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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
198/222

9話 鴻鵠は至る、省都の地よ1

 東嶺省、青道(チンタオ)、神域深部――。


「ぐ。……く、くくく」


 肉打つ鈍い痛みに堪えきれず、幽嶄魔教の洞主である莫離涛は床に倒れ込んだ。

 肺腑から呼吸(いき)が押し出され、老人の咳に(わら)いが混じる。


「どうにも、笑える程度には余裕があると見えるな。莫離洞主」

「当然だろう、キャベンディッシュ大佐」


 身体を起こしかけた莫離涛の額に、ごりと硬質の痛みが奔った。

 感情の見えない痛覚から伝わる、冷酷(つめ)たい熱を覚える。


 見上げると、莫離の霞む視線の先に、幾度か挨拶した間柄であるハリエット・ホイットモアの銃を突き付ける姿が見えた。

 金属とも樹木にも見えない銃身に眦を眇め、莫離はその正体を舌に乗せる。


「……ふん。それが、貴様の(うそぶ)いていた自慢の玩具か? 大佐殿」

「あれだけ諜報を仕込んでいたのだ。神造計画の表面程度は掴めていると期待していたさ」


 老人の反駁もどこ吹く風と、キャベンディッシュは洞主の部屋であった一隅を見(わた)した。


 濛々と土煙の起ち籠める中に、魔教の高手たちの床に倒れ臥す影が。

 純白の手巾で口元を覆い、大柄な男性は死屍累々と続くその狭間を歩いた。


「仮にも毒蛇と謳われた洞主が、部下を磨り潰すなど老いたものだな。

 ――源林武教もそうだったが、東巴の連中は死に急ぎが多いらしい」

「故地も喪った事の無い、奪うだけの連中には判らんよ。

 だから、奪還の苛烈さまで金子で賄えるなど、傲慢にも思い上がれるのだ」


「――貴様!」

「止め給え、少尉。その毒蛇には訊きたいことが残っている」


 激昂するハリエットを抑え、キャベンディッシュは莫離涛を見下ろした。


「論国に総ての神器は還るべし。と、女王陛下より、権利は賜っているさ。

 玉影大経は何処に隠した? 涸れるこの地に在るよりは、帝国の壌土と本懐を果たす方が倖せだろう」

「やはり。以前に親切を装って、風穴の深部を侵した本音はそれか」

「勘違いしないで欲しいが、B(マイナー)の神器の回収程度に、私が出張る理由も無かったのだよ。今回赴いたのは、洞主へのせめてもの厚意と理解して欲しい」


 銃口を一方的に突きつけ、穏やかにキャベンディッシュと莫離涛の会話は続く。

 緩やかに身体を起こし、莫離涛は奥座の椅子に腰を掛けた。


「警戒していると、本音を吐き捨てたらどうかね?

 ――こうやって包み隠さず襲っている辺り、源林武教には手酷くやられたとみたが」

「見てきたような言い草だが、その様子では知らないと見えるな?

 残念だが、源林武教はもう無い。夏社洞主殿も、額を撃ち抜かれてまで生きてはいまいさ」

「『王の(ケーニヒス)()(ツァウバークーゲル)』、か」


 短く返る莫離涛の指摘に、キャベンディッシュが双眸を瞬かせる。


「……神器の銘まで、良く掴んだものだ」

「鉛玉程度(・・)で沈むなら、源林武教では洞主を名乗れん。

 出来た(・・・)と云う事は、それが鉛玉でなかったに他ならんだろう」

「その通り、これが王の魔弾の威力。……そして神柱と云う欺瞞を暴き、帝国が人の頂点となった証明だよ」


 ――若いな。

 平然と持ち直したキャベンディッシュを、莫離涛はうっそりと見返した。


 何を仕出かしているか、それが何を意味しているか。論国は表面しか理解していない。

 禁忌で遊んで、それが本質だと誤認しているに過ぎないのだ。


「これが、神柱を喪った者共の末路か」

「……何が云いたい?」

「他愛ない事だ。それよりも、源林武教を陥落したなら、何故、列山(リエシャン)本訓(ベンシュン)を得ていない?

 アレがあれば、儂等なぞ用済みのままだったはずだが」


 そこを突かれるのは予想済みだったか、キャベンディッシュの表情は崩れない。

 それでも雰囲気は誤魔化しきれず、張り詰めたものに変わった。


 老躯を睥睨する視線が、剣呑なそれに変わる。


「それについても、訊きたいことがある。

 実は、いきなり現れた妙な少女に、神器を奪って逃げられてね。随分と華美な服装では有ったが、心当たりは有るか?」


 キャベンディッシュの返事に、莫離涛の肩が揺れた。

 昨日今日の出来事だ。いきなり現れて神器を回収するような相手に、心当たりなど一つしかない。


 太源真女。煌びやかな衣装(きぬも)と聞いた莫離涛の脳裏に、傲然と(わら)真国(ツォンマ)の大神柱の姿が思い浮かんだ。

 神器を奪ったという言葉も、昨夜の出来事と符合する。


 ――ならば、キャベンディッシュの求めるものは無駄足になるだろう。


「くくく。遠い地の出来事で儂に期待されても、知らんものは知らんなぁ。

 それとも、風穴を漁ってみるか? 運が良ければ、案外見つかるかもしれんぞ」

「遺憾だが、洞主殿を楽にしてからそうさせて貰うさ。

 末期の言葉は有るかね? 些少ではあるが、協力に対する労いに聞くだけはしておくが」


 そう(うそぶ)いたキャベンディッシュが、(わら)う莫離の額に拳銃を当てた。

 末期の言葉を遺したものは、そう多くない。だがキャベンディッシュの予想に反して、老人の(わら)い声は不意と止んだ。


「それは助かるな、キャベンディッシュ大佐。

 李昊然はどうした? 此処(ここ)に来る途中で遇ったはずだが」

「……ああ、彼か。随分と大言壮語を吐いてくれたが、

 王の魔弾で撃ち抜いた瞬間に術を暴走させて自爆したよ」

「ほう?」


 李昊然の名を記憶から呼び起こし、キャベンディッシュは感慨も無く平然と返す。

 『王の魔弾』で撃ち抜いた顛末に、莫離は意外そうに答えた。


「死体は?」

「何を期待しているか想像は付くが、無駄であると先に云っておこう。

 爆発の跡に残っていたのは片腕だけ。……あれで生きているならば、奇跡だよ」

「そうか、そうか」


 くつくつと咽喉(のど)(わら)う莫離の額に、銃口が強く押し込まれる。

 逃げ場はない。しかし、莫離から笑い声が止む事は無かった。


 ――充分にキャベンディッシュの時間は削ってやった。瓦礫を掘り起こす余裕が無ければ、後は力量次第だ。


「云い遺す事はそれで打ち止めか?

 では、後の予定が詰まっているのでね。ここいらで老人には退場を願うとしようか」

「ああ、それで良いさ。キャベンディッシュ。

 ――だが、知っているかな? 貴様は儂を毒蛇と評したが、毒蛇の恐ろしさを知るのは、誰もが死んだ跡であると?」


 莫離涛の末期を聞き届けたものは、この場にどれだけ居たのか。

 老人のか細い息は、直後に響く銃声に、ただ寂しく吹き潰された。




 暫くして、神域に運び込まれた発電機に熱が入った。

 白熱灯に明かりが点り、昼間と見紛う明るさに満たされる。


「どう云う事だ!?」


 雪夜に冷える神域の一角。忙しく駆け回る兵士たちを余所に、怒声が響き(わた)った。


「……さて。皆目見当もつきません」

「魔教の風穴での実験は失敗であると、君の報告だったはずだが? ハーグリーブス博士!」

「そして風穴に封じられた玉影大経には触れることもできなくなり、撤退を余儀なくされた。

 ――大佐殿の確認された通りですな」

「では、何処に持ち去られた! あれが無ければ、今後の計画が行き詰ってしまうぞ」


 大柄なキャベンディッシュが、神秘学者の権威として知られるエドマンド・ハーグリーブスの襟元を掴んだ。

 自信の上司でもある男の苛立ちに、それでもハーグリーブスは冷静に続ける。


「大佐殿に云われるまでもなく、充分に理解しております。

 莫離涛を殺したのは早計でしたな。あの云いようでは、どうやら源林武教の顛末の真実に気付いていたのでしょう」

「どうだかな。生かしてやった恩を忘れて、黙ったままなのは想像に難くない。

 魔教の頂点なら、自決用の毒には苦労もせん」

「ですが、ともあれ情報の分析には、暫く時間を頂く必要があるかと」

「仕方ないな。

 だが、急いでくれ給え。時間が無い」


 衿を整えながら、ハーグリーブスはその要請に肯いを返した。

 無言で離れる老人を余所に、キャベンディッシュへとハリエットが囁く。


「何か、御懸念でも」

「奪った相手に、大方の予想はついている。

 ――源林武教の神域で、列山本訓を盗んだあの小娘だ」

「真逆。源林武教のある滝岳省と青道(チンタオ)は、鉄道を利用しても1週間は要します。

 どう考えても、時間軸の辻褄が合いません」

「逆だ。小娘に青道(チンタオ)の神器を回収させて、その後で源林武教で我々に奇襲を仕掛けたのだ。

 そうすれば、時間的な辻褄は合うだろう」


 短く首を振るキャベンディッシュに、ハリエットは吃驚を返した。


 神器の扱いについては、意外なほど各国で扱いにばらつきがある。

 特に世界最多と知られる潘国(バラトゥシュ)の神器、パーリジャータの多くは散逸しており、所在が不明であるのは有名な事実であった。


「では、真国(ツォンマ)六教の神器は総て、あの小娘が回収していると?」

「いいや。神器が神柱の象徴と考えれば、最後の手段だろう。でなければ、魔教と武教の神器で回収のタイミングが違う理由に説明がつかん。

 ――ハーグリーブス博士!」


 大柄な男は、苛立つ感情の侭にハーグリーブスへと足を向けた。


「結果はお待ちくださいと、 、何か?」

「神器が無ければ、神造計画にどれだけの遅延が生じるか、試算はできるか?」

「神話の普遍化で神器を創り出す手法には目途がつきましたが、何よりも西巴大陸では龍脈が枯渇しかけているのが問題でした」

「……だから、東巴大陸の龍脈をこじ開ける事で、霊気を確保しようとしている。そこまでは理解している」

「結構。神造計画の核心である、人工神柱の創出に必要な神話と莫大な霊気。その内の神話は用意出来ましたが、霊気の源泉である龍脈の確保には至っていません。

 ……このままでは、試算どころか遂行すら侭ならなくなるでしょうな」

「ち。やはりか。 、 、以降の実験で、龍脈を必要とする実験は全て切り捨てる」


「――大佐!」

「仕方あるまい。我々復権派の復興は、この実験の成否に掛かっているのだ。

 今更に、何の成果も無く撤退するなど認められん」


 ハーグリーブスの返答に僅かだけ悩み、直ぐさまキャベンディッシュは決断を下した。

 咎めるハリエットの声にも、決断が変わる事は無かった。


「最後の機会として、信顕天教の神器を確保に動く。

 だが、それも無駄に終わったら、あれ(・・)との契約通りに神造計画を切り変える」

「私は反対です。……嘘を吐けないと云っても、あれは信用できません!」

「だからと云って、他に選択肢も無い。

 ――博士。これより我々は信顕天教へと向かい、神器の確保に動く。ここでの情報収集を終えたら、直ぐに後を追ってくれ」


「畏まりました」


 歩き出した男の後を、ハリエットの気配が追う。

 静まり返るだけとなった魔教本拠を抜け、夜の闇へとキャベンディッシュは歩き出した。


 ♢


「あああ」


 東巴大陸鉄道の列車に乗り込んで数日。少女たちの滞在する個室の隅で、悲嘆に満ちた溜息が漏れた。

 朝食を済ませた輪堂(りんどう)咲は、溜息の方向へと視線を向けた。


「どうしたの? あれ(・・)

「さあ。……先ほどお見掛けしてから、終始あの有様でして」


 それに構う事なく、部屋の片隅では戴天玲瑛が頭を抱える姿が。

 咲と埜乃香(ののか)は視線だけで用件を押し付け合い、やがて根負けした埜乃香(ののか)は、恐る恐る玲瑛に声を掛けた。


「玲瑛さん。その、どうかしたのですか?」

「……埜乃香(ののか)さん」

「はあ」


 これまでに無いような縋る声に、反応に困った埜乃香(ののか)も首肯で応じる。


「どうしましょう?」「――それを訊きたいのですが!?」


 落語のオチにも使えないような遣り取りを余所に、咲は車窓の向こうへと視線を遣った。

 疎らな雑木林と田圃の向こうに、岩山の林立する光景が見えてくる。


「電線は通っていないのですね」

「……当然です。電気は論国の技術ですので、青道(チンタオ)以外では嫌厭されているでしょうね」

「技術は使い方次第でしょう。

 嫌うだけでは、乗り遅れますよ」

「それは理解していますが、父である戴天(ダイティエン)偲弘(スーフン)は西巴の技術を毛嫌いしていますので」

「父? と云う事は、ここはもう既に」

「はい。信顕天教の本山がある芳雨省です。この速度なら、今日の昼には駅に到着するかと。

 ――あああ」


「あ、また」


 咲との会話の最中に、再び玲瑛は頭を抱えた。

 何かの発作にも見えるその光景に、咲と埜乃香(ののか)の腰が少しだけ引ける。


「……もしかして、芳雨省に帰るのが嫌なのですか?」

「う」


「と云うよりも、お父さまに再開するのが怖いとか」


 咲が不意に上げた声に、玲瑛は覿面の反応を見せた。

 少女たちの視線が集める先で、真国(ツォンマ)の少女は視線を逃す。


 戴天玲瑛が高天原(たかまがはら)に訪れたのは、確か信顕天教の指示ではなく独断だったはずだ。

 ――つまり、怒られるのが怖かっただけ。


 図星と直ぐに判るその所作に、やがて咲たちは含むように笑い声を上げた。


「ふ、ふふふ」

「だ、駄目ですよ、咲さま。――笑ったら、ふふ、流石に失礼かと」


 子供らしい理由に笑い合う少女たちへ、玲瑛は唇を尖らせた。


「……皆さん。笑っておられますが、直に他人事ではなくなりますよ」

「その、酷い事にもならないと思いますよ。玲瑛さんが高天原(たかまがはら)へ向かったのは、大神柱の差配でしょう?

 幾ら何でも、 、ふふ。それで咎められるのは変ですし」

「確かに、崑崙からの執り成しはあるでしょうが! ……その、父は頑固で知られているのです」


「頑固と云っても、理を通さぬ方が人の上に立てるとも思えませんが」

「理は通すのです。通すのですが、

 ……まぁ、会えば直ぐに判りますよ」


 見れば直ぐに判るとだけ残して、玲瑛は再び頭を抱えた。


 普段の様子と違う玲瑛の姿に、咲たちは再び視線を交わし合う。

 その真実を知るのも残り数刻。列車は静かに、信顕天教の支配地である芳雨省の中心地へと進んでいった。



 お待たせいたしました。

 漸く余裕が出来ましたので、再開いたします。

 校正次第では、あと一回、猶予を頂く可能性は御座いますが、何とか今週の更新には間に合いました。


 今後ともよろしくお願いいたします。


 読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
神も隠れるなら神器も一緒に持っていってくれればややこしい話にならないと言うのに、神器が残っていて使えてしまうから勘違いする奴が居なくならないんだよなぁ。 まあ多分、神無の御坐が居れば神器から辿って復…
神柱は嘘はつかないけど誤魔化しや謎掛けはガンガンするんだよなぁ… 良からぬモノと契約してそうだ、いやこれ逆に善いモノな可能性あるのか…? (神柱たちから見たら、だけど) ガチの侵略仕草して来る相手と…
頑固親父は嫌ですね。 おやじの私が言うのもなんですが。
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