6話 幽明を仰ぐ、月に隠れるもの1
宿に戻った晶は、自身の荷を解いた。
荷袋の中から木製の盤を手に、大きく窓を開ける。
窓の外から流れ込む潮風に眼差しを眇め、太陽の位置を仰いだ。
「ただいま。随分、騒がしいのね」
「こっちも、今戻ったところ。話は聞いたか?」
「影梅公女の件なら。――太極図なんて持ち出して、何をするの?」
丁度帰ってきたのか、水兵服を靡かせた咲が晶の部屋を覗き込む。
怪訝と問う少女の眼差しに、晶は盤を日の高さと方位に合わせて見せた。
「どうしても、神柱を創り出すって無茶が通るとは思えなくてな。
別け身なのは確かなんだが、筋が通らない」
「出立は明日なんでしょ? ほどほどにした方がいいよ」
「片付けるものも無いさ。――咲の方は?」
「久我くんと合流したわ。
……向こうは、一足先に青道を出るみたい」
そうか。咲の返事にそう応え、晶は太極図へと視線を戻す。
複雑に組まれた盤上を北から辿り、少年の指が東北に落ちた。
太極図とは、龍脈の計測に必須となる一種の計算機である。
主に風水を整える為に使用する道具だが、応用次第で陰陽術の逆算も可能とする。
方位を合わせ、計測結果に従い太極図に嵌め込まれた格子細工をずらしていく。
やがて、交差する格子の導き出した結果に、窓の外を眇め見た。
「どうしたの?」
「通りから宿まで、至る所に建てられている門。
――異国ってだけで見逃していたけど、あれは鳥居と同じものか」
「……確かに」
三階の高さから漸くに全貌の窺える朱塗りの門を、少年の指が指した。
門の目的とは、境界線を別けるものである。
門扉が見当たらない。凡そにそれは、現実として門の役割を期待されていないのだ。
だが鳥居と聞けば、その門の役割にも納得がいく。
「高天原での鳥居は、神域へと繋ぐ霊道の入り口だ。
随分と複雑な街並みだと思ったが、青道は龍脈を元に建てられているからだろうな」
「でもそれって、央都と発想は同じだよね。
風水の本場でしょ? 龍脈を整えて、青道を住みやすくしなかったのかしら」
「多分、」「――出来なかったんだよ」
晶の結論に咲が返すより早く、少年の苦く応じる声が返った。
渋い表情で肩を竦め、李鋒俊は部屋の壁に背を預ける。
「硬い岩盤の奥にある青道の風穴は、風水の術式も通らないんだ。
だから龍脈を、地から表層の通りに移している」
「門を支点にして、人の通りを龍脈に見立てたのか。随分と高度な技術だが、都市風水としては不完全だな」
「青道ものは気性が荒い。
――故郷を貶されて笑っていられるほど、優しくは無いぞ」
余程癇に障ったのか、晶の評価に鋒俊の声が一層に低くなる。
だが、相手の怒りに結論を翻すこともなく、晶は陰陽計を太極図へと近づけた。
方位を北に合わせた太極図へ近づくにつれ、陰陽二つの針が緩やかに中心で重なる。
「青道の龍脈を計測したら、北方の流れが完全に澱んでいる
だからだろうな。陽も落ちていないのに、瘴気濃度が既に20を越えようとしているぞ」
「青道の設計は、魔教の道士が心血を注いだ賜物だ。計算は合っているのか?」
「検算はしたけど、八卦しかない携帯用の太極図だしな。
正確さって云うなら、その4倍は精密さを求めたいけれど」
腕を組みながら、鋒俊は晶の手元を見遣った。
複雑な計算を経たのだろう。計算結果は読めても、鋒俊に意味を理解する事は難しかった。
「専用の部屋が必要になる奴だろ、それ。
その規模となると、青道でも魔教の宗家に有るか無いかだぞ」
「――あれ? これって、 、」
鋒俊が離れる後ろ、咲も晶に頬を寄せて盤上を覗き込んだ。
床に広げられた太極図を一瞥し、その違和感に咲は眉根を寄せる。
「計算が違った?」
「そうじゃないけど、表通りに貼りだされた五行図を見たときに、違和感があったのよね。
……あ、そっか。真国では、木行を五行の頂点にしているのか」
「――そりゃあ、当然だろ」
晶に応える少女へと、鋒俊は肩越しに声を返した。
「陰陽五行は人体の霊脈を基準にしているんだぞ。
木という字の由来も、人から仙へと至る六踏からだ」
知識の象徴である右手、身体を動かす心臓、先に進む右足、己を支える左足、
「――そして、己たる頭脳。五行を巡り、天道へと至る。
だからこそ木行は、六教で最も重視されているんだ。」
「でも、高天原では水行が頂点よ。
それだと晶の計算も、かなり結果が違ってくるんじゃない?」
「ああ。咲の云う通り、方位を動かしたら結果にずれが生じるな。
……塞がっているのは北西の龍脈、そっちの方角にある六教は?」
咲の促しに肯いを返し、晶は太極図を動かす。
やがて算出された結果を耳に、鋒俊は思考を巡らせた。
「青道から北西には、滝岳省があるな。源林武教が掌握している」
「じゃあ、そこに問題が起きたんだ。
計算が正しければ滝岳省から青道に龍脈は流れているから、源林武教の風穴が途絶えた辺りじゃないか?」
冷静に告げられた台詞の意味を悟った鋒俊の表情に、明白な焦りが浮かんだ。
龍穴と風穴の違いは、即ち源泉か溜池かの違いである
霊気が湧出する龍穴と違い、風穴は霊気が尽きればやがて涸れる運命なのだ。
風穴へ土地神を祀る理由こそ、加護以上に重要な風穴の枯渇を防ぐためである
その土地神の管理下にある風穴で起きた、本来は起きるはずのない異常とその対応。
それはつい先刻に、魔教の神域で聞かなかったか。
「おい、それって」
「青道と同じ状況に陥ったんだろうな。だから、状況を乗り越えた幽嶄魔教と手を組んだ。――大方の実状は、そんな辺りじゃないか」
「源林武教は、六教でも武芸自慢の荒くれもの揃いだぞ。
力を落としている今の魔教からすれば、少し物騒に過ぎる相手だが」
「――逆でしょう。武教は何よりも、信義に篤きを置きます。
土地神が喪われた窮地を助けたならば、魔教であっても盟邦として遇するはず」
鋒俊から晶へ投げた反論を、部屋の外から戴天玲瑛が返した。
五香紛の流通から考えて、魔教が同盟を組んだ可能性は予想できた事である。
頭の痛い状況が増えたことに、玲瑛は嘆息を吐いた。
「六教の内、これで二教が土地神を喪った訳ですか。これ程の異常が立て続けに。
……偶然でしょうか?」
「少なくとも青道は偶然だろうな。論国にしたって、東巴大陸の橋頭保となる青道租界は手放せん。
――だが、源林武教は明らかに違う。土地神の喪失を前提に行動を起こさないと、ここまで短期間の信頼は得られないだろうしな」
「その口ぶり、論国が主導していると確信していますね」
晶の推測に、玲瑛の指摘が鋭く差し込む。
同盟を組んだ少年から返る無言の肯定に、玲瑛は怒りを呑み込んだ。
「故意か事故かさて置いて、真国六教には絶対用意できないものがあるんだ。
――咲。去年の鴨津で、ベネデッタが云っていた台詞を覚えているか」
人造龍穴を造り上げるに当たって、魔教が用いたものは二つ。
神器と、そして――。
「神格封印でしょ? ……波国が用意したあれは、東巴大陸の人間が励起するのは不可能だし」
「ああ。神格封印は青道の教会に設置されていると、ベネデッタが証言していた。
波国が青道を手薄にして数ヶ月、論国に術式を模倣する余裕は充分あったはずだ」
つまり幽嶄魔教は、風穴への侵入を論国に赦したと云う事だ。
そして次に論国が狙っているのは、源林武教の風穴。
これは、人造龍穴以上に受け容れられない、売国そのものの行為である
晶の言葉を受けて、玲瑛は静かに怒気を燃え立たせた。
踵を返す少女の肩に浮かぶ怒りを認め、晶は引き留めるべく声を投げる。
「何処に行く心算だ?」
「――涛大人の元に。幽嶄魔教と源林武教の同盟ともなれば、互いの宗家が主導しないと不可能ですから」
「証拠がないだろ。白でも切られてしまったら、目を付けられるだけ損だ」
「………………」
幽嶄魔教と源林武教の同盟自体は構わない。玲瑛自身、魔教との取引条件の一つとして、同盟の提案は視野に入れていたからだ。
だが晶の推測が正しければ、幽嶄魔教の現状は相当に悪化している事になる。
「夜劔当主の推測が正しいとして、魔教は何故、武教との同盟を?
論国の好き放題を赦しても、残り五教が敵に回ってしまえば、魔教が得る筈だった利益も一瞬で消し飛びますよ」
「師姐」
云い募りかけた玲瑛へ、窓の外を見遣った鋒俊が警告を放った。
通りの向こうから歩く背の高い男性の影が、斜陽の表通りへと差し込む。
「どうやら、向こうから御出ましだ。
推測に想像を重ねるくらいなら、直接、当人たちから情報を聞き出そう」
悠然と歩幅を保ったまま、魔教から来たその男が宿の前に立つ。
表情を窺わせないまま、窓越しの晶たちと李昊然の視線が交わった。
やはり遅れてしまいますね。
申し訳ありません。
短いですが、切りの良い処で終わります。
指摘が御座いましたので、此方で返答を致します。
行使に《つか》とルビが振られている件ですが、此方は完全に誤用です。
以前に頂いたプログラムでルビ振りを自動的に行っているのですが、僕の失敗で行使の単語に誤登録してしまったからです。
同様に、睨むに《ね》を、渡に《わた》と付くものも確認しております。
気付いたら修正していますが、追いついていないのが現状ですね。
申し訳ありません。
気付いたら、都度にご指摘いただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
安田のら





