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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
四章 帰月懐呼篇
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3話 明暗を指す、大斎の烏鷺1

 踏み込みは深く、沈むほどの姿勢から鋭く斬閃が迸る。

 散り舞う精霊光を上下に分け断ち、遠慮のない一撃が晶へと伸びた。


「「疾ィッ」」


 吐き出す呼気が重なり、晶の木刀が寸前で追いつく。

 激突。(たわ)む樫の木肌を、焦げつかさん勢いでそのみ(・・・)の木刀が滑り抜けた。


 紫電と共に、精霊力が爆ぜる。

 体を引き戻す刹那を逃さずに、晶はそのみ(・・・)の懐深くへ踏み込んだ。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――弓張月(ゆみはりづき)


 死角から喉元へ。最小の所作からの伸びやかな斬撃は、相対するものからすれば不可視の斬撃と錯覚する斬撃。


 晶の踏み込みに合わせ、そのみ(・・・)は木刀を引き戻す。

 迫る晶の剣勢と踊らんばかりに、そのみ(・・・)の木刀が絡め取った。


 解けて踊る互いの精霊力が、ほぼ同時に両者へ収束。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――居待月(いまちづき)


 ――()ォン!

 薄く朝日に染まる道場の静けさが、仕合う2人の熱気に揺れる。

 呼吸(いき)が触れ合う距離で互いの視線が絡み、無言の同意を交わして弾かれるように距離を取った。


「――それまで」


 緊張が限界を迎える中、厳次(げんじ)の声が両者の間合いに落ちる。

 視線を矛先代わりに軽く一当て。それを最後に、晶とそのみ(・・・)は納刀からの一礼で試合を終えた。




 ――強い。それも理不尽なまでに。

 感情を()い交ぜにした微笑みが、そのみ(・・・)の口元を彩った。


 中伝の居待月(いまちづき)は、水気の爆圧を纏う精霊技(せいれいぎ)だ。

 絶大な防御を誇る反面で持続性に乏しく、実戦には相当の練達が求められる。


 義王院流(ぎおういんりゅう)の奧伝へ臨む登竜門とされる精霊技(せいれいぎ)。それを見ただけで模倣し、数度の行使で難なく修得まで至ったのだ。


 神無(かんな)御坐(みくら)は理論上、如何なる精霊技(せいれいぎ)の模倣も可能だと聞いてはいた。

 だが所詮、模倣は小手先の能力でしかなく、心身に修める技量とは別のものである。


 術理への理解が異常なまでに高い。

 神無の御坐(天与の才)でさえ及ばない、それは晶個人の持つ才覚の証左であった。


 道場を渡る秋寒が、剣を交わしていた2人の頬を伝う汗を優しく撫でる。


 肌寒さが勝る中、粗く呼吸(いき)を吐く晶を見遣った。

 ――付かず離れない少女が、晶を気遣う光景。知らずそのみ(・・・)は、胸中を巡る感情を吐き出した。


「晶くん。手応えはどう?」

「いえ。恥ずかしながら、実感がなく。

 弱くなっているとも、思うばかりです」


 口惜し気なその言葉に、誤魔化す響きは混じっていない。

 晶は本気でそう思っているのだ。そのみ(・・・)は悔しさすら忘れ、2人の方へと歩み寄った。


「強くなっていますよ。

 ――ご心配なさらずとも、確実に」


 掛ける口調は、できる限り感情を隠した平坦なそれ。

 自制する少女と、素直な少年の視線が交差する


「前に進めていると、自覚はあります。

 ですが御存じの通り、時間がもう無いので」

「現状、中伝まではほぼ(・・)網羅されています。姫さま()の期待する水準には、充分過ぎるほど応えておられるかと。

 晶さまの焦りは、明日に神嘗祭を控えてのものでしょう」

「そうでしょうか」


 そのみ(・・・)が慰めるも、沈む晶の視線はその内心を如実に語っていた。


 水行の精霊技(せいれいぎ)を修めた手応えは、晶の心奧で確かに息衝いている。

 だが、晶が精霊技(せいれいぎ)を重ねたとしても、そのみ(・・・)は滑らかに精霊技(わざ)を返してきたのだ。


 語り合うようなそのみ(・・・)との仕合で覚えた壁は、阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)との対峙に近い果てしないもの。

 結局、晶はここに至るまで、そのみ(・・・)の上限を読み切れなかった。


 晶の焦りは、義王院流(ぎおういんりゅう)を修めた実感を得られなかったが故のもの。

 それは晶の早過ぎる成長が故の、当の本人にさえ理解できない弊害だ。


 だがその事実に対しての自覚は、不要な変節を齎す可能性を孕む。

 故にそのみ(・・・)は、晶の現状に対して明確に断じる事を避けた。


「守りに堅き。義王院流(ぎおういんりゅう)が、そう称される事は御存じでしょう。

 実状をお伝えすれば、水行にとって精霊技(せいれいぎ)はほんの余技に過ぎません」

「――門閥流派を余技とは、随分と貶されますな」


 晶との会話に、厳次(げんじ)が横槍を挟む。

 何よりも先に衛士と立つ彼からすれば、5つある門閥流派はどれも難敵だ。

 そのみ(・・・)の真意がどうあれ、軽視するような言動は捨て置けるものではない。


「別に貶した訳ではありません。

 水行の防人であれば、同じ応えを返されるかと」

「……ふむ」


 しかし、険を覗かせる厳次(げんじ)の声に、そのみ(・・・)は頭を振って返した。

 迷いのないそのみ(・・・)の声音は、真実を信じさせるもの。

 厳次(げんじ)は言を控えて、一考の余地を覗かせた。


 門閥流派は互いに仲が悪い。それは同じ(くに)に所属していても変わりはなく、寧ろ、肩を並べるほどに傾向は顕著となる。


 更に言及すれば、珠門洲(火行の支配地)()いて水行は日陰の立場だ。

 経験豊富な厳次(げんじ)であっても、水行の精霊技(せいれいぎ)に関しては知らない事が多い。

 そんな晶たちを前に、そのみ(・・・)は呪符を引き抜いて見せる。


「以前にお伝えした通り、水気は精霊力の中で最大の重質を誇ります。不変にして不動。常に在らんとする特性は、精霊技(せいれいぎ)と非常に相性が悪い」

 精霊力を封じる霊糸が、その(たなごころ)で軽く揺れた。

「反面、水気は陰陽術、取分け呪符との相性が抜群に良い。

 國天洲(こくてんしゅう)が陰陽師を多く抱える理由がこれです」

「……それは知っていますが、疑問が一つ残ります」


 そのみ(・・・)の説明を聞いて尚、晶の記憶に疑問がこびりついていた。

 焦げつくように、思考の片隅から剥がれない矛盾。


「――雨月家は武家華族の中で最強を誇っていると、嘗て聞き及んだ事があります。

 ですがその説明では、最強を語るのも難しいはず」

「良い疑問です」


 晶の浮かべた疑問に、そのみ(・・・)は首肯を返した。

 門閥流派とは極論、精霊遣いが重ねてきた試行錯誤と研鑽の集大成だ。


 その発祥から4千年。連綿と繋げてきた思想と技術に差は無く、畢竟、後に問われるのは相性と個人の技量だけである。


 その最たる例こそ、弓削(ゆげ)孤城と云えるだろう。

 高天原(たかまがはら)最強こそ誰もが認めるも、それは飽く迄も弓削(ゆげ)孤城個人に対する称号に過ぎないからだ。


 それと同じく、雨月家にも他家を圧倒する最大の優位性がある。


「雨月家の興りより数えて4千年。

 雨月家の歴史は、そのまま門閥流派の歴史と云っても良いほどに永い」

「歴史ですか」


 その響きに嫌なものが蘇ったのか、晶の眦が歪んだ。

 気持ちは理解できると首肯を返し、敢えて触れないままに言葉を続ける。


「歴史とは即ち、重ねた試行錯誤の差。

 雨月家の強みは、その歴史を以て証明がされるはずです」


 どうすれば成功して、何から失敗するのか。その知識は、門閥流派を支えてきた雨月家だけが独占をしていた。


 ――皮肉なものだ。

 応えながら、そのみ(・・・)は内心で呟いた。


 歴史こそが己の誇りと憚らなかった雨月家は、致命的な歴史を軽視したが故にその幕を自ら下すことになるとは。

 それこそ誰も、夢にすら思わなかっただろう。


 ♢


 ――央都上洛。暮れ六つの頃。


 夕刻に差す茜が終わりを迎える頃。御厨家(みくりやけ)の現当主である御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)は、覚束なくなり始めた足元を辿るように家路を急いでいた。

 暮明へと誘われるかのように、踏み鳴る砂利の音がその背中を追う。


 昔から付き合いのある商家との、日頃の商談を終えた帰りであった。


「――これは見栄を張らずに、提灯を頼んだ方が良かったかな」


 随伴のいない寂しさを紛らわすように、苦笑が弘忠(ひろただ)の口元を吐く。

 一陣の木枯(こが)らしが追い抜く肌寒さを、肩を竦めて遣り過ごした。


 商談の内容は充分に納得のいく結果で終わったためか、その足取りは苦笑の割に軽い。

 井實(いじつ)業兼との取引締結を目前に、弘忠(ひろただ)の目的は漸くの目途が立ち始めていた。


 水脈に沿って走る水気の龍脈は、相克である央都にあって非常に数が少ない。

 御厨家(みくりやけ)の狙いである人工風穴は、所領を持たない旧家にとって抗い難い魅力を持っていた。


 父、御厨(みくりや)至心の進める軍権奪還と併せれば、これまで日陰であった御厨家(みくりやけ)に回天の時が巡ってくる。

 それも後少し。明日の神嘗祭で義王院(ぎおういん)静美と雨月颯馬(そうま)の婚約が叶えば、後は詰将棋を進めるようなものだ。


 残る気掛かりはたった一つ。


「……あれ(雨月)処分(・・)をどうするか、だな」


 禁忌とまではいかないが、龍脈に孔を穿つ人工風穴は多くの問題を孕んでいる。

 下流域での霊気の枯渇程度なら可愛いものだ。

 意図しない瘴気溜まりの発生がある事も、過去の事例として弘忠(ひろただ)は知っていた。


 加えて雨月天山はあれで、密約にも誠実さを求める相手である。

 水利権の裏でそのような行為に手を出していたと知られたら、御厨家(みくりやけ)と雨月家の関係性が一転する事は想像に難くなかった。


 そうである以上、事が雨月の周知となるよりも先に、雨月家を切って保身に走る。

 御厨(みくりや)至心は同盟に絶対の信頼を預けていたが、弘忠(ひろただ)はその事すら危ぶんでいた。


 僥倖であったのが、雨月颯馬(そうま)の才覚か。

 文武に()いて学院の史上でも類を見ない成績を残している器。


 特に顕著であったのが、政治に対する手腕だ。

 その手管は強引だとも噂に聞くが、それでも魅力の方が克つことは否めない。


 颯馬(そうま)を傀儡に敷けたならば、雨月家の沈黙は安い目標となるはずであった。

 最悪でも都合のいい華族を傀儡とした颯馬(そうま)に宛がえば、旧家の下に八家があると周知させることも可能になる。


 ――問題は、学院へと面会依頼の書状を送っても、雨月颯馬(そうま)の面会に許可が下りなかった事か。


「全く。まあ期限が延びた分、余裕が生まれたが」


 神嘗祭に焦る必要はなくなった。学院の卒業までに面会を重ねて、弱みを掴めば問題は無いだろう。


 慣れた屋敷へと辿り着き、門に手を掛ける。


「――失礼。御厨(みくりや)様とお見受けします」

「誰かな」


 その背中へと、誰何(すいか)の声が投げられた。


 口調に殺気は滲んでいない。

 取り乱すことなく、弘忠(ひろただ)は相手へ向き直った。


 その視線の向こう。電柱の生む陰影から、一人の防人が進み出た。

 未だ学徒だろう若い少年が、険しい表情のままに拝礼する。


「誰かと訊いても良いかな? 正直、君と面識を持った記憶は無いが」

「無理もありません。自分がお目に掛かるのは、これが初となりますので。

 ――雨月家陪臣筆頭。酒匂甚兵衛が孫の、酒匂康晴(やすはる)と申します」

「ふん?」


 丁度、接触にやきもきしていた颯馬(そうま)の子飼いか。

 肩を竦め、弘忠(ひろただ)は改めて少年へと向き直った。


 ぢき。戻す腰から、納刀する精霊器が僅かに鍔鳴りを残す。


「その名からすると、颯馬(そうま)くんの直臣と見て良いかな?

 ――私の事を、彼から聞いたのかい」

「はい。颯馬(そうま)さまから、一ヶ月(ひとつき)ほど前に。

 央都に()ける雨月危急の折りには、必ず助力を願うようにと」

「成る程。判断としては間違っていない」


 雨月颯馬(そうま)との連絡がつかない今、御厨家(みくりやけ)としても状況を知るだろう相手は有り難い。

 だが他洲の、それも央都旧家である御厨家(みくりやけ)を頼るとは、颯馬(そうま)に余程の事が起きたと見て間違いはなかった。


「申し訳ありません。状況が混乱している上、孤立無援の身。

 御厨(みくりや)様に接触するのも、神嘗祭の前日になってしまいました」

「……苦労したようだね。良いだろう、何を望みたい?」

「雨月御当主様へ、内密の取次ぎは可能でしょうか」


 神嘗祭を控えた現在、雨月天山は間違いなく央都入りを果たしている。

 康晴(やすはる)の願いは、弘忠(ひろただ)をして充分に予想の範疇にあるものであった。

 ――だが、


「容易いと云ってやりたいが、内密となると難しい。

 ……と云うよりも、遅すぎた(・・・・)

「やはり、ですか」


 弘忠(ひろただ)の浮かべた表情は、その苦衷を示すように渋いもの。

 想定はしていたのか、康晴(やすはる)も申し訳なさそうに応えるだけであった。


 央都に()ける雨月天山の宿泊場所は掴んでいるが、警護の名目で張られている近衛の人数は相当に多い。

 御厨家(みくりやけ)が実権を握っていた頃ならいざ知らず、用意もしていない現状で内密の接触は不可能に近かった。


「断言はできないが、私が事情を聞くとしよう。

 状況を把握できれば、助力する余地があるかもしれない」

「……判りました。雨月本統と御家の危機かもしれません。

 是非とも、助力をお願いいたします」

「承知した。――ついて来たまえ、此処(ここ)で話せる情報では無いだろう」


 弘忠(ひろただ)の気遣いに、康晴(やすはる)の感謝が短く返る。

 それを背に門を開ける弘忠(ひろただ)の口元へ、薄く嘲笑が浮かんだ。


 天山との連絡が難しいのは事実である。

 だがそれは難しいのであって、不可能ではない。


 雨月家の処分で悩むところに、天啓の如く颯馬(そうま)へ返しきれない恩を貸し付ける機会が訪れたのだ。

 この一件の処理が巧く叶えば、御厨(みくりや)弘忠(ひろただ)の野望へと大きく前進する事は間違いない。


 その昂揚を胸に、弘忠(ひろただ)は自身の屋敷へとつながる門を大きく開けた。


 ♢


 明けを迎えた卯の刻(6時)

 白々と明ける央都を眺め、晶は大きく呼吸(いき)を吐いた。


「うん。似合っているよ、晶」


 背中から掛かる咲の声に、晶は首肯だけを返して向き直る。


 新しく与えられた衛士の羽織が、晶の所作に従った。

 柔い手触り。しかし、しなやかで強靭な布地が朝日の中で軽やかに踊る。


「漸く、神嘗祭だね。

 ……覚悟は良い?」

「はい」


 短く返る声に、隠せない緊張が強く滲む。

 だがそれ以上の言葉も無く、肯いを返して咲は道場を後にしようとした。


 それでも、背中に晶の呟きが届く。


「ありがとう、咲。

 ここまで付き合ってくれて」


 感慨深いその声に、少女の頬へ朱が散った。

 返す言葉は無い。


 ただ、少しだけ肩を寄せ合う。

 そのまま視線が交じり合い、晶の瞳に爛漫と微笑む少女の相貌が落ちた。



今年最後の更新となります。

新たな挑戦や、貴重な経験も数多い一年でした。


より励めるよう、来年もよろしくお願いします。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 正月休み等の連休の時は更新頻度を上げて貰えると嬉しいです
[一言] とにかく面白いです。次回が楽しみです。 頑張ってください。
[良い点] 出番の関係もあるけど、先が1番ヒロインしてますね。かわいい [一言] 最新話に追いつきました。 良い年越しをさせて頂きました。 続きとても楽しみにしています。
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