9話 降る来たるに、決着を1
――嘗ての高天原には志尊たる高御座が一柱と、それを支える属家しかなかったと云う。
高御座が産み墜とした四柱を属家が赦し、尽きせぬ慈悲を以て神島たる高天原を五つの洲と別けたのだ。
何時しか地に蔓延る雑多共に、息程度を赦してしまったが属家の間違い。
結果として属家から高天原は簒奪され、央都でのみ高御座と五洲を支えなければならなくなってしまった。
属神如きに志尊は高御座と呼び捨てられ、洲を治めるは院家如きという暴挙。
挙句に旧家の添え物程度が、八家と尊ばれて専横を極める始末である。
――総ては、旧家の赦しが有ってこその行いであろうに。
高天原を己が元に還す。それは旧家と名を代えて尚、魂魄に刻みつけた当然の権利。
旧家たちが統記に密かと伝えた、忘れてはならない真実である。
旧家の悲願を目前に、石蕗佐門の身に余る愚行が総てを揺るがしてしまった。
結束すら侭ならない旧家にとって、残る可能性は雨月家の縁だけ。
雨月家ならばこそ旧家の末席を赦してやろうと、苦衷を以て認めた両家の縁組。
しかしその判断こそ、老境へ差し掛かった己にとって最高の功績を返してくれた。
それこそが雨月家の正統。雨月颯馬の才覚は、直孫だと贔屓目を抜いて確信できるほど。
――だからこそ霏々と小細工頼りに貶めてくれたなど、正義に悖る行為を赦せるはずも無かった。
直孫の不始末を祖父が終わらせるも一興。
天覧仕合等と云う茶番も、あれが死ねば笑い話で決着だ。
群れている八家の縁者は2匹。旧家の陪臣から補充分を見繕ってやれば、感謝されて然るべき厚遇。
常になく心奧で渋る精霊を抑え、老躯が正義を嚇怒と吐いた。
「雑多を踏み潰す程度、慈悲はその後に垂らしてやれば善い。
――征くぞ、蝋梅女御」
女郎花に燃える精霊光を統御し、小太刀を平に薙ぐ。
月宮流精霊技、初伝、――延歴。
♢
瞬後、朏に歪む飛斬が、蒸気自動車を拉げて貫けた。
金属の奏でる異音。解放された水蒸気が、雪よりもなお白く視界を染める。
寸前で回避した不破直利の懐深くへと、踏み込んだ相手が小太刀を閃かせた。
「何も、――!?」「疾ィィィッ」
直利の誰何も応えず、裂き喰らう刃風が飛斬の軌道に重なる。
月宮流精霊技、連技、――黄襲
風雪を曳き潰し、直利に追撃を重ねる不可視の刃。白が微塵と消える軌跡へと、直利は斬撃を合わせた。
精霊力は火花と噛み合い、刃金が頬を掠めるほど速度を増す。
一面を覆う雪虫が砕けて散る中、直利の足は地肌に跡を刻んだ。
――勁い!
弛まぬ鍛錬が結ぶ技量に圧され、直利は内心で感嘆を漏らした。
だが、直利とて玻璃院流の一人。ただ敗けるなど、赦せるはずも無い。
螺旋に渦巻く精霊力のまま、直利は地面を踏み抜いた。
玻璃院流精霊技、初伝――。
「霜柱」「――片喰崩し」
直利よりも半呼吸だけ疾く、老人から聳え立つ障壁。
その表面へと直利の精霊技が突き立った刹那、迸る精霊光に障壁が風塵と砕けた。
女郎花の輝きが照り去る陰、老人の額に青筋が奔る。
「土行を冒すとは下郎がぁっ!!」「――か!?」
精霊光すら揺るがす大音声。瞬後。精霊力が紫電と換わり、老躯を中心に荒れ狂った。
月宮流精霊技、中伝、――陣中秋麗。
金気によく似た衝撃が、直利の防御を貫き奔る。
呼吸を圧し潰さんばかりの衝撃。崩れかける直利の躯を、老人の爪先が蹴り飛ばした。
「直利先生!」
気遣う晶の声も届かず、木立の闇へと呑まれる直利。
それさえも下らぬ些事とばかりに、羽織る着物を翻して老人が鼻を鳴らす。
「は。木偶と立っていれば、頸を落とすだけで寛恕してやったものを。
――まあいい。誅滅を済ませれば、儂の手に懸かる光栄を教えてやろう」
然程に背は高くない老人の放つ精霊力が、傲然と周囲を塗り潰した。
八家をも上回らんとする威圧に、晶と咲が身構える。
余裕か、それとも当然と考えているのか。
沈黙が張り詰める中、初手を切ったのは晶の口火であった。
「……こそこそと誰が這い回っているのかと思えば、随分と詰まらん解答だ。
奇襲は仕掛けないんだな。旧家だ何だと喚く割に、堕ちるところまでは堕ちたみたいだが」
「慈悲を奇襲など、卑劣と同列に並べるとは。
序でに刈る雑多程度、苦しまぬようにと儂が心尽くしを向けただけよ」
「現実を見ろよ。やらかした挙句、勝手に追い詰められているだろうが。
大方、後が無いんだろう? ――御厨至心」
晶の嘲りに、至心の顔面が嚇怒に染まる。
血走る顔面で腰を落とし、小太刀を八相に構えた。
「異胎といえ、我が娘の堕とした雑草。
――雨月の神器を儂に返還せよ。さすれば手足を斬り落した後、儂手ずから頸を落とす情けを掛けてやる」
「つまり神器が欲しいから、寄越せば処刑するって事か。
阿呆か貴様。俺が正統と認められたのが気に食わんって、正直に云えよ」
「――儂の恩情に唾を吐くか。ならばもう良い、膾に刻んで最後の躾と代えてやるわぁっ!」
常識以前に、言葉を理解しない晶の無知さ。
説得する慈悲を諦め、至心は傲然と地を蹴った。
「咲は直利先生を恃む」「――判った!」
予想はしていたのだろう。短く言葉が飛び、晶たちが左右に分かれる。
八家の縁者は何れ始末するとしても、今に優先すべきは晶の方だ。
迷うことなく晶に狙いを定め、精霊力を練り上げた。
月宮流精霊技、中伝、――遍路踏。
身体強化の重ね掛け。刹那の加速を以て、彼我の間合いが刹那に溶ける。
時を刻むとまでは行かないが、それでも瞬時の加速。
「ちぃっ」「――遅いわぁっ!」
吐息すら届く至近で、両者の刃金が閃いた。
互いに余剰の精霊光が入り乱れ、剣戟が噛み合う度に火花が軌跡を描く。
一進一退の攻防。やがて両者は、同時に火花と散らして間合いを離した。
ふ。昂揚する身体の熱が、冬波へ浚われる度に心地良く。
油断なく思考を配り、爪先だけじわりと間合いを詰めた。
吐き合う呼吸が、白く風に棚引く。
風が唸る囁きだけ。刹那に再び、両者は間合いを詰めた。
深奥で吠える狼に応じ、晶は精霊器を振り抜く。
義王院流精霊技、異伝、――佳月煌々。
瞬時に加速する精霊力を統御。唸りを上げる斬撃を、上段から至心の脳天へと。
義王院流精霊技、初伝――。
「半月鳴らし」
轟音、爆砕。精霊力に任せた衝撃が、老躯を圧し潰さんと雪崩れ落ちた。
重圧とは、そのものが威力に直結する。防御も回避も赦さない、純粋な威力の転化。
水行の威力が迫るも尚、至心の唇が嘲笑で歪んだ。
小太刀に渦巻く精霊光が鋭く凝る。踏み込む足元で地面が穿たれ、勢いを増して収束。
月宮流精霊技、中伝――。
「夜長揺らし」
短く放たれた刺突に穿たれ、上段に伴う衝撃波が霧散する。
音すら残らない呆気ない終わり。
「んなっ」「――終わりよ、愚物が!」
夜闇を刻むだけの斬閃を縫い、晶の腹に叩き込まれる蹴り。
二転三転。地を舐めて、晶は跳ね起きた。
痛みで揺れる本能が叫び、背筋を悪寒が舐める。
――晶が回避に地を蹴った刹那、頭上で精霊力が渦巻いた。
月宮流精霊技、中伝、――夏至落とし。
風が熱波を伴い、巻き上がる。
刹那に落ちた焔の旋風が、夜闇すら刻んで荒れ狂った。
「これが、五行を統べる土行の精霊技よ。
――卑俗が、志尊の頂を以て果てる栄誉。貴様如きが与れるに過ぎた扱いだと、理解すら及ばんとは嘆かわしい」
「だったら諦めろよ。拘っている時点で、手前勝手の器も知れているだろうに」
「ああ云えばこう。理屈を聞こうともしない時点で、貴様が底止まりと判らんか!」
「――でしたら御老も、三宮の決定を認めて駄々を収める時期では?」
吐き捨てる至心の背中、咲が薙刀を手に鋭く間合いを詰めた。
菫の精霊光が、十字に軌跡を刻む。
奇鳳院流精霊技、中伝――。
「十字野擦!」「――冬ざれ結び」
烈火の斬閃が虚空を断つも、厳冬を宿した至心の一撃を前に霧散。
水克火の不利を悟り、深く踏み込む事なく咲は晶と肩を並べた。
「……先生は?」「大丈夫。動けないだけ」
気掛かりが一つ消えて、晶に余裕が浮かぶ。
残る最大の懸念となった御厨至心も何故か、晶たちを睥睨するだけであった。
「何だ、奇襲は仕掛けないのか?」
「あれは、ただの心尽くしと云ったはずだ。
足蹴にしてくれた今、捻じり潰されるが貴様らに出来る詫びの代わりであろう」
「――御厨至心。此度の仕儀が知られれば、それこそ旧家郎党が終わると理解も出来ませんか? 暴挙は勿論、八家と認められたものに不満を寄せるとは」
「認めた? 旧家が認めてすらいない空手形を、一つ覚えに能く吠える
至宝である神霊遣いを脇に追いやるなど、――高御座と三宮は我ら旧家が管理してこそ価値も保てるというに」
「……そうか、漸く判った」
傲慢そのものとしか聞こえない至心の言動を、晶は僅かと理解できた気がした。
「貴様にとって、高天原を支配するべきは旧家であって、三宮四院じゃ無いんだな」
「その通り。貴様ら雑多が息を赦されるも、儂ら旧家が認めているが故。
残る四行は土行の添え物程度と、何故、理解も出来んのか」
土行は中庸に属する。何れにも可能性を孕む、基礎にして万物の一。
萬に能うとまで謳われる、その威名は伊達ではない。
相克、相生の関係すら越える土行だが、精霊遣いであっても四洲では稀な存在。
旧家とは即ち、この希少な存在を血統として占有する家門の総称なのだ。
小太刀を水平に揮い、至心は精霊力を昂らせた。
志尊の頂を見据え、丹田から純粋に加速。
「――そしてこれこそ、颯馬が儂の直孫である証」
何処までも高く、至心の精霊光が薄く黄花の輝きに澄み渡った。
やがて遥か志尊の頂から、神柱の輝きが降り注ぐ。
「神霊遣い、……それも土行の」
「理解できたか。志尊たる神霊を宿すものにこそ、雨月の神器は相応しい。
見世物にも下らぬ精霊無しが触れるなど、三宮四院も奇矯に踊ってくれる」
真に稀な土行の神霊遣いとして、御厨至心が余剰の精霊光を刃金から降り落とした。
申し訳ございません。
先週に続けて短いです。
難産でした。
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