１話 武は競う、外海の囁く裏で３
――時は少し遡り、天覧試合幼年の部、決勝。
うねる歓声が見守る中、少年２人の剣戟が響き渡った。
踏み込む爪先が玉砂利に波を刻み、奈切迅の精霊力が剛風を捲き上げる。
陣楼院流精霊技、初伝、――鎌鼬。
「勢ェリアァッッ」「ち」
放たれた木刀の切っ先から、鋭く伸びるは不可視の刃。
見えない斬撃を厭い、久我諒太の攻め足は否応なしに鈍った。
現神降ろしに任せ、跳ねるように後退。
烈風が玉砂利を薙ぎ払う刹那、迅の攻撃圏が模られる。
精霊力を鋭く練り上げ、諒太は再び相手の懐へと踏み込んだ。
接近を赦さない攻撃圏は、直接的に戦局の支配を意味する。
前に中てる。その威名が示す通り、遠距離攻撃に優れる陣楼院流を相手にして、間合いを仕切り直すのは下策であるからだ。
他の門閥流派が陣楼院流に勝機を見出すためには、接近戦が絶対の条件となる。
月宮流精霊技、中伝、――遍路踏。
「疾ィィィイイッッ」
威勢が尾を曳き、手を伸ばす距離に諒太が踏み込んだ。
斬り上げる木刀が灼熱を纏い、必倒の覚悟を宿す。
月宮流精霊技、初伝――、
「炎ゆ刈り！」
至近距離。加えて陣楼院流は、精霊技の行使が義王院流に次いで遅い。
相手の胴へと伸びる赤火の軌跡に、諒太は勝利を確信した。
撃音。紙一重まで迫る火閃。
――然し、灼熱は迅の斬撃に絡み取られ、明後日へと逸らされた。
罵倒を呑み込み、攻め足をもう一歩。相手の踏み込む刹那を狙い、諒太が呪符を引き抜く。
迅に赦された呪符の枚数は２枚。
青白い励起の炎を吹き散らし、轟然と炎が吹き荒れた。
１本っ。審判の白い旗を視界の端に、諒太は平薙ぎを貫き放つ。
速度が必要だ。互いに精霊力を練り上げる刹那すらも惜しく、斬撃を畳み掛けた。
競り合いを厭ったか。迅の攻め足に後退の気配が滲み――、
「征ェリアアァァッ」
逃すまい。裂帛の気合いを残し、諒太は彼我の間合いへと踏み込んだ。
斬撃は凌がれたが、自身の優勢が消えた訳でもない。
駄目押しの止めを撃つべく呪符を懐から――、
「虎落笛」
冷徹と放たれた瞬息の斬撃が、諒太の胴を抜いた。
獲られた。その屈辱を噛み締めるよりも早く、視界に迅の呪符が映る。
相手の剣指が青白く炎の残滓を振り払うと同時、
木気が生む衝撃に呑み込まれ、諒太は己の敗北を悟った。
♢
迅と諒太は、努めて平静を保ったまま一礼をする。
背を向けた２人が舞台を去るまでの一部始終を、観客席で晶は見届けていた。
試合の熱気も去って暫く、傍らへ誰かが腰を下ろす。
「よう、後輩。ここでしょぼくれていると思ったぜ」
「……優勝、おめでとうございます。奈切先輩」
そこまで残念には思っていない。態度だけで強がって見せる晶の肩を、迅は労いを籠めて叩いてやった。
「ま。後輩であっても、天覧試合は一筋縄じゃ行かないって事だな。
――それが、お前と久我の敗北理由でもある」
「経験？」
一言だけ返す晶に、どう説明したものかと迅は悩んだ。
優秀な先だけを、常に見せつけられてきた劣等感。
それは迅も見たものであり、昨年まで縛られていた感情である。
だが、先を見るだけでは前に進まない
「後輩。お前は強い」
「……敗けましたけど」
「腐るなよ」
未だ不満そうな晶の返事へ、肩を竦めて見せた。
迅の言葉は慰め半分であっても、嘘は吐いていない。
精霊技を模倣し修得する才能に加え、五行を切り替える前代未聞の異能。
間違いなく晶の実力は、八家を含めた衛士の上位に食い込んでいる。
「久我の奴は、知識だけ理解していたみたいだがな。
精霊力を制限された天覧試合では、何よりも手数が肝要となる」
晶の不満気な首肯に、苦笑を一つ。
胸元から、試合最後の呪符を引き抜いた。
「呪符はどれだけ残っている？」
「６枚」
「決勝時点、久我は５枚だった」
精霊技の威力が試合の決定打にならない以上、簡易に手数を増やせる呪符は逆転するための鍵となり得る。
どの試合に、どれだけの呪符を注ぎ込むか。
畢竟、枚数の寡多は、試合をどれだけ効率よく運んだかの目安なのだ。
「後輩の実力は良く知っているが、それでも精霊技を基本として戦略を立てている。
相手の手数が増えれば、無意識に精霊技へ固執する癖もな」
「それは、 、」
迅の指摘に、晶は二の句を継げなかった。
事実、試合で追い込まれた際には、呪符へ意識を割く事も億劫にしていた。
「呪符は金食い虫だし、威力もそれなり程度。そうなりゃ、精霊技に頼るのは当然だろうさ」
「確かに俺は、一対一の威力戦が経験の大半です。
陣楼院流や月宮流と云った、面制圧の精霊技をあまり得意としていない」
「久我の奴に至っちゃ大物食いだしな。ここぞと云う時は、威力に頼る癖が染み付いている」
晶の納得に笑みを返し、迅は腰を上げた。
舞台の掃除も終わり、一息吐けば天覧試合の本選が開始される。
「さて。俺たちのお祭りはこれで終わりだ。後は気楽に、師匠たちのお祭りを愉しもうぜ」
「弓削さまの連覇でしたか。珠門洲を離れる前は、誰が勝つか下馬評が白熱していると」
「方条誘が不出場だし、大半の見方は師匠に傾いている。
――当然、師匠に一口噛ませて貰ったさ」
「賭けたんですか？ 弓削さまにバレたら、雷では済まないですよ」
迅の手から覗く白い賭け札の端を見止め、思わず晶は呆れた声を返した。
言い訳代わりに笑いが返り、連れ立って舞台の裏へ。
学生たちの撤収準備を脇に、憮然と歩く久我諒太と鉢合わせた。
「久我。手伝わないのか？」
「俺らが手を出してどうすんだよ。
……それに、この後のお愉しみも有るんだ、余計な手間は取りたくない」
「お愉しみ？」
「闇討ちだよ。叩きのめしてやろうと待っているんだが、遠巻きで別の奴と愉しんでやがる」
面白くねぇ。そう不満気に諒太が零す。
その様子に首を傾げた晶へと、声を潜めた迅が代わりに答えた。
「試合と実戦は別物と、試合後に挑んでくる青二才は毎年の風物詩だが。
――初年で準位に残った八家に突っかかるほど、身の程知らずじゃないぞ。久我には縁のないお祭りだな」
「肩透かしかよ。気概の無ェ奴等だ」
つまらなそうに諒太が応え、晶と共に天覧試合の舞台を眺める。
玉砂利が敷き直されたそこは、ただ白いだけの舞台へと戻っていた。
「そう云えば、咲はどうした？」
「嗣穂さまと話し合いだ。潘国への往復となれば、半年を覚悟しなけりゃならないから」
咲も天覧試合に出場したがっていたが、諦めざるを得なかった理由である。
「潮流に逆らわなきゃならんから、時間が掛かるんだよ。
確か潘国だったら、行きだけで数ヶ月は掛かるな」
「……そう云う事か」
「何が？」
「師走の初旬から、同盟を盾に、鴨津の係留港へ波国の快速戦艦が停泊している。
ベネデッタ・カザリーニの姿も確認していてな、どうやら奇鳳院と密約があるらしい」
「多分それだろうな。嗣穂さまからも、近日中に向かうようにと頼まれている」
「そうか」
迅の言葉に、諒太が腑に落ちたように肯いを見せた。
晶ほどではないが、諒太も文武を問わず相当に優秀である。
故郷から直接届けられる新鮮な情報を盾に、密約の内容を薄々と気付いた。
会話が途切れ、踵を返す晶たちは、人の気配に足を止めた。
――３人の視線の先に、見慣れない衣服を着た長髪の少年が佇む影が落ちる。
「何だ、お前？」
「天覧試合の首位と準位。それに、木っ端も一匹混じっているか。
決勝だけ観させて貰ったが、随分と甘ちゃんの闘いだったよ」
友好とも思えない見下した態度に、晶と諒太は思わず顔を見合わせた。
闇討ち。その脳裏へ浮かぶ言葉に、諒太が疑問だけを返す。
「呼ばれたぞ、木っ端」
「どう考えても、首位と準位が目当てだろうが。
――その服、真国の人間だな。天覧試合に何の用だ？」
返答は無い。代わりに、視線の先で佇んでいたはずの少年が、嗤いだけを残して唐突に消えた。
「「！？」」「――こっちだ」
驚愕する暇すらなく、晶たちの懐から投げられる声。
思考が追い付くよりも早く、晶と諒太は腰から木刀を抜刀き放った。
「「征ェリァッ」」
咄嗟に合わせた呼吸で、互いに違う斬撃が弧を描く。
首と胴。互いに放たれる二条の軌道へ、少年の掌打が合わさった。
柔く去なされる斬撃。刹那に不発を悟った晶たちの足が、後方へと地を蹴る。
戦風に天幕が踊り、舞台の中央へと少年たちの姿が躍り出た。
♢
突然の騒動に、休憩していた観客席から戸惑いの声が上がる。
本選を待つだけだった場が、予想外の余興へと次第に熱気を帯び始めた。
周囲から集まる衆人環視に、迅が臍を噛む。
「しまったな。騒動が大きくなった」
「――そうですね。流石にこれは、私たちの手落ちです」
その呟きへと、思いもしなかった方向から応じる声。
少年の背中。はためく天幕の向こうから、少女の影が悠然と現れた。
黒く滑らかな長髪が風に踊り、少女の肢体を包む旗袍の裾が静かに揺れる。
只、緩やかに。歩く姿からは隙も窺わせずに、少女は少年の隣へと立った。
「――師姐。此処は、俺で充分だけど」
「好々と撫でる程度なら、相手の面子を重んじなさい。
三対一で圧勝したら、私だって交渉を断つわ」
「此奴等、 、」
三対一ですら、己たちの勝利を疑っていない。その余りの言い草に、諒太の額へと青筋が浮かぶ。
宥めるようにその肩を叩き、奈切迅は踵を返した。
「……後は任せるぞ」
「先輩は？」
「回生符を取ってくる」
「――逃げるのですか？」
背中を無防備に向ける天覧試合首位の少年へと、少女の鋭い制止が飛ぶ。
真逆。呟きに応じる迅の眼光は、もう興味すら失ったそれであった。
「余興で通すなら、頭数を合わせてやった方が良いだろうが。
戻ってくる頃には、決着しているしな」
背中越しに言葉を残し、そのまま舞台を後にする。
「師姐、行かせていいのか？」
「仕方ないわ。準位と……その他なら、こちらが勝っても有耶無耶にできるでしょうし、
――やりましょう」
天幕の向こうへと消える迅に固執する事無く、少女は晶たちへと抱拳礼をした。
流石に、主人が礼をしたのに、衛護が礼を返さないのは憚られるのだろう。
構える晶たちへ、渋々と少年も抱拳礼を見せた。
朗々と、周囲の観客にも聞こえるほどに、少女の声が響き渡る。
「私の名は戴天玲瑛。こちらの少年は、私の衛護でもある李鋒俊です。
此度は天覧の試合と聞き、真国の技量も競わせてみたいと興に駆られました。
――祭りの場にて失礼ながら、一手御指南願いたく」
「……正気か？」
「はい」
晶の問いかけに、玲瑛の肯いが返った。
初見にも関わらず躊躇いが無い。
――つまり彼女たちは本当に、晶たちのことを欠片も知らないのだ。
「良いだろうが、晶。阿呆が阿呆なりに挑んできたんだ。
祭りの余興にするなら、叩き潰してやるのが慈悲ってもんだろうが」
「……判った。直ぐに終わらせるぞ」
どうしたものか。迷う少年の背を、久我諒太が遠慮なしに叩く。
不敵に嗤う表情に晶は覚悟を決め、――瞬後、
少女へ目掛け真っ直ぐに地を蹴った。
♢
――速い。
袈裟斬りに叩き落される晶の木刀を、玲瑛は瞠目に見直した。
唸りを上げる斬道に直前の迷いはなく、真っ直ぐに切っ先が玲瑛の肩口を捉える。
最も恐ろしいのは、この一撃が精霊光を伴っていない事実か。
身体強化を行使しているのは確かだろうが、精霊を強引に猛らせている様子すらない。
道中で目にした走火入魔の未熟と違い、眼前の少年は精霊力を完全に統御していた。
――流石に天覧とも云うならば、武侠の練度は木っ端であっても相応に違うか。
感嘆を思考だけに浮かべ、玲瑛は丹田の精霊力を加速させる。
想起するのは、一筋の裂傷すら赦さない真玉の宝珠。
晶の斬撃は玲瑛の肩へと喰い込み、
――刃金の響きを遺して跳ね返された。
「――吹ゥ」「ちぃっ」
呼気と舌打ちが交差する。痺れる手首の具合を確かめながら、晶は飛び退いた。
泰然と佇む少女の姿に、先刻の一撃で揺れた様子はない。
その精霊技を纏うものは、人の形をした塞と心得よ。
少女の手品によく似た精霊技なら、晶は良く知っていた。
五劫七竈。だがあの精霊技は、外功に属する精霊技だ。
見るからに無手の少女が外功を行使すると云う、事実が意味するものは。
「諒太。こいつら、精霊器抜きで精霊技を行使できるっ」
「――ああ！ 絶賛、実感している最中だよっ」
晶の忠告へと返る、苛立ち混じりの怒声。
諒太の斬撃と鋒俊の掌打が火花を散らす光景を視界の端に映し、晶は静かに精霊力を練り上げた。
慎重に間合いを測る少年へと、玲瑛の慰めが届く。
「素晴らしい陰功夫ですね。正直、ここまでの道に至った武侠は、高天原で初めて見ました。六踏の一つへと、手を掛けているのは保証します」
「そりゃ、どうも。
……衆人環視もそろそろ、座興違いに気が付きかけている。終わりにするぞ」
「ええ、よろしくお願いいたします」
言葉を最後に、晶は鋭く呼気を吐いた。
背中で鋒俊と諒太の決着がつく気配。五劫七竈と同じ術式ならば、少女たちは木気に属する精霊を宿しているはず。
ならば、土行の精霊遣いである諒太に、勝ちの目は薄いだろう。
こうなったら、晶だけでも勝つしかない。
――仮令、試合では行使できなかった奥の手を切ったとしても。
肺腑に蟠っている呼気を、晶は総て吐き出した。
無駄な精霊力を削ぎ落し、丹田に残留した純粋な精霊力を昇華させる。
――木刀がゆらりと、無尽の重圧を宿した。
気配が変わった事に気が付いたのだろう。木刀に横溢する精霊力を目に、少女は全力で防御を固めた。
「待ってください！ その勁は、 、」
そう口にしかける玲瑛を無視し、晶は大上段に構える。
攻め足が残像を残した瞬後、晶は少女の間合いへと踏み込んだ。
叩き落ちる木刀の軌道が、少女の防御を掠めてその脇へと。
――同時に、精霊力の限界を超えたのか、木刀が木端微塵に砕け折れた。
轟音。防御を消し飛ばされ、呆然とする少女の眼前に呪符が落ちる。
試合用に渡された、威力の低い金撃符。
「俺の勝ちだ。――これで、引き分けって事で良いんだな」
「是。貴方の勝ち。木っ端と侮った事、謝罪いたします」
嵐が落ち着き、少年の確認に玲瑛が肯いを返す。
これが試合の余興だと、衆人環視だけが熱狂を以て、四人の健闘を讃え合った。
申し訳ございません。
１１月ですが、所用があり１１月の２日と３０日はお休みをいただきます。
ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。
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