12話 天へ墜ちる、雲雀の淡い2
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黒く燃える骨の狼の前肢を振り翳す影が、咲の視界へと落ちた。
骨だけとはいえ充分な質量に、少女が鋭く呼気を吐く。
叩き墜ちる鉤爪を寸前で躱し、咲は翻した純白の薙刀で斬りつけた。
前肢へと鋭く奔る斬閃。
――瞬後。斬ったはずの前肢が、充分な威力を以て咲の喉元に返った。
「何度も、 、しつこい、わねっ」
幾度、斬ろうとも、再生しては襲来する骨だけの狼。
繰り返される結末に驚きも薄く、手元へ引き戻した薙刀で前肢を弾き返す。
――ぎゃり。異音と共に、薙刀の穂先が絡めとられる感触。尋常ではない膂力に、少女の体躯が浮き上がった。
天地が逆さまに巡る視界。虚空へと投げ出され、骨狼を睨みながら精霊力を練り上げた。
奇鳳院流精霊技、異伝、――隼翔け。
精霊光と共に踊る少女の脚が、舞い散る残炎を踏みしめて加速。
――嚇、 、 。
瞬後、狼の背骨を捉えた薙刀の穂先へと、無数の爆炎が収束した。
奇鳳院流精霊技、中伝――。
「――啄木鳥徹しィッ」
巨大な槍と化した咲の撃声が、狼の背骨を破断。
肋骨と腰骨が砕け散り、衝撃が微塵に浚った。
―――嚇汰、嚇、汰々ッッ!!
爆炎、衝撃。だが咲の精霊技が散るより早く、焼炎の向こうに骨狼の姿が浮かんだ。
骨狼の肢が地を踏む都度に蘇り、落としていた頸までもが元の位置へ収まっていく。
「生きていないと云っても、しぶとさに限度があるでしょうに……」
骨狼との戦闘が始まって既に10分近く。疲労以上に飽いた感情から、咲は薙刀を握り直した。
黒く燃える骨の狼だが、見た目と裏腹に脅威は低い。
振り回すのは爪と牙だけ。骨だけの軽さ故か俊敏ではあるが、図体の巨きい穢獣と大差なかった。
――ただ只管に、しぶとかった。
斬って砕いて、果ては微塵に灼き祓っても、平然と蘇る存在としての頑強さ。
浄滅の渦から蘇る瘴気の存在など、激戦を潜り抜けた咲をして初めての相手であった。
骨を斬った端から反撃など、門閥流派であっても想定すらしていない。
追い詰められている自覚に、少女の頬を伝う汗が厳冬の野畑へ雫と滴った。
「……斬撃は効果がないけど、砕けば数秒は稼げるのが救いかな」
―――嚇、汰ッッ!!
恐らくは疲労も無いのだろう。
薄く周囲に広がる瘴気の靄を抜け、骨狼が牙を剥いて跳躍した。
骨だけとはいえ、ここまで巨きければ重量も相当に上る。
回避か迎撃。迫る圧倒的な質量に気圧され、それでも咲は神気を練り上げた。
パーリジャータの穂先が菫に澄み渡り、浄滅必定の炎が軌跡を刻む。
奇鳳院流精霊技、中伝――。
「十字野擦ィッ!!」
轟音。薙刀の斬閃が骨狼を十字に割き砕き、衝撃が骨を消し潰した。
間合いを仕切り直そうとした咲の視界で、復活しつつある骨狼が爆炎を噛み砕いた。
――念を入れて砕いたはずなのに、想定よりも復活の間隔が短い。
「真逆、復活までの猶予を偽ったの!?」
恃みとしていた時間稼ぎが、骨狼の囮と気付いた時には遅かった。
完全に虚を突かれた咲へと、骨狼の爪牙が迫る。
逃げられない。そう覚悟を決めた咲の眼前で、呪符が骨狼の額へ貼り付いた。
「疾」
駆け付けた不破直利が剣指を振り抜く刹那、青白く励起の炎へと呪符が燃え尽きる。
土撃符。圧し潰す衝撃の鎚が、有無も云わさず骨狼を地へと沈めた。
次いで直利の放った土界符が、骨狼を中心に土行結界を結ぶ。
結界の裡で藻掻く骨狼を横目に、直利が咲へと案じる声を掛けた。
「無事かい、輪堂殿」
「然程に脅威ではありませんが、微塵にしても起き上がられては。……正直、助かりました」
奇鳳院流の術理構成は、突破力と熱量に任せた焼祓が基本である。
復活を前提に防御を無視する存在など、相性としても最悪だ。
口惜しく応える咲へと、直利は苦笑で応えた。
「天山も結局、破壊出来なくてね。こういった類は基本、封印が鉄則だ」
「前例があるのですか?」
微塵から復活するような存在は、咲をして寡聞に聞いたことがない。
驚く咲へと、事も無げに直利が軽く肩を竦めた。
「復活するような前例こそないけど、強大過ぎる穢レは記録上に存在する。
討滅する手段が喪われた状況こそ、陰陽師の出番だよ」
「珠門洲は陰陽師の頭数が少ないもので、浄滅一択です」
「壁樹洲も云えるほど多くは無いさ。
……天山ほどに脅威を感じなかったが、見た目の特徴が一致するな」
土撃符の影響から抜け出したか、結界の底で骨狼が暴れ回る。
結界に揺らぐ様子も無く、それでも直利は残りの土界符を励起させて封印を補強した。
「確かに、天山の躯が生み出した狼ですけど、
特徴が一致するとは? 瘴気から人外に堕ちたと判りますが、外見だけは昨夜と変わっていませんよ」
「天山の本体は黒く燃える骨だよ。受肉の際に交戦したが、骨だけとなった軽さに慣れていなかったんだろうね。
――お陰で命を拾った」
骨、重量。その台詞が孕む重要性に、咲は知れず息を呑んだ。
精霊力を以てしても、現実の物質との代替は不可能である。
この短時間で生前と同じ肉質を纏うためには、少なくとも余所から肉を調達する必要があった。
「……骨だけ。では、取り繕っている肉体の出処は?」
「ああ。見える限りの外見は総て、山中で居合わせた陪臣のものだ。晶くんを捕えるためと、若者衆は廿楽へ降りたのが不幸中の幸いか、 、な」
無意識のうちに、咲は連翹山の方向へと視線を向ける。
その所作を肯定するよう、直利の応え。
――天山と骨だけの狼。外見から所作まで違い過ぎた為、無意識の内に両方を別の存在と認識してしまっていた。
怪異とは、土地に染み付いた怨念そのものである。
瘴気溜まりを呑みこみ、土地神の如く振舞う強烈な個の残滓。
――百鬼夜行を引き寄せるほどに強大な存在だが、複数の意志を持つことは有り得ない。
咲と直利の思考が同じ結論を囁き、2人は同時に骨狼の方向へと視線を戻した。
「不破殿!」
「ああ。――あれも天山だ!」
土行結界の底で、身震う狼が上げる声なき咆哮。応じるように瘴気がうねり、細く鋭く、撚り上げられた。
骨狼を中心に虚空へ縦横と張られた、人形の繰り糸。
その1つが土行結界へと絡みつき、蝕みながら障壁を切り刻んだ。
砕け散る障壁から跳躍する骨狼が、瘴気の繰り糸を解き放ちながら襲い来る。
爪と牙の奥に潜んでいた骨狼の奥の手を前に、直利が精霊力を練り上げた。
玻璃院流精霊技、中伝、――五劫七竈。
「――圏!」
励起の炎と共に顕れた九字結界と塞と立つ堅牢な護りが、辛うじてその一波を防ぐ。
その背を追い越し、咲が骨狼の前に立った。
「いかん、輪堂殿! 下がりなさい」
「気遣い不要にて。
行使の勝手は悪いですが、これなら私の方が相性もいい筈ですので」
苦く肯う直利に咲は首を振って応える。
少女の視界の向こうから雪崩れ落ちる、無数の糸。
迫る糸の波濤を睨み、咲はパーリジャータの切っ先を天へと向けた。
異国の神器が変じた純白の薙刀が、澄み渡る菫の輝きに染まる。
激突。轟音と共に周囲の地面が切り刻まれ、反撃と放たれた炎の飛斬が骨狼を上下に別け断った。
パーリジャータの権能である流れの制御。曰く、練達すれば大抵の攻撃を反撃に変えるはずだが、咲の技量はそこまで至っていない。
とは云えど、目視できる大きな流れへの干渉程度なら可能だ。
自身を操る糸に因る攻撃。ここまで出し渋っていたならば、骨狼に残る手段はない。
そう断じて、咲は神気を練り上げた。
奇鳳院流精霊技、初伝――。
「鳩衝」
衝撃が炎を纏って奔り抜け、骨狼の右半身を砕く。
直後に復活を始める骨から視線を外し、咲は薙刀を水平に振り薙いだ。
奇鳳院流精霊技、連技。
「――緋襲!!」
菫の斬閃に従って、炎が茫漠と視界を塗り潰す。
神気を籠めた浄滅の波濤が、視界に薄く漂う瘴気を祓い尽くした。
効果は確かに。瘴気の靄が一時的に晴れ、今度こそ骨狼が関節から崩れ落ちた。
防御する事無く、微塵に灼き祓おうとも攻勢を維持する。
本能から来る防御すら棄てられるならば、それは元々から生物ではない証左。
黒く燃える骨狼は、ただの道具だ。
そして、防御反応を無視しているのは、骨狼だけではない。
「晶くん!」遠く天魔と対峙する晶の背へと、咲は視線を巡らせた。
「その天山は、本体じゃない!」
生前の天山そのものに見えるが、骨狼を生み出して人間を喰らう。
人としての限度を無視した行動は、己の骨すらも道具と見下したからこそのものだ。
周囲の瘴気を灼き祓って動きを封じても、それは瘴気が戻るまでの時間稼ぎでしかない。
警告を叫ぶ少女の視線の向こう、晶の手元から夜天の輝きが迸った。
一際に哭く小鳥の囀りを過ごした後に、夜よりも深い静寂が降り落ちる
♢
「雲雀殺し」
――ただ、少年が呟く訣別の響きだけが、咲の耳朶を揺らして消えた。
♢
その精霊技は、天魔の裡を奔り貫けた。
ひどく静かに。――ただ、未だ遠い春の囀りだけが、ちりちりと厳冬の枯野原を渡る。
やがて青天を払っていた夜も一陣の風と去り、静寂だけが地に残った。
―――行使不全か。千載一遇を無駄に捨てるとは、穢レ擬きに相応しい末路よな。
幾ら無尽の精霊力を約束されていようとも、一度に行使できる量には限界が存在する。
撃ち込まれた莫大な神気も今は遠く、懐深くで動けない晶を天魔は嘲笑した。
悠然と刃零れも著しい太刀を掲げようと――、
がらり。地面で太刀を握り締める己の右腕を、天魔は茫然と見止めた。
復活する気配もない腕の断面が、砂にも似た曖昧な傷痕を晒す。
―――何、だ?
天魔の視線が晶の手元から己の胎と伝い、背中へ貫ける孔で瞠目した。
大きさは拳2つ。じぶじぶと修復の気配もない孔で、布津之淡が刃筋を煌めかせる。
孔の断面を灼く浄滅の気配。本来は有り得ない焦熱を纏い、水気の極致たる玄麗の輝きが晶の周囲を彩った。
―――未だだ。この程度の孔、周りの屍肉で補填すれば済む事よ!
道具でしかない天魔を構成するものは、天山だった骨と屍肉の塊だ。
数10余名にも上る肉の量は、多少喪われようが一部でしかない。
灼かれ続ける傷口を強引に埋め戻そうと、
――懐から睨み上げる晶の眼差しに、思わず天魔は生き汚く喚く己を呑み込んだ。
「じゃあな、父上」―――待、
天魔を撃ち貫いて尚、散る気配のない神気。晶は最期に父親と見止め、天山だったそれから布津之淡を引き抜いた。
放射されていた神気の輝きが、晶の手元へ集束する。
刹那の裡に熱量が奪われ、見える視界ごと天魔は凍てついて果てた。
莫大な熱量と瞬時の凍結。両極端な事象に煽られた天魔の骸が、脆く砂粒と崩れる。
後に残るは、一掴みも無い白い塊。
――それもやがて気侭な風花に浚われ、地に遺る事は無かった。
静かに心奧へと布津之淡を納刀する晶の許に、咲が駆け寄った。
終わっていない。その確信を胸に、周囲へ警戒を向ける。
「晶くん。天山は本体じゃないわ」
「判っている。天山も無視できないから、先に沈黙させただけだ。
――本体は外している」
咲の忠告に返る晶の肯い。棘も無く穏やかな応えに、咲は思わず首を傾げた。
「本体の目途が付いているの?」
「いいや。けど、手掛かりはある。
爪の1本だけだとしても、消し飛ばすよりは本体を釣り出す餌にした方が良いと思ってね」
晶の言葉に骨狼を連想した咲は、背後へと振り返る。
しかし狼だった黒い骨に動く気配はなく、晶へと半眼を戻した。
「骨の狼なら動く気配も無いけど」
「そっちじゃない。――ずっと疑問には思っていたんだ。
俺に見栄を張り続けていた天山が、斬れそうにもない太刀を使い続ける理由」
晶は呟くように咲へと応え、最後に残った天魔の右腕が握り締める太刀を見下ろした。
刃零れもひどく、晶の評した通り今にも折れそうな太刀。その柄から切っ先までを、逍遥と鬼火が舞う。
「雨月の屋敷には代わりの精霊器があるし、持ち出す余裕が無かったとしても陪臣たちの太刀だってあったはず。――なのに態々、役に立たない太刀を戦闘に持ち出すなら、理由は1つだ」
「――替えが利かないから。それが本体に繋がる一部なら、尚更に」
隠れるにも限界だと悟ったのか、天魔の腕が崩壊を始めた。
音も無く砂と溶ける凍てついた指先から、嚆矢の如く太刀が飛翔する。
撃音。晶が迎撃するよりも早く、咲の斬撃がその切っ先を弾き返した。
眼前で爆ぜる火花を目眩しに、太刀が連翹山の方向へと飛び去る。
「追わないと!」
「大丈夫、行き先は判っている。
――ですよね、直利先生」
「ああ。天山の躯を囮にしているなら、怪異の本体は未だ瘴気溜まりに潜んでいる。
龍脈を切り替えた直後だから、瘴気を欠片まで呑み込むまでの時間稼ぎだな」
晶が視線を巡らせる先で、直利が肯いを返した。
封印と龍脈の切り替え。浄化するための条件が整っている瘴気溜まりで受肉したなら、怪異であっても復活の余力は少ない。
加えて怪異は、怨念の源泉を求めて百鬼夜行を起こす存在だ。
追い詰められようが、逃げる事なく憎悪の対象へと襲い掛かる。
――この場合は俺だな。
晶がそう感想を呟くと同時に、連翹山の山肌が地響きを立てて崩れた。
太刀とも見紛う鋭い鉤爪が8本、叛くが如く青天を衝く。
瘴気と土煙から進み出た怪異が、眼光も赫く澱んで晶たちを睥睨した。
髑髏が模る牙が克ち鳴らされ、黝く膨れた腹部が止めどなく瘴気を吐き出す。
――土煙の晴れた向こうに佇んでいたのは、屍肉が蠢く一匹の巨大な蜘蛛。
「顕れたか。……さて、どうするか」
「こうなれば簡単でしょう。あれを浄滅して、怨念を浄化する。
天山が瘴気に沈んだのが昨夜。土地ごと灼き祓えば、まだ間に合うはずです」
「――土地ごとなんて、火行の神気をしても不可能よ。
晶くん。あかさまの神気は、どれだけ残っているの?」
咲の気遣う声に、晶は掌を見下ろした。
神域解放まで行使していないが、それでも減りは著しい。
それでも確信を以て、晶は青天を振り仰いだ。
周天の青は近く、掴めそうなほどに濃い。
――気付けば、四半刻は既に過ぎていた。
天魔の本体を釣り出すまでが問題だったのだ。蜘蛛の本体が姿を顕した以上、晶も手札を隠し持つ理由は無い。
北天が静かに、晶の希う祝詞を待ち望む。
――応じるように周天へと掌を差し伸べ、晶は見守り続けた童女の神名を呟いた。
「願い奉るは、磐生盤古大権現。
静寂に微睡み給え、霊亀冬濫玄麗媛!」
四章も後少し。お付き合いいただけたら嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございます。
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