6話 幽明を仰ぐ、月に隠れるもの4
斜陽が彩る大通りを、無色の衝撃が奔り抜けた。
風圧に太源真女の御髪が流れ、衣装の裾が踊る。
それすらも愉し気に、朱の佩いた唇が綻んだ。
「あの程度が相手と考えれば、引き出せる地力も察せような。のう、」
昊然が地に倒れ臥す決着に、しかし真国の大神柱は驚かない。
当然の結末に、寧ろ能く相対したと、賞賛を口に脇へ視線を向けた。
「――其方も、そう思わぬか?」
何者かが駆ける気配。だが、太源真女の視界に映るのは、石畳に刻まれた残炎のみ。
目舞う火の粉を囮に、輪堂咲が大神柱の背後を奪った。
奇鳳院流精霊技、中伝、――隼駆け。
「疾ィッ」
鋭く呼気を流す咲の掌から、鋭く銀閃が放たれる。
火の粉を撒いた切っ先が、太源真女の頸すれすれに虚空を裂いた。
――逃さない。
その決意を覚悟と吐いて、高天原から来た少女から菫の精霊光が舞い散る。
渦と捲く精霊力が澄み渡り、神柱の頂へと至る輝きを灯した。
奇鳳院流精霊技、連技、――追儺扇。
「ほう。神霊とは珍しい。
朕の膝元では、見る事も久しくなったが」
翻る少女の腕。鈍く閃く太刀を起点に、斬撃が花咲く如く放たれた。
吐息が絡み合うほどの至近で神柱と少女が踊り、再び2人の影が距離を取る。
慎重に構え直す咲の眼前で、呼吸すら乱さずに太源真女が口を開いた。
「若いな。其方の歩は、虚よりも実に重きを置き過ぎである」
「実?」
「師の影響か? 馬歩は重要であるが、それだけで完成するほど勁技は易くないぞ」
するり。衣擦れの囁きを遺し、太源真女は腰を落として構えてみせる。
かなり変形であるが、それは攻め足の基礎とよく似ていた。
――否。精霊技の歴史を考えれば、太源真女の構えが正統なのだろう。
確かに、咲の師でもあった阿僧祇厳次は、攻め足からの剛の太刀を好んでいた。
加えて奇鳳院流は、本質的に浄滅の威力を宿している。
中れば必殺となる一撃は、そもそもから回避を想定していないのだ。
気息を整えながら、咲は緩く太刀の切っ先を上げる。
どの道、咲には奇鳳院流しかない。付け焼き刃の知識に頼るよりも、修めてきた技量を貫く方が道理に叶っていた。
「及ばぬと理解って尚、抗う器量は善し。興も乗ったゆえ、軽く其方の蒙を啓いてやろう」
「――結構よ!」
傲然と示される神柱の善意を撥ね退け、咲の足が再びの残炎を刻む。
瞬後。莫大な加速を以て、少女は太源真女の眼前へと躍り出た。
垂直に叩き落ちる脚を中心に、罅が蜘蛛の巣に奔り回る。
呼気は細く鋭く、咲は肚の底から神気を吐き出した。
奇鳳院流精霊技、初伝――、
「鳩しょっ――!??」
「充分に練り込まれた震脚は評価しよう。――然れど、重いだけの一撃など、捌くに造作もないぞ」
眼前で膨れ上がる焦熱に、然し神柱の微笑みは崩れなかった。
炎の渦へ自然と巻き込まれるかのように、神柱の繊手が咲の胸元に押し当てられる。
いっそ優しいとも云える所作は然し、少女の本能が警告を叫んだ。
退避は不可能。本能に逆らうことなく、咲は全力で現神降ろしを行使。
轟。人体の立てるものと思えない音と共に、咲は一直線に建物の壁へ。
石ではなく漆喰の壁であったのが救いか。崩れた壁から立ち昇る土煙が、茫漠と視界を覆った。
「……痛ゥ。これが、大神柱の膂力」
がらり。積もる瓦礫を押し除け、咲の影が土煙の奥で立ちあがる。
憤懣とした少女の呟きを耳に、太源真女が咽喉を震わせた。
「一つ、勘違いを教えておく。
朕は確かに真国の大神柱だが、この身は神器を依り代に降りた不完全なものである」
複雑な人体の模倣は、神柱であっても並大抵では効かない所業である。
龍脈を弄って送り込まれた莫大な霊気。太源真女自らの手に依る、神器の再鍛造。その無茶の果てに得られたものも、見た目通りの人間の肉体でしかないのだ。
「肉体の霊脈すら殆どが閉じておってな、風穴の霊気を多く消費する事で、無理に駆動させている状態だ」
「現神降ろしを行使すれば、肉体の不利など簡単に覆るでしょうに」
「いいや。この身を駆動させているのは、神気ではないからのう」
辛うじて立つ少女へと、にこやかに太源真女は応えて見せる。
ごく自然に滑らかに、踊る体躯が1つの構えに落ち着いた。
「神気は当てにできぬ上に、風穴の霊気を蕩尽して漸くこの程度。
断言するが、この躯の性能はそこらの小娘にも劣るぞ」
「そう、ですか」
嘘を吐けない神柱の断言を受けて、それでも咲の疑念は晴れない。
直前に受けた太源真女の一撃は、衝撃も確かに咲の真芯を揺さぶったからだ。
ふ。と、短く呼気を吐いて、咲は隼駆けを行使。
太源真女の懐深くへと踏み込み、太刀を上段から叩き落とした。
神柱の手の甲がそっと刃筋へ添えられ、その僅かな衝撃に斬撃の軌道が書き換えられる。
余りにも優しい手応えに、咲は更に一歩を踏み込んだ。
斬撃は幾重にも畳み掛けられ、然しその総てが無為に終わる。
それすらも想定の内とばかりに、咲は神気を太刀へと注いだ。
奇鳳院流精霊技、止め技、――焙烙鶫。
焦熱の波濤が太刀を起点に噴き昇り、太源真女を呑み込んだ。
「基本に忠実な、錬磨された踏み込み。掠るだけでも、この身なら一撃で果てるか」
「!」
肺腑から熱を帯びた呼気を逃す。残心も解かぬ咲の頭上から、玲瓏と神柱の声が降る。
振り仰ぐ瞳に映る太源真女の拳を、寸前で回避。転がるようにして咲は距離を取り、3.3間の向こうで跳ね起きた。
土煙に霞む視界の向こうで、神柱の拳が地面を穿つさまを見止める。
「――其方たちは、精霊技を内外の功で呼び別けているな」
「それが、如何したと?」
「功とは何を指すのか、知っているか」
不意の話題に、咲は数瞬だけ呼吸を忘れた。
身体強化を中心とする内功と、外界に発露する外功。基本的にそれらは精霊技の大別を意味するが、少女の問いがそこには無いとしたら。
「……精霊力」
「然り。その言葉の真実を知れば、其方たちが何を棄てて何を得たのか、気付く事ができる」
傲慢な微笑みが、その言葉を最後に掻き消える。
――速い。
僅かに沈んだ姿勢から、太源真女が弧を描くようにして間合いを詰めた。
太源真女と咲、2つの影が至近で交わる。咲の胸元に添えられた神柱の掌が震え、再びに少女の躯が撥ね飛ばされた。
着地。石畳の上に地擦れる跡を刻み、――少女は転がる事無く耐えきって見せた。
「精霊力を昇華して得られるものが神気であると、其方は骨身で知っているな。
――では何故、神気の前身が精霊力なのか、考えたことがあるか?」
「………………」
「その答えこそ、其方が啓くべき蒙である。
神の柱を築く力こそが精霊。故にそれを、精霊力と呼び習わしているのだ」
追撃。太源真女の衣裳が舞い、視線が奪われた奥から拳が貫かれる。
閃く咲の太刀が幾度も交差、その度に鈍く音を立てて跳ね返された。
真国六教が金剛大勁、――天鋼不壊。
一見は華奢なだけの身体が立てる硬質の響きに、咲の口が引き攣った。
「随分と、頑丈!」
「精霊とただ人は一心同体なれど、同じ存在ではない。精霊力も本来はただ人の扱える代物ではなく、霊気を混ぜ込んで漸く行使が可能となるものだ」
絡み合うように2人の影が交じり合い、再び距離を取る。戯れにも似たその交差劇を嫌い、咲は高く地を蹴った。
上空から神柱を睥睨する。その不遜を圧し隠し、菫の神気が舞い踊る。
奇鳳院流精霊技、異伝、――隼翔け。
残炎を足場に踏み締め、少女の身体が加速。
奇鳳院流精霊技、連技。
「――金鉈墜としッ」
畏れる本心を隠したまま、咲は神柱を両断する灼熱の一撃を叩き落とした。
神霊遣いと神柱の勁技が拮抗し、舞い散る火花の奥から太源真女の声が伝う。
「霊気を以て魄を強化する勁技が五気調和ならば、五気精錬はその逆。精霊力から霊気を抜き、魂を行使する勁技である」
「それって、 、」
太源真女の言葉に、咲は攻めの手を緩めた。
その言葉の意味は、咲たち高天原の防人であればよく理解できる。
「――そう。其方たちの祖は霊気の概念を抜く事で、五気調和を飛ばして五気精錬に手を掛けたのだ」
これは何方が良い悪いの問題では無い。精霊を重視するか、己の器を重視するかの視点の違いでしかない。
だが、咲にとっては、無視できない問題の指摘でもあった。
「其方が神霊を得て、どれだけになる?」
「!」
内心で抱えていた問題を指摘され、少女の太刀を握る手に動揺が浮かぶ。
「器の馴染みかたからして、半年も無いであろう。
――先に断じておくが、その問題は時間でどうにかなるものでは無いぞ」
「何故、判ったの?」
精霊力の暴走。神気であれば辛うじて統御できるが、精霊力での制御が途端に利かなくなる現象が、ここ最近の咲の悩みであった。
「朕を前にして誤魔化せぬぞ。要は、急激な精霊の成長に、器が追い付いていないのだ。
そのままでは其方、魂魄が崩壊するぞ」
「ぅえっ!?」
脅し文句に怯む少女の懐へと、神柱が刹那に踏み込んだ。
放たれる拳撃に、咲の斬撃が辛うじて交差。
火花を散らし、強引に競り合いへと縺れこむ。
「其方からは神柱の気配が2つ窺えるな。
1つは旧知のものだが、……何処の神柱であるか?」
「神霊はシータさまに。もう1つは、ラーヴァナのものでしょう」
「ふん、救世か。あの阿婆擦れが手管を仕組んだとなれば、大方の策も想像がつく」
咲の応えに、真国の大神柱が鼻を鳴らして嗤った。
肩越しの流すような視線を追い越し、晶が咲と肩を並べる。
「それにラーヴァナとも逢ったとなれば、最終目的は潘国とみたが?」
「――ああ。真国を横断して、潘国へと渡る予定だ。
論国が何を仕掛ける心算かは知らないが、真国で足踏みをする余裕はない」
「否。少しだけだが、時間なら稼いである」
少年の応えに、太源真女の口元が弧を描いた。
「神去で人材の払底した論国に、青道を維持できる余裕はなかろう。
用済みとなった青道の統治を放棄してでも、戦力を次の実験地である源林武教に集中させたのだよ」
だが、人造龍穴の失敗が確定している時点で、論国側の目論見は破綻している。
その事実を知らない論国は、滝岳省へと戦力を集中させてしまった。
「行動が決まっていれば、対処も容易。
今頃、滝岳省の風穴は、大騒ぎの只中であろうさ」
そう告げた大神柱の足元が、踊るように踵を返した。
やがて、太源真女の輪郭が虚空へと薄れさる。
「――信顕天教には使いを出しておく。芳雨省へと来るが善い、天子たち。
どうせ其方たちの器では詰むしかないのだ、対処できるように朕が手解きをしてやろう」
斜陽の彩りが深くなる中、移ろ気な神柱の声は、愉し気な侭に響いて消えた。
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