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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
五章 濫海浄罪篇
180/222

3話 貿都にて、ひとが腹蔵するものは2


 がさり。晶から咲の掌へと、包み紙が手(わた)された。

 包みが解けた途端、食欲をそそる芳香と共に湯気が溢れ出す。


 厚手の紙越しからも判る熱量が、悴む少女の指先を伝った。


煎餅(ジェンピン)だと。取り敢えず、空腹と寒さを慰めよう」

「……ありがと」


 その手の同じものへ迷いなく齧り付く晶に倣い、咲も一口だけ。

 はふ、ふ。途端に口中へと広がる、小振りの蝦と大量の葱。


 胃腑へ伝い落ちるその熱を、互いに口から吐き出して笑い合う。

 口一杯に広がる魚醤の風味は、晶と咲に高天原(たかまがはら)ではない地へ立つ実感を与えてくれた。




 値段の交渉も終え、戴天玲瑛と李鋒俊も煎餅の紙包みを受け取った。

 安価な河蝦は兎も角、具材を彩るものが少し乏しい。


 少女の素振りに店主は興味も無く、対価を仕舞いつつ紙煙草を咥えた。


『炒めるなら、河蝦よりも玻璃蝦でしょう。五香粉は無いの?』

『ありゃあ、今じゃあ胡椒よりも高値だよ』

『何処の原料が?』

『何処も彼処も。 、としか云えないが、敢えて云うなら桂皮と茴香かね。

 役人共が内地の流通路に貼り付いとると、専らの噂だ』


 舌を灼く熱に構わず煎餅を頬張りながら、鋒俊が玲瑛の脇から口を挟む。


『2日後には、路線が再開するかもしれんぞ』

『……話半分に期待しておくよ』


 素気無く返事もそこそこに、店主は新聞を広げて見せる。

 ――話題(情報)は終わり、と云う事ね。


 青道(チンタオ)論国(ロンダリア)の歴史的和解。その指の狭間から覗く一面の見出しに、少女は眉を薄く顰めた。

 玲瑛たちが遅れて合流すると、食事を終えた晶たちが表情を引き締める。


同行(どうぎょう)当主も堂々としていたけど、高天原(たかまがはら)の人間が日中に大手を振って問題ないのか?」

「国交断絶から数百年。高天原(たかまがはら)なんざ、近いだけの辺境でしかないからな。

 論国(ロンダリア)人と比べりゃ顔立ちの違いも違和感程度なら、後は服装に注意すればいい」


 玲瑛の傍らで、鋒俊が食べ終えた紙包みを焚火へと放り込んだ。

 紙の焼ける匂いが寒空に消え、指に残る脂を舐めつつ鼻を鳴らす。


「晶っつったか」「――鋒俊」

 師姐(シージェ)からの鋭い注意にも肩を竦めるだけ、少年は粗雑な口調を改める事は無かった。


「失礼、夜劔当主殿。洋装を基本とした貴方(あんた)らの外見なら、青道(チンタオ)では目立ちゃしないよ」


 晶や咲の隊服は確かに、西巴大陸の風潮を取り入れたものである。

 遠く、朝市を外れた通りを歩くものたちを見ても、鋒俊の指摘は的外れではないと理解できた。


「鋒俊の言は兎も角として、その服装で問題となるのは、青道(チンタオ)を脱出して以降になるかと。

 ――それよりも注意していただきたい点ですが、以降、(わざ)の行使は原則不可だと肝に銘じてください」

「勁?」

高天原(たかまがはら)で云う処の、精霊技(せいれいぎ)でしたか? それの行使を余人に見止められたら最期、青道(チンタオ)は疎か、最悪は東嶺(ドンリョン)省一帯で身を休める場所は無くなります」

「確かに高天原(たかまがはら)でも街中の精霊技(せいれいぎ)行使は厳罰ものだが、理由はそれだけじゃないのか?」


 高天原(たかまがはら)()いても、街中での精霊技(せいれいぎ)行使は原則不可と定められている。

 だがそれ以上に不穏を秘めたその響きに、晶と咲は身構えた。


「確かにそれもありますが、幇から辿られれば幽嶄魔教に動向を把握されるからです。

 管轄外の武侠に東嶺(ドンリョン)省で勁を撃たれるなど、間違いなく魔教の矜持に触れますから」


 幇とは云わば、単一の職で纏められた集団である。

 単純な手に職から果ては乞丐(乞食)まで。互助を目的としたその繋がりは強固で知られていた。


 小集団の幇はより(おお)きな幇と繋がり、最終的にその土地の六教が掌握しているのだ。


 東嶺(ドンリョン)省の幇であれば、間違いなく幽嶄魔教の支配下。

 情報だけに限っても、空を飛べない躯でこの網から逃れる術はないと断言できた。


「今日は動けないとしても、早急に行動しなければなりません。

 方針は定まっているのでしょうか、夜劔当主?」

「切符の入手に幽嶄魔教の協力が不可欠なら、基本方針は先刻に云った通りで変更はない。

 1つ訊きたいが、幽嶄魔教に()ける戴天玲瑛の知名度はどれくらいだ」


「お前、 、 」


 晶の何気ない質問に鋒俊の柳眉が逆立つが、続く台詞を玲瑛の掌が遮る。

 渋りながら下がる少年を追及する言葉は無く、玲瑛は言葉を取り繕った。


「私は宗家でも末席ですので、発言力も含めてそこまで在りません。

 ですが幽嶄魔教の上層部であれば、各教の宗家の構成まで把握済みでしょうね」

「現在の動向までは把握されていない?」

「幽嶄魔教が暗手の遣い手と云えど、私程度の動向に労力を割くほどではないかと。

 ……とは云え、戴天玲瑛が青道(チンタオ)に在りと知られてしまえば、その情報は(あまね)くから集まってしまいますが」

「なら、切れる機会は一回きりだな。

 ――咲」


「判った。宿は三杉さんから訊いているわ。

 ――玲瑛さまも最初の取り決め通りで良いかしら?」

「……構いません」


 晶たちと玲瑛は言葉も少なく、周囲の騒めきが一際に覆い隠す。

 湯気と人の行き交う足が過ぎた後、通りには誰も残る姿は無かった。


 ♢


 明日に備えて早々に休息を得るべく、晶と咲が宿の別室へと下がった後。

 案内された一室の薄く汚れた壁を見て、鋒俊は(さいな)立ちを吐き捨てた。


『良いのかよ、師姐(シージェ)

 推測程度で此処(ここ)までの内情を暴かれたら、魔教の対応も判らなくなるぞ』

同行家の拠点(海恒公司)を私たちに曝したなら、ある程度の信頼関係を築けていると考えた方が得だわ。

 ……それよりも、魔教と論国(ロンダリア)が急速に関係を深めているわね』


 鋒俊の不満に玲瑛は冷静に応え、床板に視線を落とした。

 安物買いの木材なのか、港の潮風を含んだ樹皮が所々で逆剥れている。


 思い出すのは、昼食を購入した屋台の店主からの情報。

 それは、五香粉の原料を隠語にした、各教との緊張を報せる内容であった。


桂皮(慈徳人教)茴香(源林武教)の筋が滞っていると。

 ――何方(どちら)も、幽嶄魔教と論国(ロンダリア)の煽りを受けているから、このまま黙っている訳は無いと思っていたけど』

碗幇(ワンバン)の囀りなんて当てになるのかよ』

『何処にでもいる小鼎幇(・・・)だからこそ、信頼が出来るのよ。

 あそこまで末端ならやんちゃも犯すし、金子次第で安めの情報を売ってくれるわ』


 晶たちへ教えた情報には、少しだけ嘘が混じっている。

 末端の隅々まで行き(わた)る幇の監視網だが、その拘束力は絶対ではない。


 高天原(たかまがはら)への渡航に利用した港舟幇もそうだが、高天原(たかまがはら)との密輸など公にできない行為に手を染めているならば、沈黙を選ぶものもそれなりに存在するからだ。


『幽嶄魔教と接触はできそう?』

師姐(シージェ)の願いだけど、少し難しい。

 切符の融通を(たの)んでも、出来て芳雨省で途中下車する羽目になるだろうな』


 そう。予想通りの師弟(シーディ)の答えに然して落胆を覚えることなく、玲瑛は思案を巡らせた。

 予定を脳裏で組み立てて、現状と照らし合わせる。


『夜劔当主殿が何を目的に潘国(バラトゥシュ)へと向かいたいのか。それが判れば、私たちの対応も変わるのだけれど』

『聞いた話だと八家でも新参なんだろ? 多少の武功欲しさに無茶をしただけとか』

『その割には、他の八家から信頼を集めているのがね。

 若さゆえの暴走と見るのではなく、そうなるから承諾したみたいな。

 想像だけど私たちとの同盟も、元々は潘国(バラトゥシュ)に向かうための利害の一致に利用したんじゃないかしら』


 玲瑛とて、何も考えずに晶の要請に応じた訳ではない。


 真国(ツォンマ)が通過点に過ぎない事は、探りを入れた会話の返答からも確か。

 利点こそ肯うに充分な理由であるが、それでも晶の目的が別にあることは気付いていた。


 結果論だとしても論国(ロンダリア)と信顕天教の衝突が避けられれば御の字ではあるのだが、長期的な視点でどう転ぶか見えて来ないために不安が残っているのだ。


『保険はかけておくべきでしょうね。……と手を組みましょう』

師姐(シージェ)の言葉だから従うけど、向こうに伝手は無いぞ』

『ないなら、持っている処から引き込むだけよ。

 港舟幇と接触して。――随分と隐藏(インツァン)を貯め込んでいたみたいだし、絶対に余所と繋がりを持っているわ』


 少女の決断に、端正な少年が野生に満ちた笑みを浮かべる。

 しなやかにその背を壁から離し、窓から外へと姿を消した。


 ♢


 港湾の凍てつく寒さが少年を包む。


 縛りつく頬を歪めながら、柱を蹴って壁から壁へ。

 音も無く虚空を踊り、鋒俊の脚は静かに屋根の瓦を踏みしめた。


 吐く息は白く。睥睨する大通りの人の流れは、眠らない街の評判通りに、昼間以上の活気を以て行き交っていた。

 興味も薄く、鼻を鳴らして踵を返す。


 と、閃く銀光に、寸の処で回避。

 鋒俊が鋭く見上げた視線の先で、侮蔑に満ちた眼光が交差した。


『――你打算去哪儿(何処に行く心算だ)?』

昊然(ハオラン)……』


 袍の裾を靡かせ、端正な顔立ちの男が対面の屋根で瓦を踏みしめる姿。

 最も見つかりたくなかった相手を前に、鋒俊は苦く呼吸(いき)を漏らす。


 ――その面影は、鋒俊とひどく似通っていた。


 宿からの出入りは慎重に隠形を仕込んだから、誤魔化せているはずである。

 鋒俊の足跡が捉えられたのは、幇の視線を避ける為に身体強化を行使し(つかっ)たからだろう。


『今日の蚤の市で貴様を見たと、情報が出回ってな。

 不肖の弟が天教から逃げ帰ったかと思えば、……鼠の真似事とは(わら)わせてくれる』

『ふん。遠の昔に、俺のことなど忘れていると思っていたぜ』

『忘れていたさ。天教に遣った阿呆(あほう)が、魔教の膝元を徘徊していると聞くまではな。

 ――魔教の苦境も知らず、縁を切った愚弟が今更に何の用だ』

『その割に羽振りが良いじゃないか。魔教の裏切りで真国(ツォンマ)がどうなっているか、知らん訳でもあるまい』

『善い事じゃないか。

 蒸気機関に潤沢な資源。論国(ロンダリア)の貪欲さも、遠くから付き合う分には面白い』

『そりゃあ(あやか)りたいね。庭先を乱した事は謝るが、腐っても兄弟の縁。

 観光でぶらつきに来た可愛い弟、見逃しちゃくれないか? ――兄さん』


 駄目元で投げた鋒俊の口振りに、昊然(ハオラン)と呼ばれた男の柳眉が引き攣った。

 次第にその肩が震え、()を切った様に(わら)い声が溢れ出す


『……安心しろ。小者に過ぎん貴様が単独で這いずり回るなど、微塵も楽観しておらん。

 誰の腰巾着なのか洗い浚い吐き出せば、手足を落とすだけで勘弁してやる』

『どうせ親父は連れてこいって云っただけだろうが、物騒は止せよ。

 ――それともあれか? 好きな女性が俺に靡いたからって、未だ根に持っているとか』


 軽口の何処に本音があったのか、それは判らない。

 ――ただ間違いなく、鋒俊が投げた最後の軽口が、昊然(ハオラン)の怒りを爆発させた。


 呼気も鋭く、昊然(ハオラン)の背が僅かと沈む。

 ――瞬後。練られた精霊力が音も無く弾け、瓦を砕いて加速した。

 真国(ツォンマ)六教、身体強化の勁技、――破風迅行(ポゥフォンシュンシン)


 大気すらも切り裂く音を残し、昊然(ハオラン)が鋒俊の立っていた屋根に着地。

 止まらぬ勢いに瓦が砕け落ち、間を置くことなく夜気を裂く悲鳴が響いた。


 舌打ちを残す実兄の背で、別の屋根に鋒俊の爪先が落ちる。


『静かなだけが魔教の取柄だろ。暗手の元締めが騒がしいなんざ、親父が見ればどう思うかね』

『最近では、魔教も方針転換をせざるを得なくてな。

 沖合に大砲が並べられた光景を見れば、勁技など児戯とも思えてしまう』


 指の狭間から新たな寸鉄を覗かせ、悠然と兄の背が立ちあがった。

 意気軒高と、昊然(ハオラン)の背にも退く気配はない。


 どうやってこの場を切り抜けるか隙を窺うも、鋒俊は内心で嘆息を残した。


 嘗て実兄として慕っていた幼い頃から、幽嶄魔教でも屈指の才覚を誇っていた兄である。

 軽口を叩いても、鋒俊は昊然(ハオラン)の実力を認めていた。


『拳を構えろ。貴様の功夫を測ってやる』

『ちぃ!! ――()リャアァァッ』


 昊然(ハオラン)が再び仕掛け、互いの呼気が交差。

 星の広がる夜天の下で泳ぐ鋒俊へと、鋭く昊然(ハオラン)から寸鉄が放たれる。


 ――回避は不可能。刹那に覚悟を決め、鋒俊は精霊力を練り上げた。

 真国(ツォンマ)六教が金剛大勁、――天鋼(ティエンガン)不壊(ブーホワイ)


 薙ぎ払う拳が寸鉄を2つ、跳ね上げた爪先で1つ。

 闇の中に火花が跡を刻む侭、致命的に鋒俊の姿勢が崩れた。


 見逃してくれるような甘い相手ではない。鋒俊の視線の先で、寸鉄が虚空を貫いて鈍く光を残した。


『――结束了(終わりだっ)!』

他妈的(くそがっ)!』


 完全に致命を狙った一撃が、鋒俊の眼前まで迫る。


 せめてもの抵抗で、少年はそれを最期まで睨もうと、

 ――頭上から落ちる一撃に寸鉄が砕けるさまを確かに見た。




 刹那だけ抜刀した寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)が、宙を踊る掌から儚く熔ける。

 透徹と澄み(わた)るその剣身を心奧へと納刀し、晶は短く息を吐いた。


 あの刹那、柄だけしか見えない神器を認識できるものがどれだけいるのだろうか。

 神器を抜刀するのは、晶としても賭けであった。


 鋒俊と晶。別々の屋根へと降り立って、三者三葉に睨み合う。


(誰だ)?』

信顕天教的武侠(信顕天教の武侠)对你来说(貴方には)这就足够了吧(それで充分なはずだが)


『――你,会说真国的语言(お前、真国の言葉を)?』


 誰何(すいか)と驚愕が交差。未だ佳境の鬩ぎ合いを、夜の闇だけが見届けた。



 遅くなりました。


 1週間の休みをいただきまして、再開いたします。

 

 現在ですが、渋谷スクランブル交差点にありますTSUTAYAにて、

 「ライトノベル展2024」が開催されています。


 此方に、12月9日より様々な作家やイラストレーターさまのサインが展示されています。

 光栄な事に、僕も隅っこにサインを書かせていただきました。


 展示の日時は12月16日まで。

 

 是非ともご覧になってください。

 サインなんて初めてなんで、指が無茶苦茶に震えました。


 恥ずかしい限りです。


 安田のら

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 晶君達の大陸道中は始まったばかりですが、初っ端から戦いが始まりましたね。ほとんど敵地だから仕方ないですが、潘国までは相当時間が掛かりそうです。
晶くん、海外の行く先の言葉をキチンと履修するとは、優等生の上、期間を考えると、天才の域じゃん。 この感じだと潘国の言葉も喋れそう。 神無の御坐の力は、神柱と契約を交わさなければいけないから、どっ…
そういえば確か現地の言葉が喋れないとは言われてなかった… これは中々いい感じに魔教側と秘して接触できたと云えるんでは 初サインおめでとうございます
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