔殿は随分と鋭いですね。

 ご指摘の通り論国では、ここ数10年ばかり瘴気の災害は起きていません」

「それは、羨ましい」


 エドウィンの応えに、晶は思わずそう零した。


 つい1年前までは、守備隊の練兵として(ケガ)レに対抗する為に生死を賭けていたのだ。

 そんな晶にとって、(ケガ)レが少ない論国の状況は、平穏そのものに聞こえた。


 晶の独白に、エドウィンが苦笑だけを返す。


「確かにその年は、大神柱よりの恩恵であると、毎日がお祭り騒ぎだったと記録にありますね。

 ……翌年からは、問題が山と噴出したそうですが」

「?」


 皮肉を多分に含んだ響きに、晶は首を傾げた。

 命の危険が無くなったのだ。平民にとって慶事でしかないはずだが。


「貴族でも上層部に限られていましたが、その年に大神柱が喪失したそうです。

 神柱が喪われたことで龍穴が涸れ、各地の風穴が閉じ始めたと聞いています」

「そうか。中央の神域が閉じたことで、そこから通じている土地神も同じ運命を辿り始めたのか」


 呟く晶に、エドウィンは苦笑だけを返した。


 (ケガ)レの発生は、瘴気が源泉である。そして瘴気とは、龍脈の霊気が澱んで生まれるもの。

 龍脈が無くなれば、(ケガ)レも無くなる。それは当然の結末だろう。


 龍脈を制御するなど、人間の身に余る行為である。だが、間接的に支配する手段は存在している。


 最初の数年は未だ良い。


 だが、龍穴に宿る大神柱を奉じ、そこから伸びる土地の風穴を制御する事で、人間は安定した繁栄を勝ち得てきたのだ。

 繁栄を支えてきた龍穴が閉じれば、その末路は云わずもがな。


「鉄の時代って奴か」

「産業革命の裏で起きていまして、実の処、今でも鉄の時代を知らない平民は多くいるそうですが。

 当時の王家が権威の後ろ盾であった神柱を喪った事で、貴族の多くが野に下ったと。

 当時の辛酸を舐めた貴族たちが寄り集まって、貴族の復権を掲げていると聞いていますね」

「確か、東巴大陸の軍を統括しているのが」

「ええ。――ヴィクター・キャベンディッシュ。

 元の家系で、復権派でも新進気鋭と知られる御仁です」


 ふん。エドウィンの言葉に、先を歩く雲岫(ユンシゥ)が皮肉を(わら)った。

 射抜く視線を背中越しに向け、鋭く晶たちに釘を刺す。


何方(どちら)にしても、論国人には変わりないだろう。

 友人面をして現れて、自分の懐に金子が無いと、代わりに銃口を差し出す輩だ」

「復権派と一緒にしないでください。

 とはいえ、西巴大陸の鉄の時代は深刻です。復権派のみならず、論国では何処の派閥も解決の手段に躍起となっている」

「それはご苦労な事だ。まぁ、好きに弁明するが良い。私は兎も角、父の論国嫌いは相当だ。

 ――着いたぞ」


 続く坂道に僅かと疲れが浮かんだのか、エドウィンは大きく息を吐いた。

 全員の足を止め、遅れて艶のある革靴がそこに並ぶ。


 木立の先には、それまでと違う石造りの階段が伸びていた。


「信顕天教の総本山。黎隠山(リーインシャン)にようこそ。

 取り敢えず、歓迎はしてやる」

「……これ(・・)を、登れと?」


 眼前に(そび)える岩山の先。雲岫(ユンシゥ)の言葉通り、遥かその向こうに赤い屋根の寺社が建っているのが見える。

 事も無げに歓迎を口にした雲岫(ユンシゥ)に、エドウィンが唖然と問いを投げた。


 平然と肯う女性が、自身の言葉を証明するように石の階段に足を掛ける。

 そのまま登り始めた一行に気の遠くなる現実を理解し、エドウィンは溜息ながら手荷物を担ぎ直した。



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― 新着の感想 ―
人が簡単に到達できる場所を聖域とはしないでしょう 合理性と利便性を追求しすぎたロンダリア人にとっては不合理で不条理に思えるかもしれませんが
この世界は、神の喪失=人類滅亡待ったナシみたいだからな…。 咲が間に合わなかったら、晶くんもう外国に用が一切無くなるから、神の喪失より早いタイムリミットが間近にある事に、諸国は気付けないからな…。 …
更新感謝です!来週滅茶苦茶暑いみたいですがどうかご自愛ください! 不穏な感じは結構出てたけど遠くはロンダリア本国、近くは咲と穏やかじゃないですね… …なんか大神柱喪失の話からして野に降って平民にな…
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