8話 暮れ行くに、対価を謀れ1
互いの話題も尽き、誰から云うでもなく少年少女たちの会談はお開きとなった。
戴天玲瑛と李鋒俊が去り、やがて輪堂咲と帶刀埜乃香も晶たちの個室を後に。
軌上の規則正しい揺れと沈黙の後に、少年の片方から口火は切られた。
「同行の、そのみっつったか。
姿が見えないが、あっちはどうした?」
「急用で、出立が一日遅れると。構わずに行って欲しいそうだ」
「――苦労して取った鉄道の切符を不意にして、潘国への交通手段はどうする心算だよ」
「伝手は有るらしい。説得はしたんだが、大丈夫の一点張りで押し切られた」
付き合い方が判らないと零す晶へと、諒太は車窓の外へと視線を向けたまま。
「父上から訊いた限り同行家は馴れ合いを好まんらしいが、嫡嗣があれなら納得だ。
――で? お前はどうなんだよ」
「何が?」
「惚けんなよ。――咲もそうだが、お前らはそこら辺を放置し過ぎだ」
「らしくないぞ久我殿。奥歯に物でも挟まってんのか?」
晶から返る応えに、諒太は嘆息ともつかない息を吐き、がりがりと頭を掻いた。
八家と為ったばかりの少年の表情には、含むものが見当たらない。
――つまり、本気で晶は諒太の問いを理解できていないのだ。
「あのな。咲はシータと契約したから仕方ないにしても、女性が身一つで大洋を渡るなんざ尋常じゃないんだぞ。
しかも同行の御当主公認の上でってなると、そうだと公言しているようなもんだ」
「そうって?」
「婚約だ、婚約。高天原から帰ってきて直ぐは無いにしても、年内には挙式するって方向で、同行は動いていると考えた方が良い」
「真逆。――一回も話は無かったぞ」
「有る訳ないだろうが、阿呆。
お前の正室は現在、奇鳳院家と義王院家で意見が割れている最中だ。これ以前に側室が決まるなんざ、醜聞でしかない。
同行当主としても、外堀を埋めるくらいの心算なんだろうさ」
そう言葉を返し、諒太は晶へ視線を戻した。
諒太は嘗て、咲が好きであったが、それは華族としての事情を抜いた感情である。
そしてそれは、晶と云う例外が現れない限り成功し、
――そのままに失敗しただろう結果は、想像に難くなかった。
良い機会だと、肚を割って教える覚悟を決める。
「晶にとっちゃ、華族の結婚ってのは見合いで総てだろうが、実際の処は違う」
「家格とか? 俺は関係なかったけど、颯馬には下馬評みたいに幾つか写真が来ていたと聞いた事があるな」
「手前ェが追ん出されたのって年齢10なら、彼奴は9つか?
――それもあるが、そっちじゃなくて精霊の位階の方だ」
「正室だけで充分じゃ?」
「それだけだと上位華族は血が濃くなりすぎる。賭けに近いが、意図的に遠地の華族から側室を入れて、血を新しくする必要があるんだ」
生々しい諒太の断言に、決まり悪く晶は身動いた。
華族の責務とは端的に、精霊の位階を護る事に終始している。
家格ではなく精霊の位階を中心に廻っているのだ。
だがそれだけだと、華族の血統が何れ行き詰まるのは明白。――だからこそ、薄めた血も用意する必要があるのだ。
基本的には長子継承だが、醜聞であっても有能な次男と挿げ替えることが黙認されているのもこれが起因である。
晶は神無の御坐と云う特殊な立場もあって、この辺りの事情は特に複雑怪奇であった。
「神無の御坐の正室は院家だが、それだけだと八家が途絶える羽目になる。
それを防ぐためにも、お前は側室を娶ってただ人としての最良の血筋を維持する義務があるんだ」
不満も隠そうとせずに、諒太は手ぶりを交えて説明した。
諒太にとって晶は、八家の都合から縁談を奪った相手でもある。義理だとしても、この辺りを態々説明するのは気乗りしない作業であった。
「……まぁ。俺の場合も、問題が皆無って訳じゃなかったけどな」表情の昏い晶へと、諒太は言い訳を取り繕った。
「咲と俺の婚姻が内々で結ばれたのも、俺の叔母上と咲の母上が親戚だったからだ。
こっちも近戚が続くってんで、陪臣連中から随分と渋られた」
それでも無茶が通った理由は、諒太の問題を日常から補佐できる相手は咲しかいなかったからである。
問題の解決に早期の目途が立てば、咲との婚姻解消は時間の問題だったはずだ。
「理解ってんのかよ、おい」
「あ、ああ」
言葉は理解しているが、腑に落ちていない。
晶の表情からそれを正確に読み取り、それでも追及する事無く諒太は車窓の向こうへと視線を返した。
これ以上は野暮に過ぎる追求である。幾らこの辺りの事情に無知なだけの少年であっても、嘗ての恋敵にこれ以上を教えてやる義理は諒太にもない。
「お互いにどうするのか、当事者だけでも意見を統一しておけよ。
どうせ高天原に還ったら、力押しじゃど~にもならん問題で身動きすら取れなくなるぞ」
「……だとしても、同行家の出方が今一つ判らないけど」
諒太の想像が確かだとしても、そのみが晶と別行動をとりたがる理由にはならないはずだ。
同じ疑問に諒太も行き当ったっているのか、視線を逸らしたままで肩を竦める。
「同行当主の考えなんざ、俺だって判りゃしねぇよ。
だが、同行家に関してなら、幾つか断言できる」
「それは?」
「八家の位階こそ七位と目立ってないが、同行家は古くから外海との交渉を一手に担ってきた家系だ。
――海恒公司を見たろ。同行は小さい領地に引き籠ってばかりと思われているが、海外じゃあの規模の会社を幾つも経営しているらしい」
旧くは義王院お抱えの冦であった頃から、同行家は真国や侑国を相手に立ち回ってきた。だがその反面で、高天原の表舞台へと立つことはない。
それでもその実力は確かなもの。政治家であり外交官であり、そして院家を凌ぐほどに有数の資財家。それが同行家の正体であった。
「精霊遣いは個人の暴力に過ぎないが、同行家の強みは組織だ。
……甘く見るなよ。八家の位階はただの飾りで、同行そのみの強みも、間違いなくそれ以外にある」
警戒を浮かべる晶にそう釘を刺し、諒太は少しだけ声を潜める。
「晶。神気はどれだけ残っている」
「それなりに残っているが、潘国に入国する前には九蓋瀑布を降ろしておく方が良い程度だ」
「妥当だが、少し時期を選んだ方が良いかもな。――神域を顕現させるくろさまの神器は、他国の神柱の怒りをどう買うか一切読めん」
思いもしなかった諒太の慎重論に、晶は双眸を見開いた。
晶の知る限り、諒太は出し惜しみをしない性格である。精霊力に不安が無い状態なら特に、その辺りの箍は無いも同然であったはずだ。
否。これは、晶の状況に対し気を遣っているからか。
「……随分と優しいんだな」
「違ぇよ! ――同行家もそうだが、戴天玲瑛の態度が妙だと思わねぇか?」
「ああ、確かに」
図星を刺され、諒太は歯を剥きだして話題をすり替えた。
だが、彼女に対して思う処はあるのか、晶も追及する事無く乗っかる。
「戴天家でどの程度の立場なのかは知らないが、真国に戻ってきてからやけに大人しいな」
「やけにじゃなくて、随分と、だ。あれじゃ、魔教と遣り合った李鋒俊の方が、余程にらしいぞ」
「寧ろ、高天原で張っていた気が、真国に戻って緩んだんじゃないのか」
「どうにも、そうは思えないんだよな。できる限り目立とうとしてないみたいな」
「――当たり前だろ」
2人。腕を組んで悩む会話へと、唐突に声が割り込む。
何時の間にか個室に続く扉に、李鋒俊が腕を組んで寄り掛かっていた。
「師姐は戴天家の姫君だぞ。本来なら武林の奥からだって、下山する事は滅多にない」
「そのお姫さまについていなくて良いのかよ。――師弟くん?」
茶化す諒太の声に応える事なく、鋒俊は諒太の隣に腰を下ろす。
一際に大きな揺れ。車体が傾いで、音を置き去りに隧道へと突き進んだ。
「今回の高天原行きだって、元々は臣の誰かに行かせる事を念頭に、前洞主へと掛け合っていた位だ」
「――前洞主って事は、今は代替わりを?」
「3ヶ月前にな。
前代の禹洞主は高齢の割に開明的で、師姐の意見を推してくれていた貴重な方だ」
元々、衆生の守護を優先するのが、天教に限らず真国六教の基本理念である。
だが、論国の侵攻が、その総てを変えてしまった。
隧道を抜けて、再び車窓の向こうに田園が広がる。
その光景を親指で指して、鋒俊は口元を歪めた。
風光明媚な故郷の風景も、この数百年で生まれた変化は僅かである。
「論国の勝利に、六教も何もしなかった訳じゃない。
躍起になって技術の模倣に取り組んだんだが、これが上手くいかなかった」
「上手くいかなかった?」
晶が車体を指差し、神妙に鋒俊は肯いを返した。
「蒸気機関車の購入も、俺たちは制限されている。
――聞いた話だが、論国の鋳造技術は東巴大陸のそれよりも数段上らしい」
「論国からすれば、真国は敗戦を受け入れない恥知らずだろうからな。
幾ら金子を積もうとも、売り先じゃないと突っ撥ねる」
「だがそこに、高天原の発展振りだ。
師姐の意見が通り始めた矢先に運悪く、最大の支持者だった禹洞主が身罷った」
禹洞主の死んだ後を継いだのが、保守派の地盤を固めてきた玲瑛の父である。
「お陰で高天原との同盟の構想も白紙同然となってな。業を煮やした師姐が自ら、高天原へと向かう事を決意したんだ。
まぁ、今から思えば、太源真女の仕込みだったんだろうが」
「へぇ。 、ん? ――一寸待て」
鋒俊の説明に漫然と肯いかけて、晶はふと気が付いた。
同盟には最低でも、互いの当主の同意が必要となる。
別段、同盟に拘っていないが、こうなってくると晶の予想よりも遥かに悪い状況で、玲瑛が高天原まで来たことになるのだ。
晶の側から同盟の破棄はできないが、天教は最悪、玲瑛を切り捨てればこの同盟を無視する事ができるのだから。
してやられた事実を一拍遅れで諒太も理解し、やがて含むように肩を揺らして笑った。
「くくく。つまり何か? 空手形さえない家出娘を相手に、晶は同盟をしてしまったと」
「……神錬丹は? あれは本物だろうが」
幽嶄魔教洞主の莫離涛と側近である李昊然のお墨付きだ。
その辺りに疑う余地も無ければ、完全な空手形とも云えない。
「その説明をしておいてくれって、師姐が俺を遣いに出したのが今だな。
先ず結論からだが、神錬丹は本物だ」
慰め代わりの鋒俊の応えに、晶も大きく安堵を吐いた。
それも偽物だったら、それこそ真国で行動する見返りが殆ど無くなる。
「けど、落とし穴もある」
「大方の予想はついている。李昊然が別れ際に云っていた、副作用の件だろ」
投げやりに晶が応えた。
別れ際の忠告にしては、やけに勿体ぶっていると思っていたのだ。
戴天玲瑛の慌てぶりからすると、その効能の殆どに意味が無くなるような副作用なのだろうと推測もつく。
「神錬丹の名の通り、その丹薬は仙に至る為の鍛錬に用いるものだ。
薬道の詳細は知っているか?」
「薬を造るってだけの、医薬の道術だろ。
――正直、回生符さえありゃあ、別に要らないと思うがな」
笑いを収めた諒太からの、気のない返事。それも又間違ってはいないが、理解は浅い。
鋒俊は軽く頭を振って、晶へと視線を向けた。
「丹ってのは、薬、仙、神の大きく3つに別れている。
薬丹ならその認識でも間違いないが、仙と神は此処に薬道の術を熔け込ませている」
「術を熔け込ませる?」
「そうだ。真国六教から云わせれば、高天原は勁技にのみ傾倒し過ぎて、内功を一切顧みていない。
精々が身体強化だけなんて、武侠以下と誹られても文句は云えんぞ」
「――随分と吠えてくれるじゃ無ェか」その余程の言い草に、諒太の精霊力が静かに昂る。
「天覧試合での借りを、今ここで返してやっても良いんだぞ?」
「やってみろよ。あの時は手加減してやったが、武仙の掌を味わってみるか」
「――止めろ、2人共」
一触即発に嗤い合う血の気の多い少年たちの間に、晶は溜息で割り込んだ。
「幽嶄魔教の手配を無駄にする心算か?
それよりも、術を熔け込ませるって、どうやって? ここまで原形が無ければ、術式は疎か真言も維持できないぞ」
「その為の薬道だ。
外功としての術式を、人体に無理なく作用させるのがその真髄だと思えば、とりあえずは良い」
ふうん。鋒俊の言葉に、晶は懐の奥へと忍ばせた赤黒い丸薬を取り出した。
矯めつ眇めつ眺めても、それからは呪符のような霊力の一切が感じられない。
「――外功って事はつまり、これに限らず仙丹と神丹は、体内で術を励起させるってことだよな」
「外功を体内からって、 、飲んだ瞬間に内側から破裂するってオチは止めてくれよ」
「ま、それは大袈裟だが、間違っている訳でもない」
「「……は?」」
晶と諒太の疑わしい声に返る、鋒俊の平然とした応え。
「人体の霊脈は、五行が均衡して流れている。
その五行に干渉し、特定の効能を上げるのが仙丹の基本術式だ」
「つまり、飲む呪符って事か。ある意味では合理的だな」
感嘆と晶も納得を返した。
回生符は内功であるが、体外で励起させる以上、外傷しか対象にならない。
だが、これを内部から作用させることが可能になるならば、作用させる範囲も広くなるのも当然であった。
「それで、神錬丹の副作用ってのは?」
「幾つかあるが、神錬丹は魄を無理なく砕き、その後に修繕する丹だってのは教えたよな」
「ああ」
「魄を砕いても、適切な修繕を行わないと魄が大きくなることはないし、最悪は継ぎ接ぎをしただけで脆くなる可能性もある。――この為に五気調和を必要とするんだ」
神錬丹は文字通り、鍛錬の課程で服用する。適切に鍛錬を重ねた人間でないと、その効能も不完全なまま終わってしまう。
失敗すると、残るのは脆くなった魄だけ。というのは、考え得る限り最悪の結末だろう。
少年たちの微妙な表情に、鋒俊はもう一つと言葉を続けた。
「次いでに、神錬丹は複数の服用を想定していないし、そう云う意味では毒に近い」
「毒。……そらそうか。魂魄に作用する薬なんざ、複数飲みたい奴なんか少数だろ」
「まあな。特に魄を砕くと云う過程上、神錬丹の服用は一度切りが絶対条件だ」
つまり、やり直しが利かない一度きりの薬丹だと云う事。
何処で適切に使用するか。晶は慎重に考えながら、再び神錬丹を懐の深くに仕舞い直した。
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