5話 錯綜と策謀を、澱に友釣りへ3
足取りも荒く戴天玲瑛は、宿までの道程を足早に歩いた。
憤然と吐き捨てる少女の脳裏に過ぎる、幽嶄魔教の神域に坐していた存在の背。
後を追う李鋒俊も不満そうに。しかし、受け入れるしかないと少女の後を追う。
『信じられません。神柱を創る、ですって!?』
『だけど実際に、影梅公女は俺たちも見ていた。
――師姐。少なくとも、その技術を奴らが掌握しているのは間違いない』
『冗談じゃない。神柱を生み出すは、天帝のみに赦された御業。
あれが魔教と論国に掌握されれば、それこそ神威が蔑ろにされてしまうわ』
『本当に、独占しているのか?』
流暢に捲し立てられる真国語の内容に、晶の歩みが止まった。
高天原の少年の存在を忘れていたのだろう、怪訝と玲瑛たちが振り返る。
『……悔しいですが、影梅公女は確かに存在していました。
あの技術の脅威。高天原の八家なら理解できるでしょう』
『ああ。龍脈を堰き止めて人為的に龍穴を造成し、神器を接続させる事で神柱に昇華させる。
理屈は通っているが、どうしても違和感が拭えなくてな』
大神柱とは、遍く世の事象を支える尊きの存在だ。
その神柱が有する象とは即ち、嘗て成し遂げた偉業。――神話である。
神柱から象を別けられた神器とは、ある意味で神柱を象徴する総てを有しているのだ。
晶もそれは認めている。が、
『象を有していても、神器は器物に過ぎない。
神柱へと昇華する為の、決定的な何かが足りていないと思えてな』
何を、と問われても断言は返せないが、それだけは断言できた。
一歩踏み出した先が落とし穴だったような、何か致命的な前提を間違えている。
確信を呑み込み、晶は玲瑛たちを追い越した。
その背へとつまらなそうに、鋒俊は声を投げる。
『取り敢えず、青道を出立する許可は貰えたんだ。
魔教相手に足止めを喰らっていられるほど、俺たちだって暇じゃないだろう』
『是。明日にでも東巴大陸鉄道に乗り込み、芳雨省の武林に向かいます。順調に行けるなら、それに越したことは有りませんし』
『……そうだな』
慰めるように相槌を打つ玲瑛たちに、晶も不承不承と折れた。
畢竟、晶の持っている確信は、ただの勘である。
生温い不安を務めて忘れ、晶は2人の後を追った。
♢
ちゃぷ。堤防を歩く輪堂咲と同行そのみの足元で、波が泡と砕ける。
瀬々と揺らぐ囁きを耳に、咲は向かう前へ視線を遣った。
防波堤の伸びる先、少女2人の歩く足を海鳥が追い越す。
群れる海鳥に双眸を眇める傍らを、哨戒だろう水兵2人が擦れ違った。
旗袍に袖を通すそのみは兎も角、水兵服を着る咲は珍しいのだろう。
数人が怪訝と振り返るが、咎められることのないまま、やがて視線は遠ざかった。
「父に聞いた通りならば、向こうに見えるのが東巴大陸鉄道の青道駅ですね」
「警備は厳重。……真国での拠点ともなれば、論国も手放す意思はないみたいですね」
波止場から乗り出すように建てられている青道駅へ近づくにつれ、三々五々とそれまで見なかった金髪碧眼が雑踏を占めるようになる。
洗練されたコートに、毛皮のハンドマフ。雑多と行き交う明るい色彩から逃れ、咲たちは大通りの脇へと寄った。
「青道戦役で、港湾近郊はほぼ更地に変わったと聞いています。
後装砲は対海防衛の軍事教義を一新したと云いますから、余程だったのでしょう」
「……所詮、銃砲の類では?」
そのみの説明に、咲は眉根を寄せた。
高天原の常識で、銃砲とはそこまで重要度の高い兵器ではない。
直撃すれば話も別だが、弾丸など視てから避ければいいし、
――次弾装填に要する時間が数分となれば、精霊遣いからすれば絶望的な欠点であった。
「後方からの装填機構が、射撃間隔を劇的に縮めたんです。
青道戦役に於ける魔教の大敗が、精霊遣いの限界を世界に証明したと云われています」
「昨年の夏に鴨津で波国とぶつかった際は、使われませんでしたが」
「護櫻神社への侵攻と、源南寺の占拠が主戦場でしたよね。
……推測になりますが、」
「――単純に、持ち込めなかったんだ」
そのみの言葉の後を、少年の声が継ぐ。
驚いて振り返る咲の視線の先で、久我諒太が腕組みで立つ姿が映った。
「山の中腹にある源南寺に、総重量が200貫はあろうかの鉄の塊を持ち上げるのは至難だぞ。
護櫻神社に至っては、外冦を雇っての非正規戦に徹底していたからな」
――終わった後に、救援の体裁で利権蚕食は、目論んでいただろうが。
忌々し気に何かの串を齧る少年の背で、追いついた帶刀埜乃香が口元を隠す。
はしたなそうに頬を赤らめる辺り、諒太の相伴に与ったのだろう。
二人で苦笑を向けながら、見ない振りを決め込む。
「後装砲もそうだが、論国の秘匿する近代兵器に関しては、久我当主も興味を持っている。
特に、潘国で猛威を振るったって云う、」
「回転式多連装砲。一息に200余の弾丸を叩き込むって優れモンだぁな。青道戦役じゃあ見て無ェが、相当な脅威らしい」
子供たちから少し離れ、昏い路地裏で同行晴胤が肩を竦めた。
「――集まったな、坊主共。取り敢えず、お互いに今後の予定を突き詰めるとしようや」
高天原の対外戦力である同行当主であっても、論国の支配下である青道で表立っての支援は難しい。
目立たないよう踵を返した晴胤の後を、少年たちは連れ立って路地裏へと消えた。
今回の咲とシータの一件は、高天原が外海に目を向ける良い機会でもある。
これを機にと、高天原の五洲総ては多くの思惑を以て蠢動を始めていた。
「……こんな大っぴらに喋って、聞かれる心配はないのかよ」
「高天原の言葉ってなぁ便利でね。
何しろ、論国からすれば無駄に複雑ときた。用がなければ覚えようとも思わん」
「論国はそうだが、真国は、 、あぁ、そう云う事か」
裏路地を抜け、咲たちは反対側の雑踏へと。
瀟洒主義に溢れる建築が並ぶ通りを歩きながら、諒太は疑問を呑み込んだ。
周囲を歩く顔立ちは、金髪に碧眼の異人ばかり。咲たちも隠れようがない代わり、真国の人間が近づいてきても直ぐに察知できる。
「この辺りは未だ論国人も多いからな、大通りは密談に持って来いだ。
――さて。魔教が何処と手を組んで、大量の論国人は何処に消えたか、だったな」
「五香紛が戻り始めている辺り、手を組んだのは残り五教のどれかだと思っているけれど」
「論国人の行き先には、目星はついている。
――恐らくだが、向こうに逃げて居るんだろうな」
人の流れに足を任せながら、晴胤は青道駅へと顎をしゃくってみせた。
独自の係留港も兼ねている青道駅に垣間見える、幾隻もの船影。茫漠と昇る大量の黒煙が、高く冬晴れの空へと滲む。
「船舶ですか」
「帆が無いだろう? 論国でも数隻しか無ぇ、蒸気機関のみの貨客船らしいな。
そいつが見える限りでも三隻、青道に投入されている」
「本当だ。――帆が無い」
晴胤の指摘に、咲も驚きを返した。
常時、石炭を消費する蒸気機関は、どうしても航続能力に難がある。故に現在は、外洋を帆船として、潮流を乗り越える際のみ蒸気機関に切り替えるのが主流であった。
「安定した交易風であっても風任せなら、食い物を消費する人員を運ぶのに向かん。
蒸気機関なら潮流に構わずしかも速い。人員の大量運搬に特化した船って訳だ」
「鴨津でも、去年に一、二回ほどしか寄港していない。
高級志向の外洋観光船って触れ込みだったが、今から思えば、青道から論国人を運ぶ途中だったんだな」
「久我も存在は認識していたか。行き先は判るか?」
「海の外なら関知しない方針だ。
……けど父上は、鴨津で買い占めた石炭から逆算すると、補給なしでも潘国までは辿り着けるだろうと」
成る程。諒太の返答を受けて、晴胤は思案に耽った。
論国人の行き先が久我諒太の言葉通りであるならば、青道から人員が移動している理由も想像がつく。
技術の革新により急速に台頭してきた論国だが、その内情は問題が山積しているからだ。
繰り返される領地拡大と、その後の属領統治。
その二つの戦略は、何方にも莫大な人員が要求される。
鉄の時代の影響から、人口が低下している現在。論国がどれだけ強大な帝国であっても、保有する人員には限りがあるのだ。
足りなくなった人員を属領から掻き集めていると仮定すれば、論国人が足りなくなった理由に辻褄も合う。
「統治半ばの青道から撤退した理由は判らんが、行き先は潘国で間違いないだろうな」
「単純に考えたら、別の脅威が青道に迫ったから手を引いたとか」
「雲や煙じゃあるめぇし、ぽっと出に外敵が現れるもんけぇ。
……や、待てよ」
そのみの言葉を一笑に伏しかけ、晴胤は口元に手を当てた。
思考の中に各国の勢力図を浮かべてみる。
「ざっくりと現状を考えるなら、論国は潘国攻略に注力するため、青道からの撤退を始めたって辺りか」
「論国と魔教は、既に訣別しているのでしょうか」
「さてね。だが、論国から撤退してくれるなら、魔教は刺激しないように振舞うだろうさ。
――そのみ。釣果はどれほどだ?」
「坊主。本当に喰い付いたのかな」
「青道の、眠らない都市の異名は伊達じゃあ無ェぜ。西巴大陸中から、密議連中が犇いてんなぁ間違いない。
まぁ、この辺りは気長に行こうか」
己の娘が首を横に振るのを見て、同行晴胤は微かに嗤った。
――咲たちの歩みが止まる。
気付けば、正面には青道駅の入り口が聳えていた。
咲たちに迷惑そうな視線を寄越す論国人が、脇を過ぎて改札へと流れていく。
「この様子だと、此処に係留されている貨客船で最後の便だろうな。
青道駅の確認も済ませた事だし、退散しようか。坊主共。
――ここで我が物の論国人に捕まるのも、本意じゃねぇだろ」
「……はい」
青道駅が、東巴大陸に於ける論国の重要拠点の一つである事実は間違いない。
警備に立っていた兵士の近寄る姿に、咲たちは晴胤の後を追って踵を返した。
♢
玲瑛たちを見送り、神域に戻った李昊然は短く息を吐いた。
がらりと人の気配が失せたそこは、神威と云うよりも空虚な何かしか残っていない。
神域の奥間で待つ莫離涛が、鬱屈と老いた眼差しを上げた。
『……戴天家の娘は?』
『宿に戻る処を監視が確認しています。かなり憤慨していると報告が』
『仕方あるまい。人造の神柱などと云うものを見せられて、寧ろ能く抑えたものだ。
――其方は善かったのか? 鋒俊と会うのは、久し振りであろう』
玲瑛たちは、この神域の歪さに気付いただろうか。
幽嶄魔教の洞主である矮躯の老人の会話に興味を示すことなく、影梅公女は沈黙のまま佇んでいた。
『独り善がりに李家から逃げた阿呆にて。……末路など、気に掛ける必要もないでしょう』
『くく。その優しさは変わらんな。
――影梅公女の問題は、判明したのか』
『残念ながら。論国の神秘学者共の言が真実ならば、理論値は優に超えているそうですが』
『所詮、神柱を喪った連中の戯言、逃げ出すなら好きにさせておけ。
青道をがら空きにしてくれるなら、寧ろ人の影に潜む我らの独壇場だ』
神器を神柱の別け身へと昇華する実験が行われたのは。昨年の水無月。当初は、完全な失敗に終わったものと思われていた。
龍脈を堰き止めて人造龍穴とする試みは上手く運んだが、昇華させる段階で神器は沈黙を守ったまま。
――状況に推移が生まれたのは、それから約2ヶ月の後。突如として神器が励起し、己から龍脈と繋がり神柱へと至ったのだ。
『神柱としての格を得て、土地の加護も恢復。
……だがその代償として、人造龍穴の霊気をほぼ吸い上げてくれるとは』
忌々しく莫離涛は、影梅公女を見上げる。
悠然と気配も薄い少女は、神柱の威圧だけ放ち茫洋としていた。
興味が無いのではない。影梅公女は顕れた当初から、我と呼べるものが存在しないのだ。
それは、神器であったが故か、神柱であっても生まれたばかり故か。
結論すら出ないまま、青道の人造龍穴は危うい均衡を保っていた。
『そう云えば、戴天の娘は青道に何用で参ったと?
夜の遊興を覚える年齢でもあるまい』
『素直を意気揚々と語るほど、幼い性格にもないでしょう。
ただ、帰還する手段に東巴大陸鉄道を恃まれましたが』
『急ぎたかったか、それとも何か謀りごとを隠しているか。
――構わん。源林武教との密約が露見するよりは、小娘の安い考えを見逃した方が痛みも少ない』
眼鏡を収まりの良い位置に戻し、莫離涛は自嘲気味に吐息を漏らす。
正直、論国の脅威が減った今、直近の問題は仮初の神柱しかいない現実そのものだ。
『気になる点がもう一つ。
鋒俊の他に武侠を一人、玲瑛が連れていました』
『確か、鋒俊の隣にいたな。
五気調和に至っていないただの未熟だろうが、何が気になった?』
特に気を向けないまま、莫離涛は疑問を返した。
歩き方と気の練り方。武術の練度は、その二つで凡その水準が目安はつく。
真国で重要視される五気調和に関して、晶は覚えたての雛と云っても良い程度。
莫離涛からすれば、晶は武仙の階に足を掛け始めた辺りと云った処であった。
――ぴく。白魚の指が、僅かと痙攣する。
『それが、五気調和を無視して、五気精錬に手を掛けていました。
手合わせの際、天教のものとは違う流れの勁技を行使も』
『……武林が新たに抱え込んだ道士か? であれば、儂等が知らんのも道理よな』
涛の口調は興味のないまま、昊然の訴えを下げた。
何方にしても未熟に違いはなく、脅威でなければそれで良いからだ。
――ほぅ。桜の唇が幽かと、艶の浮かぶ吐息を始め。
『ええ。そこに、鋒俊との会話が決め手になりました』
『ふん?』
興味をそそられ、涛は眼鏡越しに昊然と視線を交わした。
倍以上年齢の違う己の側近は、涛の促しに肯いを返す。
――何も映さない黒瞳が、金の彩りを滲ませた。
『あの者は、太陽暦を日常に使っていると。
私の知る限り、西巴大陸基準となる太陽暦は、真国では青道しか使っていません』
真国は太陰暦を基準としているが、青道戦役以降、論国の統治下にある青道は、太陽暦を基準としている。
……だがそうなると、どうしても拭えない疑問が生まれてしまうのだ。
『青道の道士は、仮令、崩れであろうと総て把握しています。
――ですが、私はあの子供の存在を知りません』
『確かに、それは気になる事実だな』
李昊然すら把握していない道士が、李昊然すら知らない勁技を行使して見せた。
しかも、戴天家の娘に連れられて、東嶺省を抜けるという。
そこに、玲瑛の見逃せない企みを嗅ぎ付け、魔教の洞主は重く腰を上げようと――。
『――たお』
鈴を転がすほどの心地良い囁きに、終わりの近い老躯とその側近が凍り付いた。
振り返る視線の先で、少女の微笑みを浮かべる姿が。
『ちょくしである。
ちんがもとに、てんしのさんだいをのぞむ』
幼く舌足らずな影梅公女の響きが、仮初の神域を傲然と揺らす。
緩やかに彩りを移ろわせながら、生まれたばかりの大神柱は艶やかに嗤ってみせた。
本当にお待たせしました。
書くほどに文章が進まない経験は多くありますが、先が見えないのは初めてです。
それでも対処法は1つ。
只管に書くだけですね。
読んでいただきありがとうございます。
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