5話 戯れに謀る、終わりも知らず4
――央都神域、山巓陵。神嘗祭、中日程。
山に囲まれた央都は、北部よりも冬の訪れが早い。
秋風に冬間近の厳しさを覚え、御厨至心は老いた体躯を僅かに震わせた。
僅かであっても骨身に沁みる寒風。大広間の随所で、参加者たちが肩を寄せ合う。
三宮御覧を控えた今になっても派閥争いか。
その醜悪さに我知らず、至心の口元が愉悦に歪んだ。
「……父上」
脇へ腰を落とした息子に、口元の気配が後も無く去る。
「聞き込んでみましたが、やはり雨月は姿を見せていません」
「向こうの派閥は?」
首を振る御厨弘忠の表情からも、期待はできないと察しは付いた。
他の八家は姿を見せている。雨月の派閥は義王院貴下でも際を抜けて大きいため、見過ごしなどは考えられない。
「義王院家の不興を買ったと、覚悟するべきかもしれんな」
「如何、致しますか」
「――儂は話題を久我家に絞る。ここ暫くは南部に居ずっぱりであったからな、話題としては丁度善い」
華族の評価は、基本的に減点方式である。
宿す精霊の位階に変動が無いために生まれた、当然とも云うべき歴史の流れであった。
「寧ろ、雨月を切りましょう。ここから先は、損を売られるばかりと愚考致します」
「距離を置くだけで構わん。
幸い、早苗を嫁がせた一件を除けば、御厨と雨月の関係は表立ったものでは無い。……偽装には容易いわ」
――切るだけなら何時でも。
至心は言外にそう断じ、乱れかけた膝を直しつつ表面上の平静を取り戻した。
認めるに癪であるが、雨月の誇る4千年の歴史は貴種の血統でも抜きん出ている。
無能と天秤に掛けて雨月を切り捨てる理由が、至心には思い至らなかった。
それは理解しているのか、弘忠もそれ以上の追及を呑み込んだ。
至心の座る広間の端から、最前列へと視線を巡らせる。
上座で談笑する石蕗佐門の後背へと、至心は奥歯を軋ませた。
内府、近衛で角を突き合わせれど、高天原を導かんとする旧家の立場は同じ。
至心もまた、近衛の職を逐われるまで旧家の結束だけは盤石であると信じていた。
そう何処かで石蕗家を理解してやっていた、愚かな自身は既にいない。
誠実な権利を以て石蕗一門を落日に追いやり、己の代で恥辱を雪ぐのだ。
――大願叶った暁には、石蕗の欠片とて旧家に在るを赦しはせん。
決意も新たに至心が眼差しを鋭くした時、衣擦れる音が上座に続く通廊から響いた。
潮騒の如く、歓談の波が引いてゆく。
己たちの上位が入る気配。誰と申し合わせるでもなく、後方から華族たちの頭が垂れた。
華族たちが頭を伏せる中、上座に三宮四院の並ぶ気配。
誰もが固唾を呑み、宮家の放つ一声を待った。
――やがて、短くも張り詰めた沈黙の後、月宮周が口を開く。
「百鬼夜行に一時は開催も危ぶまれましたが、無事に神嘗祭の中日程も迎えられました。
民たちの安堵に対する尽力、労うためにも先ずは言祝ぎを贈ります」
「月宮さまの御尊言を賜り、高天原の華族も報いられた思いでしょう。
内府石蕗佐門が、華族を代表して感謝申し上げます」
形だけ叩頭拝手のまま、石蕗佐門が傲然と応じた。
己こそが華族の代表であろうと、言外に主張する。
「結構。では、今後に支障が生まれる部分を片付けるとしましょう。
――大綱に先立ち、功罪論考を始めます」
「お待ちください。
功罪論考は、年度の大綱を披露された後が慣例であったはず。
故も無く典礼を乱すは、如何なものかと」
「大綱に掛かってくるから、先に回しただけの事です。
――内府石蕗、何か問題でも?」
「は。……申し訳ございません」
問答無用で反論が捩じ伏せられ、叩頭のまま佐門の語尾が不満から濁った。
順序を変えるだけ。普段なら確かに、何も問題はない。
月宮周が大綱に掛かると断言した以上、功罪は非常に厳しいものになる可能性があった。
例年であれば、三宮四院は強権を揮うを良しとしない。
ここ数年に至っては、仕来り通りを過ごすだけ。内政に、興味すら示さない傾向まであったほどだ。
故に、今年こそ野望を動かさんと、佐門も蠢動を始めていた。
三宮四院から内政の実権を与る。石蕗家門が本来の権利を全て掌握するべく、今年はその最大の転機となるはずであったのだ。
……神嘗祭の直前に起きた、百鬼夜行での失態。
普段の三宮なら問題視もしなかった程度だが、土壇場での問題にどう評価が下されるか。
石蕗佐門には疚しいところも無いが、派閥の運営に影を落とす事は充分に考えられた。
「先ずは霊道を繋ぐ要山の防衛に際し、各洲の太守とは別に三宮からも感謝を述べます。
四洲各々、太守に財貨を預ける。評価に従い、分配を」
「「月宮さまの御厚意、確かに預かりまして御座います」」
一斉に四院が唱和し、各洲の華族が深く頭を下げる。
周囲の、特に央洲の華族たちが苦く見据える中、表面上だけ穏やかに功罪の評価は下されていった。
四洲の評価に不満が上げられる事も無く、続いて央洲の評価へと。
「守備隊の総隊長、二曲輪昭清――」
だが、月宮の招令に応じるは沈黙だけ。
初めての出来事に、周囲を見渡す華族たちからも騒めきが起きる。
「二曲輪はどうしました?」
「は。今朝方遅くの発覚でしたので、報告が未だ上がっていないのでしょう」
内心で間に合った事に安堵を吐きつつ、石蕗佐門が口を開いた。
「百鬼夜行に於ける防衛指揮の職務放棄にて、自室で己を処すと。
――遺言を預かっております」
畳の上で滑る、血の染みが滲む書簡。
窺える凄絶さに、周囲の注目が集まった。
守備隊と近衛に所属する旧家に、失態を冒していない者はいない。
特に、石蕗家と近しい派閥であるほど、その傾向は顕著であった。
守備隊総隊長であった二曲輪昭清は、自身の派閥でも端に位置している。切って惜しくない相手を幸いに、佐門は派閥の責を全て二曲輪昭清に押し付けたのだ。
「そうですか。……此方の報告と、若干の食い違いがあるようですね」
「はい。電話の断線に因る情報の遅れは、現状で如何ともし難いものかと」
佐門の返事にしかし、周は軽く首を振った。
「そこではありません」
「と、申されますと?」
「藤森宮より、二曲輪は央都防衛に務めていたと聞きましたが?」
「――はい。央都防衛線の構築と陣頭指揮。実力は不足していましたが、護国の覚悟まで疑うものはありません」
「真逆。あれの失態は明白でした。だからこそ、」
「三宮が直に見聞きした結論を疑うか、石蕗」
「四方やそのような。
――どうにも、此方の報告が遅れている様子にて」
藤森宮薫子から鋭く眼差しを向けられ、佐門は慌てて首を垂れた。
現状で失態を重ねる訳にもいかない。取り繕う頭が動揺に震え、言葉を探して喪った。
情報が決定的に食い違っている。恐らくは、近衛か周辺の誰かが、己の失態を誤魔化さんと罪の擦り付け合いをしたのだろう。
そうは推測できても、賽を投げてしまった後では既に遅かった。
このまま進むしかないと、佐門も腹を括る。
「藤森宮様が央都市井で指揮を執られたと。
実は、近衛が向かいましたが、素気無く追い払われたようで。指示を出せなかったと、苦情も上がっています」
「ふむ。事実ですか、藤森宮」
「……はい。近衛を名乗るものが押取り刀で寄ってきたので、指揮の邪魔と追い払いましたね。事実、必要にもなりそうになかったので」
「近衛と証明されたのですか?」
「さて? その前に叩き出しましたし、どうでも良い事です」
素気無い薫子の返事に、佐門は得たりと膝を叩いた。
ぱしり。力も及ばず、響くのは鈍く気の抜けた音ばかり。
「左様で。全く、軍権を与る藤森宮様が、百鬼夜行の最中に央都最大の戦力を払うとは何たる失態か」
冷めた三宮の視線にすら気が及ばず、大権を目前にして佐門は顔面を赤らめた。
興奮よりも、欲望から声が張り上がる。
「さても、以前から報告は上がっていましたが。
宮家の神事も優先でありましょうや、些か政治が疎かに過ぎるのでは」
「確かに。これまで執政から距離を置いていたのは、指摘通り事実であるな。
――であれば、石蕗よ。其方に預けていた権限を、全て返上する意思があると?」
「否。宮家が優先すべきは神事のみ。これまで通り旧家は、宮家が心安んじるべくあり続ける所存にて御座います」
「ほう」
央洲華族の中でも、山巓陵に詰める華族を旧家と呼ぶ。
封領華族よりも特異な、央都安堵の為に在る華族の総称。
三宮の膝元に仕えるだけを矜持とした旧家たちは、何時しか三宮の持つ権限を自身のものと錯覚するようになっていた。
だが、どれだけ足掻いても現実が変わる訳ではない。
三宮四院八家の優先が変わる事なく、旧家は所詮、その余禄でしかないのだ。
――後少し、後少しだ。三宮が興味を持とうとも関係がない。この一つに肯ってくれさえすれば、旧家の野望が儂の手で果たされる
欲望か焦りか。達成の寸前で起きた失態に、石蕗佐門は粗く呼吸を吐いた。
「此度。百鬼夜行の失態は、守備隊総隊長の二曲輪昭清が重きを置くところ。自裁にて決着を見た今、残る責務は指揮を揮ったものに戻るべきでしょう。
――云い難くは御座いますが、責は近衛を払った藤森宮様こそ問われるべきかと」
「……真実なれば、一理は認めましょう」
「誓って」
月宮周の応じる呟きに、前のめりで佐門は即答を返した。
畳に突いた掌を勢いよく、精一杯の誠実さを以て周を見据える。
「責任は起こしたものが取るべきが世の常なれば、藤森宮様の責任も同じくあるべき!
上意を責めるは心痛みますが、これも忠心より。
――この佐門、敢えて、敢えて、提言をさせていただきます。
藤森宮様が有する軍権を、一時なりとも旧家にお預け頂きたい。宮家の皆さま方が神事を護られるべく、我らも誠意を以てお仕えする所存にて御座います」
一時と口にしたが、佐門に守る心算は毛頭なかった。
軍権すら、佐門にしたらただの足掛かりに過ぎない。
神嘗祭に於ける大綱には、軍権にも領分は及ぶ。
――つまり軍権を与るという意味は、大綱に限定的な参加が赦されるという事でもあるのだ。
年次の大綱を全て掌握する事が、旧家の大願。
ここを落とせば、間違いなく次は無い。
自身の派閥を護るべく、己が手で傘の端を斬り裂いたのだ。
派閥の残りを護り、大願をも達成する。足を引っ張った者たちへ怒気も露わに、二曲輪の遺書を握り締めた。
――半紙に皺が寄り、紅い飛沫の跡が歪む。
「月宮さま。是非とも、御賢断を賜りたく存じます」
沈黙が広間を支配した。石蕗佐門の気迫に気圧されたか、謦までも呑み込む静寂。
――ややあって、周が薄く嗤って口を開いた。
「責任は起こしたものが取るべき。二言は無いですね、佐門」
「是に御座います!」
意図を含んだ笑みのまま、周の視線が藤森宮薫子へと向かう。
2人、同じものを含んだ笑みで、首肯を交わした。
「だ、そうですよ。薫子」
「そうですね。
――佐門。報告は詳細に調べるべきです。同じ派閥であろうが真実を報告しているとは限らないでしょうに」
「は?」
一世を賭けた言葉を返され、佐門は呆けた声を上げた。
勢いだけついた感情が空回り、老いた身体から力が抜ける。
「本当に知らない様子ですね。
近衛が押取り刀で到着したのは、百鬼夜行が過ぎた後です。
戦時であれば兎も角、五色の軍総て、瓦礫しか残っていない大路で近衛と謳っても失笑しか無いでしょう」
「なっ」
佐門は驚愕したが、誰からも驚く声は上がらなかった。
二曲輪昭清の時と同じ状況が繰り返されただけ、当然と云えば当然か。
「さて。責任の所在は問われるべき、でしたね。
――少なくとも、央都の防衛線を放棄した近衛は処分する必要がありますか」
「な、お、お待ちくださいっ! そのような暴挙、近衛の維持が不可能になります」
「戦力としても期待できない衛士に、護国を問う資格があるとでも?
――少なくとも、黄軍の解体は避けられませんね」
一つ一つが致命となる決定に、石蕗佐門は必死の形相で生き残りを模索した。
軍権を掌握できると思った瞬間、梯子を下ろされ窮地に陥る。
そして、気付く。
これまでの弁論が近衛、それも旧家の衛士を排除する目的で志向されている。
間違いない。旧家の権限が石蕗に集中しきった頃を狙った、致命の一撃だ。
「このような愚断。旧家を蔑ろにすれば、国体永代は続きませんぞ」
「旧家? 石蕗家を始め、其方たちはよくその世迷い言を呟く。
何時、私たちが認めたと云うのですか」
「何を!」
「国庫を蚕食する輩を重用する理由は無いでしょうに、思い上がりも甚だしい」
「………………」
断じる周の言葉に、佐門は口を閉ざすしかなかった。
抗弁するだけ、分が悪いのは佐門の方だけと悟ったからだ。
月宮周の断言に、石蕗家門の旧家たちも漸くに騒ぎ始めた。
だが、周囲から睨まれ、急速に声も沈下したが。
こうなってしまえば、近衛など如何でも良い。旧家の体制を生きながらえる為にも、石蕗佐門が生き残る可能性を模索するしかない。
幸いにして、近衛の愚行に佐門は一切の関与をしていなかった。
問えない罪を、三宮と神柱が問うことは無い。
それは石蕗佐門だけが生き残るための、最後の命綱。
「では最後に、――石蕗佐門の功罪を問いましょう」
「な! どのような暴論で問われますか!!
儂自身は、近衛の行動に一切の関与はしておりません。誓っても宜しいぞ」
しかしその沈黙も、藤森宮薫子の声に儚く消し飛んだ。
狼狽から、肥った老躯が立ち上がる。
それでも、三宮四院から向けられる視線に揺れるものは滲まなかったが。
「誓いは不要。確信をしていますので
――ただ、其方は先刻に宣言したはず」
「至って誠実な、御身を思っての提言! 主家さま方と云えど、ここまでの暴挙が赦されるはずも無かろう」
「能く回る舌も、止まれば吐く息を忘れると見えますね。
――責任は起こしたものが取るべきと、断言したでしょうに」
だからこそ、守備隊も近衛の権限も放棄した。
激昂で紅潮する形相が、熱を帯びる。
大鬼とも見紛うその憎悪を平然と受け止め、藤森宮薫子は指摘を返した。
「任命責任があるでしょう。
――近衛も守備隊も。果ては人事の至る所にまで、其方の影響は容易く辿れた」
一つ程度なら見逃しもしよう。
だが、失態の続くものを据えた元は、石蕗佐門へと辿れるものが多すぎた。
派閥を大きくするために、衛士ですらないものを守備隊や近衛に据え過ぎたのだ。
野望まで後一歩の焦りから、足を掬われた格好である。
言論さえも封じられ、石蕗佐門は力なくへたり込んだ。
再起は疎か華族としても先を断たれ、
――結局、残っていたのは、無力なままの老人だけであった
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