7話 何れ神代と、人が臨む時に2
斜陽が一条を残し、やがて青道の街は夜闇に沈んだ。
かちゃり。寒空の潮風に紛れ、陶器の立てる涼やかな音。会話のない卓上に、給仕が皿を並べてゆく。
給仕が場を離れるまでを待ち、エドウィン・モンタギューは硝子の杯を高く掲げた。
眼下の街灯りを受けて、杯を満たす液体が琥珀に煌めく。
「――今夜の出会いに乾杯」
「酒かよ。好い身分だな」
「寒い時期でしょう。アリアドネの灯される命の炎も、燃料が無ければやっていけませんよ」
諒太の年齢は、数え13を超えたばかり。酔いの愉しみに興味すらなく、茶で満たされた盃を挨拶に返した。
一息に干される酒杯と茶盃。互いに空となった底を晒して、卓上に硬い音を残す。
「高天原でも名を馳せる、久我家の御曹司が渡航ですか。
海外には興味すら無かったでしょうに、――どういった心境の変化で?」
「興味どうこうって云っていられるほど、周囲が大人しくしてくれなくてな。
脅威が増えりゃ、対応も変わるだろ」
――時代ですな。
諒太の返答に、そうエドウィンは双眸を伏せた。
西巴大陸の進出に伴い、真国と侑国の対応が激化したのは周知の事実である。
東巴大陸の二大巨頭と鎬を削ってきた高天原も又、安穏としていられないのは想像に難くない。
「論国でも、最新鋭戦艦の大盤振る舞いは話題になりました。
昨年の10月を前に進水、高天原へ向かったと聞いていますが」
「今年の初めだったか、壁樹洲の新港に到着はしているらしいな」
「演習の予定が遅れ気味のようですが、間に合いそうですか?」
「それは、手前ェが、気にすることじゃ、――無ェ。」
八家嫡男である久我諒太は、高天原の護国を担うものとして、訊きたい内容と話すべき内容の別は心得ている。
鋭く切り込むエドウィンへと被せるように、諒太は身を乗り出して牽制した。
軍事教義とは、軍事行動の基礎。――云わば、軍隊の取扱説明書である。
幾ら最新鋭の兵装であろうと、取扱説明書が無ければ充全に運用はできないように。
――西巴大陸で建造された戦艦も当然、最新の軍事教義なしでは鉄の塊と化してしまう。
「これは失礼を。……ただ、海軍の予定が遅れ気味であるなら、弊社より軍監を派遣する用意があるとだけ」
「無駄の押し売りは不要らねェ。洲鉄導入の折り、枕木を詐欺同然に輸入させようとしたのを、忘れたとは云わさねぇぞ」
「これは手厳しい。当時の取引は存じていますが、木材とは別に事後保証も抱き合わせていたはずです。
今回同様に、良心的な価格で、 、」
ちん。少年の盃を指で弾く音に、潮時を悟ったエドウィンも両手を上げる。
弁明だけ連ねても、宜しくないと判断したのだろう。
落とし処を無くした右手で給仕を呼び、硬直した場を誤魔化した。
「御提案の詳細は後ほど、本題に入りましょうか」
「ああ。真国に渡ったのは良いが、内陸への伝手が無い。
ロインズは、論国でも一等に手広く遣っていると聞いたが?」
「成る程。真国への伝手をご所望でしたか。――無い訳ではありませんよ」
肩を竦めて応える諒太へ肯い、エドウィンは卓上の料理へと手を伸ばした。
皿に乗せられた白身を、手にしたナイフで切り分ける。
「久我さまは、弊社の業務内容を御存じで?」
「掛け金幾らで、事故による失敗を穴埋めするって奴だろ」
「そちらは看板でして、本業は胴元です」
「賭け事屋かよ。何を賭けている」
「何でも」
後ろ暗い印象に眉を顰めた諒太へと、エドウィンは嗤い返した。
軽く火で焙られた白身魚が、遠く薫る塩味を残して舌の上で解ける。
香辛料が一際に強く鼻腔を過ぎ、満足気にエドウィンはナイフを下ろした。
「白黒つくなら対象は限りません。金貨の裏表に、――戦争も」
「……成る程な。俺に軍監なんぞを勧めてきた理由が、漸く判った。
高天原と何処ぞかが、戦争になると踏んでいるのか」
「侑国です。彼の国は戦争の気運も高く、拳の振り下ろす先を御国に向けている様子で」
芝居気を含ませた双眸をにこやかに崩し、諒太の眼前に書類を差し出した。
少年の手が契約書類を捲る傍ら、エドウィンの口上も続く。
「弊社は潘国貿易株式会社と組みまして、真国の沿岸に鉄道を伸ばしています。
御曹司のご要望通り、内陸への接触は不可能では有りませんよ」
「そっちは当たった。
東巴の連中には利用を禁じているとかで、素気無く追い返されたぞ」
「東は躾の為っていない連中が多く。御曹司なら、私が紹介させていただきますが」
「頼む。……この書類だが、契約が全額前払いになっているぞ」
ぱさ。エドウィンとの口約束を確認し、諒太は書類を卓上に投げた。
高天原の言語に訳された薄い数枚に、数倍の厚みを持つ論国語の書類が続く。
高天原の一文を指で突き、諒太の口元が歪んだ。
「おや、失礼を。――ははぁ。翻訳を間違えているようで、原書では半額の前払いとなっています」
「そうか。て事は、通常の雇い値の数倍を、俺たちに吹っ掛けている訳だな」
高天原の数字から論国の書類へと移り、同じ桁が並ぶ箇所を諒太は突いた。
金額か契約か、何方が間違っていても数倍の出費。弁明の言葉もなく、エドウィンは苦笑だけを返した。
「契約の金額に見合う、熟練の指導者ですので。
契約内容の不備については申し訳なく、価格はサービスさせていただきます」
「そうかい。鴨津に戻ったら、じっくりと検討させて貰うさ。
――構わないよな?」
「御随意に。是非とも、色善い返答をお待ちしております」
互いの話題も終わりと見たのか、エドウィンは足早に立ちあがる。
後に残る久我諒太と帶刀埜乃香も、料理の続きを再開した。
「……契約内容だけでも、随分と巫山戯てくれる」
「厄介なのですか?」
苛立ち紛れに諒太は白身魚を切り分けた。
埜乃香も続いて食事を再開する傍ら、諒太は書類へと一瞥を向ける。
「論国相手にすると普通のぼったくり。……って云ってやりたいが、前払いした後でも論国都合で拒否できると盛り込んだ辺り、最期まで寄生できると踏んでいたんだろう」
「支払いの義務は」
「無い。だから全額前払いにしたんだ。読めないと高を括って、高天原の書類から都合の悪い内容を削ったな」
高天原の書類が数枚に対し、原書がその倍近く。つまり、その分は内容が減っていると云う事を指している。
論国相手の難しさを言外に悟り、埜乃香は溜息を吐いた。
「本当に厄介な相手ですね」
「……だが論国は、少なくとも契約を重視する。
都合の悪い部分は隠してくるが、一度締結した内容を変えはしない辺りは信用していい」
諒太はこれでも、鴨津の次代を担うものとして、論国の知識は叩き込まれている。
論国との付き合い方も当然に、契約の場に立ち会った経験も豊富だ。
――だからこそ、裏から読める事実もある。
「青道に入港する手前で、珍しい船を見ただろ」
「ええ。大型の貨客船でしたね」
「人間を積み込んだら、それだけ航続距離は短くなる。
以前、鴨津に寄港した際、食料の調達だけでも暴動になりかけた位だしな」
空になった皿を見下ろし、諒太はざっくりと船の向かう先を考えた。
内乱の激化している潘国の港が期待できないなら、貨客船の向かう先は鴨津しかない。
――だが、高天原でも戦争が起きると見ている論国が、政情の不安定な鴨津に一般人を連れて行くだろうか。
鋼板張りの巨大な貨客船は、即ち戦艦としても代用可能な性能を有していることを意味している。
戦艦と貨客船を別けているのは、単純に武装の有無でしかないのだ。
「最悪。あの船に乗っているのは、一般人じゃない可能性まで出てきたな。
……晶の野郎と情報を擦り合わせるか」
「行くのですか?」
「ああ。エドウィンの奴が紹介を持ってくるのを待って、青道から出る」
「彼が契約を盾にする事が問題ですが」
「それが一番、厄介で簡単な部分だ」
埜乃香との会話も切り上げ、諒太は席から腰を上げた。
契約書を揃え、溜息を吐く。
「論国の常套から考えて、契約は急がせるはずだ。なのに悠長に構えて見せた。
つまり、エドウィンの目的は最初から、俺にこの2つの書類を見せる事だ」
「……論国の意見は、一枚岩ではないと」
「そうだ。特に潘国貿易株式会社がやらかした蒸気機関車の手口を知っていたから、同じ手管が通用するとは微塵も思っていなかったはずだ」
埜乃香の回答に、諒太は肯いを返した。
手口を態々と繰り返した辺り、エドウィンの目的は軍監の契約ではないのだろう。
「エドウィンの目的は、鴨津の主権と引き換えに高天原との軍事同盟を結ぶ辺りだ。
論国が青道の主権を放棄したなら、この推測で筋が通る」
「諒太さんは、この提案を呑むお心算ですか?」
「莫迦云うなよ。周々木の分家だった久我家が、何故、八家第二位に認められたと?
――放っておけば良い。同行当主伝えで、父上には警告を送れば充分だ」
埜乃香の問いかけに、諒太は嗤って返した。
論国から始まった近代武力は、確かに発展目覚ましい。
高天原も追いつけ追い越せと気風が上がったものの、手遅れ感は否めないほどだ。
だが、高天原に有って論国が失ってしまったものも、確かに存在する。
「嘗て、『アリアドネ聖教』が『導きの聖教』を焚き付けた際、波国も遠征軍を送り込んできたが、結果は奴らの惨敗で終わっている」
「鴨波戦争ですか」
「波国からすれば、事件だったと主張しているらしいがな。
エドウィンの様子からすると、波国の顛末はよく知らないんだろう」
西巴大陸から見れば高天原は遅れているだろう。
――しかし、鴨津で両方を見てきた諒太から云わせれば、それは単純に進歩する方向が違うだけである。
内か外か、物質か精神か。
――そして、人か神柱か。
真国が敗北した時、高天原はそれを知った。
そして論国は、鴨津へと攻め入った時に何と敵対したのかを思い知るのだ。
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