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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
199/222

9話 鴻鵠は至る、省都の地よ2

 熱を帯びた黒鉄の巨躯が、屋根すらない停車場でゆっくりと動きを停めた。

 蒸気と黒煙が冬風に混じり、冬の晴天へと散って去る。


 人々の喧騒が駅の向こうへと遠く去り、静かになった頃を見計らった晶たちが、停車場へと降り立った。

 暫くぶりの地面を確かめて、人々の流れとは別の方向に歩き出す。


 混凝土(コンクリート)で固めただけの停車場に降り立ち、駅舎すらない、均されただけの砂利道を歩いた。

 歩く道すがら、少年少女の視線が周囲を追う。


「……随分と寂しい駅ね」


此処(ここ)に限らず、東巴大陸鉄道の途中駅はこんなものでしょう」

 思わずと云った輪堂(りんどう)咲の独白に、エドウィン・モンタギューが笑って応じた。

「途中駅の役割は、水や石炭の補給に限っています。――戴天家の御令嬢が居られる手前、(はばか)りながら治安にも不安が残りますし」


我々(天教)の治政が行き届いていないと?」

「真逆、そのような。天教武林への信頼も、確かなものでありましょう。

 ――ただ、野盗の類まで従える無理よりは、乗客たちに自衛させた方が効率的かと」


 ざ、ざ。砂利の踏み鳴る囁きに、戴天玲瑛が声低く割り込む。

 晶たちの歩く先に広がる雑木林に、人の住む街が次第に遠ざかっていった。


「確かに。(ならず者)の類に理を通すのは難しいですね。

 ……事前に一報を頂ければ、道中の不安は一掃しますが?」

「貴国に()ける論国人の通行自由は、無条件で認められているはずです。

 許可制の要求は、条約に違反する可能性がありますが?」


 木立の静けさに、遠く知らない鳥の鳴き声が響き(わた)る。

 論国人と真国(ツォンマ)人に奔る奇妙な緊張に、晶たちの視線が行き交った。


「論国人には、真国(ツォンマ)内の自由通行が?」

「ええ。青道(チンタオ)戦役の敗戦以降、両国間で交わされた条約に()いて、論国人の通行自由は無条件が保障されています」


 事も無げに返る玲瑛の言葉に、苦笑ながらエドウィンも同意を見せる。

 だが、声が伴わない辺り、実態がどうであるか。察した晶は沈黙を保った。


 歩く足元から視線を上げると、木立の狭間から晴天が覗く。


「そう云や、天教との会談の場に、あんたが同道を申し出た理由は?

 俺たちは兎も角、論国が天教に用事とも思えないが」

「最初に申し上げた通り、ロインズ社に東巴大陸と争う意向はありません。

 その旨を天教洞主に申し入れても、再三に(わた)って素気無くされている状況でして」


 ――そして、業を煮やした論国の側が、高天原(たかまがはら)の来訪に割り込んだ、か。

 話を繋ぎ合わせるまでもなく、論国の歩調が合っていない。


 復権派とロインズ社。――そもそも、株式会社の一社員程度が、国家趨勢の判断を担う事があるのか?


 そこまで思考を泳がせて、ふ、と晶は足を止めた。

 ――木立から戦ぐ微風が、何時の間にか凪いでいる。


 重く圧し掛かる空気に、晶は刀の柄に指を添えた。


「如何か、されましたか?」

「嫌な風だと思ってね。――戴天家(・・・)に、太源真女からの連絡は行っていないのか?」


 不穏な晶の所作に気付いたのだろう。

 だが、エドウィンの問いかけに応じる事なく、晶は玲瑛へと視線を向けた。


「行ったからこその対応でしょう。

 このまま、高天原(たかまがはら)との同盟をなし崩しに赦せば天教の沽券に関わると、恐らく父なら考えるでしょうから」

「成る程ね。随分と頭の固い御仁のようだ。

 ――来るぞ!」


 際限なく張り詰める緊張に、晶は深く腰を落とす。

 少年たちが鯉口(こいくち)を切る微かな音が、山野を(わた)る風に掻き消えた。


 晶の警告と同時、木の葉を撒いて黒い人影が2つ3つと宙へ踊る。

 エドウィンを伴い、諒太と埜乃香(ののか)が距離を取る様を見届け、晶と咲は精霊力を練り上げた。


 少年少女が手を掛ける刀の鯉口(こいくち)から溢れる、朱金と(すみれ)の精霊光。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝。


「「――鳩衝(きゅうしょう)」」


 轟ゥ。号声が重なると同時、閑な木立の幹を焦熱が圧し貫ける。

 枯れた木の葉が焦塵と散り、その狭間から数枚の呪符が晶たちに向かった。


「疾ィッ」


 脚を戻して体勢を入れ替え、刀の切っ先が上刃に(ひるがえ)る。

 震脚が地面を砕き、少年の太刀が下から上へと奔り抜けた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――帰り雀鷹。


 朱金の閃きが呪符の一枚を捉え、刻まれた真言を左右に断ち斬る。

 封じられた精霊力に炎が点り、呪符が瞬時に爆炎へと呑まれた。


 きぃぃぃ、 、――。残響が耳朶を抜け、少年の放つ斬閃が次第と薄暗い山道に消える。


「晶くん!」

「今ので、火行は打ち止めだ。咲。抑えられるか?」

「やってみる!」


 晶の問いに即断で応諾を返し、咲は立ちはだかる人影の小柄な片方へと足を向けた。

 太刀を地摺りから更に低く構え、左脚から蹴り込むように姿勢低く地を駆ける。


 刹那に間合いが熔け、相手の懐深く咲は地面を踏み抜いた。


 逆袈裟に放たれる斬撃と、相手の鉈刃が火花を散らす。

 そのまま閃く太刀を重ね、咲と人影は晶から距離を離した。

「さて。

 ――これで少しだけでも、話を通す気になったか?」


 気息を慎重に調えながら、晶は残心から太刀を納刀(おさ)める。

 青道(チンタオ)で見てきたものよりも倍に近い幅をした、両刃の剣を構える男性。窺える精霊力からして、この場の誰よりも上位だろう相手へと視線を向けた。


「ふん。どうせ、真面(まとも)に相手をする気も無かっただろうが」

 隠す気は毛頭も無かったのだろう。年嵩の声が響き、相手が顔から頭巾を剥がす。

「話は最初から通っている。――だが、好き勝手に真国(ツォンマ)を踏み荒らす輩と手を組むなど、道理としても認められんだけだ」


「……お父様」


 壮齢と云うにはやや老境に差し掛かった男性が、頭巾を落として剣を構える。

 怒気も露わとなったその風貌に、玲瑛の呻くような声が上がった。


「それが同盟を組んだ相手への対応ですか? せめて、剣は納めてください」

「黙らんか、莫迦娘が! 小高天原だけなら未だしも、論国まで招き込みおって。崑崙からの使者が無ければ、この場で斬って棄てた処だ」


 娘から父と呼ばれ、戴天偲弘(スーフン)は鬼気迫る呼気を口の端から吐き出した。

 剣を柔く伝う精霊力が、軒昂と戦闘の続行を示す。


 試合ではない。開始の掛け声もないままに、天教洞主の姿勢が僅かに沈んだ。


「征、ェリャアアァァッ」

「ち!」


 大柄な男性の踏み込みに、少年の舌打ちが続く。

 辛うじて追いついた刃金が剣と噛み合い、火花を残して弾き飛ばされた。


 太刀の真芯を抜くような衝撃に、数間を圧されて晶も堪える。

 踏ん張った晶が視線を上げるも、――そこに、戴天偲弘(スーフン)の姿は無い。


「何処へ、 、」「頭上(うえ)です、夜劔当主!!」


 口走る少年の疑問に、玲瑛の警告が重なった。

 思わず見上げた晶の視界に、飛来する呪符の影が落ちる。


 金生水。地面から伸びる槍が動きを封じ、金気の輝きが少年を呑み込む。

 刹那に間を()かず、続く呪符を中心にして凍原が広がった。


 寒くとも雪のなかった山野の一隅を、突如として雪原が覆い尽くす。

 風雪が貼り付いた樹木の切っ先で、戴天偲弘(スーフン)は無感情に雪原を見下ろした。


「やり過ぎです、お父様!!」

「莫迦を抜かすな。天子(ティエンズ)を相手にするならばこれでも手温いほどだ。

 どうせ、雪の下でこちらの隙を窺っている」


「――ばれたか」

 玲瑛の非難を吐き棄てる偲弘(スーフン)の背から、少年の呟きが返る。

 息を呑まず振り向いた天教洞主の視界に、太刀を降り被る晶の姿が映った。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝――。


「月辿り」


 玄と白銀の輝きを足場に、少年は樹上に立つ偲弘(スーフン)の間合いへ踏み込む。

 互いに逃げ場のない空中で、晶は水平に斬撃を放った。


 峰だけ返した斬撃が、偲弘(スーフン)の胴へと正確に吸い込まれる。

 ――獲った! 晶は勝利を確信するが、その太刀は空だけを切り裂いて終わった。


「な」

天教(我ら)相手に頭上を獲れると思い上がるとは、天子(ティエンズ)と云っても、所詮は小僧か」


 空振りに姿勢を崩す晶の頭上から、冷徹な偲弘(スーフン)の声が降り落ちる。

 声の方向へ晶が太刀を向けると、その刀身に呪符が貼り付いた。


 高天原(たかまがはら)のそれとは違う呪符が励起し、衝撃が少年を襲う。

 2撃、3撃と連なる炸裂音に、成す術無く晶は雪原へと墜ちた。


「ぐ、 、くそ。空を……」

「――その通り」


 晶が見上げる空の先で、虚空に立つ戴天偲弘(スーフン)の姿。

 己の手にしていた剣を足場代わりにして、天教洞主は確かに虚空を飛翔していた。


「飛刀術まで持ち出すなんて、試しにしてもやり過ぎです!!」

真国(ツォンマ)六教であれば誰もが知っている術法だ、別に秘匿などしておらん。

 とは云え、高天原(たかまがはら)では及びもつかん高みだろうが」


「――確かに」


 平然と応える偲弘(スーフン)へと、晶も苦笑で応じた。


 人間に限らず、生物にとって身体の上下は基本的に死角である。

 晶が知る限り、飛翔を可能とする精霊技(せいれいぎ)は月辿りと隼翔け。それも、かなりの制限がついている。


 自在に飛翔する手段となると、それこそ寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)の権能しか思い当たるものは無い。

 その肝心の神器も、火行の精霊力が無い状況では行使も不可能である。


 ――状況に惜しむ余り、青道(チンタオ)で精霊力を無駄遣いし過ぎたな。


 大きく呼気を吐き出して、晶は太刀の柄を握り直した。


「天教洞主、だったな。

 見た処、その状態では剣を使えないようだが?」

「貴様に案じられるまでも無いわ。天教の本分は、飛刀術と符術による爆撃。対空手段の乏しい貴様に、抗う術など無かろう」


「父の云う通りです、夜劔当主。この場はどうか、穏便に抑えていただけませんか」


「いや、別に」

 縋るような玲瑛の要請に、平然と晶の応えが返る。

「驚きはしたが、洞主を地面に落とすだけなら難しくない」


「ほう」

「と云うか、太源真女から勅旨は通っているんだろ?

 此処(ここ)でごねるのも、筋は違うと思うがね」

「頭越しに同盟を結ぶなど、天教の面子を考えていないと云っているも同然だろうがっ」


 額に青筋を浮かべ、偲弘(スーフン)は晶の言葉を切って捨てた。

 両手に呪符を構え、励起の炎と共に投げ放つ。


「儂を地に墜とせるものなら、墜として見せるが良い!

 そうであればこそ、貴様の実力に免じて戴天家との同盟を認めてやる」


 青白く尾を曳く呪符が3枚。木気の結界が、晶を囲うように地面へ衝き立った。

 更に重ねられる3枚の呪符を中心に、焔が舞い踊る。


 木生火。雪原が焦熱に溶ける中、晶の視界へ新たに3枚の呪符が映った。


「防いで下さい、夜劔当主! 父の得意は、最大9枚の呪符による飽和攻撃です!」

「――仮令(たとえ)天子(ティエンズ)であろうとも、遠く神柱から離れた状態で防げるものではないわ!」


「9枚程度で勝った心算(つもり)か」


 戴天家の親子の警告と怒声が交差。そこに晶も、負けじと声を重ねる。

 そのまま少年の姿は、純粋な衝撃が生む圧力の向こうへと呑まれて消えた。


 一際の轟音が静寂に去る中、玲瑛は飛翔する自身の父親を見上げた。


「お父様! 一体何のお心算(つもり)ですか!!

 太源真女直々の賓客ですよ。それを武で迎えるなど、蛮行と誹られても文句は云えません」

天子(ティエンズ)の歓迎に、武芸の披露は常套だ。

 それに手応えは無かった。毛ほども痛みと思ってはおらんさ。――違うか? 天子(ティエンズ)よ」


「まあな。呪符の同時制御は見たことがある、知っていれば不可能じゃないさ」

「ふん。基礎術式の綻びを突いたか。甘く見せた甲斐があったわ」


 爆炎の向こうから返る少年の応えに、偲弘(スーフン)は鼻を鳴らした。


 そもそもが、防御されるのを前提とした術式だ。

 晶に無力化されるのは織り込み済み、驚きは無い。


 だが、聞き捨てならない呟きに、偲弘(スーフン)は鋭く天から晶を視線で射抜いた。


「同時制御を見たことがあるだと? 呪符を駆使して行使する大規模術式の遣い手が、高天原(たかまがはら)にもいるのか」

「まあね」

「ほう。その口振りだと、貴様ではないようだが」

「当たり前だ。――術式の同時制御なんて面倒くさい真似、簡単に修得しきれるか」


 興味を曳かれた偲弘(スーフン)の問いかけに、晶は吐き捨てるように応じた。


 呪符の同時制御は、術式の規模が拡大するにつれて等比級数で跳ね上がる。


 呪符自体が複雑な術式という事もあるが、行使するものや土地の影響で、結果は一律では収まらなくなるからだ。

 呪符の枚数が増えるほど、大規模な術を行使するには異能に近い制御を必要とする。


 当然に、一朝一夕で修得など出来るはずもない。


 ――だが、


「これで、2度(・・)見た」


 晶の口元を彩る笑いに、直感から戴天偲弘(スーフン)は天を仰いだ。

 陽の明るさに隠れていた3枚の土界符が、偲弘(スーフン)の頭上を結界で覆う。


「む!?」


「他の方法もあったが、意趣返しには丁度良いだろ。――約束通り、」

 火撃符から発生した上昇気流に、宙を飛ぶ偲弘(スーフン)の剣が絡め取られる。

「これで同盟を認めて貰うぞ」


 逃げる余裕のない偲弘(スーフン)は、遥か眼下に立つ晶が剣指を振り下ろす様を見止めた。

 土生金。叩き落ちる剛風に耐えられず、偲弘(スーフン)の身体は地面へと墜ちていった。



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― 新着の感想 ―
上から言われたけど、面白くはないしちゃんと対応してやるだけの価値があるか試してやる。ってとこかなー?
何か何処に行っても望んでいる訳でもないのに絡まれて、割りを食ってるなぁ。 報酬も無ければ無いで、高天原を離れなければどうとでもなる物だし…。 あかさまの所に居た時が一番穏やかに暮らしていたなぁ、晶…
これだけの力を持つものが沢山居てもこの国は銃と大砲の前に破れたのか、まあ英国紳士が本気になると神話に吟われるような英雄的存在にも銃片手に存分に相手どれるってインド映画でやってたしな。
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