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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
四章 帰月懐呼篇
150/222

閑話 厳かに、華燭を過ごし

 ――央都山巓陵。神嘗祭、3日目。


 三宮御覧を主とする中日程も過ぎた翌日。

 祭りの最終日の前半はただ静かに、波風も(そよ)ぐことなく過ぎて行った。


 功罪論考にて功を評されたものたちの主だった名前が呼ばれては、淡々と静かに次へと移ろっていく。


 華族たちが広間へと座す中、その最後列で晶は静かに進行を見守っていた。

 ちらり、ちら。佇む晶へと、何気ない風を装った華族たちの好奇が突き刺さる。


 ――高位の封領華族にのみ参列を赦される大斎に、なぜこんな若造が。

 言葉にならない疑念が溢れんばかりに、晶の膝だけざわりと痙攣した。


 晶の建前上は、無名の、それも新興の華族でしかない。

 真実は兎も角、表向きの位階は華族でも最下。


 精霊の位階と、それを維持してきた年月。即ち華族の位階とは、歴史そのものである。

 最後列とはいえど木っ端華族でしかない晶は、この場に在って一種異様であった。


 それに加えて、纏う羽織も目立つ理由の一つだろう。

 一見するだけならば、防人が袖を通す無地のそれだ。


 だが、問題はそこでは無い。

 羽織や隊服が持つもう一つの役目は、己の所属と精霊の位階の明示である。

 ――にも関わらず晶の所属が、羽織は疎か隊服からも見えてこないのだ。


 強いて挙げるならば、座る位置から珠門洲(しゅもんしゅう)に属している事が推測できるくらいか。


 やがて好奇に飽いたのか。式典が進むに連れて、華族たちの視線は晶から離れていった。

 やがて晶に向かう興味は忘れられ、式典も大取を残すだけ。


「百鬼夜行に()ける功は以上です。次いで、序列の変動を伝えておきましょう。

 藤森宮(ふじのもりみや)。――良しなに」

「是に」


 月宮(つきのみや)周の宣言に一歩。膝行で進み出た藤森宮(ふじのもりみや)薫子が、肯いを返した。


 高天原(たかまがはら)()ける序列とは、基本的に三宮四院八家を指す。


 八家の面々が揃っていない事に、華族たちも気付いていた。

 ――國天洲(こくてんしゅう)伯道洲(はくどうしゅう)から、雨月家と真崎(さねざき)家の気配が足りていない。


伯道洲(はくどうしゅう)から、八家第六位は真崎(さねざき)家の欠落。

 陣楼院(じんろういん)当主、滸。新たに八家を任じる由、其方たちの裁量に委ねます」

「――過怠なく、承りまして御座います」


 一拍の遅滞も無く、陣楼院(じんろういん)滸が応じる声。

 その意味が思考へと染み渡るに連れ、華族たちのどよめきが広間を揺らした。


 伯道洲(はくどうしゅう)壁樹洲(へきじゅしゅう)の内乱から400年。ある意味で安寧としていた華族の地位が大きく動いたのだ。

 ただ(・・)人が至れる最高位の欠落に、野心家の有力華族たちが互いに牽制しあう。


 否応なく高まる期待にしかし、詳細を口にすることなく陣楼院(じんろういん)滸は下がった。

 陣楼院(じんろういん)家の裁量と云う事は、洲へ戻ってから決定するという事か。


 ならば次とばかりに、藤森宮(ふじのもりみや)へと華族たちの期待が集中した。

 欠けている八家はもう一つ。三宮四院と斉しい歴史を誇る、高天原(たかまがはら)の最大武家華族。

 ――雨月家の後釜に座る事が叶えば、その血統は揺るがぬ地位を獲得できるのだ


「そして國天洲(こくてんしゅう)より、雨月家郎党が来年の春を期限にした追放の保留。

 義王院(ぎおういん)当主、静美。其方たちの訴えにより、夜劔家を序列第一位と決定します」

「……承りました」


 粛々と進められる三宮四院の決定はしかし、華族たちの期待と異なっていた。

 夜劔家。その聞き覚えの無い家名に、國天洲(こくてんしゅう)の華族たちが呆けた表情を浮かべる。


 前述の通り、華族とは歴史そのもの。

 無名と云う事は、それだけ華族としての実力が及ばない事実に他ならないのだから。


「夜劔家当主は、雨月家たっての希望により天覧仕合を行った。

 結果として三宮四院八家の承認を得て、八家第一位を拝命する由。

 ――夜劔家当主、夜劔晶。前へ」

「はい」


 応える声は、短く淡々としたもの。

 知らぬ相手に彷徨う視線を(なぞ)り抜け、無地の羽織が大きく(ひるがえ)った。


 羽織の襟元で揺れるのは、衛士から赦されるはずの飾緒(かざりお)。袖を通すのは、佩刀まで充全に調えられた衛士の礼装。


 飾緒(かざりお)は黒と朱を誂えた稲穂結び。濃藍の襟は質素だが、随所の金糸に手間が判る。

 無地と思えた羽織も気付けば、光沢のある滑らかな生地の仕立てだ。


 それは、三宮四院八家の記録にのみ遺された、質素ながらも特殊な礼装。

 ――神無(かんな)御坐(みくら)にのみ赦された、洲に縛られない事実を示す晶だけの隊服であった。


 足音も静かに、晶は三宮四院の正面へ。

 今度こそ、好奇の視線が晶の後背に突き刺さった。


「雨月の欠落を以て、八家第一位を夜劔家に任じる。

 二度を問おう。――異論は無いな、夜劔晶」

「是非もありません。

 己が覚悟に、八家の責務を全うする所存です」

「結構。雨月の処分は、其方の一存に委ねるとする。粛々と励め」


 交わされる言葉は、必要最低限の意思を伝えるだけ。

 深く一礼を残し、神嘗祭に()ける晶の総ては呆気無いほど穏やかに終わった。


 ♢


 神嘗祭3日目の夜に催された酒宴も終盤。

 基本的に無礼講であるらしく、大人たちは賑やかに盃を交わしていた。


 暫くは傍らに座っていた輪堂(りんどう)咲も、父親である輪堂(りんどう)孝三郎(こうざぶろう)に呼ばれて席を外している。

 晶は独り、隠形を続けたまま虹鱒の塩焼きに箸を立てた。

 薄い皮を割いて、桜色の身肉を解す。

 一口。淡い塩味と共に、青臭くも強い香味が口腔へと広がった。


 旨い事は判るが、どうにも晶の舌には合わない。


「――旨いかね?」

「基本、長屋暮らしは何でも食うもので。旨い不味いは二の次です」

「華族であっても、貧乏暮しであれば似たり寄ったりだな。

 高邑領は特産の一つも無くてね、私も奢侈は舌に慣れん」


 苦笑しながら、着物を着た偉丈夫が晶の正面に腰を下ろした。


 八家の誰かだが、何処かで見た相貌(かお)

 内心の疑問を表情に浮かべないよう、相手の胸元へと視線を遣った。


 ――七宝に梔子(くちなし)


 八家第八位、不破(ふわ)家の当主である不破(ふわ)範頼だ。厳しそうな強面だが、その口調は隠せぬほどに優しいそれ。

 嘗ての師である不破(ふわ)直利を記憶に、口調だけ瓜二つだなと場違いな感想を浮かべた。


「似てないだろう? 私は父親譲りだが、(直利)は母親似でね。

 武家華族と見られない反発から、陰陽師として身を立たせようと國天洲(こくてんしゅう)に渡ったんだ」


 ……お見通しだったらしい。


 誤魔化し半分、椀に盛られた五分突きの白米を口に含む。

 気恥ずかしさから、吸い物で雑に咽喉(のど)へと流し込んだ。


 昆布の香りが咽喉(のど)を伝い、さらりと消える。

 そこで漸く、晶は落ち着きを取り戻した。


廿楽(つづら)では、直利先生に随分とお世話になりました。

 ご教示頂いた多くの助言は、俺が生き抜く最初の術でしたし」

「……そう云って貰うと有難い。八家直系だが、直利は君が神無(かんな)御坐(みくら)と知らず。

 それでも最善を尽くしたと」

「はい。……雨月は兎も角、直利先生に思う処は有りません。

 どのような結果でも、先生に累が及ばないと約束いたします」


 それが本題だろうと、晶は範頼へと視線だけで問うた。


 不破(ふわ)の当主は果たして、苦笑を浮かべて肯いを一つ。

 正解を射た事に、晶も微笑を返した。


 廿楽の地(故郷)で、晶を理解し親身になってくれた相手は2人。

 その片方こそ、不破(ふわ)直利である。


 符術。特に叩き込まれた回生符の知識は、後に食い扶持を稼ぐための充分な手助けとなってくれた。


「それなら良かった。直利は現在、瘴気の対処を名目に壁樹洲(へきじゅしゅう)へと戻っていてね。

 君が死んだ報せに気落ちしていた。生きていると聞けば尚更、何かあれば伝言を預かるが」

「元気にしておられれば、俺としてはそれで。

 ……ああ。では、一つだけお願いできますか」


 用件が終わり腰を浮かせかけた範頼へと、晶は何気ない風を装う。

 頼む伝言は短く、だが、範頼は渋く頬を顰めた。


「承知はしたが、……良いのかい?

 それは、雨月を増長させかねないが」

「間違いなく。特に、雨月天山は飛びつくでしょう」


 範頼の危惧は尤もなもの。だが、晶にとって、それは必要なものでもあった。

 重い記憶しか残らない故郷は、華蓮(かれん)に落ち着いてから思い出す事も少なくなっていた。


 雨月が増長しようが、どうでも良い。末路が決まっている以上、どう転んでも向こうに選択権は無いからだ。


 その真意を計り兼ね、範頼は晶の瞳を覗き込む。――やがて根負けから嘆息1つ、不破(ふわ)の当主は席を立った。


「状況の収拾に、目途が立っているなら。七ツ緒(ななつお)への帰参日程が固まれば、電報を寄越してくれ」

「……感謝いたします」


 ややあって感謝を返した晶へと、範頼は首肯だけ踵を返しかける。

 僅かに一歩を迷い、これだけは聞いておくかと範頼は晶を見下ろした。


 散々、問われた事かもしれない。

 少なくとも同じ境遇であれば、範頼には到底耐え切れないと断言できた。


「晶くん」「はい」


 打てば還す響き。

 真っ直ぐな晶の眼光には、範頼が判るほどの濁りもなかった。


「雨月を、恨んでいるかね?」

「………………」


 不破(ふわ)範頼の問いへ返ったのは、困惑からの瞬き。

 暫く待ったが、晶から返事は無いまま。然して期待していなかった範頼は、難しい事を訊いたとだけ言い残して席を離れた。


 ♢


 酒宴が終わり、三々五々に華族たちが席を立つ。

 流れに応じるように、晶もその最後尾に紛れた。


 歓談に騒めく華族たちの背中を、何の気なしに眺める。

 酔い任せに昂揚しているのか、その足取りは来た頃よりも軽く見えた。


「――神嘗祭も無事に終了したね」

弓削(ゆげ)さま」


 どこか寂しい晶の足を引き留める、壮年の男性の声。

 振り返ると、苦笑を浮かべた弓削(ゆげ)孤城の佇む姿があった。


 穏やかな物腰に加え、自身の師である阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)の旧知。その為か晶にとって、八家の中で比較的付き合いが想像しやすい相手だ。


「否。君にとっては、これが始まりか」

「そうでしょうか。どうもこの先が、俺には見えて来ないので」

「明確に見えているものの方が少数だよ。

 ――だからこそ、人生は楽しいものさ」


 見えない方が人生は楽しい。視えず、息詰まる不安にしか駆られた事の無い晶にとって、それは良く判らない感覚であった。


「……新たな八家が君である事は、恐らく一両日中に噂として駆け巡るだろう。

 公表した以上、広がるのは早いはずだ」

「覚悟しています」

「なら良い。君が雨月の嫡男だと結び付けるに難しいだろうが、不可能じゃない事は覚えておきなさい」

「……はい」


 同意が遅れた辺り、想定していても実感していなかったのだろう。

 困った表情を浮かべて、帰る晶の歩幅に孤城は合わせた。


「それを除いても、特に君は立ち位置が特殊だ。

 何しろ、洲を跨いで拝領した華族など、前例すらないからね」

嗣穂(つぐほ)さまからも注意は受けました」


 そうだろうな。声に出すことなく、孤城も同意だけを肯った。

 晶の現状は、一見して非常に脆い。


 全くの無名から数ヶ月も経たないうちに成り上がった、新興の華族。

 気付けば防人から衛士に昇任し、奇鳳院(くほういん)家は勿論、輪堂(りんどう)家とも付き合いを始めている。


 挙句、新たな八家第一位として据えられたなど、展開の都合が良過ぎた。

 更に晶は現在、珠門洲(しゅもんしゅう)に属しているが、将来的には國天洲(こくてんしゅう)へと移る事が決定している。


 お陰で、晶を支えるはずの権力構造が一切育っていないのだ。

 ――このままでは、華族に乗っ取りを仕掛けられても、防御する事すら叶わない。

 本来ならば、先祖伝来の地盤を受け継ぐなりが有ってこその権力構造なのだが。


「君の後見は輪堂(りんどう)家と知っているが、同行(どうぎょう)家にも頼んでおきなさい。

 二家から陪臣を(たの)めば、それなりに融通してくれるはずだ」

「良いんでしょうか」

「余り宜しくはないよ。だけど、君の場合は足元が無さ過ぎる。

 ――目ざとい連中なら、もう行動に移しかけているだろうね」


 気を付けなさい。

 華族としての孤城からの厳しい指摘に、晶は眉間へ皺を寄せた。


 正直に晶は、八家となれば権力から距離を置けるかと思っていた。

 だが違うのだ。

 実力を得れば、新たな力が。自由のために政治を求めれば新たな(しがらみ)が。


 晶は確かに、神無(かんな)御坐(みくら)として自由を得たのかもしれない。

 だがその結果、権力に絡め取られている己を否応なく自覚した。



申し訳ございません。かなり読み難い回です。

整理する必要がありますね。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 神柱同士の決着は神嘗祭では着いたのだろうか
[良い点] 知りたかった事がいくつか解明した事 [気になる点] 知りたい事がまだいくつか不明な事 [一言] 神無の御坐はただ人の社会にとって厄介な存在だと以前感想返しで答えてましたがその厄介さを実感す…
[一言] 色々と動いてるんだけどやっぱり言いたいのはこれだけ 先生!!師匠!!命の保証をされて良かった!!よかったーーーー!!!!
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