4話 水鏡の表離を、ただ別け断つように2
如何に水面へ一撃を穿とうとも、小波が大海を揺らすことは叶わない。
水行の特性も同様に、重厚く、不動を誇っている。
だからこそ水行は、精霊技の行使に精霊力の加速を挟む必要があるのだ。
その大前提を覆し、ほぼ刹那に精霊力の加速を終える雨月の異伝。
――佳月煌々。
同行と同じく異能を下地にしているのか、純粋な技術なのか。
雨月直系のみ行使を赦されるその精霊技は、その術理さえも不明のまま歴史上で名前だけを知られていた。
轟音と共に、水気が晶の視界を浚う。
瑠璃の精霊光を嫌い、晶は無意識に後退を選択した。
「 、の、野郎!」
「――逃さんっ」
水気が分け断たれ、その向こうから颯馬が鋭く踏み込む。
気付いたそこは、両者にとって一足一刀の間合い。
義王院流精霊技、初伝――。
「連ね朏!」
「ぐ、 、らぁっ」
颯馬から放たれる、水気の三連撃。懐に踏み込まれた恐怖を罵声ごと呑み込み、晶は精霊力を加速させた。
――怖気る脚を気合いで踏み止め、木刀を翻す。
足りない加速のまま木刀へと黒の輝きを束ね、怯懦を吐き捨てて一歩。
身体へと掛かる重圧を、晶は身体能力だけで強引に振り切った。
精霊力も不十分のまま、瑠璃と黒が鎬を削る。
――圧し負けっ!?
一撃、二撃。三撃目に耐え切れず、硬質の儚さを散らす黒の輝き。
莫大な水気が、両者の視界を舐めた。
「まだまだぁっ」
衛士の仕合は畢竟、如何に速く精霊技を叩き込むかで勝敗が決まると断言しても良い。
火行並みにまで水行を行使可能とする佳月煌々を相手に、晶が勝利する可能性は先手を有利に支配することが絶対条件であった。
吐く息を気合いに変えて、晶は一歩。
懐から引き抜いた土撃符を励起させようと――。
黒く散りゆく水気を貫き、2枚の呪符が晶の視界に落ちた。
赤い霊糸の千切れたそれらが、瑠璃の精霊光に呑まれる。
――木撃符。
「!!」
本能が鳴らす警告に従い、晶は丹田の精霊力を加速させた。
義王院流精霊技、初伝、――現神降ろし。
水平に振り薙いだ木刀の軌道が、青白く燃えたつ呪符を捉え。
――重なる衝撃が雷光を伴い、晶を呑み込んで後方へと駆け抜けた。
♢
「でかした、颯馬!!」
茫漠と土煙が視界を奪う中、天山は両の拳を握り締めて喝采した。
晶の、否、神無の御坐の価値。雨月家の犯した失態は最早、天山をして認めざるを得ない。
このままを赦してしまえば、雨月の生き残りも危ういのは自明だ。
眼前で繰り広げられる颯馬たちの仕合こそ、己たちの未来が決まる最後の命綱。
颯馬が勝利する事で、晶の無能とその再教育を勝ち取るための大前提である。
――問題ない。佳月煌々は術理の模倣すら不可能な精霊技よ。
雨月の当主のみが与る、雨月の最秘奥。
習得難度も高く、視た精霊技の模倣を得意とする程度では理解にすら及ばない。
それを颯馬は、中等部へと上がる年齢11で修得したのだ。
『北辺の至宝』。そう誇らしく謳われるのも、当然の才覚である。
圧し寄せる不安を誤魔化すように、天山は必死にそう己を宥めた。
仕合へと戻りそうになる視線を、脇へと向ける。
その視界に映る、退屈そうな高御座を筆頭にした三宮四院の姿。
意を決し、座した膝の先を向き直す。
「高御座さまにお尋ねしたき、儀が是在り」
「仕合の最中よ。不躾であるぞ」
「――構わぬよ。聴こう、雨月」
発した言葉に、脇から藤森宮薫子が釘を刺してきた。
だが高御座の媛君から直々に許可を返された事で、安堵を一つ。天山は一層に平伏を深め、声を張り上げる。
「雨月に問われるだろう罪を、明確にしておきたく」
「問われているであろう。晶の追放こそ、其方たちの罪じゃ」
天山の問いに、今度は玄麗の断言が返った。
裁定とは、云わば論争だ。反論する土台が無ければ一方的だが、熟考すれば必ず切り口も用意されている。
「さても。では、華族が無能を処分するのは、罪に御座いましょうか」
「――否。混じれゆく血の淘汰は、華族に止まらず生命の義務と云って良い」
「然り。では、晶を追放する事は、我らの罪ではないと云っても良い」
いっそ傲然とした天山の言葉が届き、周囲から抑えきれず騒めきが上がった。
不満そうな表情が大方だが、朱華を中心として面白げなのもちらほらと窺える。
晶を無能と同一視したことは、完全に主観を基準とした判断である。
その有能さも結局のところ、追放した後の結果から判断したに過ぎないのだ。
つまり追放時点での能力など、誰も知る由が無い。
高御座の興味も惹いたのか、その視線が気怠けに天山を射抜いた。
「その通り。其方の罪を明確に問えば、八家の始まりである、神代契約の条項を冒した事のみだ」
「ははさま! それは、吾への侮りも過ぎるというもの。
晶を、吾の手より零した罪を問わぬとは――」
「くろよ、忘れたか。神無の御坐を縛るは己のみ。
畢竟、晶を取り零した罪は、斉しく其方たちも問われねばならん」
縛られぬからこそ、神無の御坐は輝くのだ。
神無の御坐を零した罪を問えば、雨月の陥落は確実にできても、同時に玄麗や義王院も問わなければならなくなってしまう。
「では、晶を害した罪は!?」
「あれが生きている現時点、我らが害したとは云えませぬ!
神代契約の喪失はさて置き、冒したとも云えぬが事実であろうかと」
瞋恚に燃える玄麗に、それでも負けじと天山は声を張り上げた。
呑まれる気配に、高御座の応えが響く。
「――確かにな。雨月の罪が神代契約を冒した事なれば、逆を問えば晶が無事なれば問えぬというのも道理である」
「では!!」
勝機を掴んだ。喜色を滲ませた天山の訴えに、冷たい高御座の応えが返った。
「勘違いをするな。だからこそ私は、裁可のすべてを晶へ委ねたのだ。
――嘗て、周々木を打倒した久我の祖と同様に、御坐が下す結論を神柱は絶対に支持する。晶と対した姿勢こそ、この後に其方が問われる罪の本質よ」
「――――は、ははっ」
興味は終わったか、高御座の眼差しが再び仕合へと向く。
崩せなかった。それでも、三宮四院から雨月に対する罪が問われなくなっただけ、大きく前進と云えるだろう。
大きく安堵を吐き、天山も仕合へと視線を戻した。
未だ仕合も半ばだが、颯馬に挑むという事は、雨月4千年に挑むという事。
佳月煌々という絶対の自信を盾に、天山はその眼光を強めた。
♢
立ち昇る土煙を、転がるように晶は抜け出した。
「か、は」
木撃符の生む雷光と衝撃に、両側から挟まれたのだ。
揺れる視界の中、晶は回生符を引き抜く。
励起。回生符の青白い炎に慰撫され、溶け去る不快感に晶は大きく息を吐いた。
木刀を掴む腕に、揺れる感触はもう無い。
「――未だ倒れないのか。凡百の割に、頑丈さだけは認めてやるよ」
「云ってろ!」
砂塵を踏み越え、颯馬の木刀が晶へと落ちた。
合わせるように晶の斬撃が追い付き、そのまま数合の太刀を重ねる。
「佳月煌々は貴様お得意の真似事も及べないと、理解程度は出来ただろう。
そろそろ、敗北を認めたらどうだ?」
「いやぁ? 結構、理解できたぞ。――例えば、」
勝ち誇る颯馬の声に、木刀を強引に弾いて距離を取った。
「これは異能を基礎とした精霊技じゃない。とかな」
何気ない晶の断言に図星を突かれ、颯馬の表情が強張る。
予想が確信と代わり、晶は会心の笑みを浮かべた
颯馬は勿論の事、歴史上でこれまで佳月煌々が行使された事例は僅かである。
単純に出し惜しみとも考えたが、異能を軸にした模倣不可能な精霊技を出し惜しむ理由には足りない。
つまりこれは、佳月煌々に模倣される恐れがあると、雨月直系が考えている証左だ。
――考えろ。攻勢を崩すな。
双眸を眇め、颯馬の挙措を漏らさず睨む。
術理の一端。発想の糸口さえ掴めば、晶に模倣できない精霊技は無いのだから。
攻め足で踏み込む。彼我の間合いは、未だ攻撃圏の外側。
地面に罅が生まれ、連れるように黒の精霊光が踊った。
攻め足と同時に、加速させた精霊力を解放。
義王院流精霊技、初伝、――偃月。
斬。僅かに開いた距離を、水気の飛斬が刹那に渡る。
「この程度」「――で、終わるかよ!」
迫る飛斬を、颯馬の月華が辛うじて相殺。
返す刃筋で気炎を吐いた少年の視界で、精霊光の帯が回避する可能性を奪った。
義王院流精霊技、中伝、――月辿り。
颯馬の逃げ足を奪い、晶はその背後へと回り込んだ。
玉砂利を蹴り払いながら、旋風のように木刀が刃鳴る。
「これで! !?」
完全に虚を付けたと確信するも、返る硬質の手応えが晶の失敗を伝えてきた。
義王院流精霊技、中伝、――居待月。
「どうせ手数に任せて、佳月煌々の弱点を探ろうって魂胆だろうが。
――貴様如きが思いつく策、これまで誰かが思いつかなかったとでも?」
「ち」
奇鳳院流もそうだが、畢竟、武術とは効率よく相手に威力を伝える技術である。
これは門閥流派、諸般武芸であっても、発想点は変わらない。
効率を突き詰めてこそ、精霊技へと昇華できる。
――問題は何を効率化する事で、精霊力の加速を可能にしているのか。
連続行使に問題はなく、距離を誤魔化している様子もない。
何より、行使の寸前まで精霊力が静穏を保っているのだ。
ここまで読み難い精霊技は、晶にとっても初めての経験。
颯馬が佳月煌々を行使して以降、晶が颯馬の精霊技に先んじたことは無かった。
――否。颯馬の精霊技に、追いついた事があったぞ。
天啓のように、その事実が晶の胃腑に落ちた。
そう。晶を挟み込む木撃符を回避するため、無意識に行使した現神降ろし。
夏に阿僧祇厳次が伝えた知識を、今度こそ晶は思い出した。
ぐるりと、晶の脳裏で記憶が一巡り。
術理の文言に焦点が合い、晶は思わず瞠目した。
「真逆、」「――呆けている余裕があるとでも?」
立ち尽くす晶の隙を突き、颯馬が大きく踏み込む。
佳月煌々で瞬時に勢いを得た精霊力が、瑠璃の軌跡を上から下へ。
義王院流精霊技、中伝――。
「寒月落とし!」「こ、のおぉぉっ」
雪崩れ落ちる精霊力の滝に、辛うじて現神降ろしが間に合った。
激突、轟音。ぶつかり合う衝撃波に浚われ、颯馬と晶、互いの精霊光が軋みを上げる。
拮抗は僅かの間、
――やがて黒の精霊光が、一方的に圧し潰されていった。
弾かれるように、両者が距離を取る。
「これで!」
「やっぱり。これに関しては、水気の影響が無いのか。つまりこれが、内功と外功の違い」
勝利を目前に勢い込む颯馬に対し、圧された筈の晶は静かに考え込むだけ。
伝わらない手応えに、至宝と謳われた少年が攻め込もうと――。
それよりも早く腰を落とした晶の構えに、颯馬は思わず回避を選択した。
義王院流精霊技、初伝――。
「偃げ、 、 、」
――撞、ォン。
その宣言は果たされる事なく、暴発した精霊力に晶自身が吹き飛ばされた。
今時、習いたてでもやりそうにない精霊技の暴発に、颯馬は違う意味で瞠目した。
それは、佳月煌々を修得する際に、颯馬も散々と味わった失敗の一つ。
精霊技の暴発は、少なくとも顕現に足る加速は得たという事実も意味する。
つまり晶が佳月煌々を理解したという、事実の指摘。
「お前、真逆……」
「ああ、やっぱり。加速させた精霊力の直接転化は、扱う感触も別物なのか。
随分と繊細な技術だな」
呆然とする颯馬を余所に、立ち上がる晶の姿。
巧く精霊力を流せたのか、そこに傷らしい傷も窺えない。
黒の精霊力が晶を慕うように、その中心で緩やかな渦を巻いた。
――駄目だ。こいつは駄目だ。
颯馬は、唐突な怒りに震えた。――己が雨月の誇りと、最後に護ってきたその象徴さえも、たった数合を打ち合っただけで理解されてしまった。
間違いない。こいつは穢レ擬きなどではない。
雨月にとってだけ、もっと醜悪な何か。
勝利の可能性が残っているのは、佳月煌々を完全に修得していない今だけだ。
その事実だけを賭けに乗せて、颯馬は深く腰を落とした。
義王院流精霊技、初伝――。
「偃月!」
鋭い呼気と共に、斬撃が虚空を渡る。
迫る斬撃が晶に迎撃されるよりも早く、颯馬は次撃に移った。
義王院流精霊技、連技――。
「玄襲」
過剰に精霊光が吹き荒れ、その向こうへと晶が呑まれる。
刹那に凍てつく光景に飽き足らず、颯馬は極限まで精霊力を高めた。
如何に晶であろうとも、凍氷に正面から呑まれたら足止め程度は出来るだろう。
だからこそ、足止めできるうちに勝負を決める。
義王院流精霊技、止め技――。
「朔渡――」「遅い」
精霊力に凝る颯馬の上段に、凍氷を踏み越えた晶が太刀筋を合わせた。
「追いついたぞ、雨月4千年」
「――くそっ」
撃音。
瞬時に晶の精霊光が加速。颯馬の精霊技を不発のまま、木刀ごと弾き飛ばした。
佳月煌々は内功の応用である。精霊力を丹田で加速させ、そのまま外功として転化させる精霊技。
加速した精霊力は暴れ馬に近い。特殊な訓練を積まなければ、直ぐに暴発してしまう。
――佳月煌々を理解された。
颯馬の脚に後退の気配が生まれる。だが既に遅く、そこはもう晶の攻撃圏内だ。
義王院流精霊技、中伝、――弓張月。
辛うじて合わせたその斬撃に、颯馬は精霊光を散らして抵抗。
晶と攻守を入れ替えて、斬撃を交わし合う。
「何だよ。――何だよ、お前。僕の前にずっとちらついて、今更!」
「何、云ってんだ。3年前、お前たちが俺を追放して、こうなったんだろうが。
その結果ってだけだろ、これは」
「違う。お前はずっと、影から僕を嘲笑っていただろうが!」
互いの斬撃が弾かれ、仕切り直しとばかりに晶たちは距離を取った。
支離滅裂な颯馬の言葉に、晶は探りを入れようと視線を窺う。
混乱もない少年と晶の視線が交差。――その鈍い輝きに、晶は胃腑に納得を覚えた。
「嗚呼。もしかしてお前、この状況がもうどうしようもないと理解しているのか」
「!」
図星を指され、颯馬の動きが止まる。
哭きながら笑うように首を振り、渾身で精霊力を練り上げた。
義王院流精霊技、中伝、――月明星稀。
「勝負だ」
「――ああ」
交わす言葉も僅かなまま、晶と2人、切っ先を向かい合わせる。
現神降ろしに任せ、両者は精霊光と共にぶつかった。
――思い出した。
嘗て告げられた、祖母の忠告。
――貴方は優秀です。それこそ、九割九分の最適解が導けるほどに。
――だからこそ、貴方は間違え慣れていない。他人よりも正確な自身の答えに慣れているからこそ、間違った自身の答えを認める事が難しいでしょう。
それは往々に、為政者として致命的な欠陥と成り得る。
間違った答えのまま集団を運営する事は、やがて破滅を迎えるからだ。
修正の呑み込める些末事なら問題ない。問題は、基本的な何かを間違えていた時。
優秀であるが故にその過ちに気付けず、颯馬と雨月は諸共に破滅するしか無くなってしまうのだ。
――斬撃が交差する。
多くのものが見守る中、最後に立っていたのは晶の方であった。
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