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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
三章 巡礼双逢篇
122/222

13話 逆しま霊道、辿り目指すは神域行7

 銀と青に煌めく残光を振り払い、玻璃院(はりいん)(ほまれ)華燭銀木(かしょくぎんぼく)の銘を与る木刀を構えた。


 刃渡りは1尺(30センチ)ほど、試合ですら心許ない長さしかない。

 対する誉と大鬼(オニ)の間合いは、凡そ半町(50メートル)。それなりに開いているが、それでも僅かで削れる距離だ。


 瘴気を纏い、赤銅の波濤が襲い来る。

 相対する玻璃院(はりいん)誉の背はそれなりに高いが、それでも両者を視界に収めれば児戯としか見えなかった。


「よぉし、誉。神域で騒ぐ虚け共を、儂の神器で(なら)し尽くせ!

 ……誉?」


 その背中に抱きついた青蘭は、地を鳴らす大鬼(オニ)へと指を差し命じる。

 しかし期待した応えは返らず、怪訝そうに肩越しの表情を窺った。


 迫る大鬼(オニ)の速度は衰えず、それでも誉の足は小動としない。


「誉? そろそろ動かんと、危ないと思うのじゃが」


 華奢な少女の肩を叩いて、青蘭が催促を繰り返した。


 化生の迫る現実。

 ――それでも微動すらしない誉に、青蘭の焦りが加速する。


「誉。もう大鬼(オニ)が結界の、と云うか儂の目の前じゃ、

 ――誉!!」


 ―――()()()アァァッ!!


 割と涙目で肩を揺する大神柱を余所に、至近まで迫った大鬼(オニ)の拳が誉へと落ちた。

 激突、轟音。


「あ~~! 儂の結界があぁぁっ!?」


 衝撃が大気を揺るがし、大神柱の悲鳴が交差する。

 結界の境界が青く揺らぐ中、巫である少女は銀の残光を曳いた木刀を掲げて見せた。


 縦に振り下ろす切っ先に沿って、木気の飛斬が虚空を刻む。

 玻璃院流(はりいんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――鳶尾(えんび)


 虚空を飛翔するその斬撃は、結界に群がる先頭の一体へ牙を剥いた。


 防人の抵抗には慣れているのか。

 大鬼(オニ)は無防備なまま鳶尾(えんび)を迎え、

 ――炸裂する衝撃にその意識を刈り取られた。


 崩れ落ちる先頭の大鬼(オニ)

 後背で続こうとした同種どもが、戸惑いにその足を止める。


 拙い思考では受け入れられないその現実。

 混乱に陥る大鬼(オニ)を余所に、華燭銀木(かしょくぎんぼく)の切っ先が青の神気を踊らせた。


 確かに大鬼(オニ)は、精霊技(せいれいぎ)に対して高い抵抗を持っている。

 しかしその抵抗は、肌の表層までに限られているのだ。


 肌が精霊力に抗おうとも、大気を介して浸透する衝撃を耐えるほど大鬼(オニ)の内臓は強靭ではない。


 更に言及するなら、誉が行使するのは青蘭の神気である。

 遥か高き神柱の威光を宿す衝撃は、大鬼(オニ)であっても耐えられるものでは無かった。


 誉の精霊技(せいれいぎ)が衝撃を重ねる。

 ――押し寄せる大鬼(オニ)の先陣が倒れ尽くした後、思い出したかのように誉の口が開いた。


「やはり、御山の結界は無事のようですね。

 五行結界の外殻だけを陥落(おと)したならば、霊道の要だけを陥落したと見るべきでしょう。

 ――僕の見立ては如何でしょうか、あお(・・)さま?」


「莫迦ものぉっ。確かに、大鬼(オニ)の拳程度は防げようが、それ以前に儂の神域を何と心得ておるかっ」


 平然とした誉の口調に、青蘭が遣る瀬無い感情から怒鳴った。

 神籬山に限らず、要山の結界は神域を護る最後の薄皮だ。


 確かに最硬度は誇るが、だからと云って(ケガ)レに殴られて気分が良いものでは無い。


大鬼(オニ)とはいえ、生成り如きに赦せる強度では無いでしょう。

 僕としても、結界の強度を確認できて一安心です」


「そぉいう問題では無いわ! 結界の奥は儂の神域ぞ、強度の有無など儂に訊けば不明も無かろう!?」


 神域の結界を盾代わりにした本音を誤魔化す誉の軽口に、青蘭は少女の華奢な肩を揺さぶった。

 割とではなく本気の涙が瞳に滲む。


 流石に揶揄い過ぎたかと内心で反省をしつつ、誉は大鬼(オニ)へと足を向けた。


顕神降(あらがみお)ろしを行使している現時点で、僕自身も神籬山の結界から足を出せなくなります。

 ――それに、これで確信が得られました」


「……うむ。滑瓢(ぬらりひょん)の狙いは、相生の霊道を越えて高御座(はは)さまに至る事じゃな」


 不承不承とはいえど鋭さを帯びる青蘭の眼光に、流石に気付いていたかと誉も同意を返す。

 外殻の五行結界が破壊されているのに対し、要山の結界は健在。この状況を作り出すためには、要山を結ぶ霊道を分断する必要がある。


 本殿が暴走した龍脈に半壊していた前提を踏まえるならば、陥落せしめたのは相克の霊道だ。


「結界内部にある霊道の要を破壊した手段は、皆目、見当もつきませんが」


「終わった後の手番など、後日にゆっくりと考えれば良いわい。……と云うか」


「?」


 他に何か、優先するべき疑問が残っていただろうか。

 誉の疑問に応じながらも未だ険の残る大神柱の声に、誉は首を傾げた。


「さっさと畜生共を均さんか、莫迦娘っ。

 幾ら無事でも、気分の良いものじゃないわ!」


 呑気な己の巫を涙目で睨み、前方へと指を差す。

 その先では結界の境界に大鬼(オニ)が群がり、犇いて拳を振り下ろしていた。


 霊道と神域。神籬山の結界を守護する頑強な結界が、青の神気を揺らがせながらその総てを弾き飛ばす。

 その光景に、誉の口元を苦笑が彩った。


「――ふふ。ここまでくれば、考えずとも無駄と判りそうですが」


(ケガ)レの思考など知るか。(ましら)より頭が悪いと云われても、納得できるわ。

 それよりも早うせい、煩そうて叶わん」


 青蘭と誉の軽口を挑発と勘違いしたのか、大鬼(オニ)の攻勢が一層に激しさを増す。

 至近へと拳が迫る光景に怖じる事なく、誉は結界の境界まで進み出た。


 丹田から練り上げる神気が、少女の肢体を包み込む。

 玻璃院流(はりいんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――五劫七竈。


玻璃院流(はりいんりゅう)に遠当ては難しいけど、皆無じゃない。

 ――その一つを、披露しよう」


 精緻に織られた神気の鎧が、大鬼(オニ)の眼前ではらりと解ける。

 帯の如く虚空で舞うそれが、じりじりと濃密な紫電を纏った。


 その場に立つものの耳朶を苛む、多肢が這う音に似た騒めき。

 玻璃院流(はりいんりゅう)精霊技、裏伝うらのつたえ


「――蜈蚣七竈(ごこうななかまど)


 まるで紫電の肢を蠢かす蜈蚣(むかで)の如く。青の神気で織られたそれを、誉は縦横に振り薙いだ。


 騒めきを残す紫電は、大気との摩擦が発てる衝撃波の残光。


 真横から牙を剥いたその精霊技(せいれいぎ)は、抵抗さえも赦さず大鬼(オニ)の胴体を斬り抜いた。

 次いで縮合から解放された爆圧が、化生の巨躯を曳き潰す。


 ――誉が放ったのは、たった数撃。しかし、圧倒的な蹂躙が過ぎた後、その場に生きる大鬼(オニ)が残ることは無い。


「……ま。得意の防御が皆無になるし修得難度が跳ね上がるから、余り好かれない精霊技(せいれいぎ)だけどね」


「派手好みはあか(・・)の領分じゃろ。

 ――と云うか誉。真逆と思うが、化生共に接近するのが面倒くさいし、儂の結界を囮にして一網打尽とか、そーゆー策で動いてなかろうな?」


「………………………………さて、これで粗方の騒動は片付いたかな?」


「図星じゃな? 本音はそれじゃな、誉。

 儂の巫の癖に、神籬の結界を盾代わりにするとはどう云う料簡か!?」


 やいのやいのと騒ぐ一人と一柱。その後背へと遠慮がちに、下がっていた衛士の一人が声を掛けた。


「ほ、誉さま。怪我人を全員、此方に集めました」


「有難う。怪我に障るから、これ以上は余り動かないように」


「その。現在、前線に出ているのは方条(ほうじょう)御当主さまのみですが、

 ――自分たちの加勢は」


「そっちは不要だよ。

 寧ろ、下手に手出しをして得物を横取りでもしたら、方条(ほうじょう)当主の激怒は免れない。

 ……全く、何方(どちら)が鬼か判ったものじゃないね」


 神気に揺らぐ結界越しに垣間見える、方条(ほうじょう)誘の暴れる光景。


 鋭い精霊力の斬断が、揺らぐことなく縦横に奔る。

 ――その度に大鬼(オニ)の巨躯や一部分が、玩具のように宙を舞った。


 壁樹洲(へきじゅしゅう)最高位に立つ少女は、そう呟きを残して己の神器を正中に構える。

 戦場の喧騒も遠くへ置き去りに、誉は冷静に華燭銀木(かしょくぎんぼく)の権能を行使した。


「まぁ、あの性格も今は有り難い限り。

 こっちはこっちで、体勢を立て直そう」


 少女を中心に渡る、戦場とは思えない優しい風。

 ――涼しくも暖かい薫風の波濤が、その場にいる全員の頬を撫でて過ぎた。


 一度、二度。優しいだけの細波が傷を浚い、その度に痛みが薄れて去る。

 やがて瘴気と暴力の残り香が衛士の身体から去り、誉は大きく呼気を吐いた。


「これぐらいで良いかな。

 ――動けるかい?」


「……問題ありません。重篤のものを残し、我々も前線へと戻ります」


「うん、そうしてくれ。だけど、焦らずで構わない。

 ――どうやら向こう(・・・)も、片付いたようだしね」


 軽く返し、誉は結界の向こうへと視線を向ける。


 誉の視界の先で紫電が舞い、精霊力が斬断の影を辿り迸った。

 明らかに生成りを越えて年降りた大鬼(オニ)が、胴体を腑分けされて崩れ落ちる。


 それを最後に、戦場へ沈黙だけがただ残った。


「……おかしい」


「何がじゃ、誉。

 ――百鬼夜行の殲滅を充分に達成したと、儂は見受けたが」


「だからですよ。大鬼(オニ)を群れの中核に据えていたとしても、この規模を百鬼夜行と称するのは辛うじてだ。

 ここは囮でしょうけど、高御座さまの龍穴を狙うにしては頼りない」


 永い時間をかけてこの策を組み上げたのだろう。それは、伝え聞く限りの情報から見ても確実だ。


 年齢と云う概念を持たない神柱が、有り余る時間を掛けて起てた策。

 確かに強大な群れの襲撃だが、永い時間の手間暇を考えると誉の直感に違和感が残った。


「連絡が確実ならば、似たような規模が要山総てを襲っているのであろう?

 これを5倍と考えたら、間違いなく史上でも最大規模の百鬼夜行じゃぞ」


「……古来より多方面作戦は、愚策の1つ。要山を陥落(おと)したいのであるならば、一点集中が最上です。

 ですがこの手番では、まるで神柱を要山に引き留めておきたいかのような――」


 誉の疑問が形を成そうとした瞬間。その背後で、霊道に続く鳥居が鳴動した。


 龍脈に直結された相生の霊道が、滄溟に揺れる神気を吐き出す。

 初めて目にする神気の輝き。続く衝撃と共に姿を現した人二人分の影を目の当たりに、誉は思わず戸惑いの呟きを零した。


「あれは?」


 ♢


 晶へと、重く圧し掛かる霊力が不意に晴れた。

 霊道を奔る龍脈の荒さに揉まれ、固く閉じていた瞼の奥が明るさで満たされる。


――抜けた。


 そう自覚するよりも早く、坂となった地面へと肩から落ちる。


「ぐ、がっ」


「―――()()。手順を守らぬゆえか、出口が逆になりましたな。

 然しこれで、身共が巡る要山もあと僅か」


「!!」


 勢いに負けて、晶の身体が二転三転と転げ落ちた。

 痛苦に呻く晶の頭上から、能面の嘲弄が降ってくる。


 意識するよりも早く、危機感から落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)を盾に。――砂埃の向こうから突き出された鉈を、臙脂(えんじ)の刀身が辛うじて受け止める。


 能面の指先で青白く呪符が燃え、滄溟と深く神気が昇った。

 揺れる神気は欠けた鉈を覆い、更にその刀身を埋めて伸ばす。


 その光景を目の当たりに、晶の脳裏で疑問が形を結んだ。


「呪符に、神気を封じているのか。

 待て。……そう云えば、今までもそうだったよな。お前が呪符を行使したら、神気が生まれた」


 道術(タオ)を発祥とする符術は、真国(ツォンマ)で花開いた技術である。

 その最大の(・・・)利点は、誰でも行使が可能な事。


 その無視できない利便性は、海を越えた高天原(たかまがはら)でも波及するほど。

 真国(ツォンマ)の神柱と目していた滑瓢(ぬらりひょん)であるならば、行使することに疑問は無い。


 だが、神器(パーリジャータ)を行使した術は、完全に異質なものだ。

 不意に晶の脳裏へと、結論が降ってきた。


「―――卑、()。流石に気付かれますか」


「そうだよな、全く別の技術と考えていたから間違っていたんだ。

 符術の原点――」


 晶が言葉を続けるのを待たず、能面が勢いよく斬り込んできた。

 放たれる斬撃が、彼我の間合いで火花を散らす。


 打って変わった相手の攻勢は、晶の疑問が正答であることの証左。


 ――基本的に滑瓢(ぬらりひょん)が行使する術は、真国(ツォンマ)道術(タオ)を起源としている。


 しかし道術(タオ)は、飽く迄もただ(・・)人の技術。

 神器であるパーリジャータの権能に、干渉できるものでは無い。


 アンブロージオに教えたという、突き立てられたパーリジャータを引き抜いた技術。

 それは、神気を籠めていたとしても、届き得る技術ではない。


 パーリジャータの造形が、晶の脳裏で像を結んだ。

 白く(ねじ)れた石造りの杭の表面に、隙間なく刻まれた真言(マントラ)の術式。


 天領(てんりょう)学院で滑瓢(ぬらりひょん)の出自を追っているとき、ふと目にした一文を思い出す。


 ――(いわ)真言(マントラ)とは、現世に干渉する音節を形状に押し込めたものである。

 現世を文章として記述することにより、万世の破壊と再生を再現する輪廻の奇跡。

 潘国(バラトゥシュ)を起源とするその知識は、究めれば偏在する概念ならば自在に出来るという。

 名も伝わらぬ何処かの神柱が広めたとされるそれらは、一種の神器と謳う説すらある。


「……真言(マントラ)は、お前の神器だな。

 お前が司る象だと仮定したら、その知識を下地にした道術(タオ)や、それに連なる技術に干渉できるのも納得できる。

 ――滑瓢(お前)は、潘国(バラトゥシュ)の神柱か」


 晶の断言に、返る応えは無かった。神気が虚空へと軌跡を刻み、晶へ猛然と牙を剥く。

 迎え撃つ落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)が火花を散らし、晶の足元に後退の気配が生まれた。


 深く海底の輝きを宿す神気が、晶の練り上げた神気を侵蝕。

 ――水克火。火行の神気が圧し切られる寸前、負けじと晶は神気を爆発させた。


 晶に残留する神気を蕩尽(とうじん)。回復した神気が、拮抗に目減りを始める。

 神気が尽きる感覚を再び味わい、それでも晶は言葉を続けた。


「水行に強く縁を持ち、潘国(バラトゥシュ)で追放の憂き目を見た神柱。

 ここまで辿れば、お前の正体も限られるな」


「―――()()。それを知ったところで、身共の打倒を思い上がるのは、些かに軽率では?」


 能面の指摘に晶は応えることが出来ない。

 その代わりに、一層激しい剣戟が辺りを支配した。

 数合。火花を散らし、再び落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)と鉈が噛み合った。


 能面の指摘は尤もだ。

 仮令(たとえ)滑瓢(ぬらりひょん)の出自を知り、勝利の道筋を見つける事が叶ったとする。

 だが相手が持っているであろう敗北の歴史を、再現するための準備が足りない。


 それでも、神柱を相手取った晶の勝機は、もうそこにしか残っていない。

 晶も賭けるしかないのだ。


 ――晶の賭けが滑瓢(ぬらりひょん)の出自だと、眼前の存在が勘違いしているこの瞬間こそ。

 晶が狙った、最後の賭けの瞬間。


「征ぇえぇぇつ!」「――!?」


 呼気と共に、晶の宿す神気が燃え上がった。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――鳩衝(きゅうしょう)


 神気の鬩ぎ合う刃筋が、晶の攻勢に僅かな空隙を生む。

 神柱の油断が招いたその隙間こそ、晶の狙った最後の賭け。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)、――乱繰り糸車。


 隼駆けの残炎を足元に刻み、晶は斬撃の波濤で畳み掛けた。


 残り僅か、あと一歩で能面の喉元に迫れる。

 落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)へ注ぎ込んだ神気を総て蕩尽(とうじん)し、晶はその切っ先を能面へと突き込んだ。


 ――鈍く、轢音が響き渡る。

 渾身で放つ紫電の突きはしかし、寸前を阻んだ鉈の腹を貫くだけ。能面の眼前へと迫るも、突き込む勢いはそこで終わった。


 朱金の神気が散り消え、一時の静寂が戦場に戻る。

 その様に、能面に隠したそれ(・・)の口元を、嘲弄が彩った。


 ――勝った。


 晶の神気は、恐らく残り僅か。落陽柘榴(神柱殺し)の行使を赦さずこのまま圧し切れば、能面に敗北は無い。

 その確信と晶の視線が交差。その揺るがぬ眼光に貫かれ、能面は背筋を舐める悪寒に震えた。


 落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)が、朱金の飛沫と化して霧散する。

 半身を残していた鉈が根元から欠け落ち、いきなり自由となった上半身が否応なしに泳いだ。


 踏み留まる事もできない。がら空きとなったその胴体へと、無手のまま晶は再度突きを放った。


絢爛(けんらん)たれ」

 それは、日輪を泳ぐ鳳そのもの。

 抜刀()き放たれた刀身に宿るは、絢爛(けんらん)なる朱金の輝き。

寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)!!」


 神柱殺しでなくとも、一握(いちあく)の炎が宿す断罪折伏の輝きに敵うものなど存在しない。

 南天の神気が巨大な槍と化し、能面の胴体に激突。


 互いの神気は鬩ぎ合いに泡立ち、――やがて朱華(はねず)の火気は海底の輝きを越えた。

 拮抗の崩壊は一瞬。轢音が響き渡り、神器の剣身が能面の胴体を貫く。


 神気で象られた槍と化した晶は大きく踏み込み、

 ――突き込む勢いのまま晶と能面は霊道の入り口に激突した。


「これで終わりだ、滑瓢(ぬらりひょん)!」「―――()()()ィ! お見事」


 晶の宣言と能面の賞賛が交差。

 莫大な熱量が胴体から顔面へと斬り昇り、能面の下半分が割れ砕けた。


 ――その奥から覗く。乱杭歯に青黒い肌。俗なだけの浅い瘴気が、能面の隙間から溢れる光景。

 金色に濁る鬼種の眼光が、晶の視線と交差する。


「!?」「―――婢」


 疑問が晶の吐息に乗るよりも早く、2人の身体は霊道へと呑まれた。


 ♢


 莫大な神気が交差する僅かな間、誉は眺める事しか出来なかった。

 あれだけの熱量を至近で受ければ、如何に巫と云えどもただでは済まないからだ。


 否。それよりも何よりも、状況に理解が追い付かない。


「あれを、彼がなぜ持っている?」


 霊道から現れた、片方の顔だけは知っていた。天領(てんりょう)学院を離れる直前、僅かに言葉を交わした少年。

 その掌で閃く臙脂(えんじ)の太刀は、玻璃院(はりいん)の伝承に残る落陽(らくよう)柘榴(ざくろ)の特徴に記憶があった。


 奇鳳院(くほういん)当主にのみ与ることが赦される、珠門洲(しゅもんしゅう)の至宝。

 仮令(たとえ)、晶が奇鳳院(くほういん)嗣穂(つぐほ)と婚約関係にあったとしても、神器を与るのは越権行為に当たる。


 だが、それらの理解を越え、現実は眼前で朱金の神気を舞い散らした。


 攻めて防ぎ、晶と能面の神気が鬩ぎ合う。

 絢爛(けんらん)華麗たる光景に圧倒される中、誉の背中で青蘭がぽつりと呟いた。


「……どうなっておる?」


あお(・・)さま、何か知っているのですか?」


「知っておる。……否、知らぬ。

 一切が理解できん。あれは、誰じゃ?」


「は?」


「場合によっては、状況が最悪になるぞ。

 あれの神気、あか(・・)のものか」


「ええ。天領(てんりょう)学院に滞在している少年で、

 ……確か名前を晶と云いましたか」


 青蘭の呟きに、誉の片方で草を踏み分ける音がした。

 ――何時の間にか、清冽とした気配が立っている。


 後方に下がらせた衛士の一人か。特に意識を向けることなく、誉はただ記憶を探ってその名前を舌に乗せた。


 誉の隣、12を数えたその少年が、神気の飛び交う攻防を視界に映す。


 やがて戦闘は決着を迎え、猛る火気が能面を貫き霊道へと。

 その終焉に垣間見えた晶の相貌。――少年の瞳孔が大きく開いた。


 ♢


 霊道を潜るのはこれで何度目か。

 圧し掛かる霊圧を気力だけで撥ね退け、晶はそれでも能面を貫く腕を止めなかった。


 じりじりと斬り昇る剣身が、青黒く本性を現した能面の地肌を灼いていく。


 滑瓢(ぬらりひょん)の神器であったものは、燃えた木の残滓(のこりかす)が落ちるだけ。


 その奥で、金色の濁眼が嘲弄に歪む。


 神柱とも思えない異形を目の当たりに、晶の呟きが忘我と漏れた。


何だ(・・)、貴様、 、 ?」


「―――婢、()()ィ。勝ッタ。命ヲ果タシマシタゾ、主上!!」


 満ちる神気に瘴気を灼かれ、能面の欠片が総て灰と落ちる。


 露わとなったその相貌は、ざんばら髪に青黒い地肌。乱杭歯と2本の角。


 飢餓で死んだ女の精との謂れを持つ、鬼種の1つ。

 ――般若が片言の勝利を叫び、呆気なく寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)の神気に呑まれて消える。


「どうし、 、 、

 ――がっ!??」


 予想だにしなかった結果に、晶の思考が止まった。


 混乱から、立ち止まる。

 とす。その背中へ軽い音が突き立ち、一拍遅れて衝撃が灼け広がった。


 悶絶に崩れ落ちかけながら、背後を振り返る。

 揺れる視界に映る、感情の浮かばない咲の相貌。


「―――卑、非。驚きましたかな?」


滑瓢(ぬらりひょん)!!」


「左様。身共の策まで残るは、後1枚に御座いますれば。

 今暫しの、お付き合いをお願いしたい」


 視界が、世界が鳴動を始める。

 その総てが神域の深みへと崩れ落ちる中、咲の能面をつけた滑瓢(ぬらりひょん)との最後の戦いが始まった。

お盆です。

夏の暑さに台風と続きますが、頑張って乗り越えましょう。


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― 新着の感想 ―
あおさまが一番かわいらしいかもね
[良い点] コミックでこの作品を知りここまで一気に拝見させていただきました 大変練り込まれた設定かつ丁寧な文章で 非常に楽しませていただいております [気になる点] ただ... 商業化を果たされてる作…
[一言] あおさまからすれば死んだはずの人間が居るはずのない場所で生きてあかさまの加護の下にあるとか意味がわからないわな。 そして状況は内乱一歩手前と。あおさまとしてはくろさまを庇いそうだけど晶くんは…
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