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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
四章 帰月懐呼篇
131/222

1話 縁を断つ、斉しく夜の降る下で2

 初手に踏み込んだ颯馬(そうま)が、神気逆巻く太刀を八相から斬り落とす。

 瑠璃の輝きが尾を刻み、――晶の肩口へと。


 迎え撃つ兄は自然としたまま、煌めく黒曜を宿した右手の甲を盾と翳した。

 激突。軋む空間が火花を散らし、瑠璃の輝きが晶の右腕で鬩ぎ合う。


「……莫迦な」

 生身に刃金が止められ、颯馬(そうま)の口から疑念が漏れた。

 現実と認めることも出来ず、瑠璃の神気を更に注ぎ込む。


 互いの神気が随所で炸裂し、彼我の間合いで衝撃に替わった。

 吹き荒れる爆圧に煽られたか、衛士と防人の羽織が大きく(ひるがえ)る。


 鬩ぎ合いはやがて、じりつくような拮抗へ。

 両者の足元が爆ぜて、互いに跡を穿った。


 颯馬(そうま)の太刀が、虚空を斬り裂く。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――偃月(えんげつ)


 音すら断ち割る飛斬が回避したはずの晶の脇腹を(かす)め、

 ――その羽織と隊服が一部を散らして揺れた。


「吹ゥ」


 だが晶は、ただ呼気を吐くだけ。

 黒曜の神気が解けて踊り、刹那に少年の躯へと収束した。


 ――それは初めて晶が意識した、後の先。

 流派の別すらない、現神降(あらがみお)ろしの応用。返す晶の手刀で神気が猛る。


「いい加減に、」「上手を奪えた程度で――」

 体勢を戻すよりも早く、颯馬(そうま)の身体から神気の帯が踊った。


「しろ!」「誇るな、下郎っっ」


 先んじて落ちる晶の手刀。だがそれよりも速く、颯馬(そうま)の神気が晶の腕に絡みつく。

 晶の腕へ圧し掛かる異常な抵抗。颯馬(そうま)の太刀が、晶の上手を再び奪った。


「くそっ」「遅いっ!!」


 本能が警鐘を鳴らす。飛び退る晶へと、幾重にも神気の帯が踊った。

 精霊力の経路を紡ぐそれは、斬撃の檻を編み上げる精霊技(せいれいぎ)

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――月辿り。


 乱舞する神気の経路を辿り、颯馬(そうま)の太刀が晶へと牙を剥く。

 複雑怪奇に編まれた檻を総て対処するなど、晶の技量では不可能。


 それでも、手数は尽きていない。

 颯馬(そうま)の神気よりも、晶の宿す黒曜は遥か高みで輝いているのだから。


 晶は未だ神気の猛る右手で再び天を指し、颯馬(そうま)を睨み据えた。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――寒月落(かんげつお)とし。


「死、ねぇいっ」

「届けぇえぇっ!!」


 交差する憎しみが、互いに相容れない結末を叫んだ。


 神気の檻に構わず、晶の右手が颯馬(そうま)へと。

 ――瞬後。颯馬(そうま)の頭上へ、轟然と音を立てて水気が落ちた。


 神気で編まれた颯馬(そうま)精霊技(せいれいぎ)が、上から下へと突き立つ水気の柱に砕け散る。

 抵抗は疎か、刹那の減衰さえもなく消え失せる精霊技(せいれいぎ)

 それを目の当たりにしても尚、颯馬(そうま)の足は止まらなかった。


 踏み込む足元で水気が飛沫き、巡るように太刀へと収束する。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)――。


「乱繰り糸車ァッ」

「――甘い」


 くねり舞う斬撃の畳み掛けを前に、晶は傲慢と吐き捨てた。

 変幻自在なその太刀筋は、晶の師である阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)の十八番だ。


 如何に颯馬(そうま)が才覚溢れようと、厳次(げんじ)の練達に敵いはしない。

 いっそ余裕さえも持って、幾度となく見た精霊技(せいれいぎ)の舞いに立ち向かった。


 圧倒的な手数が特徴の乱繰り糸車は、特殊な歩法で太刀筋を読ませず攻勢を保つ精霊技(せいれいぎ)だ。

 ――しかし連続する斬撃には、弱点もある。

 その足捌きは読み難くとも、どうしても太刀筋が限定される瞬間があるのだ。


 それこそ、乱繰り糸車が見せる間隙。

 斬撃を畏れる事なく、晶が大きく踏み込み――、

「な」

 身体が交差する瞬間に、平薙ぎを放つ颯馬(そうま)の手首を晶が柔く掴んだ。

 精霊技(せいれいぎ)の勢いが崩れ、驚愕の吐息が颯馬(そうま)から漏れる。


 颯馬(そうま)の身体を引き込み、奥襟から巻き取るように一本背負い。

 颯馬(そうま)の羽織が、手応えなく虚空を舞った。


 ひらり。雨月の家紋が月光に刹那だけ洗われ、直ぐに闇夜へと紛れる。


「羽織を犠牲にしたか。

 何だ。随分と泥臭い手段も慣れているじゃないか」

穢レ擬き(もどき)が、雨月の家紋を――!!」


 ――月に雲、寒椿。雨月の家紋が背中から喪われ、青筋を立てたまま颯馬(そうま)が一歩。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――半月(はんげつ)鳴らし。


 ――()ゥン。


 颯馬(そうま)の神気が刹那に爆ぜて、衝撃がその視界総てを薙ぎ払う。

 白く立ち込める水蒸気。――その奥を突き破り、晶が距離を取った。


「けほ」

「――逃すか!」


 水蒸気を吸い込んだか、(むせ)る晶目掛けて颯馬(そうま)の怒号が追い打つ。


 棚引く瑠璃の神気が収束。――瞬後、水蒸気の壁すら断ち割り、伸びやかに神気の斬撃が晶の喉元へと迫った。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――弓張月(ゆみはりづき)


 爆発で姿勢を崩し、水蒸気で視界を塗り潰す。更に行動を制限した上での斬撃。

 完璧な奇襲だったが、焦る事無く晶は右腕を一振りした。

 晶に宿る水気を喰らい、増大した木行の精霊が歓喜のままに従う。


 水生木。薙ぎ払われる晶の腕に連れ、雷鳴が轟き渡った。

 玻璃院流(はりいんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――五劫七竈。


 神気に任せて荒れ狂う木気を突破する事は可能だが、それでも賭けに対して見返りが少な過ぎる。

 躊躇う颯馬(そうま)に手番を譲らせないまま、大気を割る雷火の渦は眼前の一切を吹き飛ばした。


 後に残るのは、平然と立つ晶と困惑を残す颯馬(そうま)

 直後に訪れた静寂だけが、暫しの間、戦場を支配した。


「……どう云う事だ」


 ややあって、颯馬(そうま)の口から疑問が漏れた。


「何がだ?」

「どんな手管を弄して、精霊力の補充をしている」


 呪符を介して精霊技(せいれいぎ)を模倣する程度なら、想像に容易い。

 しかし晶の能力がそれだけではないと、颯馬(そうま)も内心では認めていた。


 そもそも精霊技(せいれいぎ)は、陰陽術よりも精霊力の損耗が激しい技術である。

 穢レ擬き()が精霊力を貯め込めるようになっていたとしても、颯馬(そうま)との戦闘で枯渇していなければ説明がつかないのだ。


「さあ、どうだろうな。貴様の理解できないものを、愚鈍が理解に及んでいるとでも」

「巫山戯るな! 如何な邪法で主家を誑かしたか、僕には聞く権利があるはずだ」

此処(ここ)央洲(おうしゅう)だぞ。無役如き(・・)が、何か越権でも赦されているのか?

 ――『北辺の至宝』殿?」


 昨今の混乱を生んだ雨月の鬼子(元凶)が、唇を歪めて嗤い返す。

 己の勇み足を明確に嘲られ、颯馬(そうま)は再び感情へ火を焚べた。


「……良いだろう。(ケガ)レに為りかけた貴重な標本だ、応えぬとあらば生きたまま腑分けしてやるっ」

「!」


 交わす挑発の裏で、慎重に練り上げた神気を解放する。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――現神降(あらがみお)ろし。


 滑る歩法で晶の懐へ到達。精霊力を纏わせぬまま、白刃を水平に閃かせた。


 最大前提として精霊技(せいれいぎ)は、行動の何かを伸長するものである。

 より速く、より強く、より遠くへ。


 しかしそこに意思が介在する以上、どう足掻いても刹那の遅滞が発生するのは避けられない。


 対人戦に()いて速度だけを求めるならば、最善手は精霊技(せいれいぎ)を行使しない事。

 相手に先んじて現神降(あらがみお)ろしを行使し、磨き上げた剣術を以て相手を断つ。


 純粋な剣技に因る最速の圧倒こそが、颯馬(そうま)の得意とする対人の手法。


 ――勝った。

 強化した視界の中で、自身の刃金が晶の胴体を狙う。

 回避も望めない必中の距離を目の当たりに、颯馬(そうま)は勝利を確信した。

 事実、それは必勝の最善解であっただろう。――(神無の御坐)が相手でなければ。


 ぎぃん。硬い音と共に人の肉とは思えない手応えが響き、颯馬(そうま)は瞠目を返した。

 刃筋は震えるだけ、晶の皮一枚に傷も当てず無為と散る。


 只の生身が、鋼の凶器を相手に拮抗を見せる現実。

 それでも臆することなく、颯馬(そうま)は速度だけを(たの)みに畳み掛けた。


 晶と颯馬(そうま)、互いに神気を散らして剣戟を重ねる。

 莫大な神気に煽られたか、2人の足元が沈んで砕けた。


「こ、のっ!」

「随分と攻め足を多用するじゃないか」

「黙れっ」


 雑言を斬り捨て、低い姿勢から颯馬(そうま)が刹那に突く。

 晶の胴体へと、弟の太刀が牙を剥いた。


 引いた左足から颯馬(そうま)へと一歩。突きこまれた一太刀を脇に避け、晶はその懐へ踏み込む。

 足元から勢いを余すことなく、威力の乗った蹴りが颯馬(そうま)の胴体を抉った。




 完璧な間合いからの蹴り。だが返ってきた手応えに、晶は眦を歪めた。

 ――余りに鈍く、重い。


 咄嗟に飛び退こうと地を蹴る晶を、颯馬(そうま)の視線が射抜く。

 激情とは裏腹に、未だ幼くも冷然とした眼光。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――居待月(いまちづき)


 義王院流(ぎおういんりゅう)の真骨頂である、防御に特化した精霊技(せいれいぎ)

 泳ぎかけた上体を耐え、颯馬(そうま)は太刀を(ひるがえ)した。


 瑠璃の神気が迸り、螺旋を描いて己が太刀へ収束する。

 断固たる決意を胸に、颯馬(そうま)は地を踏み抜いた。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――違え廻月。


 晶を捩じ切らんと、水気の渦がその身体を絡め取る。

 やがて無地の布を虚空へ散らし、渦流の向こうに晶の姿が沈んだ。


 ――これで勝てたと、慢心などしない。


 晶が、己を手本に義王院流(ぎおういんりゅう)を見尽くしているのは気が付いている。

 自身が生み出した渦の向こうに立つ、確かな存在感。油断を欠片も持つ事なく、颯馬(そうま)は呼気を吐きだした。


 一手ごとに、己の錬磨した技量が盗まれている。

 本能を追ってくるひりつく危機感が、練度すら盗まれている事実を颯馬(そうま)に警告していた。


 後数手。晶へ譲ることを赦せば、手が付けられなくなる。

 背中に伝う冷や汗に、颯馬(そうま)は覚悟を決めた。


 構えるは、中段平突き。

 更に踏み込む足跡で地を抉り、颯馬(そうま)は精密に練り上げた神気を突き放った。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、止め技――。


朔渡(さくわた)り!」


 視界に映る総てが凍てつき、晶を縛る渦の檻が動きを止める。

 颯馬(そうま)の足が霜の舞う凍原を踏み砕き、その太刀が下から上へ軌跡を刻んだ。


 水気が誇る莫大な質量が、凍原を割りながら晶へと。

 凍てついた世界そのものの質量を以て、対象を圧潰する精霊技(せいれいぎ)


 ぐしゃり。鈍い音が耳朶を打ち、土塊(つちくれ)と霜氷が夜闇に踊る。

 凍てつく檻が磨り潰され、漸く颯馬(そうま)は勝利を確信した。

 ――だが、


「気は済んだか? 雨月颯馬(そうま)

「真逆、 、居待月(いまちづき)まで盗んだのか」


 土砂の向こうから、悠然と響く晶の声。

 脆く崩れた勝利の確信に、颯馬(そうま)は軋む奥歯を噛み締めた。


 土砂から抜け出すその姿は、防人の羽織は兎も角、隊服は無傷のまま。

 黒曜の輝きが晶を護る姿に、颯馬(そうま)は言葉を搾り出した。


「別に不思議でも無いだろう。玻璃院流(はりいんりゅう)に似た精霊技(せいれいぎ)が有るなら、後は応用で何とでもなる」

「――何処まで流派を(ケガ)せば気が済むか、化け物め!!」


 平然と返る晶の応え。

 門閥流派の別を踏み躙る所業に、颯馬(そうま)は神気を猛らせた。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――惑い弄月(ろうげつ)


 これ以上、相手が精霊技(せいれいぎ)を盗む前に、全力を以て圧倒する。

 その覚悟に刃鳴る風が応え、水気の霧が颯馬(そうま)の視界をも塗り潰した。


 視界さえ奪えば、精霊技(せいれいぎ)を盗まれることも無い。

 更に止めを刺すべく、颯馬(そうま)は神気を練り上げた。

 瑠璃の輝きに染まる自身の太刀。――その切っ先で踊る呪符が1枚、颯馬(そうま)の視界に落ちた。


 火撃符。そう理解するよりも早く、呪符が励起。

 轟音と共に紅蓮が膨れ上がり、霧を全て吹き払う。


「何者――!?」「雨月颯馬(そうま)ぁっ」


 颯馬(そうま)誰何(すいか)を、少女の怒号が斬り裂いた。


 声の源を求めた視線の先で、虚空を踊る咲の姿。

 その手から放たれる火撃符に、颯馬(そうま)は後退を強いられた。


「何の権利があって、雨月家の邪魔立てをするか」

「当然でしょうが! 戦時に他洲へ刃を向けるなど、衛士の恥晒しも良い処。

 更に恥の上塗りをするなら、私が貴方を処分するわ」

「は。穢レ擬き(もどき)のことならば、それ(・・)は雨月にこびりついた汚物。

 責任を以て、僕が処分すると宣言しているにすぎん」


 口の端を歪めた颯馬(そうま)の言葉に、咲は唖然とした。


 家族。兄弟。他の華族と比べ、輪堂(りんどう)家は家族仲が良い。

 ――だから、何処かで信じたかった。晶と雨月家にも、家族の情愛が残っているのだと。


 しかし咲の想いを裏切る言葉を、迷いなく断じた颯馬(そうま)が信じられなかった。


「本気で云っているの、雨月颯馬(そうま)。吐いた言は戻せないわよ」

「無論」


 怜悧と澄んだ眼差しが、咲へ肯いを返す。

 颯馬(そうま)は、己に疑いすら持っていない。その確信に、咲は続ける言葉を持てなかった。


「もう良い」「晶くん」

 ただ少女の背中に、平坦な少年の声だけが届く。

「有難う、咲。ここから先は確かに、

 ――俺たち(・・)の問題だ」


 感情が澱の如く、沈みゆくような響き。

 ただその双眸は、颯馬(そうま)へと向いていなかった。


 ――不思議と怒りは無かった。

 無視や理由のない足蹴。理不尽は、雨月の過去で充分に味わった。


 凪いだ感情で、天を仰ぐ。

 そこに変わらず在るのは、視界総てを埋め尽くす黒曜の輝き。


「皮肉だよな」漏れた呟きは誰に向けたものか、応えるものも無いまま虚空へと散る。

「求めたら無くて、諦めたらやっぱり有るっていわれてもさ」


「何を云い出すかと思えば」

 晶の独白に、颯馬(そうま)が嗤った。

「貴様は元から無いだけだ。前刀自の御情けで這い回っていたに過ぎん」


「だよな。お前らから見たら、それだけだろうさ」

 颯馬(そうま)の嘲りに、晶も苦笑を浮かべる。

 それでも言葉は上滑りのまま、やはり晶は颯馬(そうま)を見ていなかった。

「俺も同じだよ。

 ――空は何時でもそこに在ったのに、俺は裡に在ると勘違いして手を延ばしていた」


 多くの神器は、武器の形を取る。

 何故ならばそれこそが、権能の器として人が手にできる理想そのものだからだ。


 では、九蓋瀑布(くがいばくふ)は? ――周天を象とした規格外の神器は、どの時点で手にしたと断言できるのか。

 晶が目を背けていたのは雨月だけであり、雨月も晶だけを見ようとしていなかった。


「……狂ったか?」


 噛み合わない会話に、時遅くも颯馬(そうま)が晶を見る。

 だがその鈍重なまでの呑気さにこそ、晶は失笑を禁じえなかった。


 咲を背中に庇い、その前へと進み出る。


「いいや、独り言だ。じゃあ決着をつけようか、雨月(・・)

「良い覚悟だ。

 その殊勝さに免じ、大人しく首を差し出せば楽に落としてやる」

「そっくりそのまま、言葉を返してやるよ」

「云ってろ」


 晶が含んだ明白(あからさま)な嘲りに、颯馬(そうま)が太刀を鞘へ納刀めた。

 深く腰を落とし、鞘を押さえながら軽く柄へ手を掛ける。

 居合から相手の胴を抜き払う、一撃必殺の構え。


 対して晶は、静かに天へ右手を上げた。

 異変はその直後から。


「何だ――?」

「さあ、何だろうな」


 緩やかに、だが確実に。夜も入り口であったはずの空が、白々と暁を思い出した。

 晶の願いに応え、夜天がその彩りを移ろい始める。


「雨月の下問を無下にするか、穢レ擬き(もどき)!」

「御自慢の脳みそで少しは考えたらどうだ、『北辺の至宝』殿?」

「――良くも、吠えてくれたっ」


 晶に自身の呼び名を嘲られ、颯馬(そうま)の姿が霞むほどに加速した。

 義王院流(ぎおういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、水面月(みなもづき)


 激甚に跳ね上がる脚力で、流離と迫る視界。その先に立つ兄であった少年が、右手を天へ翳す。


 ――……何だ?

 疑問を浮かべる余裕すらなく、黒曜の輝きが天へと迸った。

 剣ではなく、術ですらない。純粋な水気の奔流。


 受け入れ難いその光景に、颯馬(そうま)は瞠目する。

 義王院(ぎおういん)はどれだけの恩情を穢レ擬き(もどき)へ重ねたのか。その愚行を確信できるほど純色に近く、夜天の煌めきを透した輝き。


 いと高くより降り注ぐ尊きと抗うためには、颯馬(そうま)も理不尽を振るうしか勝利の可能性は残らない。

 刹那の狭間で、少年は覚悟を決めた。


 晶との間合いは、残り凡そ4間(7.2メートル)。僅かに遠く、それでも颯馬(そうま)は鍛えた体躯で地面を踏み砕く。


 虚空へ差し伸べた掌が、心奧に納刀められた雨月の神器を掴んだ。

 晶もまた迷うことはない。黒曜の輝きが、晶の指した高みからただ墜ちる。


「勢ェリアアァァッ」

幽寂(ゆうじゃく)を断ち切らん――」


 2人の覚悟が交差。練り上げた神気が解き放たれようとした刹那。


「双方、そこまでっ!!」

 必死の制止を叫び、横から晶の眼前へと女性が割り込んだ。


 神器を抜刀き放とうとした颯馬(そうま)の手へ銀の木刀を落とし、根を張るように女性の神気がその躯を縛りあげる。

 ぐぅ。呼吸(いき)の詰まる吐息を漏らし、颯馬(そうま)が地面へ前のめりに倒れ込んだ。


 その光景を背中に、女性の持つ木刀が晶の喉元へ。

 割り込んだ女性を前に神気が霧散し、その寸前で晶の勢いが止まった。


 男性とも見紛う短髪が、少女らしさを宿した額で揺れる。

 以前、学院で短く言葉を交わした玻璃院(はりいん)誉が、晶の眼前で請うように佇んでいた。


 東部壁樹洲(へきじゅしゅう)の洲太守。その妹姫たる女性が、その場に立つ全員へと視線を巡らせる。

 その最後。ひたと晶へ視線を止め、口を開いた。


「大方の事情は確信できた。

 この諍い、玻璃院誉()が責任を持って預かるが、それで問題はないか」

「雨月家は?」


 厳しく追い打つ晶の詰問は、当然のものだ。

 そこを突き詰めておかないと、後の問題に手が付けられなくなる可能性がある。


「済まないが現在、玻璃院(はりいん)が彼らの預かりになっているんだ。

 顔を立てろとは云わないが、君の為にもこの場は譲ってほしい。

 ――期限は神嘗祭まで。雨月の子弟たちは、僕の言霊を以て拘束する」

「誉さま。言霊の約束は、流石にやり過ぎです」


 心配そうな咲の気遣いに、誉は首を振って決意だけを見せた。


 半神半人は他者を縛る言霊を操る代わり、生来から偽りを吐くことが出来ない。

 何が足元を浚うかも判らないのに、言霊の約束は死活問題に直結する恐れを孕んでいるのだ。


「現状ではこれが最善と信じている。

 詳細は後ほどに、義王院(ぎおういん)奇鳳院(くほういん)へ宛てよう。――経緯を知れば、向こうだって否やを返さないさ」


 ここが分水嶺だ。誉の眼光が、晶へと厳しさを増す。

 晶から敵意を向けられることに、半神半人の本能が怖れを見せた。


 晶がその気になれば、誉すらも拘束する言霊を繰ることを可能とする。

 それを厭う反面、受け入れようと慶ぶ本能が相反する感情を揺らしたのだ。


 理性だけでその危険な感情を押し殺し、ただ只管に晶と視線を交わした。


 暫くの沈黙が流れた後、晶がゆっくりと神気を解いて踵を退ける。

 ――取り戻した静寂が緊張を拭い、やがて誰となく颯馬(そうま)以外の全員が疲れた吐息を漏らした。

気付いた方も居られますが、拙作の3巻が一月に発売となります。


皆さまに読んでいただき、こうして日の目を見て一年。

これまで多くの、奇跡のような体験をさせていただきました。


こうなってくると、後少し注目を、なんて欲が生まれるのは人の業でしょうか。

何処まで出来るかも判りませんが、読んでいただけるために走り続けたいと思います。


今後ともよろしくお願いいたします。


安田のら


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― 新着の感想 ―
[良い点] そういえば誉様も四院だった…そりゃ晶に惹かれるよなぁ
[良い点] 世界観が好きです [一言] 毎週ワクワクしながら読んでいます。
[気になる点] 颯馬は何度「穢レ擬き」と繰り返せば気が済むのでしょうか。 目にするたびにフラストレーションが溜まる一方です。 曲がりなりにも血の繋がった兄をこれほどまでに貶める颯馬は、異常と言うほかは…
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