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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
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8話 暮れ行くに、対価を謀れ2

 神錬丹を懐へ戻すその少年を、李鋒俊は改めて(つぶさ)に窺った。

 航海の潮風と青道(チンタオ)の戦闘のものか。隊服に奔る(もつ)れを、節呉れた指で摘まむ姿。


 ――天子(ティエンズ)。伝承にのみ響きを遺す奇跡の体現も、その外身はそこら辺の未熟(ガキ)でしかなかった。


「……じろじろと、何だよ」


 視線に気付いていたのは、互いに承知の上。

 唐突な晶の問いかけに、然して驚きもなく鋒俊は言葉を返した。


「別に。ただ、天子(ティエンズ)ってのは、どんな気分なんだ?」

「生まれた時からこれだからな。普段の生活はどんな気分か、自分自身に聞くようなもんだぞ?」

「だな。野暮を訊いた」


「――此奴に聞いても無駄だぞ。たった半年前に下っ端で、(ケチ)を漏らしていたからな」

「泣き言を云った覚えはないが」

「初見の際に、咲や俺の精霊器を妬み嫉みで睨んでいただろうが。

 安心しろよ。一生涯、ネタに擦り続けてやる」


 曖昧な少年二人の問答に、蚊帳の外だった久我(くが)諒太も会話に加わる。

 肩を竦める程度に付き合う晶に、忍び笑う声を向けた。


「精霊器ってのは、何度か聞いたな」

「こいつの事だ。防人なら誰もが持っている、精霊技(せいれいぎ)の媒介だな」


 鋒俊の疑問に、晶は鞘付きのままの太刀を手に持つ。

 鯉口(こいくち)を切る、僅かに鞘奔る囁き。鞘と鍔の間に(わた)る白刃が、鋒俊の双眸へと映った。


「……真逆、」

 物騒な、それでも得も知れない魅力を孕む輝き。だが何よりも、白刃へ青く奔る独特の輝きに息を呑んだ。

「これ、神珍鉄か?」


「神珍鉄?」


 聞き慣れない響きに、晶は眉を顰める。

 独自の名称だろうか。訊き返そうとした晶に、意外な方向から助け舟が向けられた。


「霊鋼の別名だろ。青みがかっている以外は鉄に似ているから、神珍鉄(神柱の稀な鉄)と呼ばれているらしい」

「ああ。高天原(たかまがはら)の精霊遣い達が外功を連発できる仕組みも、これで納得だ。

 神珍鉄をこれだけ費やした武器なんざ、真国(ツォンマ)じゃ怖くて普段使いもできないな」


 ともすれば、白刃の青い輝きに魅入られそうになる。そんな己を無理に引き剥がし、鋒俊は個室の背もたれに背を預けた。


 霊鋼の特性は精霊力の伝導性。この金属を芯鉄に鍛造した器物は云わば、自身の器()の代替品なのだ。


 外功に転じた際の精霊力の反動は、精霊遣いたちにとって永く命題となっていた。これが無視できるなら、精霊遣い達はこぞって精霊器を求めるようになるだろう


「……いや待てよ。鋒俊の兄貴(李昊然)は? 奴の縄鏢は、間違いなく精霊力で操作されていたぞ」


 李昊然と刃を交えた際、李昊然の縄鏢は放たれた後に刃先から向きを変えている。

 流石に精霊力なしでは不可能なその技に、鋒俊は頭を振った。


「兄貴は縄鏢を鍛造する際に、霊鋼の代替として自分の血を混ぜ込んでいるんだ。

 伝導性の劣化は免れないが、精霊力は視えなくなるし、利点が無い訳じゃない」


 霊鋼の持つ特性は希少だが、他にその特性を持つ物質が無い訳ではない。

 水や生身を構成する物質など極有り触れたものの中にも、精霊力を徹す物質は存在する。


 只、それらは総て、武器とするには向かないと云うだけ。


「李昊然か。……そう云えば、 、向こうは大丈夫なのか?」

「大丈夫だろ。……兄貴も覚悟していたみたいだしな」


 晶の声に、僅かと気遣いの響きが混じる。

 その意味を充分に分かったうえで、それでも平坦と鋒俊は個室の天井へ視線を向けた。


 脳裏に浮かぶのは、青道(チンタオ)駅で擦れ違った二人組の姿。キャベンディッシュと云う名の大柄な軍人(マリーンズ)は、論国に()ける復権派と呼ばれる派閥の新鋭であるらしい。

 源林武教へと向かっていた論国の一団も、論国の軍部である事は調べがついている。


 晶たちとキャベンディッシュの間に入ったエドウィン・モンタギューが、それらしいことを口にしていた辺り、間違いはないだろう。

 ――源林武教のある滝岳省で何かがあり、論国は撤退を余儀なくされたのだ。


「他教の助力は願えないのか?」

「判って云っているだろ。太源真女が出張ってまで、神器を回収していったんだ。

 大神柱である太源真女を敵に回してまで、幽嶄魔教を受け入れる選択肢は、残り五教の洞主であっても有り得ない」

「彼奴らが戻ってきた理由は、絶対に用意できないものの補充だったな。

 つまり神器の回収だが、穏やかに終わりはしないだろ」


 幽嶄魔教の神器は、太源真女によって回収されている。

 それを知らない論国からすれば、幽嶄魔教が裏切った様にしか見えないはずだ。


「魔教も論国もそれを理解している。同盟を整えたと云っても、所詮は表面だけ。衝突は間違いないだろうな」

「……幽嶄魔教に勝ち目はあるのか?」

「お前らに心配する義理はないだろ」


 気遣う晶の問いかけに、努めて平然と鋒俊は言葉を返す。

 ただ、天井から揺らぎともしないその双眸だけが、鋒俊の本音を告げていた。


「唯一、勝機があるとすれば、今回の闘いは魔教が敗けた海戦じゃない辺りだが」

「魔教の得手は毒と暗器だ。あそこの武侠と閉所で遣り合うのは、自殺行為に等しいぞ。

 ――一度は勝利したからと用意なく攻め込んだ相手程度、兄貴なら好きに喰い破れる」


 ♢


 ――東嶺省、青道(チンタオ)、魔教本拠。


 奥へと昏く延びる通廊に、刹那と銃火が奔った。

 朱に塗られた柱が鉛玉に砕け、壁の漆喰は地肌まで削れる。


 ――立ち込める土煙の狭間。

 幾条もの閃きが人影を照らし出し、その度に彼らは言葉もなく崩れ落ちた。


 夜半を迎えるよりも僅かに早い頃。

 事前の通告の無いままに、論国は魔教の神域近くまでを踏み荒らしていた。

 

銃弾と道術の間に渡る圧倒的な物量差。戦端の早期から色濃く、幽嶄魔教の側に敗戦の色が浮かび上がっている。


 だが魔教も無抵抗ではない。僅かな沈黙を置いて、暗がりの向こうから炎が雪崩れた。


 赫く通廊の石畳が灼け、反対側からは口籠(くごも)る悪態が。

 同じ応酬が幾度か重なりやがて――、沈黙だけが残った。


「――突破されました」

「紙箋兵を惜しむな、囮に誘い込めば上々だ」


 配下からの報告に、李昊然は構わずそう云い捨てた。


 目減りしてゆくその陰は生者に非ず、人形(ひとがた)を映し出す、道術(タオ)の一種。

 防御もなく攻撃もしないが、道術(タオ)に弱い論国からすれば厄介な足止めとなる。


「お前たちも、そろそろ所定の位置につけ」

「李さまは?」

「ここまで囮に付き合わせたんだ。

 ――奴等も見える餌が無ければ、喰った気になってくれんさ」


 口の端に苦笑だけを浮かべ、昊然は縄鏢と呪符を手にした。

 袖まで長い道服を(ひるがえ)し、柱の林立する部屋の中央へと立つ。


 一層に激しく銃火が響き、やがて沈黙が戻った頃。昊然の立つ部屋の入り口に数本の松明が投げ込まれた。


 松明の揺らめきに動じることなく、昊然は入り口の向こうに声を投げた。


「入ってこられたらどうかな? 取り敢えずは歓迎するが」

「――それは失礼。道中で幾匹か、鼠を見かけたものでね。

 猿程度の大きさだったが、中々にどうして、駆除するのも苦労したよ」


 ばらばらと雪崩れ込む、論国軍の兵士の姿。油断なく擡げられた長銃(ライフル)の群れを割り、大柄な男が進み出た。


 論国海軍の佐官位だけが許される、白の将服に身を包んだ男。追従する女性が、油断なく昊然を睨んだ。


夜に漁る(・・・・)のは、獣の生業(なりわい)だろう。

 それよりも、夜の遅くに来訪した理由を訊いても? ――キャベンディッシュ大佐」

「ああ。源林武教の窮状を案じて向かった我ら(論国)が、滝岳省でどのような待遇を受けたか知っているか」

「さて。源林武教の状況は、貴国から伝えられたと記憶しているが?」


 喰えない言葉の応酬に、ヴィクター・キャベンディッシュの脇に控える女性が、柳眉を逆立てる。

 腰の銃帯から覗く銃把に伸びる華奢な指。剣呑と怒るその肩を、キャベンディッシュは優しく宥めた。


『止め給え、ホイットモア少尉。

 正直、今後の事を考えれば、ここで銃弾は無駄にできない』

『……はい、大佐(Yes.Sir)


 僅かと引き下がる女性を脇に、碧い視線が昊然の方へと戻る。

 鉄火場と思えないほど穏やかなだけの眼差しに射抜かれ、昊然は肩の力を抜いた。


 だらりとした道服の袖が、暗がりの灯りに揺れて影を伸ばす。


「……部下が失礼したね。

 まぁ、状況は大方に把握していると思うが、源林武教の裏切りにあって、我々も青道(チンタオ)に戻るしかなかったんだ」

「災難だったようだが、私たちも所詮は仲介しただけの関係だ。

 それは、貴国も能く(・・)理解しているはずだが?」

「御尤も。契約の場に立ち会っただけの魔教に、仲介した以降の責任など取る謂れもない。

 否早、やられたよ。契約の条項に無ければ責任を問わない我らの恩情は、確かに甘さと取られても仕方ないかもしれないな」


 ――何処が甘さだ、所詮は己たちの甘さだろうが。

 雄弁に吐き捨てるキャベンディッシュを見遣り、昊然は内心でそう吐き捨てた。


 論国から始まった技術革新は豊かさを齎したが、同時に社会の急速な複雑化をも促している。

 複雑な社会層を縛り付ける契約だが、論国は締結する側として条項を良いように解釈する癖があった。


「抑々、源林武教に仲介を(わた)したのも、貴国の要請に依るものだぞ?

 だからこそ手数料や仲介料の一切は、其方の側に請求していないはずだ」

「認めるよ。……だが、責任を無視するのは赦さん。

 魔教が仲介して呼び込んだ源林武教が、論国を裏切った。この事実に対して、論国は魔教に賠償を求める権利がある」


 のうのうと論じるキャベンディッシュに、思わず昊然は肩を揺らした。


 結局は既定路線として、賠償の名を借りた損失補填の要求。これ以上は付き合う義理も無いと、静かに精霊力を昂らせる。


「ほぅ。それはそれは、結構な事だ。――それで?

 涎まで垂らして何が欲しい胎積もりだ、キャベンディッシュ(残飯漁り)

「君たちから奪いはしない。ただ、取りに戻ってきただけだ。

 ――君たちに預けてやっていた玉影大経を、論国に還して貰いたい」


 どれだけ言葉を尽くしても、荒事を持ち込んでいる以上に浅ましい性根。

 予想の範疇すら越えない、身の程知らずのその要求に、昊然は思わず忍ぶように(わら)った。


 下らない。――本当に。

 武装して宣言も云わずに、表向きの同盟を組んでいた魔教へと襲撃を仕掛ける。

 ――その時点で、同盟など無かったとでも云わんばかりの態度ではないか。


 言葉で終わるとは、昊然にも期待は無い。

 向けられている長銃に怖じる事なく、昊然は床を爪先で蹴った。


「魔教が、我らの提案を破棄。

 先制攻撃の確認。――制圧開始!」


 闇に紛れ行く昊然を、キャベンディッシュの号声が追う。

 終わるや否や、論国海軍の銃口から発砲音が連なった。


「物量で圧し込めば、我らの本拠だろうと勝利は堅いとでも!」


 的に対する圧倒的な物量での制圧。論国海軍の戦術が、青道(チンタオ)戦役で殆ど進歩していない。

 頬近くを抜ける鉛玉の気配に、昊然は(わら)い返した。


 論国海軍の軍事教義に()いて、制圧は牽制射と効力射の2段階で維持される。

 初撃が敵の行動を止める牽制射なら、次は本命の効力射。そして射線を切り替える瞬間に、どうしても隙が生まれるのだ。


 馬歩(攻め足)から、大きく足を踏み込む。

 金剛大勁(ジンガンダージン)、勁技、天鋼(ティエンガン)不壊(ブーファイ)


 剛ォ。昊然の踏み躙る足元で、石畳が群れと踊り、宙へ舞った。


 ――瞬後、銃火の劈く悲鳴と共に、鉛玉が昊然に殺到。


 宙に浮いた石畳と喰い合い、互いが粉々に砕け散る。

 その土煙へと、昊然は袖を振った。


 銃は閉所であるほどに威力を発揮するが、それは魔教であっても同じ。

 袖を振る度に、仕込んだ毒が土煙と共に撒き散らされる。


 茫漠と視界を塗りこめる毒の煙に目掛け、昊然は掌を振った。

 琅玕大勁(ランガンダージン)、勁技、神扇衝掌(シェンシンチンジャン)


 (ひるがえ)す昊然の掌に従い、突如として剛風が生まれた。

 削るような乱風が、毒煙ごと総てを薙ぎ払う勢いで部屋の大気を圧し流す。


 即効性を優先したため毒効は痺れに過ぎず、そこで止める心算(つもり)は毛頭無い。

 間を赦さずに、昊然は縄鏢を放った。


 うねるように軌道を刻み、相手の前衛を薙ぎ払う縄鏢の刃先。

 手元へと返る肉を穿つ確かな手応えに。昊然は縄鏢を戻した。


 攻守の応酬の後、部屋を支配する沈黙。――やがて、ぞんざいな拍手が、土煙の向こうから届いた。


「はは。素晴らしいな。

 真国(ツォンマ)六教の、神秘の御業と云う訳かな? とは云え、大道芸に過ぎないのは悲しいものだが」

「その大道芸すら廃れただろう論国に評されてもな。

 貴様が漁りに来たもの(・・)は、正にその頂点でもあるのだが」


「はは。確かに、……確かに。だが、廃れていると断じられるのも業腹だ。

 特に貴国に対して施した恩情は、帝国技術の結晶だぞ?」


 論国は確かに、大神柱を喪い鉄の時代に曝された。

 だが、神秘に対する知識は、確かに貴族たちの間で残ってもいる。


 精霊と神柱に関連した知識は、恐らく世界でも有数。神秘学者と呼ばれるその者たちは、不完全に神柱を名乗るそれらの(構造)を大方に暴き出しているのだ。


「神造計画の一端たるその成果を、――源林武教の次に、君たちにも味わってもらいたい」


 昊然の云い返す言葉に、キャベンディッシュも(わら)って肯う。

 その脇を抜けて、控えていたハリエットが前に出た。


喰い(Beiß dich)穿て(durch)


 女性らしいだけの細い腕が、ただ虚空へと差し伸べられる。

 ハリエットが掴むは、心奧に納められたその銃把(・・)


 躊躇う事なく引き抜かれたその歪から、傲然と疾風が室内に吹き荒れた。


 渦と捲く風に土煙が晴れ、次いで松明を浚う。

 彼我の視界が闇に沈むその狭間。昊然は確かに、在り得ない形状を持ったその神器を見た。


「見上げ給え。人が神柱を使役する、この偉業の礎たらん日を!」

『――王の(Königs)(Zauber)(kugel)


 キャベンディッシュの宣告と同時。得も知れない悪寒に衝き動かされ、昊然は決然と地を蹴った。


 どうにもならない。銃口の奥から覗く闇を睨み、昊然は己の死を理解する。

 ――思考に浮かぶのは、別れを告げたばかりの弟と家族の事。


 それでも、最期の刹那まで抗うべく、精霊力を練り上げて見せる。

 相手を詳細に狙う余裕などない。自身の安全すらかなぐり捨て、昊然は咽喉(のど)も避けよとばかりに勁技を解き放った。

 琅玕大勁(ランガンダージン)、勁技――。


燎原瞬火(リャオエンシュンフオ)!」


 轟。焔と剛風が至近で激突し、余波が部屋を内部から吹き飛ばす。

 その後にはただ虚しく、月すらない闇だけが広がっていた。

 申し訳ございません。

 あと一回は食い下がりたかったのですが、来週より5月17日まで、更新が不可能になりました。


 再開は5月25日からを予定しております。

 気長にお待ちいただけると嬉しいです。


 安田のら


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
兄ちゃん死んだんか!?カッコつけて囮を引き受けたんだからきっと多分平気な筈、これから「それは式符だ」とか「幻影だ」とか言うかも
奇襲、暗殺が得手と自認しているなら、相手が来る前に仕込みくらいはしておかないとねぇ。 何か負け犬根性と言うか、実戦では後出しで勝てるのはジャンケン位なものやぞ。
かなりショッキングですね… 思った以上に良い兄弟してんなぁと思ってたが…なんとか生存できんかなぁ 休載の件了解です! 読み直しながら待とうと思います!
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