8話 暮れ行くに、対価を謀れ2
神錬丹を懐へ戻すその少年を、李鋒俊は改めて具に窺った。
航海の潮風と青道の戦闘のものか。隊服に奔る縒れを、節呉れた指で摘まむ姿。
――天子。伝承にのみ響きを遺す奇跡の体現も、その外身はそこら辺の未熟でしかなかった。
「……じろじろと、何だよ」
視線に気付いていたのは、互いに承知の上。
唐突な晶の問いかけに、然して驚きもなく鋒俊は言葉を返した。
「別に。ただ、天子ってのは、どんな気分なんだ?」
「生まれた時からこれだからな。普段の生活はどんな気分か、自分自身に聞くようなもんだぞ?」
「だな。野暮を訊いた」
「――此奴に聞いても無駄だぞ。たった半年前に下っ端で、吝を漏らしていたからな」
「泣き言を云った覚えはないが」
「初見の際に、咲や俺の精霊器を妬み嫉みで睨んでいただろうが。
安心しろよ。一生涯、ネタに擦り続けてやる」
曖昧な少年二人の問答に、蚊帳の外だった久我諒太も会話に加わる。
肩を竦める程度に付き合う晶に、忍び笑う声を向けた。
「精霊器ってのは、何度か聞いたな」
「こいつの事だ。防人なら誰もが持っている、精霊技の媒介だな」
鋒俊の疑問に、晶は鞘付きのままの太刀を手に持つ。
鯉口を切る、僅かに鞘奔る囁き。鞘と鍔の間に渡る白刃が、鋒俊の双眸へと映った。
「……真逆、」
物騒な、それでも得も知れない魅力を孕む輝き。だが何よりも、白刃へ青く奔る独特の輝きに息を呑んだ。
「これ、神珍鉄か?」
「神珍鉄?」
聞き慣れない響きに、晶は眉を顰める。
独自の名称だろうか。訊き返そうとした晶に、意外な方向から助け舟が向けられた。
「霊鋼の別名だろ。青みがかっている以外は鉄に似ているから、神珍鉄と呼ばれているらしい」
「ああ。高天原の精霊遣い達が外功を連発できる仕組みも、これで納得だ。
神珍鉄をこれだけ費やした武器なんざ、真国じゃ怖くて普段使いもできないな」
ともすれば、白刃の青い輝きに魅入られそうになる。そんな己を無理に引き剥がし、鋒俊は個室の背もたれに背を預けた。
霊鋼の特性は精霊力の伝導性。この金属を芯鉄に鍛造した器物は云わば、自身の器の代替品なのだ。
外功に転じた際の精霊力の反動は、精霊遣いたちにとって永く命題となっていた。これが無視できるなら、精霊遣い達はこぞって精霊器を求めるようになるだろう
「……いや待てよ。鋒俊の兄貴は? 奴の縄鏢は、間違いなく精霊力で操作されていたぞ」
李昊然と刃を交えた際、李昊然の縄鏢は放たれた後に刃先から向きを変えている。
流石に精霊力なしでは不可能なその技に、鋒俊は頭を振った。
「兄貴は縄鏢を鍛造する際に、霊鋼の代替として自分の血を混ぜ込んでいるんだ。
伝導性の劣化は免れないが、精霊力は視えなくなるし、利点が無い訳じゃない」
霊鋼の持つ特性は希少だが、他にその特性を持つ物質が無い訳ではない。
水や生身を構成する物質など極有り触れたものの中にも、精霊力を徹す物質は存在する。
只、それらは総て、武器とするには向かないと云うだけ。
「李昊然か。……そう云えば、 、向こうは大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ。……兄貴も覚悟していたみたいだしな」
晶の声に、僅かと気遣いの響きが混じる。
その意味を充分に分かったうえで、それでも平坦と鋒俊は個室の天井へ視線を向けた。
脳裏に浮かぶのは、青道駅で擦れ違った二人組の姿。キャベンディッシュと云う名の大柄な軍人は、論国に於ける復権派と呼ばれる派閥の新鋭であるらしい。
源林武教へと向かっていた論国の一団も、論国の軍部である事は調べがついている。
晶たちとキャベンディッシュの間に入ったエドウィン・モンタギューが、それらしいことを口にしていた辺り、間違いはないだろう。
――源林武教のある滝岳省で何かがあり、論国は撤退を余儀なくされたのだ。
「他教の助力は願えないのか?」
「判って云っているだろ。太源真女が出張ってまで、神器を回収していったんだ。
大神柱である太源真女を敵に回してまで、幽嶄魔教を受け入れる選択肢は、残り五教の洞主であっても有り得ない」
「彼奴らが戻ってきた理由は、絶対に用意できないものの補充だったな。
つまり神器の回収だが、穏やかに終わりはしないだろ」
幽嶄魔教の神器は、太源真女によって回収されている。
それを知らない論国からすれば、幽嶄魔教が裏切った様にしか見えないはずだ。
「魔教も論国もそれを理解している。同盟を整えたと云っても、所詮は表面だけ。衝突は間違いないだろうな」
「……幽嶄魔教に勝ち目はあるのか?」
「お前らに心配する義理はないだろ」
気遣う晶の問いかけに、努めて平然と鋒俊は言葉を返す。
ただ、天井から揺らぎともしないその双眸だけが、鋒俊の本音を告げていた。
「唯一、勝機があるとすれば、今回の闘いは魔教が敗けた海戦じゃない辺りだが」
「魔教の得手は毒と暗器だ。あそこの武侠と閉所で遣り合うのは、自殺行為に等しいぞ。
――一度は勝利したからと用意なく攻め込んだ相手程度、兄貴なら好きに喰い破れる」
♢
――東嶺省、青道、魔教本拠。
奥へと昏く延びる通廊に、刹那と銃火が奔った。
朱に塗られた柱が鉛玉に砕け、壁の漆喰は地肌まで削れる。
――立ち込める土煙の狭間。
幾条もの閃きが人影を照らし出し、その度に彼らは言葉もなく崩れ落ちた。
夜半を迎えるよりも僅かに早い頃。
事前の通告の無いままに、論国は魔教の神域近くまでを踏み荒らしていた。
銃弾と道術の間に渡る圧倒的な物量差。戦端の早期から色濃く、幽嶄魔教の側に敗戦の色が浮かび上がっている。
だが魔教も無抵抗ではない。僅かな沈黙を置いて、暗がりの向こうから炎が雪崩れた。
赫く通廊の石畳が灼け、反対側からは口籠る悪態が。
同じ応酬が幾度か重なりやがて――、沈黙だけが残った。
「――突破されました」
「紙箋兵を惜しむな、囮に誘い込めば上々だ」
配下からの報告に、李昊然は構わずそう云い捨てた。
目減りしてゆくその陰は生者に非ず、人形を映し出す、道術の一種。
防御もなく攻撃もしないが、道術に弱い論国からすれば厄介な足止めとなる。
「お前たちも、そろそろ所定の位置につけ」
「李さまは?」
「ここまで囮に付き合わせたんだ。
――奴等も見える餌が無ければ、喰った気になってくれんさ」
口の端に苦笑だけを浮かべ、昊然は縄鏢と呪符を手にした。
袖まで長い道服を翻し、柱の林立する部屋の中央へと立つ。
一層に激しく銃火が響き、やがて沈黙が戻った頃。昊然の立つ部屋の入り口に数本の松明が投げ込まれた。
松明の揺らめきに動じることなく、昊然は入り口の向こうに声を投げた。
「入ってこられたらどうかな? 取り敢えずは歓迎するが」
「――それは失礼。道中で幾匹か、鼠を見かけたものでね。
猿程度の大きさだったが、中々にどうして、駆除するのも苦労したよ」
ばらばらと雪崩れ込む、論国軍の兵士の姿。油断なく擡げられた長銃の群れを割り、大柄な男が進み出た。
論国海軍の佐官位だけが許される、白の将服に身を包んだ男。追従する女性が、油断なく昊然を睨んだ。
「夜に漁るのは、獣の生業だろう。
それよりも、夜の遅くに来訪した理由を訊いても? ――キャベンディッシュ大佐」
「ああ。源林武教の窮状を案じて向かった我らが、滝岳省でどのような待遇を受けたか知っているか」
「さて。源林武教の状況は、貴国から伝えられたと記憶しているが?」
喰えない言葉の応酬に、ヴィクター・キャベンディッシュの脇に控える女性が、柳眉を逆立てる。
腰の銃帯から覗く銃把に伸びる華奢な指。剣呑と怒るその肩を、キャベンディッシュは優しく宥めた。
『止め給え、ホイットモア少尉。
正直、今後の事を考えれば、ここで銃弾は無駄にできない』
『……はい、大佐』
僅かと引き下がる女性を脇に、碧い視線が昊然の方へと戻る。
鉄火場と思えないほど穏やかなだけの眼差しに射抜かれ、昊然は肩の力を抜いた。
だらりとした道服の袖が、暗がりの灯りに揺れて影を伸ばす。
「……部下が失礼したね。
まぁ、状況は大方に把握していると思うが、源林武教の裏切りにあって、我々も青道に戻るしかなかったんだ」
「災難だったようだが、私たちも所詮は仲介しただけの関係だ。
それは、貴国も能く理解しているはずだが?」
「御尤も。契約の場に立ち会っただけの魔教に、仲介した以降の責任など取る謂れもない。
否早、やられたよ。契約の条項に無ければ責任を問わない我らの恩情は、確かに甘さと取られても仕方ないかもしれないな」
――何処が甘さだ、所詮は己たちの甘さだろうが。
雄弁に吐き捨てるキャベンディッシュを見遣り、昊然は内心でそう吐き捨てた。
論国から始まった技術革新は豊かさを齎したが、同時に社会の急速な複雑化をも促している。
複雑な社会層を縛り付ける契約だが、論国は締結する側として条項を良いように解釈する癖があった。
「抑々、源林武教に仲介を渡したのも、貴国の要請に依るものだぞ?
だからこそ手数料や仲介料の一切は、其方の側に請求していないはずだ」
「認めるよ。……だが、責任を無視するのは赦さん。
魔教が仲介して呼び込んだ源林武教が、論国を裏切った。この事実に対して、論国は魔教に賠償を求める権利がある」
のうのうと論じるキャベンディッシュに、思わず昊然は肩を揺らした。
結局は既定路線として、賠償の名を借りた損失補填の要求。これ以上は付き合う義理も無いと、静かに精霊力を昂らせる。
「ほぅ。それはそれは、結構な事だ。――それで?
涎まで垂らして何が欲しい胎積もりだ、キャベンディッシュ」
「君たちから奪いはしない。ただ、取りに戻ってきただけだ。
――君たちに預けてやっていた玉影大経を、論国に還して貰いたい」
どれだけ言葉を尽くしても、荒事を持ち込んでいる以上に浅ましい性根。
予想の範疇すら越えない、身の程知らずのその要求に、昊然は思わず忍ぶように嗤った。
下らない。――本当に。
武装して宣言も云わずに、表向きの同盟を組んでいた魔教へと襲撃を仕掛ける。
――その時点で、同盟など無かったとでも云わんばかりの態度ではないか。
言葉で終わるとは、昊然にも期待は無い。
向けられている長銃に怖じる事なく、昊然は床を爪先で蹴った。
「魔教が、我らの提案を破棄。
先制攻撃の確認。――制圧開始!」
闇に紛れ行く昊然を、キャベンディッシュの号声が追う。
終わるや否や、論国海軍の銃口から発砲音が連なった。
「物量で圧し込めば、我らの本拠だろうと勝利は堅いとでも!」
的に対する圧倒的な物量での制圧。論国海軍の戦術が、青道戦役で殆ど進歩していない。
頬近くを抜ける鉛玉の気配に、昊然は嗤い返した。
論国海軍の軍事教義に於いて、制圧は牽制射と効力射の2段階で維持される。
初撃が敵の行動を止める牽制射なら、次は本命の効力射。そして射線を切り替える瞬間に、どうしても隙が生まれるのだ。
馬歩から、大きく足を踏み込む。
金剛大勁、勁技、天鋼不壊
剛ォ。昊然の踏み躙る足元で、石畳が群れと踊り、宙へ舞った。
――瞬後、銃火の劈く悲鳴と共に、鉛玉が昊然に殺到。
宙に浮いた石畳と喰い合い、互いが粉々に砕け散る。
その土煙へと、昊然は袖を振った。
銃は閉所であるほどに威力を発揮するが、それは魔教であっても同じ。
袖を振る度に、仕込んだ毒が土煙と共に撒き散らされる。
茫漠と視界を塗りこめる毒の煙に目掛け、昊然は掌を振った。
琅玕大勁、勁技、神扇衝掌
翻す昊然の掌に従い、突如として剛風が生まれた。
削るような乱風が、毒煙ごと総てを薙ぎ払う勢いで部屋の大気を圧し流す。
即効性を優先したため毒効は痺れに過ぎず、そこで止める心算は毛頭無い。
間を赦さずに、昊然は縄鏢を放った。
うねるように軌道を刻み、相手の前衛を薙ぎ払う縄鏢の刃先。
手元へと返る肉を穿つ確かな手応えに。昊然は縄鏢を戻した。
攻守の応酬の後、部屋を支配する沈黙。――やがて、ぞんざいな拍手が、土煙の向こうから届いた。
「はは。素晴らしいな。
真国六教の、神秘の御業と云う訳かな? とは云え、大道芸に過ぎないのは悲しいものだが」
「その大道芸すら廃れただろう論国に評されてもな。
貴様が漁りに来たものは、正にその頂点でもあるのだが」
「はは。確かに、……確かに。だが、廃れていると断じられるのも業腹だ。
特に貴国に対して施した恩情は、帝国技術の結晶だぞ?」
論国は確かに、大神柱を喪い鉄の時代に曝された。
だが、神秘に対する知識は、確かに貴族たちの間で残ってもいる。
精霊と神柱に関連した知識は、恐らく世界でも有数。神秘学者と呼ばれるその者たちは、不完全に神柱を名乗るそれらの腑を大方に暴き出しているのだ。
「神造計画の一端たるその成果を、――源林武教の次に、君たちにも味わってもらいたい」
昊然の云い返す言葉に、キャベンディッシュも嗤って肯う。
その脇を抜けて、控えていたハリエットが前に出た。
『喰い穿て』
女性らしいだけの細い腕が、ただ虚空へと差し伸べられる。
ハリエットが掴むは、心奧に納められたその銃把。
躊躇う事なく引き抜かれたその歪から、傲然と疾風が室内に吹き荒れた。
渦と捲く風に土煙が晴れ、次いで松明を浚う。
彼我の視界が闇に沈むその狭間。昊然は確かに、在り得ない形状を持ったその神器を見た。
「見上げ給え。人が神柱を使役する、この偉業の礎たらん日を!」
『――王の魔弾』
キャベンディッシュの宣告と同時。得も知れない悪寒に衝き動かされ、昊然は決然と地を蹴った。
どうにもならない。銃口の奥から覗く闇を睨み、昊然は己の死を理解する。
――思考に浮かぶのは、別れを告げたばかりの弟と家族の事。
それでも、最期の刹那まで抗うべく、精霊力を練り上げて見せる。
相手を詳細に狙う余裕などない。自身の安全すらかなぐり捨て、昊然は咽喉も避けよとばかりに勁技を解き放った。
琅玕大勁、勁技――。
「燎原瞬火!」
轟。焔と剛風が至近で激突し、余波が部屋を内部から吹き飛ばす。
その後にはただ虚しく、月すらない闇だけが広がっていた。
申し訳ございません。
あと一回は食い下がりたかったのですが、来週より5月17日まで、更新が不可能になりました。
再開は5月25日からを予定しております。
気長にお待ちいただけると嬉しいです。
安田のら
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと評価もお願いいたします。





