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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
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6話 幽明を仰ぐ、月に隠れるもの2

『突然の来訪に快く応じて頂き、感謝しよう。――戴天家の末姫殿』

『夕刻を越える前でしたので、お気になさらず』


 宿の一階にある質素な卓を挟み、戴天玲瑛と李昊然(ハオラン)は和やかに笑顔を交わした。

 湯気の立つ茶杯が卓上を滑り、返杯が戻る。


『ふ。戴天宗家手ずからの茶とは、李家末代までの語り草となりましょう』

『……魔教洞主の腹心ともあろう為らば、これから幾らでも機会はありましょう』


 薫る茶の香りを(たの)しむ昊然(ハオラン)へ、玲瑛は謙遜だけ舌に乗せた。

 晶の推測が気に掛かっているのか、やはり少女の声は硬い。


 玲瑛の警戒を気付いているものか、昊然(ハオラン)は並べられた茶器を覗き込んだ。

 揺れる茶から昇る甘く柔らかな香気に、思案を巡らせる。


『黄茶ですか。それもここまで甘く優美な。……滝岳(ロンユエ)省は玉山のものと見ましたが?』

『お言葉通り、玉山の銀針です。

 ――他省と交流を断って久しい青道(チンタオ)で、茶利きを嗜める余裕が残っているなど思いませんでした』

『元々から青道(チンタオ)は、内外との交易で栄えた土地故に。

 茶も嗜めぬほど、窮している訳ではありません』


 急ぎ調達した黄茶の産地を当て(なぞ)りながら、玲瑛と昊然(ハオラン)の会話が続いた。

 茶杯が替わり、新たな茶を口の細い急須から注ぐ。


『次は黒茶ですか。御地(おんち)、芳雨省の産でしょうか?』

『はい。本来ならば聞香杯で(たの)しんで頂きたいものですが、杯一つしかないもので』

『風雅なものを(たの)しまれる。――天教が資する芳雨省は、恵まれておられる』

論国(ロンダリア)と昵懇の青道(チンタオ)と比べられると、昔ながらの気風である天教は見劣りもしましょう』


 穏やかなだけの話題の終わりに、少女は窓越しの通りへと視線を巡らせた。


 行き交う人の表情に、昏いものは1つとして窺えない。


 天教宗家からすれば魔教の手段に納得は難しいが、生活する人々の笑顔まで否定する権利も又、玲瑛には無かった。


 ことり。やがて当たり障りのない話題も尽き、杯が卓上で音を立てる。

 いい加減に相手の真意を問い質すべく、玲瑛は口を開いた。


『さて。――夜を迎える前に、本題へ入りましょうか』

『何。聞きそびれた事が一つ。

 気になれば何も手につかぬようになる性分にて、ご容赦いただきたい』


 昊然(ハオラン)の含む笑みに、天教の少女は眼差しを鋭く返す。

 曖昧に逃さないと言外に告げる相手に倣い、昊然(ハオラン)も茶杯を卓上へと戻した。


青道(チンタオ)へ来られた理由、未だ聞いておりませんでしたから』

『……青道(チンタオ)の繁栄に終わりも見えず。と、評判の真偽は如何ほどのものかと、興味がありまして。鋒俊は青道(チンタオ)の出と聞いていまして、道案内をお願いしたのです』

『鋒俊が。ふん。愚弟は天教武林で上手くやっているでしょうか?』


『――師姐(シージェ)の件に、俺は関係ないだろうが』

『幼い反発だけで、青道(チンタオ)に砂を掛けた馬鹿者が。

 李家の姓に泥を塗って、直ぐに逃げ帰るかと思っていたわ』

『想像通りにいかなくて、残念だったな。

 昨日も殺しきれなかったようだし、官僚仕事に慣れ過ぎて腕が鈍ったか?』

『ほざけ。李家に後足で砂をかけた小僧(ガキ)が。

 天教の武門を通っても、成長はできなかったと見える』


 自身の話題に堪らず口を挟んだ鋒俊へ、昊然(ハオラン)の嘲りが即座に返る。

 云い返す言葉を詰まらせた弟に鼻を鳴らし、兄であった昊然(ハオラン)は視線を玲瑛へと戻した。


『如何ですかな、青道(チンタオ)の栄達をご覧になって』

『正直、ここまでの復興を成し遂げたのは、魔教の絶えない尽力あってこそと認めます』

是々(はは)。その言葉を戴ければ、洞主大人も六教との(わだかま)りも流せるというもの』

『……やはり魔教は、源林武教と同盟を組みましたか』

『さて。知りませんな。それに、友誼を結んで何の問題が? 我ら魔教とて真国(ツォンマ)六教の一つ、仲間外れは寂しいでしょう』


 玲瑛の詰問を笑って流し、昊然(ハオラン)はもう一度茶杯を口につけた。

 泰然と余裕を崩さない昊然(ハオラン)の眼光が、鋭く玲瑛の視線と交差する。


『武教だけならば、私も兎角、口を挟む権利は無いと承知しています。

 ――が、魔教の善意に論国(ロンダリア)の影が見えるならば、外患誘致の(おそ)れを問われるは仕方ない仕儀かと』

『外患を呼び込むなど。その胎を探り合っても、お互いに痛いだけでしょう』


 さては、夜劔晶との同盟を嗅ぎ付けられたのか。

 意図を充全に含ませた昊然(ハオラン)の言に、痛い処を突かれた玲瑛は歯噛みした。


『我らが外患を呼び込んだとでも? その言い草は、李家と云えどただで済みませんよ』

『それこそ、玲瑛殿の方が能くご存じでしょう。

 ――それに、武教が魔教と同盟を組んで何の利益が? 何方(どちら)にも利が無いなら、同盟などお題目に過ぎなくなる』


 海外の家系との勝手な同盟は、規模の大小に関わらず重罪とされている。

 敗北し、青道(チンタオ)の支配を割かれた魔教と六教の関係が断絶したのも、何よりこの決まりごとが足枷となっているからだ。


 天教宗家の直系である玲瑛であっても、露見すればただでは済まないほど。

 武教の気質を考えれば、魔教越しに論国(ロンダリア)と近づくなど受け入れ難い案件である。


『……武教は縋るしかなかったんだろ』

『ほう?』


 言葉に詰まる玲瑛の代わりに、その背から応えが上がった。

 目立たないよう肩に手を置いて黙らせようとする鋒俊を無視し、晶は一歩前へ。


『風穴が枯れれば、それこそ罪だのなんだのと云っていられる場合じゃない。

 武教が消えようが、人さえ残れば咲く花実もあると苦渋の末に決断したんだ』

『ふん。その様子からすれば、真国(ツォンマ)六教を知らんとみえる。

 六教は即ち、地と共に在る。その歴史を絶やしても、また人に栄えた歴史はない』


 昊然(ハオラン)の返事に、晶は玲瑛へと視線を巡らせる。

 微かな首肯。その言葉に偽りはないと判断し、余計に晶は笑顔を返した。


『だから、殊更に状況を隠したんだろ。

 救いを求めた側である武教が論国(ロンダリア)を知ったのは、恩義を売られた後だ』

『………………』

『今更に論国(ロンダリア)を拒否もできない。魔教と違い、六教から離れる訳にもいかない。

 ――最善の選択肢となると、黙っている一択だ』


 仁義に篤いという性格を考えれば、恩を売られたまま武教の側から盟約を破棄するなどできない。

 自縄自縛に陥った武教に残っている選択肢など、考えなくとも一つしかなかった。


『素晴らしい推理だな。

 天教に入門した新人と聞いたが、出身は何処だ?』

『今は関係ないだろ、それ』

『面白い推測の礼だ、戯れに当ててやろう。

 言葉の訛りから芳雨省と思っていたが、青道(チンタオ)の響きが随分と多い。……女遣いの発音に気付いて、鋒俊の発音を真似たな』


 話題について行けず、玲瑛の表情が僅かに動く。

 それでも構うことなく、昊然(ハオラン)は椅子に深く座り直した。


『言葉遣いがいきなり拙くなったかと思えば、次には流暢に会話。

 信じ難いが、この瞬間にも言葉を学んでいるんだな』


 茶杯の縁に指を滑らせ、昊然(ハオラン)は自嘲に唇を歪めて見せる。


 知識も技量も、修得の速度が常軌を逸して速いのだ。

 これでは相手の出身を測るのも不可能と思えるが、逆手に取れば面白い事実が浮き彫りになる。


『その修得速度から逆算して、真国(ツォンマ)の言葉を習い始めたのは精々が2ヶ月前だろう。

 ――つまり、貴様は真国(ツォンマ)の人間ではない』


 外患云々を持ち出したのは、単に相手の反応を見る為の切っ掛けだ。

 宿に到着する前、晶の素性について大方の推測は立てていた。


『その見た目で真国(ツォンマ)人ではないのなら、高天原(たかまがはら)だろう。

 戴天玲瑛。青道(チンタオ)に訪れたのは、高天原(たかまがはら)と接触する為か』

『……だからと云って、何か問題がありますか?

 東端の属島ごとき、国外と手を組んだと糾弾するのは、(いささ)かに早計が過ぎると云うもの』


『――てんし(・・・)


 貴人とは云え、未だ交渉に拙い娘から言質を奪い、昊然(ハオラン)は確信に(わら)う。

 突然の話題に呆ける晶たちへ、魔教の使者が言葉を続けた。


『子供の時分に、寝物語で聞いただろう。

 天子(ティエンズ)。山河を穿ち真瑪大連を築き上げた、父祖天帝の子供時代だ』

『知っていますが、……御伽噺を今更に講釈でしょうか?』

『ああ。普通ならそう考えるだろうな。

 ――だが、今回に関しては違う』


 天帝は真国(ツォンマ)勃興の物語として、広く語り継がれている伝説の一つである。

 太源真女の伴侶にして、万軍を以て東巴大陸を纏め上げた英傑の称号。


 大神柱に最大の信頼を与えられたそのものは、神柱の権能(ちから)に依らず天に意を通したと謳われていた。


 特に隠す事も無いその伝説は、余り知られていない事実を含んでいる。


 昊然(ハオラン)は、晶たちの見せる三者三葉の表情に視線を巡らせた。


 話題に追いついていない玲瑛と鋒俊に、そもそも天帝の知識がない晶。

 ――目標の確信を得て、時間は充分に稼げた。


天子(ティエンズ)とは、大神柱の信頼を委ねられた英傑の称号』


 その言葉の意味を悟り、晶が腰に手を回す。

 ――だが、遅い。


 魔教は、道術(タオ)に多く比重が置かれた教えである。


 勁技は然程に重視されず、所属する多くは風水を修める道士。

 昊然(ハオラン)も例に漏れず道士だが、それでも魔教の重責を担うものとして勁技も修めていた。


 魔教の勁技は、隠形と武器術の側面に秀でている。

 故に、晶たちと対峙して、昊然(ハオラン)が確実な勝利を収める為には、初手を必中させることが絶対の条件。


 昊然(ハオラン)が振り抜くと同時、その服の袖口から銀閃が幾重にも閃いた。


高天原(たかまがはら)では、そう。――神無(かんな)御坐(みくら)と云われていたと、聞いた事があるな!!』

『ちぃっ』


 玲瑛と鋒俊は眼中にない。

 精妙に放たれた鉄釘が、晶の肩口を狙って飛来。


 直後。晶の抜き放った太刀が、鋭く音を響かせて釘を叩き墜とした。


 散り消える火花に視界が奪われた間隙に、昊然(ハオラン)の呪符が晶を挟むように励起。

 衝撃が吹き貫け、宿の壁が無惨に崩れ落ちた。


 雪崩れ込む冬の凍風に、埃と衣服が舞う。

 外の通りに弾き出された晶は、咳き込みながら立ち上がった。


「くそ。囲まれた!」


 見上げる視界総てに映る、道士服に身を包んだ男たちの姿。

 隠形を並行して行使しているのか、気配の薄い男たちが一糸乱れぬ所作で呪符を放つ。


『『『――疾』』』


 五つの頂点を象り、晶を中心に結界が立ち上がった。

 精霊力を封じ込める呪符の鎖が、その周囲を十重二十重と囲い込む。


 対象を圧縛する封印結界。逃げようとした晶に、不可視の重圧が直撃した。

 声も無く沈む晶に、止めようと玲瑛が声を張り上げる。


『何の心算(つもり)ですか、李昊然(ハオラン)

 このような暴挙。仮令(たとえ)、魔教が治める青道(チンタオ)であろうと、赦される仕儀では有りませんよ』


『――赦されるよ、戴天の末姫どの。

 何しろ、この地を知ろ示す影梅公女(インメイゴンニュ)の御意思だからな』


 少女の怒号に昊然(ハオラン)が応えるよりも早く、大通りの向こうから皺枯れた応えが返った。

 枯れ木の如く痩せ細った矮躯の影が、晶たちの視界に映る。


 幽嶄魔教の洞主である莫離涛(モォリタオ)が、影梅公女(インメイゴンニュ)を背に連れて姿を現した。


天子(ティエンズ)とはな。

 ……真逆、このような隠し玉を、天教が持ち込んでくるとは思わなんだよ』

『御伽噺でしょう。魔教の洞主大人ともあろう方が、与太話に踊らされるのですか』

『与太ですらない。

 ――昨年の夏に影梅公女(インメイゴンニュ)(すがた)を得たものの、神柱の位階を確かにせぬまま半年が経とうとしておる。御意思の発露は千載一遇の機会、逃す訳にはいかん』


 かつり。老躯の手元で杖が鳴り、影梅公女(インメイゴンニュ)がその前へ進み出る。

 昼に見た姿と打って変わり、その所作には確かに意思が宿っていた。


『――待、て』


 莫離涛(モォリタオ)の台詞を耳に、結界の重圧を耐え凌ぎながら晶が口を開いた。

 その台詞が意味するものと晶の経てきた騒動が、鮮やかに重なる。


『昨年の、夏だと。影梅公女(インメイゴンニュ)が容を得たのは、確かに8月の中頃だな』

『封圧する結界を圧し退けるか。流石は英傑の雛よ。

 ――その通り。影梅公女(インメイゴンニュ)が意思を得たのは、その辺りだ』


 晶の脳裏で、昨年の事件が鮮やかに結びついた。


 風穴と支えてきたパーリジャータ。それらを奪還するべく、アリアドネと対峙した一件。

 それらが意味するもの。


『――やっぱり、お前たちは神柱を創った訳じゃないんだな』

『何を云いだすかと思えば。影梅公女(インメイゴンニュ)は、ここに確かに在らせられるぞ』


 抑々(そもそも)からして、前提が間違っているのだ。

 李昊然(ハオラン)の反駁を、晶の嘲笑が斬って棄てた。


『だからだよ。

 神器とは、神柱の偉業を象と与えて鍛造された器物だ』

『故に、人造龍穴に直結する事で、神柱に昇華したのだ。何処に間違いがあるとでも』


 その象を人造龍穴で強引に励起させたのが、影梅公女(インメイゴンニュ)である。

 堂々巡りの問答に、それでも晶は首を振った。


影梅公女(インメイゴンニュ)を支えている偉業は、公女とやらの偉業じゃない。それは、太源真女の偉業だ。

 忘れたのか? それ(・・)は、結局のところ真女の別け身に過ぎないんだ』


 だから、晶の目の前に立っている存在の正体は、たった一つ。


青道(チンタオ)の風穴に設置された神格封印は、夏直前までの龍脈を基準に設置されている。

 だけど、パーリジャータが引き抜かれて東巴大陸の龍脈は切り替わったはず。人造龍穴の根幹をなしている神格封印も、龍脈の流れが変われば役に立たない』


 人造龍穴の霊気が、極端に目減りしたのは気付いたはずだ。しかし実際に神柱として顕現(けんげん)した影梅公女(インメイゴンニュ)に、疑問は浮かべなかったのだろう。


 それに、魔教が何かしようにも、一切が出来なかったはずだ。

 東巴大陸のものには、西巴大陸の神格封印は干渉できないのだから。


 神柱の意志が曖昧なまま、加護の復活する矛盾をよく考えるべきであった。


影梅公女(インメイゴンニュ)など、最初から存在していない。そこに立っているのは、太源真女ってだけだ』


『――その通り』

 晶の断言を受けて、影梅公女(インメイゴンニュ)だったその存在は華やかに口を綻ばせた。

『初めまして。と云うべきであるな、天子(ティエンズ)よ。』


 それまで希薄だった少女の気配が、唐突に神威を纏う。


『朕こそが、真国(ツォンマ)を知ろ示す太源真女である。

 逢えて嬉しいぞ、神無(かんな)御坐(みくら)


 瞳が金色に彩りを変えて(たの)し気に、真国(ツォンマ)の大神柱が晶だけにそう名乗りを上げた。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 晶君の正体がバレてしまいましたが、結局のところ、太源真女の目的が何なのかですね。
バレちゃった… でも、神柱は神無の全てを許容するのよな? なら、これ以上の邪魔はされない? にしても、拘束してかかるなんて嫌われるの一直線な気がするが。
さて敵となるか味方となるか… 聖下も晶の意志は尊重してくれるけど欲しいのは欲しいから攻撃はしてきたが、真女はどうするつもりだろう 分体を複数作れて離れた場所に出現するだけでもだいぶ無法な気がするけど…
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