9話 鴻鵠は至る、省都の地よ2
熱を帯びた黒鉄の巨躯が、屋根すらない停車場でゆっくりと動きを停めた。
蒸気と黒煙が冬風に混じり、冬の晴天へと散って去る。
人々の喧騒が駅の向こうへと遠く去り、静かになった頃を見計らった晶たちが、停車場へと降り立った。
暫くぶりの地面を確かめて、人々の流れとは別の方向に歩き出す。
混凝土で固めただけの停車場に降り立ち、駅舎すらない、均されただけの砂利道を歩いた。
歩く道すがら、少年少女の視線が周囲を追う。
「……随分と寂しい駅ね」
「此処に限らず、東巴大陸鉄道の途中駅はこんなものでしょう」
思わずと云った輪堂咲の独白に、エドウィン・モンタギューが笑って応じた。
「途中駅の役割は、水や石炭の補給に限っています。――戴天家の御令嬢が居られる手前、憚りながら治安にも不安が残りますし」
「我々の治政が行き届いていないと?」
「真逆、そのような。天教武林への信頼も、確かなものでありましょう。
――ただ、野盗の類まで従える無理よりは、乗客たちに自衛させた方が効率的かと」
ざ、ざ。砂利の踏み鳴る囁きに、戴天玲瑛が声低く割り込む。
晶たちの歩く先に広がる雑木林に、人の住む街が次第に遠ざかっていった。
「確かに。冦の類に理を通すのは難しいですね。
……事前に一報を頂ければ、道中の不安は一掃しますが?」
「貴国に於ける論国人の通行自由は、無条件で認められているはずです。
許可制の要求は、条約に違反する可能性がありますが?」
木立の静けさに、遠く知らない鳥の鳴き声が響き渡る。
論国人と真国人に奔る奇妙な緊張に、晶たちの視線が行き交った。
「論国人には、真国内の自由通行が?」
「ええ。青道戦役の敗戦以降、両国間で交わされた条約に於いて、論国人の通行自由は無条件が保障されています」
事も無げに返る玲瑛の言葉に、苦笑ながらエドウィンも同意を見せる。
だが、声が伴わない辺り、実態がどうであるか。察した晶は沈黙を保った。
歩く足元から視線を上げると、木立の狭間から晴天が覗く。
「そう云や、天教との会談の場に、あんたが同道を申し出た理由は?
俺たちは兎も角、論国が天教に用事とも思えないが」
「最初に申し上げた通り、ロインズ社に東巴大陸と争う意向はありません。
その旨を天教洞主に申し入れても、再三に渡って素気無くされている状況でして」
――そして、業を煮やした論国の側が、高天原の来訪に割り込んだ、か。
話を繋ぎ合わせるまでもなく、論国の歩調が合っていない。
復権派とロインズ社。――そもそも、株式会社の一社員程度が、国家趨勢の判断を担う事があるのか?
そこまで思考を泳がせて、ふ、と晶は足を止めた。
――木立から戦ぐ微風が、何時の間にか凪いでいる。
重く圧し掛かる空気に、晶は刀の柄に指を添えた。
「如何か、されましたか?」
「嫌な風だと思ってね。――戴天家に、太源真女からの連絡は行っていないのか?」
不穏な晶の所作に気付いたのだろう。
だが、エドウィンの問いかけに応じる事なく、晶は玲瑛へと視線を向けた。
「行ったからこその対応でしょう。
このまま、高天原との同盟をなし崩しに赦せば天教の沽券に関わると、恐らく父なら考えるでしょうから」
「成る程ね。随分と頭の固い御仁のようだ。
――来るぞ!」
際限なく張り詰める緊張に、晶は深く腰を落とす。
少年たちが鯉口を切る微かな音が、山野を渡る風に掻き消えた。
晶の警告と同時、木の葉を撒いて黒い人影が2つ3つと宙へ踊る。
エドウィンを伴い、諒太と埜乃香が距離を取る様を見届け、晶と咲は精霊力を練り上げた。
少年少女が手を掛ける刀の鯉口から溢れる、朱金と菫の精霊光。
奇鳳院流精霊技、初伝。
「「――鳩衝」」
轟ゥ。号声が重なると同時、閑な木立の幹を焦熱が圧し貫ける。
枯れた木の葉が焦塵と散り、その狭間から数枚の呪符が晶たちに向かった。
「疾ィッ」
脚を戻して体勢を入れ替え、刀の切っ先が上刃に翻る。
震脚が地面を砕き、少年の太刀が下から上へと奔り抜けた。
奇鳳院流精霊技、中伝、――帰り雀鷹。
朱金の閃きが呪符の一枚を捉え、刻まれた真言を左右に断ち斬る。
封じられた精霊力に炎が点り、呪符が瞬時に爆炎へと呑まれた。
きぃぃぃ、 、――。残響が耳朶を抜け、少年の放つ斬閃が次第と薄暗い山道に消える。
「晶くん!」
「今ので、火行は打ち止めだ。咲。抑えられるか?」
「やってみる!」
晶の問いに即断で応諾を返し、咲は立ちはだかる人影の小柄な片方へと足を向けた。
太刀を地摺りから更に低く構え、左脚から蹴り込むように姿勢低く地を駆ける。
刹那に間合いが熔け、相手の懐深く咲は地面を踏み抜いた。
逆袈裟に放たれる斬撃と、相手の鉈刃が火花を散らす。
そのまま閃く太刀を重ね、咲と人影は晶から距離を離した。
「さて。
――これで少しだけでも、話を通す気になったか?」
気息を慎重に調えながら、晶は残心から太刀を納刀める。
青道で見てきたものよりも倍に近い幅をした、両刃の剣を構える男性。窺える精霊力からして、この場の誰よりも上位だろう相手へと視線を向けた。
「ふん。どうせ、真面に相手をする気も無かっただろうが」
隠す気は毛頭も無かったのだろう。年嵩の声が響き、相手が顔から頭巾を剥がす。
「話は最初から通っている。――だが、好き勝手に真国を踏み荒らす輩と手を組むなど、道理としても認められんだけだ」
「……お父様」
壮齢と云うにはやや老境に差し掛かった男性が、頭巾を落として剣を構える。
怒気も露わとなったその風貌に、玲瑛の呻くような声が上がった。
「それが同盟を組んだ相手への対応ですか? せめて、剣は納めてください」
「黙らんか、莫迦娘が! 小高天原だけなら未だしも、論国まで招き込みおって。崑崙からの使者が無ければ、この場で斬って棄てた処だ」
娘から父と呼ばれ、戴天偲弘は鬼気迫る呼気を口の端から吐き出した。
剣を柔く伝う精霊力が、軒昂と戦闘の続行を示す。
試合ではない。開始の掛け声もないままに、天教洞主の姿勢が僅かに沈んだ。
「征、ェリャアアァァッ」
「ち!」
大柄な男性の踏み込みに、少年の舌打ちが続く。
辛うじて追いついた刃金が剣と噛み合い、火花を残して弾き飛ばされた。
太刀の真芯を抜くような衝撃に、数間を圧されて晶も堪える。
踏ん張った晶が視線を上げるも、――そこに、戴天偲弘の姿は無い。
「何処へ、 、」「頭上です、夜劔当主!!」
口走る少年の疑問に、玲瑛の警告が重なった。
思わず見上げた晶の視界に、飛来する呪符の影が落ちる。
金生水。地面から伸びる槍が動きを封じ、金気の輝きが少年を呑み込む。
刹那に間を於かず、続く呪符を中心にして凍原が広がった。
寒くとも雪のなかった山野の一隅を、突如として雪原が覆い尽くす。
風雪が貼り付いた樹木の切っ先で、戴天偲弘は無感情に雪原を見下ろした。
「やり過ぎです、お父様!!」
「莫迦を抜かすな。天子を相手にするならばこれでも手温いほどだ。
どうせ、雪の下でこちらの隙を窺っている」
「――ばれたか」
玲瑛の非難を吐き棄てる偲弘の背から、少年の呟きが返る。
息を呑まず振り向いた天教洞主の視界に、太刀を降り被る晶の姿が映った。
義王院流精霊技、中伝――。
「月辿り」
玄と白銀の輝きを足場に、少年は樹上に立つ偲弘の間合いへ踏み込む。
互いに逃げ場のない空中で、晶は水平に斬撃を放った。
峰だけ返した斬撃が、偲弘の胴へと正確に吸い込まれる。
――獲った! 晶は勝利を確信するが、その太刀は空だけを切り裂いて終わった。
「な」
「天教相手に頭上を獲れると思い上がるとは、天子と云っても、所詮は小僧か」
空振りに姿勢を崩す晶の頭上から、冷徹な偲弘の声が降り落ちる。
声の方向へ晶が太刀を向けると、その刀身に呪符が貼り付いた。
高天原のそれとは違う呪符が励起し、衝撃が少年を襲う。
2撃、3撃と連なる炸裂音に、成す術無く晶は雪原へと墜ちた。
「ぐ、 、くそ。空を……」
「――その通り」
晶が見上げる空の先で、虚空に立つ戴天偲弘の姿。
己の手にしていた剣を足場代わりにして、天教洞主は確かに虚空を飛翔していた。
「飛刀術まで持ち出すなんて、試しにしてもやり過ぎです!!」
「真国六教であれば誰もが知っている術法だ、別に秘匿などしておらん。
とは云え、高天原では及びもつかん高みだろうが」
「――確かに」
平然と応える偲弘へと、晶も苦笑で応じた。
人間に限らず、生物にとって身体の上下は基本的に死角である。
晶が知る限り、飛翔を可能とする精霊技は月辿りと隼翔け。それも、かなりの制限がついている。
自在に飛翔する手段となると、それこそ寂炎雅燿の権能しか思い当たるものは無い。
その肝心の神器も、火行の精霊力が無い状況では行使も不可能である。
――状況に惜しむ余り、青道で精霊力を無駄遣いし過ぎたな。
大きく呼気を吐き出して、晶は太刀の柄を握り直した。
「天教洞主、だったな。
見た処、その状態では剣を使えないようだが?」
「貴様に案じられるまでも無いわ。天教の本分は、飛刀術と符術による爆撃。対空手段の乏しい貴様に、抗う術など無かろう」
「父の云う通りです、夜劔当主。この場はどうか、穏便に抑えていただけませんか」
「いや、別に」
縋るような玲瑛の要請に、平然と晶の応えが返る。
「驚きはしたが、洞主を地面に落とすだけなら難しくない」
「ほう」
「と云うか、太源真女から勅旨は通っているんだろ?
此処でごねるのも、筋は違うと思うがね」
「頭越しに同盟を結ぶなど、天教の面子を考えていないと云っているも同然だろうがっ」
額に青筋を浮かべ、偲弘は晶の言葉を切って捨てた。
両手に呪符を構え、励起の炎と共に投げ放つ。
「儂を地に墜とせるものなら、墜として見せるが良い!
そうであればこそ、貴様の実力に免じて戴天家との同盟を認めてやる」
青白く尾を曳く呪符が3枚。木気の結界が、晶を囲うように地面へ衝き立った。
更に重ねられる3枚の呪符を中心に、焔が舞い踊る。
木生火。雪原が焦熱に溶ける中、晶の視界へ新たに3枚の呪符が映った。
「防いで下さい、夜劔当主! 父の得意は、最大9枚の呪符による飽和攻撃です!」
「――仮令、天子であろうとも、遠く神柱から離れた状態で防げるものではないわ!」
「9枚程度で勝った心算か」
戴天家の親子の警告と怒声が交差。そこに晶も、負けじと声を重ねる。
そのまま少年の姿は、純粋な衝撃が生む圧力の向こうへと呑まれて消えた。
一際の轟音が静寂に去る中、玲瑛は飛翔する自身の父親を見上げた。
「お父様! 一体何のお心算ですか!!
太源真女直々の賓客ですよ。それを武で迎えるなど、蛮行と誹られても文句は云えません」
「天子の歓迎に、武芸の披露は常套だ。
それに手応えは無かった。毛ほども痛みと思ってはおらんさ。――違うか? 天子よ」
「まあな。呪符の同時制御は見たことがある、知っていれば不可能じゃないさ」
「ふん。基礎術式の綻びを突いたか。甘く見せた甲斐があったわ」
爆炎の向こうから返る少年の応えに、偲弘は鼻を鳴らした。
そもそもが、防御されるのを前提とした術式だ。
晶に無力化されるのは織り込み済み、驚きは無い。
だが、聞き捨てならない呟きに、偲弘は鋭く天から晶を視線で射抜いた。
「同時制御を見たことがあるだと? 呪符を駆使して行使する大規模術式の遣い手が、高天原にもいるのか」
「まあね」
「ほう。その口振りだと、貴様ではないようだが」
「当たり前だ。――術式の同時制御なんて面倒くさい真似、簡単に修得しきれるか」
興味を曳かれた偲弘の問いかけに、晶は吐き捨てるように応じた。
呪符の同時制御は、術式の規模が拡大するにつれて等比級数で跳ね上がる。
呪符自体が複雑な術式という事もあるが、行使するものや土地の影響で、結果は一律では収まらなくなるからだ。
呪符の枚数が増えるほど、大規模な術を行使するには異能に近い制御を必要とする。
当然に、一朝一夕で修得など出来るはずもない。
――だが、
「これで、2度見た」
晶の口元を彩る笑いに、直感から戴天偲弘は天を仰いだ。
陽の明るさに隠れていた3枚の土界符が、偲弘の頭上を結界で覆う。
「む!?」
「他の方法もあったが、意趣返しには丁度良いだろ。――約束通り、」
火撃符から発生した上昇気流に、宙を飛ぶ偲弘の剣が絡め取られる。
「これで同盟を認めて貰うぞ」
逃げる余裕のない偲弘は、遥か眼下に立つ晶が剣指を振り下ろす様を見止めた。
土生金。叩き落ちる剛風に耐えられず、偲弘の身体は地面へと墜ちていった。
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